03:束の間の休息






小さく溜息をついて、立ち上がった。
窓際に寄れば、真冬の冷たさが硝子越しにアルフォンスの肌を冷やした。
「さむ…」
身震いして、思い立つ。



「紅茶、ですか? なら、私が淹れて参りますが?」
「ううん、いいんだ。少し渡したい書類もあるから、散歩がてら行ってくるけど……だめかな?」
所長の珍しい言葉に、所長付きの女性秘書は微笑みながら小さく頷いた。
「いいですよ、いってらっしゃい。緊急の案件はないですから。ああ、できたら機関に回せばよろしいですか?」
「……よろしく」



「で、なんでお前がここにいるんだよ」
眦をあげてみせても、弟は動揺しないことは分かっているけれど、エドは眉根に力を込めた。
まだ暖かい紅茶をすすりながら、アレクは笑う。
「嫌だな、エド。そんなこと聞かなくたって」
エドはぶすりとした表情のまま、ソファから立ち上がったアルを見上げた。
「仕事は?」
「うん。仕事で来ただけだから」
アルは穏やかに微笑んで、アレクに振り返った。
「アレク」
「ん?」
「紅茶、ご馳走さま。すごく美味しい紅茶だったよ」
「うん、よかった」
「じゃあ、姉さんが怒ってるし僕は帰るね……そうだ、今日の晩御飯はブラウンシチューだからね、姉さん」
「………ささっと帰れよ」
追い返されているのに、笑顔で執務室を出て行く弟の後姿を見送って。
エドは大きな溜息をついた。
アレクは苦笑しながら、手ずから紅茶を淹れる。
「はい、どうぞ」
「………なあ、まさかと思うけど」
エドは恐る恐るアレクに問い質す。
「アルのやつ、仕事さぼってここに来てるわけじゃないよな?」
「まさか」
注がれる琥珀色の液体。
紅茶特有の香りと、少しだけバラの香り。
アレクは手際よく紅茶を淹れ、ソーサーごとエドに差し出した。
「さっきも書類を届けてくれただけだよ。まあ……ちょっと気分転換も兼ねて、ではあったみたいだけどね」
アレクの言葉に、エドは安堵の溜息を吐いた。
「よかった、アルの奴、お前に会いたいからって仕事ほったらかして、来たのかと」
「ちょっとエド」
少しだけきついアレクの声が飛ぶ。
「アルがそんな人間じゃないこと、知ってるでしょ」
「………まあ、な。わかってるけどなぁ」
ちらりと、エドはアレクを見る。



自分より5歳年上な、女性。
いつも物静かで、鋭すぎる感性で物事を読む能力は一級品だ。
それほどの才に溢れた女性が、どうして、自分の弟とつきあっているのか……。
何度も聞いたけれど、いつだって笑顔で、
『好きだからに決まってるでしょ?』
そして続くのだ。
『エドだって、ロイのこと好きでしょ。それに理由がある? 理由も言い訳も、何も必要ないし、意味をなさないでしょうね。こういう場合は……素直になって、自分に正直になっていいんじゃないかな?』
そうするだけの、思いがここには、あるから。
ゆっくりと、自分の胸に手を押し当てられて。
ゆっくりと、目を閉じれば。
体温の温かさの中に、ほんのりと暖かいものがあって。
心の芯に、確固として存在する、暖かさ。
それが何を意味するのか、エドはエドなりに確信していた。
それが、『エドワード・エルリックの中の、ロイ・マスタング』だと。



「………なあ、アレク」
「ん?」
「なんか、届け物、ないか?」
「………?」
突然の問いかけに、さすがのアレクもエドの言葉が何を意味するのか、わからない。
「…………え〜と、エド?」
「……ロイに届けものとか、ないのかよ?」
ゆっくりとアレクが瞠目して。
やがて、笑う。
「ああ、そういうこと」
「だから、ないのかよ」
アレクはくつくつとしのび笑いながら、書類挟みの中から数枚の書類を引き出して。
「そうね、じゃあ、すっごく急ぎ、の書類だから、大至急、お願いしていいかな?」
「おう」
ひったくるように受け取ったエドの、横顔は僅かに赤く。
「大至急、だな?」
「うん」
少し温くなった紅茶を、一気に飲み干してエドワードは立ち上がる。
「よし、じゃあ超特急で行ってくる」
「うん、気をつけて」



「大佐」
エドという嵐が去ったあと、シュミット中尉がぼそりと言う。
「マスタング少将への書類、ずいぶん期限、ありましたよ?」
「うん、知ってる」
アレクはにやりと笑ってみせて、
「それでもね、急ぎの書類なのよ。エドにとってはね」



急用との冠をいただいて、エドワードの足は逸る。
これを届けなくてはいけないから。
届けたら、少しぐらいは休んで行ってもいいかもしれない。
束の間でも、本当に短い休息であっても、エドの心の中で、確かに暖かさを与えてくれる、男の下へ。
そうして、エドは微笑んで、ドアを開ける。
「少将、アレクが急ぎの書類だってさ〜」




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