優しい響き
聞こえる。
優しい、調べが。
……そうね、これは歩、あなたが私のために弾く、子守歌。
……何回聞いても、歩の優しさが、胸にしみとおる……そんな気持ちになれるわね。
遠くに、聞こえるわ。
あなたのピアノの音より、ずっと遠くで。
……あれは……、母さん?
泣かないで、母さん。
大丈夫だから。
私は、大丈夫だから。
離ればなれになった家族を、もう一度、一つにしたかった。
そのきっかけになること。
私の大好きな、歌うこと。
それは同じことよ、って言ってくれる人がいたから、私は歌ってこれたのよ。
……たとえ、歌うことが、命を削ることだと知っていても、ね。
後悔なんて、しない。
だって、歌い続けたことで、私は歩と出会えた。
歩が私の為に作ってくれた、優しい歌を歌えたから。
家族がもう一度、集まることができたから。
……後悔なんて、絶対にしないわ。
ねえ、母さん。
私、とっても嬉しかった。
歩と二人で、家族をつくりなさいって言ってくれたとき、本当に嬉しかった。
一晩中嬉しくて、泣いたんだよ。
歩はずっと、ずっと、私の背中を撫でてくれていた。
良かったね、本当に良かったね。何度もそう言ってくれていた。
生まれてから、韓国での生活が身に付いてる。
歩はとっても、よくしてくれた。
いつでも優しくて、いつでも真っ直ぐに私にぶつかってくれたから。
そう、私、とても幸せ。
……だから、赤ちゃんが出来たって知った時、歩に素直に言った。
それから、生みたいって。
しばらく歩は黙っていたわね。
でも、微笑んで、頷いてくれた。ソアヤのしたいようにして。そう言ってくれた。
……もしかしたら、心臓が弱っている私には、耐えられないかもしれない。お医者さんはそう言った。三枝さんも、心臓が良くなってから、子供を作ればいいって言ってた。母さんも……同じことを、言っていたよね。
それは違うって、私は言った。
この赤ちゃんは、他の誰でもないのよ。
歩と、私の赤ちゃん。
後悔、なんてしたくないの。
この子の命は、私が守るの。
私と、歩で守るのよ。
自力出産は無理だろうから、帝王切開になった。
母さんは、ずっと付き添ってくれたよね。
手術の間中、歩が録音した、歩のピアノ協奏曲が流れてた。
……とっても穏やかで、春の草原を渡る、ゆるやかな風のような、そんなハーモニー。
手術室に入る私の手を握って、歩は言ってくれたよね。
「……いってらっしゃい。もうすぐ春だよ。退院できたら、3人でお花見に行こうね」
「……さくら、きれいかしら」
「うん……」
目が覚めた時、枕元には母さんと、歩がいた。歩が微笑んで、
「……女の子、だったよ」
「元気な声で泣いていたわ」
母さんも言ってくれた。
……女の子。
私は名前を決めていた。歩も小さく頷く。
「……そうだね、名前は……さくらにしよう。桜を待ちわびて生まれてきた子供だから」
桜の下。
きっと、私はさくらを抱いた歩の横で、日本での初めての桜を、楽しんでいる……そう、そんな夢。
……さくらが笑ってる。
それを見て、私と歩も笑ってる。
……聞こえるよ。
歩の、ピアノが。
心の深奥に、浸透していくような、そんな静かな調べが、私を包み込む。
……もう、聞こえないわ。
母さんの叫び声。
……ああ、暖かいわ。ここはどこなのかしら。
遙か彼方に、輝く光が見える。
あそこに行かなくちゃ。
……母さん。
……さくら。
……歩。
end...
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