結婚するの。
そう告げられて、真田は一瞬鼻白んで。
それから、少し笑った。
「そうか……おめでとう」
「まさかなぁ、あいつが結婚するとはなぁ」
背伸びをしながら、保大同期の一人が呟いた。
「まして、結婚退職して相手についていくって?」
「そうそう。トルコって言ってたなぁ」
「飛んでイスタンブールかよ」
笑えない親父ギャグを聞きながら、真田は煙草を口に運んだ。
火を点けながら鼻で空気を吸い込めば、鼻腔の中が冷たくなった。
「そういや、真田。あいつと仲がよかったろ?」
「俺じゃない。イガ…五十嵐がだ」
「あ〜、女王様かよ」
保大同期の中で、女性は圧倒的に少ない。だから群れるわけではないが、女性たちは必然的に集まっていた……とはいえ、五十嵐はその中でも異彩を放っていたけれど。
それ故に、渾名は『女王様』なのだ。
「元気か?」
「五十嵐か。ああ」
「なんで今日来なかったんだ?」
「当直と聞いている」
真田の応えに、同期たちは肩を竦めた。
同期とはいえ、全国に散らばっているのだ。こうやって10人近くも集まったのは滅多にない。
そして切り出された、同期の女性保安官の結婚退職の話だった。
「やっぱ女はそうやって辞めてくのかねぇ」
「俺んところも、いいのがいたけどな。やっぱ体力が続かないから、内勤にしてくれって言われたわ」
「そんなもんか」
「…………それぞれに事情があるだろう」
真田の言葉に、全員が振り返る。
煙草を手にしたまま、真田は呟くように言った。
「辞めるも、続けるも、それぞれに事情がある……そこに男女を見ても、意味はない」
「…………」
帰ってきたのは、嘆息と苦笑。
「真田、お前、相変わらずだな」
私は当直だから。
みんなによろしくね。
そう言って背中を向けた、同期。
結婚するの、結婚して主人についてトルコに行くの。だから……海保は辞めるわ。
そう言って苦笑しながら、顔を伏せた同期。
漂う紫煙が、微風に乗る。
流れていく車のライトをぼんやりと見ながら、真田は思う。
それぞれに事情があり、それゆえに未来を選ぶ。
その先に後悔や、達成感があったとしても、その先に正しさなどないのかもしれない。
ましてや、他者が決めるべきではない。
だがそれでも。
結婚するといいながら、顔を伏せた彼女の、目尻が僅かに光ったのはなぜだったろう。
わからないけれど、多分答えは一生わからない気がした。
「お〜い真田、もう一軒行くぞ」
「……ああ」
通りすがりのコンビニ前に置かれた灰皿で煙草を消して、真田は離れた場所から手を振る同期に小さく頷いた。
ぐっと力を込めてみる。
渾身の力を。
「………あかんわ」
溜息を吐きながら、嶋本は握り締めた手をゆっくりと広げ、ひらひらと振る。
「あかんなぁ……ああはならんなぁ……」
「何がだ?」
誰もいないからこそ独り言だったのに、真田が応えてしまっては独り言にはならない。
どこにいたんですか、と言いたかったが、嶋本はぼそりと応えを返した。
「……俺も、筋肉むきむきになりたかったことだってあるんですよ?」
「…………そうか」
小柄な嶋本は、他の隊員たちのようなボディービルのような筋肉はない。
宴会の度に上半身を曝け出しても、明らかに嶋本の筋肉は違っていた。
「昔っから、筋肉、つかんのですよ。まあ、そういう体質ってあるらしいから、しゃあないとは思うけど……」
嶋本は左手を握り締め、右手は左の二の腕をつかんでみせる。
「この貧相な筋肉触るたびに、がっかりするんですよ」
「貧相ではないぞ」
真田が自信に満ちた表情で応えた。
「いいか、嶋本。見た目の筋肉が問題ではない。お前は充分やっている。いや、充分過ぎるほどだ」
「………少し前に、おんなじ会話しましたね」
ふと遠い視線の嶋本に、真田は胸を張る。
「何度でも言ってやるさ。お前が自信を持てるようになるまで、何度でもな」
自信がないわけじゃない。
特救隊の一員として、命の現場にいる以上、救助を遂行する自信はある。
だけど、少しだけ上司のように、鍛え上げられた筋肉にあこがれることだってある。
ただ、それだけ。
「嶋本、筋肉つけたいのなら俺が指導してやるYO」
「結構です。黒岩さんに指導されたら脳みそまで筋肉になりそうやから」
「おお、言うようになったな」
がははと笑う黒岩に、嶋本は言う。
「筋肉がつきにくうても、できることはあると思うから、俺、それを探します」
黒岩は満面の笑みのまま、頷いた。
自分にしかできないことが、きっとあるから。