10:支え、支えられて続く関係






「決まったよ」
それだけ告げれば、妻には充分だった。
「……そうか」
「苦労を、かけることになるね」
夫の言葉に、金髪金眸の妻は穏やかに笑った。
「なにをいまさら」
「しかし、エド。今までの比ではないよ」



大総統夫人、だから。



ロイの言葉に、エドは黙然と笑む。
分かっていた、ことだった。
ゲオルグ・クライバウムがジェームズ・マッキンリーから大総統位を譲られてすぐに、噂がたった。
次代の大総統は既に決まっている、と。
次代の大総統と目されているのが誰なのか、噂は明かさなかった。
そしてクライバウム大総統も、決して明かさなかった。
だが、世間はやがて知る。
優遇ではなく、ただロイ・マスタング中将はその他の将軍たちとは何かが違っていた。
功績、部下からの信頼、その風貌、あげればきりが無いかもしれない。
だが、世間はそれを言葉にした。
『ロイが次代の大総統だって、世間では言われているらしいわよ』
ある日のアレクの言葉を、エドは笑い飛ばした。
『なんだよ、それ。どう考えても、ロイなんて中将の若造だろ? それが大総統っていうのは順番じゃねえじゃないかよ』
『順番じゃないけどね』
紅茶をすすりながら、義妹は言う。
『ロイは、強そう、なんだって』
『……………はい?』



世間は、知らない。
家に帰れば、しどけなくのびきって、我が子相手に遊ぼうとするけれど、10歳の息子にさりげなく振り回されていることに気づかない、どちらかといえばダメな父親。
二人きりになれば、どこでも愛を囁く、時にはうっとうしい夫。
だがエドが知っている『ロイ・マスタング』を世間は知らない。
新聞などの媒体で知られた『ロイ・マスタング』を補うように、想像で肉付けしていく。
そうやって出来上がったのが、『強そうで、威厳のあるロイ・マスタング』なのだ。
しかし、そんな虚像の自分すら、ロイは利用する。
『いいではないか。夢を持つことは………まあ、少しくらい美化してもらったほうがいいだろう?』
『よく言うぜ、雨の日は無能だってこと、俺が新聞にばらしてやる』
苦笑交じりに呟いたエドの額に、ロイはキスの雨を降らせて。
『君はそんなこと、しないよ』
そう言って笑った。
そして世間は、未だ知らない。
『ロイ・マスタング』は若く美しい妻に、無能、ロリコンと貶され、虐げられても、相好が崩れたままであり、世間にそれを知られぬために、側近たちがどれほどの努力をしているのかを。



「大総統夫人だろうと、なんだろうとたいしたことじゃねえよ。今までの苦労ほどか?」
「……君の言う苦労とは、どれを指差すのか分からないくらい、君も私も苦労したからね」
溜息をつくロイに、容赦ないツッコミ。
「苦労じゃない、あんたのは。自業自得だ。無能」
「………なぜそこに、無能が出て来る」
「じゃあ、雨の日限定無能にしてやるよ」
ふんと鼻で笑えば意気消沈する夫の姿。
さすがにかわいそうになり、エドが言う。
「……だから雨の日限定だって」
「………最近のエドは、私に優しくない」
突然のいいように、エドは瞠目する。
「なに?」
「フェルにかかりっきりで、私のことなんか」
「おい、ロイ」
「広域司令部が忙しいのも分かる。なのに、アレクと一緒にお茶する時間はあって、フェルの勉強を見る時間はあっても……私と散歩する時間はないんだね」
あまりにも一方的ないじけ方に、さすがのエドも眉を顰める。
「おい」
「いいんだよ、私は。だけど、大総統になってしまえば、もっともっと忙しくなるから、二人の時間なんてもてないかもしれないね」
ひくりと動く片眉に、しかしエドはそれ以上は何も言わずに。
ロイの独り言のような愚痴だけが部屋に響く。
「君はまだ若いから、もう一人くらい子どもが欲しいんだけどなぁ…大総統夫人なんてなったら、無理かなぁ」
「………」
「それに私もとてつもなく忙しくなるし」
「…………ロイ」
「ん?」
「…………何が言いたい」
「ん? 私が言いたいことは今言ったじゃないか」
しれっと告げられて、エドは眉を顰めたまま、硬直したように表情を変えない。
「子どもが欲しいなって」
「違うだろ」
静かに返されて、ロイは黙る。
「俺は、ロイから離れるつもりはないよ。大総統になろうと、それは変わらない。だから……いまさら俺を試すようなことを言うなよ」
エドは深く溜息をつきながら、続ける。
「そういう時は、俺の傍にずっといてくれって言うんだよ。子どもがどうとか、忙しそうだとか、そういう周りくどい言い方しなくてもいいさ」
「………」
ゆっくりと伸ばされた手は、ロイの頬に落ちた睫毛を掬い取り。
「俺は、ロイの傍にいる。これからも」
「……いいのかい?」
「何を今更。大総統になろうが、ロイはロイだ。雨の日限定の無能だけどな」
皮肉はロイの耳には届かない。
力強く引き寄せられて、エドの身体はロイに包まれた。
心を安堵に導く暖かさがエドを包む。
「エド」
「………ん?」
「私の傍に、いてくれるかい?」
「……ああ」
「私を支えてくれるかい?」
「あたりまえだ。だけどさ、ロイ」
声が、身体を伝って耳に届く。
そんなことを感じながら、エドは言った。
「俺が倒れそうになったら、ロイ。俺を支えてくれよ」
「もちろん。愛しているよ、エド」
優しく告げられた睦言に、エドは小さく笑って、ロイの背中に手を回す。
「………俺も、だよ」



アメストリス暦1934年、ロイ・マスタング中将、大総統に就任。




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