壁の花






「大丈夫だって」
「………大丈夫って、何を根拠に言いやがる」
淡い緑のドレス。
楚々とした様子の少女が身につけるにはあまりにも似合っていて。
振り返るのは男も、女も。
頬を仄かに朱に染めて、少女が呟くのは。
「なんで俺が」
「エド、『俺』はダメだよ、『俺』は」
アレクに窘められても、エドの独白は止まらない。
「なあ、なんで」
「だから、女性だってみんなに知って貰ういい機会でしょ」
この話をなんど繰り返しただろう。
こういえば、エドはそっか、そうだな…でも、と言葉を紡ぐのだ。
「そうだよなぁ…でもさ」
「なんで、と、でも、は禁止します」
すっぱりと告げられて、エドの眦が上がった。
「アレク-----------」
「うるさい。聞かない」
蒼の軍服は会場では珍しくない。だが、それを身につけているのが銀髪の女性であり、なおかつ絶世の美少女を連れていれば目立つのだ。
だが先ほどから耳を澄ませば二人の会話は、決して女性同士の会話とは言えないもので。
眦をきりりと挙げて怒ってみても、今日のエドワードはあまりにも美しすぎた。



正直、疲れ果てていた。
賢者の石【生成】後、エルリック姉弟は怒濤のように周囲の環境が変化した。
鋼成の錬金術師の異名を受け取ったアルフォンス・エルリックはまだいい。第一研究所勤務が決まり、準備をすればいいだけだったから。
だが、エドワード・エルリックは中佐位を与えられ、正式な軍人となった途端に、あちらこちら顔見せ大熊猫のごとく、マスタング准将に、あるいはブラッドレイ大総統に顔を出すように言われて、さんざんな嫌みな攻撃を受けて、正直滅入っていたのだ。
そんな時。
中央出張で出てきたアレクと再会する。
賢者の石生成後、初めての再会だった。
国家錬金術師としてもっとも自分に近しい双域の錬金術師は、蒼の軍服もエドよりも遙かに上手く着こなして、微笑んで言った。
『息抜きが、必要のようね』
そうしてあっという間に軍服を脱がされて、ドレスを着付けられ、髪も結い上げられて、鏡を覗き込めば見たことのない自分が鏡を覗いていて。
『…………アレク?』
『うん。似合ってる。白い肌だし、黄金の髪にはやっぱり緑が映えるわねぇ』
『そうじゃなくてさ!』
抗議の声にも動じず、アレクは手を差し出した。
『さあ、お姫様。参りましょうか、舞踏会へ』



探す必要など、ほとんどない。
田舎とは違って、中央では毎日毎日パーティが繰り広げられているのだ。実は上流階級で育ったアレクにとっては、どこでパーティがあり、出席するにはどうすればよいか、簡単に知ることができた。
「これは、ミュラー中佐。中央へいつ?」
「今日戻りました。来週にはまた帰らないといけないんですけど」
軍式の敬礼をアレクが返すのを見て、エドは相手が軍人であることを知る。
声をかけてきたのは初老の男性。徽章は大佐のもの。胸の所属章は、中央司令部のものだ。
ちらりとそれらを確認して、エドはアレクの耳元に囁いた。
「俺、外す?」
「ん?」
相変わらず談笑している大佐とエドを交互に見て、アレクはにんまりと笑んで。
とんでもない言葉を発した。
「大佐」
「ん?」
「この子、私の連れです。誰だか、おわかりですか?」
「ん?」
初老の大佐は、アレクが強引に自分の前に引っ張り出した少女をまじまじと見て。
すぐに答えを見つけた。
「ほお、これほどな美女とは知らなかった。美しい、至極美しい。エドワード・エルリック中佐」
「………………は、はあ…」
相手が誰だか分からないけれど、とりあえずエドは愛想笑いを浮かべる。
準備が整い、最初にアレクが教えてくれたのは、にっこりと微笑んで、ふわりとひろがったスカートを軽くつまんで、僅かに腰を折る。
『そうすれば、全く問題ないからね』
そう言われていたので、エドは言われた通りにする。
すると初老の大佐は数回瞬きして、すぐににっかりと笑ってみせて、
「ほお、これは良きかな良きかな」
「大佐」
「ミュラー中佐も、ドレスを召された方がよかったのではないかね?」
「いいえ。私は」
穏やかに微笑んで、アレクは慣れた様子で返す。
「今日は、『彼女』の披露ですから」
「ふむ」
良きかな良きかな、と繰り返しながら大佐は姿を消した。
エドは自分より幾分背が高いアレクをちらりと見上げて。
「なあ」
「ん?」
「………………俺、なんか変なことした?」
「なんで?」
「あの大佐、一瞬変な顔したじゃんかよ」
「………変な顔っていうか、びっくりされたんだよ。【鋼の錬金術師】がやっぱり女性だったことをすぐに思い出したんじゃないかな」
「ふぅん」
「あ、エド。ここで待っていてくれる?」
「は?」
不意に言われて、エドは抗議の声を上げる。
だが、着慣れないドレスのエドと違って、軍服のアレクはするりと身を翻して、
「ごめん、ちょっとね」
「おい!」
 叫びたかったけれど、さすがに周りを見て、エドは声を呑んだ。
壁に背中を凭れさせると、少しだけ開いた背中のスリット越しにひんやりとした壁の温度を感じて、エドは身を竦ませる。
辺りをちらりと見回せば、絹の扇子で口元を隠した淑女たちが、しかしちらりちらりとエドを見遣って、何かこそこそと言いあっているのが見えた。エドが見ていることに気づけば、慌てて視線を外す。
エドは小さく溜息をついた。
分かっていたつもりだった。
あれが【鋼の錬金術師】だと、真理を探究するために、女性であることを【大総統命令】で隠していたのだと、大総統発表を真に受けて軽口を叩いているのは予想できた。
だが、そんなことに溜息をついたわけではなかった。
どうせなら、アルフォンスも連れてきたかったのに。
巨躯の鎧の姿であった頃から、アルは人前で目立つような行為は避けてきた。
もう、身に付いているのだろう。
賑やかな場所に出ることを嫌がる。
アレクも無理にすすめることもせずに、結局着飾ってパーティに出るのはエドだけになった。
だが。
自分は、何しに来たんだろう?
不意にそう思ってしまった。



「大尉。私は帰りたいのだが。できれば、ここ数日の睡眠不足を解消したいのだけれども」
「いいえ、大佐…准将。それは無理な話ですよ」
ホークアイ大尉に素っ気なく却下されて、ロイ・マスタング准将はあくびをかみ殺しながら、再度の抗議をする。
「昨日も、一昨日も、パーティをハシゴしたんだぞ」
【鷹の目】と呼ばれる准将の副官は優しい声で言った。
「准将、お喜びください」
「なんだ」
「今日はこのパーティで終わりです」
「当然だ」
憮然として、准将は周囲を見回す。
マスタング准将が【功績】を認められて准将に昇進したのが3日前。それ故に周囲が色めき立った。
まだ若い准将。
まして独身であり、美男であり、頭脳明晰である。
娘の婿に望む者が急増し、准将の断れないパーティへの出席要請が続々と押し寄せた。結果、准将は昼間は昇進による仕事量の増加と、夜間は並み居る求婚者の撃退という二重の任務に追われることになった。
「よかったですね。主催がジェリンガー家で」
「いいのか、悪いのか…」
「いいんじゃない?」
第3者の声に、准将は顔を上げた。
そこには久しぶりに見る、【妹】の顔があった。
「アーノルド・ジェリンガーは、レオ爺の親友だった人だからね。ちゃんとロイのこと、考えてくれてるよ? あからさまなプロポーズするような人間は入れてないでしょ?」
「ミュラー中佐」
「ホークアイ大尉、お久しぶりね。あら、また髪伸ばしてる?」
「ええ」
「アレク、お前がなぜここにいるんだ?」
幾分険しい表情の兄に、アレクは肩を竦めて応えた。
「ちょっと深窓の姫君を引っ張り出してきただけだよ」



壁の花、だな。
エドは小さく自嘲する。
それは、決して触れることのできない、無意味な花を意味する。
今、自分はきっと無意味な存在だ。
自分がいる場所は、ここではない。
しずやかに流れ始めたワルツに、あちらこちらで談笑していた男女が手に手を取り合って踊り始めても、エドは静かに俯いていた。



彼が声をかけるまでは。



「………………何をしている」
低い声に、エドは聞き慣れた感じを覚えて、顔を上げた。
憮然として、腕を組んだマスタング准将が立っているのを見上げて、エドはあからさまに不快な表情を浮かべる。
「それは俺の台詞だ。何してやがる」
「………………仕事だ」
「嘘つけ。どうせ、女を漁りに来たんだろうが」
「上流階級の女性は手間がかかるので、好きではない」
切り替えされた言葉に、エドは呆れて言葉もない。
これ見よがしに溜息を吐いて、視線を外した。
「何をしているんだ?」
「だから、俺はアレクを待っているんだ!」
「その双域から伝言だ。准将と一曲踊ったくらいに迎えに来る、だそうだ」
「な!」
エドはあまりのことに、顔に朱を散らす。
「なんだよ、それ!」
「いいだろう、一曲くらい。私は構わないぞ」
『まあ、そういうことなら私も賛成ですわ。きっと、エドワードくんと踊っていれば、下手な求婚者は寄りついてこないでしょうから』
実は【求婚者撃退特効薬】として准将に付き従っていたホークアイも頷いて。
准将もアレクとホークアイに抗議をしたけれども、聞き入れられず。
要するに、問答無用で踊ってこいということか。
女性二人に促されて、准将は仕方なく所在なさげに壁の花をしている、黄金の少女に声をかけたのだ。
「………………大問題があるんだよ」
「む?」
「俺は、踊った、ことなんか、ないんだよ」
声を潜めて、少し開いた背中まで朱に染めて、少女が言う。
准将は数回瞬きして、求婚者たちが悩殺されるような笑みを浮かべて。
「問題ない。私の足の甲に乗っていなさい。それでダンスしているように見えるだろう」



「西は、いかが?」
「ん?」
一瞬ぼんやりとしていたアレクは、ホークアイの言葉で我に返った。すぐにいつもの表情を取り繕い、返す。
「まあ、他と同じじゃないかな? やっぱりテロリスト頑張ってるし」
「そうですか…」
「東は? イシュヴァールがあるから」
「ええ。本当にイシュヴァールに関係しているのかというような輩までいます」
「仕方ないよねぇ、もともとアメストリスにまつろうことを良しとしない人たちが多いところだからねぇ」
小さく息を吐いて、アレクはつと顔を上げる。
流れ始めたスローなワルツ。
そして一瞬だけざわめいた会場の雰囲気に、気づいたからだった。
アレクの視線の先に、ホークアイも目的のものをみつけて、小さく笑った。
「こういうことは、妙に律儀ですね」
「うん。昔からだね」



こんなに、軽かったのか。
少し驚きながら、准将は足のつま先に感じるエドワードの体重を感じていた。
幾分俯き加減のエドワードの、項に僅かに落ちたほつれ毛が、奇妙な感銘を生み出して、准将は不意に視線を遠くに泳がせる。
エドワードの手を取って、ダンスの輪に准将が入った時、淑女たちの息をのむ音が聞こえたような気がした。
スローなワルツをアンサンブルに要求して、准将はエドワードの手を取って、軽やかに踊り始めた。その姿に、会場の雰囲気が一瞬ざわめいたのだ。
悪くない。
准将は思わずにやりと笑いたい衝動を隠した。
だが、エドワードにしてみればそれどころではない。
准将の足に乗っているのがやっとで。
「准将、ちっとゆっくり」
「これでもずいぶんゆっくりなんだがね」
「………………わかったよ」
ぶすりと返す返事は、しかし決して顔を上げない。
准将の両手で支えられているとはいえ、決して安定しているとは言えないので、エドも必死で准将にしがみつく。
歩を進めれば、ふわりと広がる薄緑のスカートが、実は足に乗っているエドワードの裸足を隠してくれる。准将はそのままでも構わないと言ったけれど、エドは素足で准将の足の甲に乗ることを選んだ。
ありがたかったけれど、エドワードが不安定になることは変わらず。
促されるままに、少しスローテンポになれば、エドは顔をあげてようやくホッとしたように微笑んだ。
「さんきゅ、准将」
「………………たいしたことではない」



少女の微笑みに、心の奥底の何かが揺れた。
だが、准将がその真実に気づくにはまだ幾分時間を要する。



壁の花は、一人の男に摘み取られ、存在を強くする。



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