07:降ってきそうな星たち
冷え込むだろうと、渡された羊毛の重たいコートを羽織ってエドは外に出た。
ホウ。
息を吐き出せば、確かに白く。
「やっぱ寒いなぁ……」
一言呟いて、エドは歩き始めた。
東の涯て。
そんな呼称が似合う町だった。
目の前には砂漠が広がる。
そして見渡せば、淡い月光の中で、朽ち果てた建物が僅かに見えた。
それが、イシュヴァール。
アメストリスがすべてを消し去ろうとした、民族の今の姿だった。
また罪を重ねると、お前は言うのか。
問われて、エドは胸を張って答える。
それでも、弟の身体を取り戻すために、
自分の手足を取り戻すために。
額に十字疵を残す男は僅かに表情を緩めて言った。
『どんな言葉を使おうと、どんな正義を、どんな使命を振りかざそうと、それは欲望に過ぎない』
『お前の言う言葉は素直すぎる。だが素直ゆえに、なおのこと、罪は重い』
罪は、重い。
そう言われても、もうエドには戻るつもりはなかった。
黄金の双眸に力を込めて、告げる。
『それでも、俺は』
俺は欲する。
そして告げられた、要求。
女を、捜せ。
シレリアナ、と呼ばれていた女だ。
言われるがままの容貌の女性を探してこの地に来た。
『ああ、ラストのこと?』
『一昨年だったかなぁ、ラストが出て行ったのって?』
『どこだったか? 西へ行くって言ってたような…』
そんな繰り返しをここ数ヶ月続けている。
だけど、探さなくてはいけない。
ここも既に手がかりをなくした。
明日には中央に戻ろうと思う。
だが、この町がかつてのイシュヴァールに近い街であったことを不意に思い出して、宿の主人に場所を聞いた。
「今から?」
「いや、見えるところでいいんだけど」
「そうかい。じゃあ、まっすぐ東の丘に登ってみな。見えるから」
そんなものを、こんな夜更けに? 錬金術師ってのは暇だな。
その言葉と共に渡されたコートを羽織って、エドは立ち尽くす。
吐く息は白く。
眼下に広がる朽ち果てた建物と、それを飲み込む砂漠。
そこに町があったようには見えなかった。
「兄さん」
振り返れば、密やかな声とは正反対の巨躯がのそりと立っていて。
「なんだよ、ついてきたのかよ」
「ごめん、どこに行くのかなって」
「あれを見に来ただけだ」
顎で指してみれば、アルフォンスは数瞬黙りこんで。
「あれって」
「サザンダカ地区だ……前にアレクに聞いたことがある。本当に殲滅されたところだって」
「………」
重い沈黙に耐えかねて、エドが白い息を吐き出しながら夜空を見上げた。
「お」
「ん?」
「見ろよ、アル。すっげえ星」
つられて見上げれば、淡い月光で隠し切れないほどの星が、ちらちらと光を振りまきながら輝いていた。
「すごいねぇ…」
「まるでリゼンブールで見てるみたいじゃねえ?」
「うん、そうだね」
工場などの排気で大気が汚されず、夜中に明かりの少ない田舎に行けば行くほど、星空は綺麗さを増す。
寒村に過ぎないリゼンブールも、自然の豊かさだけはどこにも負けない。
「すごいね、まるで星が雨みたいに、降ってきそうだよ」
「お、アル。詩人だな」
「そう? えっと、銀の糸、星の雨、三日月の影から大地に降る降る……」
「なんだよ、それって」
それは教科書嫌いだったエドでも覚えている、教科書に載っていた国民的に有名な詩人の作品だった。
夜の美しさを表現したものだと、言われている。
「まったく」
「えへへ……でも、そんな感じでしょ?」
「ああ…………そうだな」
銀の糸、ぬばたまの夜空にめぐらせて。
星の雨、さらさらと暁に走りて。
三日月の影から、大地に降りゆく。
「…………なあ、アル」
「ん?」
「必ず、見つける」
「…………うん」
「で、必ず賢者の石をあいつに使わせる」
「…………そうだね」
「お前の身体を、戻すんだ」
「ねえさんの身体もね」
さらりと返された言葉に、エドはすぐ横に立つ巨躯の鎧を見上げた。
「アル」
「ん〜?」
「ねえさんじゃ、ないだろ」
「あ……兄さん」
「ん。よろしい」
砂漠で見た、降ってきそうな星。
それが何を意味するのかなんて、わからないけど。
でも、朽ち果てた建物と、砂漠と。
そこで見たことに、きっと意味があるような気がする。
エドは白い息を吐きながら、ふとそう思った。