09:遠い昔の記憶は、セピア色






その写真は、大切にしまわれていた。
そして、それを見つけたのは。





「ママ〜」
「ん〜?」
「さっき、書庫の隅っこで本を探してたの」
「ああ、言ってたな。あったか?」
「うん。でもね、その横にこんなの見つけたんだけど……これって大事なものじゃないの?」
「ん?」
夕食も済み、暖炉の前でくつろいでいたエドは娘が差し出す黒い本に見覚えがあって、一瞬ギョッとする。
「お前、これ……」
「見ちゃったけど……ママ」
「……言うなよ」
「ええ〜、いいじゃない! だってだって」
「うるさい、言うなったら言うな!」
「賑やかだな」
娘の声ではない、聞き慣れた、そしてこの場にもっともいてほしくなかった声に呼びかけられて、エドはゆぅっくりと振り返った。
極めて、機械的に。
「おや、帰って、らしたのね、ご主!」
「ママ、言い慣れない言葉使うと、舌噛むってあたしに言うのに……」
完全に傍観者になったヒルダは、首元を緩める父親に、
「お帰り、パパ」
「ただいま、ヒルダ。エドは何かあったのかい?」
「うん。これ、あげる」
「ヒルダ!」
エドの必死の制止も届かない。
黒い本は父親の手の中に収まった。
「なんだ、これは?」
「じゃあ、あたしは部屋で本、読んでるから」
「……ヒルダ……」
「恨めしそうな顔したって。自分の大切なものでしょ。照れくさいのは分かるけど、書庫の隅っこなんて、置く場所間違えてるよ。アル叔父さんだって同じこと言うと思うよ」
母にとってはそれ以上何もいえなくなる名前を出して、機先を制して娘は部屋を出て行った。
「可愛いし、きれいだって思ったのになぁ……なんであんなに恥ずかしがるかなぁ」
娘の呟きは両親には聞こえない。






「………あ、あのさ」
「…………」
エドがおそるおそる呼びかければ、ロイは軍服の首元を緩めただけで、暖炉に一番近い椅子に座り、黒い本を広げるところだった。
「えっと、ロイ」
「………………エド」
長い沈黙のあとに返って来た答えは。
「なんでこんな素敵な、そして大切な写真アルバムを書庫の隅っこなんかにしまっておいたんだ? ああ、懐かしい。そしてなんて、君は愛らしいんだ。いや、今も変わってないよ」
「……そうかよ」
おそるおそるだった口調は、急激にトーンダウンする。
「素敵な写真じゃないか。このアルバムは結婚式の時の写真をアレクがまとめてくれたものじゃないのかい?」
10数年前の写真だ。
8月の晴れ渡った空の下で、2人は結婚式を挙げた。
義理の妹であるアレクが用意してくれた純白のウェディングドレス。シンで作られたシルクと、複雑だが軽やかな模様のレースで彩られたドレスは、今も大切にしまいこんでいるけれど。
写真は長い間、アルバムの中で開かれることもなく保存されていたので、色あせることもなくロイの手の中にある。
「いやあ、今と変わらないねぇ」
「………もう10年以上経ってんだぜ。変わってねえはずがねえじゃねえかよ」
憮然と答えながら、エドはロイから一番遠い椅子に座り込む。
「まったく、そのアルバム見ればロイがそう言うの、分かってたから隠したのによ」
「やっぱりそうか」
ニコニコと笑いながら、ロイは手招きをする。
エドは憮然とした表情を崩さないまま、呼ばれるままに近づけば。
「………おい」
「ん?」
「なんで俺がお前の膝の上に座ってんだよ」
「ん? いいじゃないか」
「よくねえ!」
結局エドの抗議は罷り通り。






「そうか、この時テオとレオはまだ、アレクの中だったか」
「うわ、こう見るとアレクの腹、でっけえ」
暖炉の前に敷いたラグマットに2人で横になり、広げたアルバムを覗き込めば、やはり結婚式の思い出がよみがえる。
「しかし、やっぱりエド。きれいだよ。本当に」
集合写真に写る、それぞれの笑顔。
今は既に亡き人となった顔もある。
この写真のあとに、生まれた命もある。
あの一瞬を切り取った写真だけれど。
あの日、純白をまとう黄金の花嫁をその腕の中に抱きしめて、ロイは再確認したのだ。
この女性を守って、共に家族を作って、手を決して離さず、一生一緒に歩いていこう。
「………なあ、エド」
「ん?」
「……私は幸せ、だな」
「……なんだよ、突然」
「君に出会えて。君と共に歩けて。君と家族を作ることができて」
突然の告白に、エドは一瞬眉をひそめたけれど。
すぐに穏やかに笑った。
「そうだな。俺も一緒だ」
「エド」
「だから、こんなアルバム見るたんびに、こっぱずかしい台詞を聞かされるこっちの身になってくれ。だから隠したんだよ……だけど、ちゃんと油紙に包んで、日の差さない場所に保管したんだからな……まさか、ヒルダが見つけるなんて」
くすりと笑って、エドが言う。
「ちゃんと、色褪せなんかしないように、な。それに忘れられるもんじゃねえだろ?」






そうだ。
この幸せな記憶は色褪せない。
写真はセピア色でも、記憶は色褪せないままに、心の中に残っている。
思いを写真を見ることで再確認しなくても、いつでも自分たちの胸の中に輝いている。
共に歩いてきた時間の分だけ。






「ああ、そうだね」
「飯、食ったか? ちゃんとシチュー作ってあんだけどな」
「うむ、いただこう」






幸せな記憶は色褪せない。
エドの中に。
ロイの中に。
輝きつづけている。




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