決意






「いい加減にしろ!」
鈍い音に、アレクは思わず書庫に飛び込んだ。
目に飛び込んできたのは。
肩を怒らせて立つマース。
手の甲で口元を押さえ、倒れ込んでいるロイ。
アレクの問いかけも完全に無視して、マースは叫んだ。
「こんなことして、禁忌を犯してまでも、お前は何をしたいんだよ!」
禁忌。
その言葉に、アレクの身体が竦む。
「……な、に……」
ここのところ、書庫にロイが何かにとりつかれたように書物を漁っているのは知っていた。だから、アレクはロイの食事を書庫に運ぶようにメイドたちに頼んでいたのだが。久しぶりに現れたマースはしかし、いつもの晴れ晴れとした表情ではなく、いくらか暗い表情で告げた。
『ロイは?』
『うん、書庫にこもりっきり』
『……変な感じはないか?』
『変な感じ?』
マースの言葉に、アレクは眉を顰めるがロイの様子を思い出して、言葉を紡いだ。
『帰って来てから、なんかうつろな感じって言うか…』
『そうか』



なあ、アレク。
俺たち、戦争に行ってきたんだ。
戦争って言うより、あれは…単なる虐殺だよ。
国家錬金術師部隊による、イシュヴァール殲滅戦って名前ついてたよ。
……わかるか?
ロイは最前線にいたんだよ。



14歳のアレクに、【戦争】も【虐殺】も、言葉の意味を理解することがあっても、本当の意味はまるで薄い紗のカーテンが掛けられたようで、遠いもので。
だけれども、憔悴しきってウォルフェンブルグに現れたロイの姿は、明らかに今までのロイではなくて。
そして、広げられた書物が導き出したのは【人体錬成】。
錬金術を学ぶアレクにも、その禁忌の重さは理解していて。
戦慄、した。
兄が、何をしようとしていたのか、唐突に理解できて。
ロイはイシュヴァールで多くの命を奪って、
ここで奪った命を再び元に戻そうとしたのだ。



だがアレクは瞠目を瞑目に変え、時間が止まってしまった書庫の中で動き始める。
散らかされた書物を一カ所にまとめていく。
書き殴られた紙を拾い集める。
そんなアレクの姿を追いながら、ようやくマースが言った。
「こうなる前に…こうなることは分かってだろうが」
「………」
「だから、なんで国家錬金術師になんかなったんだよ!」
共に士官学校に進んだマースは、国家錬金術師資格試験を目指すロイを一度だけ窘めたことがある。
『国家錬金術師は、軍の狗で、人間兵器だぜ? 一度戦争が始まれば……真っ先に出て行かなくちゃならない』
『ああ。だけど、望むものも人より早く手に出来る』
穏やかに微笑んだあのころ。
まさか、最初の出撃が、
内戦で、
殲滅戦で、
この手で、自分の錬金術で、
恐怖におびえる、幼い子ども、そうアレクよりも遙かに幼い子どもの命の糸まで斬らねばならぬとは。
「俺は……上に行きたかった」
「だからなんでだ」
「上に行けば……守れるだろう、アレクを」
無言のまま片づけをすすめるアレクの手が止まった。静かな双眸が俯くロイの横顔をとらえた。
「アレクには何の後ろ盾もない」
「あるじゃないか。ミュラー家の名前は絶大だ」
「名前じゃない。人だ。いざというときに助けてやれる人がいるか?」
ロイの言葉に、マースも答えを探せない。
アレクは抱えていた紙くずをゴミ箱に放り込む。
「早く、上に行けると思った…だけど」
声が震える。
俯くロイの、絞り出すような声。
「戦争に行って、俺は軍人で、殺したのは敵だって……納得できないんだ」



あれは、敵なのか。
怯えと哀しみで、見開かれた大きな目に浮かんでいたのは……蒼の軍服をまとい、笑う自分の姿だった。
償い、など出来るはずもない。
イシュヴァールから帰還して、まっすぐにウォルフェンブルグに向かった。
アレクの出迎えを受けても、気持ちは上向かず。
ただ書庫で書物をひっくり返す日々を続けた。



「だけど……俺には、人体錬成を構築式に転換するほどの技倆も、覚悟もない……結局、禁忌の一言に立ち止まって、惑うだけだ」
「……ロイ」
「国家錬金術師といえでも、そんなものだ」
自嘲。
ロイは悲しげな微笑みを浮かべて立ち上がる。
「所詮………」
「それで、逃げるの?」
アレクの静かな声が、書庫に響いた。
思いもしない、アレクの言葉にロイもマースも瞠目する。
「アレク?」
「自分はこの程度、ここまでしか出来ないって、自分で線を引いて。線を越えれば何があるかも知ろうとしないで、自分の枠を作って。それでいいの?」
「……おい、アレク」
マースがとどめようとするけれど、アレクは立ちつくすロイに言う。
「ねえ、あたしは戦争に行ったこともないから、あたしの言うことは間違いかも知れない。でも、人体錬成を最後までしてみたらって言ってるんじゃない。言いたいのは、自分で檻に閉じこもらないでって言いたいの……昔の、あたしになっちゃうよ」
告げられた言葉に、ロイはアレクを見つめる。
たった14歳のアレクが、昔と言う10年前。
母に虐待されて、自分は死ななくてはならないと、叫んだ4歳の少女。
自死しようとしたのか、今も分からない灼けた鉄板にその身を投げた、少女。
1年かかった癒えた背中の傷にそっと触れながら、泣きながら『生きてもいいの?』と確認していた、少女。
それが、アレク。
かつて、ロイとマースで看病した、少女は傲然と顔を上げる。
10年前の自分が、母の促しで枠を作ってしまって、死にたいと願ったように、ロイも枠を作っているようにしかアレクには見えなかった。
「ねえ、ロイ。それじゃあ、何の謝罪にもならないよ」



望まずに、手をかけた命。
その命を再び、取り戻すことは出来ない。
ならば。
「線を引くんじゃない、そうじゃなくて自分に出来ることをしなくちゃいけない。それは線を引くことじゃなくて、新しい、生きるための理由、だよ」
少女に促されて、ロイは顔を上げる。
そして、微笑んだ。
そう、だ。
自分は生きなくてはいけない。
殺めた命の数だけ。
そして、これから殺めなくてもいいように。
ロイは、決意をその双眸に燃やして、言う。
「俺は、上を目指す。そして、大総統になる」
「なんだと?」
「大総統になって、無駄に命を捨てさせることのないように、する」



告げられた決意に、アレクも微笑んだ。
「そう。じゃあ、あたしも決めよっかな。あたし、国家錬金術師になって、軍に入る」
「なんだと!」
「おい、アレク」
「決めたの。で、マスタング大総統の秘書官でもしよっかな」
「……それはそれで、おっかないなぁ。ロイよ」
「……確かに」



翌年。
当時の国家錬金術師資格試験合格最年少記録を打ち立てたアレクサンドライト・ミュラーは【双域】の銘を与えられると同時に、軍に入隊。
少佐位を与えられ、西方司令部に赴くことになる。



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