エドワード






その子が生まれたのは、父親がいない時だった。
2回目の出産で、母親は時間の配分を分かっていた。
だから陣痛が来た時、準備していた荷物を抱えて、隣家である外科医兼機械鎧整備師のもとに走ったのだ。
最初の出産は難産で、一昼夜苦しんだ挙げ句の出産だったので、2度目の出産で小さく産まれた女児は、なんと親孝行な娘かと、取り上げたピナコ・ロックベルは母親に告げたものだった。
そして、3日。
出産の急報に、慌てふためいて帰ってきた父親に、ピナコは豪快に笑って。
それから、静かに言った。
「今度の子は…大丈夫だよ」
「そうか…」
3年前、トリシャが生んだのは、双子の女児だった。
双子が生まれるのは、決して珍しいことではない。田舎では、畜生腹として嫌うてらいもあるけれど、医師であるピナコ、そして父親で錬金術師であるフィリップはなんの迷いもなく、双子を受け入れたけれど。
双子は、一人子よりも早く生まれ、なおかつ小さい。
トリシャの産んだ子は、一人は生後1ヶ月を待たずに、その命の炎を消した。
もう一人も、アリシアと名付けられたけれど、1歳になる前に夭逝した。
そのときのトリシャの嘆きと苦しみを知っているからこそ、そして決して表に出すことのなかったフィリップの悲しみを知っているからこそ、ピナコは第3子の、少し小さく産まれたけれど、身体機能はまったく問題ないと太鼓判を押したのだ。
「すまないな、ピナコ。お前のところも、孫が生まれたばかりだろう?」
トリシャに先立つこと3ヶ月、ウィンリィと名付けられた孫娘はすくすくと成長している。だがピナコは哄笑してみせて、
「なに、うちは医者だからね。それに子どもは多ければいい」
「そうか」
フィリップ・ホーエンハイムがリゼンブールに住み着いたのは、少し前。
隣家の娘トリシャ・エルリックと知り合って、結婚したのは4年前。
年を開けずに生まれた双子と、その死。
トリシャが双子のことを忘れられずに、夜な夜な小さな産着を見つめていたのを、フィリップは知っていた。
「なあ、ピナコ」
「?」
「俺の娘は…今度の子は、美人に育つかな」
「……さてな。まあ、トリシャの娘だから、美人だとは思うが…お前の血が強ければどういう結果になるかは分からんね」
けらけらと笑うピナコのその言葉に、フィリップはようやく微笑んだ。



そっと部屋を覗き込むと、トリシャは飽きる様子もなく腕の中の赤子を見つめていた。
午後の陽光に照らされたその光景は、神々しくも見えて。
フィリップは思わず言葉を失い、先にトリシャの方がフィリップに気付いた。
「あなた」
「あ、ああ…無事に生まれたんだってな」
「ええ。女の子よ、可愛いでしょ……髪も目もあなたと同じ金色よ」
トリシャは本当に幸せそうに微笑んで、言った。
「この子の名前、私がつけてもいい?」
正直。
フィリップは名前を考えてはいたけれど、愛妻の笑顔に思わず譲歩する。
「ああ」
「決めていた名前があるの」



プカリと浮かぶ、紫煙。
浮かべたピナコはため息をつきながら、項垂れるフィリップに言う。
「で、すごすご戻ってきたわけかい」
「だってな、満面の笑みで、いいでしょ? て言われちゃ、引き下がるしか…」
「全く、このロクデナシ」
「……」
「出産の時も、ふらふら、どこにいるか連絡もつかん」
「はい…」
「まったく、表六玉」
「仰るとおりです…」
予定日には帰ってくるつもりだったとか、いまさら言い訳しても遅いのだというのはフィリップにも分かった。
だが。
「だけど!」
「名前変え…って言うんだよ」
告げられた聞き慣れない言葉に、勢いよく顔を挙げたフィリップは動けなくなる。
「名前、変え?」
「ああ」



それは、古き風習。
迷信だと、笑い飛ばしてもいいような、些細な理由づけ。
生まれた時から不幸を招きやすい子どもがいるのだという。
そんな子どもは、周りの子どもが死んだあとに生まれるとされる。
だから、そんな子どもには、異性の名前をつけるのだ。
女児には男児、男児には女児の。
そうして不幸を招きやすい体質を変えることができるのだと。
だが、それを説明するピナコも、聞くフィリップも名前変えが単なる迷信だと言うことを知っている。
そして、母であるトリシャも。
それでも。
トリシャは、そうした迷信でも我が子を守りたかったのだ。
双子の後を追うように生まれた、愛しい黄金の双眸の娘。
だから、名付けた。
男児の名前を。



お前は、エドワード・エルリックよ。



「……知ってるか? 理由がちゃんと認められたら、今だって俺改名出来るんだぜ?」
妻の言葉に、少将は肩を竦める。
「君がしたいなら、そうしてもいいけれど?」
「オヤジが用意してくれた名前があるんだけどさぁ…母さんがつけてくれた、名前も嫌いじゃないんだ。確かに、男名だけどな」
「ああ、知っている」
「……いずれフェルにも聞かれるよな。どうして、こんな名前かって」
「そのまま、応えればいいさ」
少将の応えに、エドは微笑んで。
「な」
「む?」
「俺の女名、オヤジが用意した名前、聞きたい?」
「む、是非とも…」
「あのさ」
耳元で囁かれた名前を、少将はゆっくりと瞠目してから、穏やかに微笑んで。
「その名前も、なかなか…」
「まあ、今の名前の方が気に入っているけど」
「たまに呼んだら」
「だめ。反応できないから」
「……面白くないな」
「なんだとぉ」
「あ、いや、まあ…言ってみただけだ」



エドワード。
幸せに。
私たちの、愛しい、娘。



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