06:冴えた銀色を帯びた月
指先が、冷たかった。
エドは小さく溜息を吐きながら、両手を握り締める。
生身の両手で。
「………鋼の」
呼びかけられても、エドは振り返らず。
握り締める拳に、力を込める。
細く短い指が白くなる。
そんな両拳に、ふわりと添えられた、手。
白い手袋をしても、その仄かに感じる体温が心地よく。
冷え切ったエドの指先を暖める。
握り締めた拳がいくらか緩んだ。
「もう時間も遅い。何をしている」
「……別に」
「そんなに握り締めて、傷でもついたらどうする」
せっかく取り返した、左手じゃないかね。
静かに言われて、エドはしかし表情を変えない。
「そうなんだよな。そうなんだけどな」
「………鋼の」
「大佐」
エドはゆっくりと開いた両の掌を見ながら言う。
「なあ、指先が冷たかったら、普通はどうするんだっけ?」
「……普通? 両方の掌をこすり合わせて……」
そこまで告げて、ロイは思い出す。
少し前までこの少女が、右腕を機械鎧としていたことを。
金属で作られている故に、暖かさを奪うことがあっても、暖かさを与えてくれるものではない。
そういえば義手義足の頃、少女が極端な寒がりだったことを、ふと思い出す。
暖めても暖めても、機械鎧が体温を奪っていっていたとしたら。
「そうだよな……普通はそうするんだよな」
忘れてたよ。
笑う少女が、背中を向ける。
少女がロイに電話をしてきたのは、一晩空けてからだった。
『練成する』
その一言でアルフォンスと二人、姿を消したエドワードは何かに必死に堪えながら自分たちがイシュヴァールにいることを告げた。
じりじりと焦燥感に身悶えながら一夜を過ごしたロイは、イシュヴァールに最速で駆けつける。
そこで見たのは、生身の身体を取り戻していた姉弟の姿だった。
喜ばしい、出来事のはずなのに。
姉の面影に、
弟の双眸に、
影を見るのはなぜだろう。
だがロイは問い質さない。
いつか、二人が語ってくれることを、待ってみようと思ったのだ。
賢者の石。
再びの人体練成。
それが二人の心に、何かをもたらしたのかもしれない。
「……………鋼の」
ロイは思わず言い出した。
「本当に、よいのか。嫌なら、その、賢者の石をイシュヴァールに隠匿するという方法も」
慌てて振り返ったエドがギロリとロイを睨みつけた。
「おい、あんた。自分で何を言ってるか、わかってんのかよ」
そうだ。
『賢者の石、存在せり』の一報はエドの望みで、ロイが中央に放った。
今ごろ、中央ではとんでもない騒動が起こっているはずだ。
だが、賢者の石と姉弟の上の、見えない闇が関係があるのなら、ロイはふと取り除いてやりたいと思ったのだ。
「わかっている」
「わかってないね。賢者の石って、とんでもない代物を、はいなくしましたで納得するほど、軍が甘くないことぐらい、俺でもわかる」
「…………」
「……おれたちのことを、気にかけているんだったら。いいんだよ。今度のことで、俺たちは少なくとも急に消されることはなくなった。だけど、あれをくれた奴に、俺は約束したんだ」
エドの言葉に、まるでオウムのようにロイは問う。
「約束?」
「ああ。約束の内容は言えない。だけど、そのために俺たちはできることをする。そう、決めた」
背筋を伸ばす、少女。
砂漠に落ちる眩しいまでに銀白に輝く月の光を受けて、少女の黄金の髪が柔らかく輝いた。
その黄金の双眸に、決意を見て。
ロイは一瞬言葉を飲み込み。
やがて、小さく息を吐いて。
「………そうか。ならば、その手助けを少しでもしてやろう」
「いらねえ」
「……少しは躊躇したまえ」
「手助けなんてしなくていい。あんたは、上に行くんだろ。上に行って、賢者の石なんて存在、忘れられるような世の中にしてくれ。それが、一番の俺たちの助けになる」
断言するように告げられて、ロイは微笑んだ。
「そうか」
「おう」
「では、そうさせてもらおう」
とりあえず、とロイは切り出す。
「夜もふけた。ホテルに帰らないかね」
「ああ、そうだな」
エドもあっさりと答えて。
両手をすり合わせた。
小首を傾げているロイの顔を覗き込んで、小さく笑う。
「指先、冷たいんだよ」
ロイも笑んで、手にしていた手袋を脱いで渡した。
「使いたまえ。少しは暖かい」
「お、サンキュ」
ロイはふと振り返る。
背後には、砂漠に浮かぶ、冴えた銀色を帯びた月。
月明かりに照らされて、砂漠も色を変える。
綺麗だ。
だが、なにか悲しい。
ふとそう思った。
だが、エドの呼びかけにその思いは掻き消えた。
「今行く」
残されたのは、月と、砂漠と、自分とエドの足跡だけ。