05:金色の野原
両手を広げる。
五指を精一杯に広げて。
ゆっくりと歩けば。
掌に感じるのは、くすぐったい感覚。
だが、リンはそれを楽しんでいた。
数年の努力の結果が、これだった。
一面に広がる、麦畑。
リンの視界は全て、同じ色。
かつて皇后にと、望んだ女性の髪と同じ色。
黄金だった。
手綱を勢い引けば、良く馴らされた馬は反応する。
数度足踏みをして、足を止めた。
先を進んでいたジエンが振り返る。
「陛下?」
「……ここは何年になる」
「ああ、そうでした。3年ですよ。早かった方です」
リンは迷わず馬から下りる。そして駆け出していく。
慌てたのは付き従う貴族や文官だった。
「へ、陛下!」
予定にはない皇帝の動きに、たった一人を除いて一同が慌てた。
「陛下、お待ちください」
「追わなくていい」
穏やかな声に、一同が振り返れば、馬から下りるジエンの姿があった。
皇帝に直接声をかけるのははばかられるけれど、枢弼師ならばまだ意見し易い。そう思った文官の一人が言う。
「しかし、枢弼師どの。ここに立ち寄る予定など」
「いいんですよ。ここも……陛下の御業の一つですから」
そう言われて文官が「あ」と小さく声を上げた。
それは甚大な災害だった。
山が崩れ、川が溢れ、幾つもの町が姿を消した。
民が上げた悲哀の声を、皇帝は見捨てなかった。
町ごと移住させ、困窮する地域のために開拓を行い、農蓄産を奨励させた。
開拓が始まったのが、5年前。
徴収する税も低額に抑える一方で、農畜産の奨励が効を奏し、町は復興を遂げていた。
皇帝が駆けて行ったのは、開拓によって生まれた麦畑。
まもなく収穫の時期を迎えて、麦穂は見事なまでの黄金色をしていた。
「リン」
呼ばわりに、リンは静かに振り返る。
「そろそろ行かないと」
「ああ」
リンは自嘲するように一人小さく笑んでみせて。
「町が待っているな」
「覚えていただけでも上々」
この臣下はかつては自分の兄弟だった。
だが自ら望んで臣下に下ったこともあって、二人だけの時は時折対等な物言いをする。
だがリンはそれを咎めることもなく、いや寧ろ楽しんでいる様子も見えるのだ。だからジエンも畏まった口調と使い分けている。
歩き始めたリンが不意に振り返った。
ジエンはその様子に名残惜しそうな雰囲気を見て、声をあげた。
「そんなにここがいい?」
「いや。この色が好きなだけだ」
思いもしなかった答えにジエンは小首を傾げた。
「色?」
「ああ」
リンはにやりと笑って。
「昔、というほど昔ではないが、皇后にしようと思った女がいた」
それは初耳だった。
ジエンは興味を覚えて問う。
「で?」
「ん? ああ、断られたよ。せっかく鳳凰の爪入れまで渡したのにな。メイを通じて返してきて、その上一緒にいた妹とか言うのが、これは比翼連理だと小言を付け加えてな」
「……メイ?」
思いもしなかった妹の名前に一瞬戸惑うが。
「それは、アメストリスの女なのか」
「ああ。髪も眸も、見事な黄金だった」
子供もいたな。
独り言のような言葉に、ジエンは一瞬呆気に取られて、続いて堪えきれず笑い始めた。
前を進むリンが不機嫌そうに振り返る。
「笑うな」
「比翼連理、だと! お前、よりにもよってそんな見事な切り返しをする女に爪入れを渡したのか!」
「…………ジエン」
ぎろりとにらまれても、美貌の枢弼師は動じない。
「見た目もそうだがな。何よりその気性が気に入ったのだ。だがなぁ……比翼連理といわれた上に、本人に丁重に断れ、一緒に良人を連れてきてもいいと、良人まで声をかけたが」
「ダメだったわけだ」
「………俺は鳳凰を逃がした気分だった」
「リンにとっての鳳凰だったわけだな、その比翼連理の片割れが」
くつくつと笑いつづけながら、ジエンが言った。
「意外に傷になっているのか」
「なんだと?」
気づけば臣下たちに囲まれて、ジエンの口調はいつものように畏まったものになった。
「陛下、そろそろ参りましょう」
「……ああ」
馬上の者となったリンに、ジエンが絶世の美貌に微笑を浮かべながら言った。
「陛下」
「?」
「黄金の鳳凰は、他にもございますよ」
「………だといいんだがな」
リンは小さく微笑んだ。