01:赤いドレスと白い花
ランドルフは気づいた。
アルバムの中の、母の写真。
そして下に書かれた、母に恋焦がれた男の言葉。
あなたには、赤いドレスが似合うのに。
赤いドレスのあなたには、白いバラが似合うのに。
なぜ、着ないのですか。
そして母の字で、書かれた答え。
赤は、嫌いよ。
白いバラも、嫌い。
「そうだよ、明日だ。大丈夫かな?」
ロイの言葉に、受話器の向こうで一瞬言葉をつまらせた『弟』が、しかし何とか言葉を返した。
『………急なことですね』
「ああ、悪いとは思っているのだがな。エドワードが今日から中央に出張で出て来るんだが、明日の夕方には帰ってしまうのだ。久しぶりに君にも会いたいそうだ」
『ああ、エドワードさんが! マリアもエレンも喜びます』
「……私が行かないと喜ばないのかね?」
『……兄さん、なんだかひっかかる言い方ですけど』
「ひっかかるように言ってるだけだ……土産があるそうだから」
受話器を置いて、ロイは小さく溜息をついた。
『すまない……ロイ』
返された謝罪は、本当に素直なものだった。二人だけの時しか聞かない『ロイ』の呼び方に、その思いが込められているようで。
久しぶりの恋人の電話の声は、だがすぐににこやかになって。
『エレン、大きくなったかな? 俺、土産買っていきたいんだけど、いいかな?』
そう言われては断れない。
まして明日は朝から昼過ぎまで、どうしても抜けられない会議が控えている。今日だってせっかくエドが中央に来ているというのにまったく会えないほど、仕事が山積しているのだ。
なんでこんなときに、と思わず上層部を心の中だけで罵りながら、とりあえずバレンタイン家に連絡を入れたのだ。
「まったく……なんでこんなときに仕事が入るんだ」
「本当にそうですね」
静かな、そして冷え切った言葉にロイは顔をあげた。
冴え冴えとした表情で、美しい部下は告げる。
「明日、会議のあとで残業にならないように、前もって片付けることを考えた方がよいのでは。バレンタイン家にすぐに向かえるように車の手配はしておきますが」
それは会議のあと、バレンタイン家に直行できるという希望を示したことになる。
ロイの表情が変わった。
「……大尉」
「はい」
「今日、徹夜になってもかまいないから、仕事を持ってきたまえ」
「ええ。もう準備してあります」
決して丈夫ではない安拵えの執務机がぎしりと音を立てるほどの、書類の山が出現して。
あんぐりと口を開いたロイに、氷凍の女神が言い放つ。
「頑張ってくださいね」
なんだか眩暈がする。
頭痛も、頭の片隅どころではなくあちこちから押し寄せる。
昨日は本当に徹夜で、一睡もできないままに会議を迎え、睡魔と必死に戦いながら会議を乗り越え、しかし車中で寝てしまえば絶対にバレンタイン家で起きられないのが分かっていたから、自然とロイの表情は険しくなる。
ロイは顰め面のまま、車から降りた。
「まぁ〜ったく、あんな顔で恋人と弟夫婦に会うのかね」
ハボックの独り言も、ロイには届かない。
チャイムを押せば、にこやかな答えが返ってきて、その声の主がわかったロイは自然に表情を変えた。
「はいはいは〜い」
開かれたドアから覗いたのは、ロイの待ちわびた黄金の女性。
「……エド」
「あ、ロイ」
なのに、相手は素っ気無く「おつかれさん」と告げて、家の中に向かって叫んだ。
「ランド、マリア! ロイが来たよ」
振り返ったエドの背中には、必死の様子で抱きつく小さな少女がいて。
エドを呼び止めようと手を差し出したロイを首だけ振り返りながら、言った。
「ロイおじさん、へんなかお」
「あら、徹夜だったんですか?」
コーヒーを差し出しながらマリアが驚く。ロイは苦笑しながら、
「まあ、軍ではよくある話だから」
「そうなんですか? あ、じゃあコーヒーよりミルクティーがいいわね。ちょっと待っててくださいな」
すぐに部屋を出て行くマリアの後姿を見送って、ロイはリビングの中央で何かを覗き込む3人に声をかける。
「何をしてるんだい?」
「あ、ロイも見る?」
エドの手招きに誘われ、ロイはフローリングに座り込みながら、エドが指差すものを見つめて、一瞬眉をひそめた。
「それは……」
「あ、ごめんなさい。嫌なもの、見せてしまいましたね」
それは母、エレノア・ハーミッシュの写真アルバムだった。
かつて、母に焦がれた芸術カメラマンの卵がいたという。
その卵が毎日のように母のバーに訪れ、写真を撮った。それをアルバムにまとめて、それぞれに言葉を添えて、母に贈ったという。受け取った母も忘れていたかもしれない。何せ、納戸の奥の奥にしまわれていたから。
「……すみません」
項垂れたランドルフにロイは笑う。
「何を謝る。私とお前の母だ…まあ、いろいろあったが」
ロイは笑いながら、相変わらずエドワードにしがみついているエレンを手招きした。エレンは大人しくロイの膝上に座った。
「エレン、どうだ。おばあちゃんは美人だろう?」
「…うん」
「マリアも美人だから、お前もきっと二人の血を受け継いでいるんだから、美人になるさ」
「びじん?」
「ああ」
あなたには、赤いドレスが似合うのに。
赤いドレスのあなたには、白いバラが似合うのに。
なぜ、着ないのですか。
赤は、嫌いよ。
白いバラも、嫌い。
初めて見る、母の字だった。
ロイはただ黙然と見つめている。
母亡き今となっては、その言葉の意味を誰も知らない。
「だが、何かの思いがあって、書いたんだろう? 母さん…」
密やかな呼びかけに、写真の母はただ妖艶な笑みを浮かべたまま、答えを返さない。