彼女の戦い
「誰よ、この人」
低い声。
それが彼女の第一声で、グレイシアは思わず顔を強ばらせる。
彼女は鼻で笑って言ったのだ。
「マースとはずいぶん釣り合わない感じね、シンデレラさん」
アレクサンドライト・ミュラーという、東方では一二を争うほどの富豪の娘は初対面から、グレイシアに宣戦布告をしでかした。
「まさか、あそこまで言うとは思ってなくて……すまない、甘かった」
深々と頭を下げるマースを、しかしグレイシアは苦笑する。
「いいのよ、気にしないで……とは言えないわね」
「………やっぱり」
がっくりと項垂れるマースの様子を見て、グレイシアは苦笑するしか出来なかった。
「正直、なかなかの反応があるとは思ってたんだ。その……俺らって、べったりな兄妹だったから」
確かに。
マースの話を聞けば、マース自身もかなりのシスコンだと分かる。
アレクがさあ、そういえばアレクの、アレクの子どもの頃に。
アレクサンドライトに直接会う前に、すっかりアレクサンドライトのイメージはマースからの話だけでグレイシアの中でできあがったいたくらいだ。
「多分、お兄さんを取られるって…思ってるのかな」
「う〜ん……そんなガキンチョじゃなかったと思ってたけど」
結婚して欲しい。
そう告げられた時、グレイシアは嬉しかった。
つきあって半年。周りは早いだの、相手は軍人だから考え直せだの、文句は多かったけれども、グレイシアは即答した。
『あなたと、結婚します』
本当に嬉しそうに笑って、マースはウォルフェンブルグ、かつて幼少期を共に過ごした【家族】のもとにいざなった。
で……アレクサンドライトの【シンデレラ】発言だ。
マースと別れて、あてがわれた部屋に帰って。
グレイシアは深い深い溜息をつく。
「これは、前途多難って言うのかしら」
15歳の少女の双眸は、深い拒絶を見せていた。
それには一欠片の余地さえ見せてくれず。
グレイシアには【灰かぶり】以外には認めない、と言い放ったも同然のアレクを兄のマースも止められなかった。
だが穏やかに制するのは、マースと同期であり、アレクにとってはやはり【兄】でもあり、何度かグレイシアも会ったことのある男。
『アレク。そういう否定は良くない』
『…………でも』
『お前は、グレイシアを否定するが、ということはグレイシアを選んだマースも否定することになる。そう判断してもいいんだな』
穏やかに話を進めるロイ・マスタングの背中を見つめて、グレイシアは目を細めた。
こんな、穏やかな人だったかしら。
イシュヴァールに行ったのは、マースも同じ。
少し早く帰ってきて、グレイシアにプロポーズして。
『ウォルフェンブルグには、ロイも帰って来てるらしいんだ。まあ……イシュヴァールでいろいろあって、ずいぶんやさぐれてるみたいだけどな』
やさぐれているどころか。
『ロイ……』
『ほら、グレイシアに謝れ』
『……………………ごめんなさい』
謝罪の前の沈黙が、アレクの最後の矜恃だろう。
グレイシアは気にしていないと返した。
翌朝。
グレイシアが食堂に向かえば、既に食事は始まっていた。
賑やかに何かを話していたマースがグレイシアに気付いて手招きする。
「こっちこっち、はい、ここ座ってね」
「ありがとう」
テーブルを挟んで反対側に、ロイとアレク。
メイドがいそいそとグレイシアの朝食を運んでくれた。その間もマースは話題を提供するのに忙しい。
「この前のパーティーの話をしてたんだよ。サラさんところの、テリアが暴れた話」
「ええ、そんなこともあったわね」
「何が気にいらなかったのか、未だにわかんないんだよな」
たった一人、マースだけが賑やかだった。そんなマースに白い視線を向けるのはロイだった。
「おい、マース」
「お?」
「お前、イシュヴァール行って、五月蝿くなって帰ってきたな」
「な、なにを〜」
「でなくては、もともとそうだったか?」
「ロイ、お前は口悪くなって帰って来たな」
「ふん、お前ほどじゃあない」
絶妙な掛け合いに、しかしアレクだけが黙々と食事をすすめ、席を立った。
「ごちそうさま」
「お、アレク。馬借りるぞ」
「……お好きに」
否定。
拒絶。
ある程度は予想していたけれど、ここまでとは。
だけれども、グレイシアは微笑んで言うのだ。
「大丈夫」
マースはそのたびに安心して微笑む。
「ホントに?」
「うん、大丈夫よ」
大丈夫。
根拠はないけど、きっと大丈夫。
あの娘は、きっと私を認めてくれる。
グレイシアはそう確信して、マースに微笑んだ。
「まったく、どうにもこうにも可愛くない子どもだったのよね、あたしって」
注がれるコーヒーを見つめながら、アレクが言う。
グレイシアは微笑んで、
「本当にね」
「……グレイシア、否定してよ」
「出来ないわね。確かに、暴力はふるわなかったけれど。でも、あのころ、アレクは少し不安定な時期だったでしょ? 発作も多くて」
アレクはコーヒーの香りを楽しみながら、苦笑する。
「だったかなぁ」
「それにもう昔の話よ。忘れたわ」
「…………………グレイシアの忘れたって、いつかポロポロと言い出すから怖いのよね」
「何か言った?」
「ん、ううん!」
否定は、肯定に。
拒絶は、受容に。
穏やかに関係は改善されて。
午睡の時、二人はコーヒーを飲む。