08:灰色のしあわせ
「じゃあ、ね」
『……ああ』
アルフォンスが名残惜しそうに踵を返した。
男は一瞬、逡巡して。
『アルフォンス』
「ん?」
『……おめでとう』
「………え?」
『よかったな。大切な、伴侶を得た』
訝しげだったアルの表情が一瞬にして崩れた。
姉ほどではないが、黄金に近い色の双眸から今にも涙が零れ落ちそうで、男は苦笑する。
『泣くな』
「……姉さんに言われた時もうれしかったけど…ジェザームに言われてもやっぱりうれしい……」
『泣くな、男だろうが。まして、もうすぐ父親になるなら』
「うん」
一瞬天井を見上げて、アルフォンスは自分の両頬をペシペシと叩いて。
「うん、大丈夫」
男は小さく笑った。
『いや、嬉し泣きは構わない……………そうだったか』
「え?」
『いや。シレリアナが昔のことを言っただけだ。気にするな』
あなたも、泣いたじゃない。
私の妊娠が分かったとき。
ありがとうって。
なんて俺たちは幸せなんだって。
苦笑交じりに囁かれれば、自分も苦笑せざるを得ない。
そうだった。
まだ何も始まっていなくて、何も知らなかったあの頃、結婚したばかりの頃で。
シレリアナの妊娠を喜んだのは、まず自分。
そして近しい者たち。
大神官だった兄は特に喜んで。
最初の祝福は、自分が与えさせてほしいといったことまで覚えている。
覚えているけれど。
あの時。
妊娠したようだと告げた、シレリアナの衣装の色は。
祝福を与えさせてほしいと言った兄の僧衣の色は。
何色、だったのだろう。
思い出せば、すべての色は色あせて。
否、既に色はなく、記憶の中で燃え尽きたように、同じ色で。
「……ジェザーム?」
心配そうに覗き込むアルフォンスに微笑む。
『何もない。ただ……昔を思い出せば、昔過ぎて思い出せないだけだ』
「そう……ごめん、そろそろ帰らなくちゃいけない」
『ああ。妊婦を一人にするな』
シレリアナという伴侶を得て。
もうすぐ家族が増える事実を知って。
幸せだった頃。
自分も、あんな顔をしていたんだろうか。
アルフォンスの背中を見ながら、ジェザームは苦笑する。
そうだとしても。
もう、遥か記憶の彼方。
色すら思い出せないほど、ただ灰色に染まった幸せだった頃の記憶。
もう、戻ることはない。
ええ、でもそれでもいいのよ。
ジェザーム。
私たちが生きて、幸せだった記憶はあるのだから。
囁くシレリアナの言葉に、ジェザームは小さく頷いた。