04:公私混同






りりん。
涼やかな呼び音を立てた電話を取ると、ハボックの表情が変わった。
「…は、はい……えっと、はい……」
彼にしては珍しい歯切れの悪い返事に、その場にいたブレダとファルマンは顔を見合わせ。
「……なんだ、ありゃ」
「さあ……なんですかね」
ちらりちらりと、視線はもっとも奥まった場所で必死に書類を作成しているマスタング大佐と、矢継ぎ早にサインをする場所を示すホークアイを行ったり来たり。
「わかりました……伝えますけど……いいんスか?」
どうやら帰ってきた応えは、ハボックの予想通りだったようで、ハボックは溜息混じりに肯定する。
「分かりましたよ。でも、自分で………あ、ちょっと、お姫さま?」
最後の呼び名で、ブレダとファルマンはすべてを察した。
互いを見つめて、小さな声で言葉を交わす。
「これでまた……」
「まちがいねえ、仕事が滞るな」
「そうですね、私の方は一応、さっき片付きましたよ」
「え、マジかよ。俺、一個残ってるけど……しゃあないか」



「失礼します!」
必要以上に敬礼してみせる部下に、大佐はサインする手を止めもせずに、その上顔も上げずに応えた。
「なんだ、ハボック」
「あの、実はですねぇ」
非常に、本当に非常に言いにくそうな口調に、さすがの大佐も手を止めて顔を上げた。
「なんだ」
「えっと…」
だが無情な声が飛んだ。
「大佐、サインを」
「あ、ああ」
さらりと書きなぐりながら、大佐は顔だけを上げた。
「なんだ、ハボック」
「えっとですね、さっきミュラー中佐から連絡が」
「……双域の?」
「はい、で……鋼の錬金術師とその弟を見つけたので、西方司令部に」
「…………なんだと」
「1週間ほど、借りるとのことで……」
「なんだと」
完全に手を止めて、立ち上がった大佐に部下の多くが憐れみの、たった一人ホークアイだけが氷凍の視線を向ける。
「大佐」



来週くらい、中央に帰れるかもな。
え? まあ…予定は未定だけどさ。
そう電話してきた少年、否、少女のために、大佐は突然ワーカーホリックになったというのに。



「……やめた」
「はい?」
「今日はやる気が萎えた。私は視察に行く」
力なく項垂れながら立ち上がる大佐の耳に、しかし容赦なく銃の安全装置を外す音が聞こえる。
慌てて振り返れば、氷凍の表情で銃口をむけるホークアイがいた。
「ちょっと、中尉! それはやばいっス!!」
「ちゅ、ちゅうい?」
「撃ちましょうか、大佐?」
「は、はい? ど、どういう意味、ですか」
仮にも部下に敬語を使っていることに気づかない様子の大佐に、ホークアイは微笑む。
ただし、その視線は冷え切ったままで。
「書類を溜め込んだのも、書類を必死になって片付けるのも、あなたの仕事です。私では変われません。でも」
銃口はそのままに。
「ここで私が『不注意で適度に怪我』をすれば、だれか代行してくれる、そうもうちょっと優秀な人を回してくれるかもしれませんし」
「適度…」
「あるいは『不注意で度を越した怪我』をすれば、誰かお見舞いしてくれるでしょうけど。でも、そんなことになったら必ずミュラー中佐が一言、添えてくれるでしょうね」
的確な言葉に、大佐は呆気に取られる。
「おい、中尉」
「はい」
「要するに、今ここで、中尉に撃たれろと?」
「そう思いましたか?」
「断る……とりあえず、今日決済までの書類は片付ける。そのあとで…市内視察だ」
「はい、そうしてください」
そうして、銃口は下げられた。



「さすが、中尉っスね」
「……誉められても嬉しくないわよ」
ホークアイは大きく溜息をついて。
「ああもバレバレなのに、なんでエドくんが気が付かないのか、私はそっちを聞きたいわ」
エドワード・エルリックが中央に帰ると、電話を入れてくる度に大佐は必死になってたまった書類を片付ける。
中央に帰ってきたエドワードと、一緒の時間を過ごしたいから。
その奥底に眠る思いに、エドワードだけが気づかない。



公私混同も、いいところね。
「でも、なんかそれも仕方ないかって、思うのは俺だけっスか?」
ハボックの言葉に、ホークアイは微苦笑して。
「認めたくないし、大佐には絶対知られたくないけれど…ね」



電話が鳴る。
『大佐? 俺。一応調査終わったから、来週中央に帰るわ。報告はその時でいいだろ?』
そうして大佐の『公私混同』が始まる。
ただ、エドワードだけがその事実を知らないままで。




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