08:途切れた言葉






「鋼の……」
「なんだよ」
口を尖らせる少女に、ロイは苦笑することしか出来なかった。
そしていつものように、送り出す。
「いや、なんでもない………気をつけて、な」



「まったく、大人気ない……ですね、大佐」
微妙な敬語に、ロイは片眉を上げた。
「なんだね、双域の。言いたいことがあるなら、言えばいい」
ころりと転がされたのが、サインをしていた万年筆だと気づいたホークアイ少尉が瞬間、氷の視線を送ったけれど。
それよりも一層凍れる視線をロイに向けたのは、アレクだった。
「あら、こんなところで、周知にしちゃっていいんですか? 私、存じ上げてますわよ。大佐の……遍歴を」
「なんだ、それは」
おほほ、とわざとらしく笑ってみせて、アレクは続ける。
「数々の華麗なる女性遍歴、ですわよ」
「だから、それと双域が言いたい内容とどう繋がるのだ」
少し苛々しながら、先を促せばアレクは妖艶にすら見える微笑で、
「よろしいんですか、大佐」
「だから、なんだ」
「年の差って」
その一言で、ロイは電光石火で立ち上がり、アレクの腕をつかんで執務室から引っ張り出した。
残された一同は互いの顔を見合わせて、小首を傾げている。
「ありゃあなんだ?」
ブレダの言葉が、一同の思いを示していた。
ただ一人、ホークアイ少尉だけがアレクのたった一言ですべてを理解し、受け入れた。
「まったく、不器用なんだから…」
苦笑しながら、主のいないデスクを見つめて。
「まったく……」



「もしも〜し、マスタング大佐?」
「…………」
「大佐って、たいさってば〜」
茶化したような呼びかけにロイは答えず、アレクの腕をつかんで引きずるようにして、ずんずんと進む。
「どこまで行くんですか〜」
何度目かの呼ばわりに、ロイは憮然とした表情で答えた。
「…ここまでくればいいだろう…」
アレクが素早く辺りを見回せど、人の気配はなく。
「うわ、司令部にこんなに人のいないところがあるんだ」
「茶化すな、アレク!」
珍しい名前での呼びかけに、アレクは目を細める。
「あらら、懐かしいわね」
「そんなことより、さっきの話だ」
腕組みしながら、ロイは問いただすように言った。
「その、年の差、とは……なんのことだ?」
「あれ、わかってるんでしょ。自覚はあるんでしょ? それでも言わせたいの?」



エドのこと、好きなんでしょ。



衒いもなく、率直に告げられて、ロイの動きが止まった。
アレクは小さな溜息を一つ落として。
「自覚…なしだったの?」
恐る恐るの問いかけに、だがロイは大きな、深い溜息のあとに呟くように言った。
「自覚はしている」
「なんだ」
ほっとして、アレクはロイの顔を覗き込んだ。
「一時期、すごく女性遍歴がひどくなったってマースから聞いていたから。それが最近、まったくなくなったのも心配だってちょうど昨日、聞いたのよ。そしたら、その少し前に中央駅でエドとアルが汽車に乗り込むところに、ロイもいたでしょ」
「…………それでか」
「うん」



思いを断ち切ろうと、違う女性を見ようとした。
だがどこかしら、少女の面影を探す自分に愕然とした。
性を偽って、国家錬金術師として時折しか自分の下に姿を見せることしかない、少女の面影を。



あの日。
兄弟が再び旅立とうとするプラットフォームで。
ロイは伸ばそうとしていた手を、結局伸ばすことが出来なかった。
喉まで出かかった言葉を、結局言うことが出来なかった。
エルリック兄弟を見送る度に、言えない言葉。



行かないで、欲しい。



『鋼の…』
『ん?』
呼ばわりに振り返り、自分を見つめる黄金の双眸に、言葉は途切れる。
それ以上は、言葉が立ち消える。



「私は……臆病、だな」
「そう? ロイは慎重なだけだよ。きっとね。だって、エドのことを思って言えないんでしょ?」
「……そうだが」
「言わない勇気も、必要だよ。でも分かってると思うけど、ロイ。言う勇気の方がずっとエネルギーいるんじゃない? 相手を思いやることも大事だけど、自分の気持ちも大事にしてあげてね」
アレクの微笑みに、ロイは笑った。



まだ、言えない。
いつかは、言えるかもしれない。
途切れた言葉を、再び紡ぐ日を。
ロイは、待つ。




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