年代表解説

年代表について、ちょっとした解説文をつくってみましたが……、
間違いの可能性があります。
見つけた方は、教えてくださいね。


@白の木について
かつてヴァラールによって太陽が造られる前に、世界を照らしていたのは二本の木で、その中で銀色に輝く気はテレペリオンという名前がつけられていましたが、ある出来事で枯死することになります。
しかしテレペリオンに似せて造られた木があり、これはガラシリオンと名付けられ、エルフによって大切に育てられました。
エルフはこのガラシリオンをエルダールの白の木と呼び、その中の一本(ケレボルンの若木という名前)をヌメノール人に譲ります。
ヌメノール人はこの若木をニムロスの若木と名付けて、王宮の中庭に植えましたが、のちのヌメノール王がサウロンに惑わされ、これを切り倒させます。
しかし、エレンディルの息子イシルドゥアによってこの果実が密かに持ち出され、彼らが中つ国移住後、ミナス・イシルの王宮の中庭に受けられました。
しかし1636年に一度枯死しますが、果実の状態で保存され、1640年に王宮がミナス・アノル改めミナス・ティリスに遷された際、再び植えられることとなります。
しかし2852年に白の木が再び枯死した時、果実は保存されておらず、『王の帰ります時まで』そのままの状態で放置されます。
3019年、指輪戦争終了後、アラゴルン1世によって若木が発見され、ミナス・ティリスの中庭に再び白の木が植えられることとなりました。
白の木はヴァラールが造りだした木の子孫であり、白の木こそヌメノールの末裔の象徴とされ、ヴァラールの英知を人間に与えられているという印として敬われたようです。


Aナルシルとアンドゥリル
第2紀最後の都市(3441年)に行われたサウロンとの戦いで、ドゥネダイン統一王国の上級王エレンディルが用いたのが、ナルシルです。
ナルシルは第1紀末に滅亡したドワーフの王国ノグロドのテルハールによって鍛えられた剣です。
エレンディルはナルシルでサウロンに立ち向かいますが、エレンディルは戦死、ナルシルも折られてしまいます。
しかし、エレンディルの長男・イシルドゥアがナルシルの欠片でサウロンの指を切り落とすことで、この戦いは終焉を向かえます。
イシルドゥアのものとなった指輪は、第3紀2年あやめ野の戦いでイシルドゥアを裏切り、結果イシルドゥアは命を落とします。
しかしナルシルは翌年(3年)オタールという人物によって、裂け谷に届けられ、エルロンドによって保存されました。
2951年、20歳になったエステルはエルロンドに自らの本当の名前と出自を証されパラヒアの指輪と共にナルシルを譲られ、指輪を捨てる旅の前にこれらを打ち直し、アンドゥリルと改名します。
指輪戦争の間、アラゴルンはこの剣で戦い続けます。


Bエルロンドとケレブリアン
エルロンドは第1紀442年、ルシアンとベルンの双子として生まれ(弟エルロスはヌメノールの初代王)、第2紀に起こったサウロンとエルフの戦いで滅びたエレギオン王国のエルフを連れ、エリアドールの東端の裂け谷に王国を築きます。
第3紀109年、ケレブリアンと結婚。
ケレブリアンはロスロリアンのケレボルンとガラドリエルの一人娘です。
130年には双子の息子エルラダン、エルロヒアが、241年には娘アルウェンが生まれています。
2509年にケレブリアンはオークに拉致されますが、双子の息子によって救出されます。
しかしこのとき受けた毒の傷に苦しみ、翌2510年、灰色港から不死の国に旅立つこととなりました。
一方エルロンドは裂け谷にとどまり、ガンダルフ、ビルボ、ドワーフの一行を受け入れたり(2941年)、指輪に関する御前会議を催したりしていますが、3021年ガラドリエル、ガンダルフ、フロド、ビルボとともに不死の国へ向かいます。
双子の息子エルラダン、エルロヒアはエルロンドが去ったあとも、ロスロリアンから移ってきたケレボルンとともに裂け谷にとどまりましたが、いつ不死の国へ去ったのか、あるいは渡らなかったのかも、不明となっています。


C日沈む塔、月出でる塔、星の塔
日沈む塔はミナス・アノル、月出でる塔はミナス・イシル、星の塔はオスギリアスを指す言葉です。
ミナス・アノルは白の山脈とモルドールの山脈に挟まれた峡谷に、第2紀3320年エレンディルの次男アナリオンによってつくられました。
同じ年、モルドールの山脈の西にエレンディルの長男イシルドゥアによってミナス・イシルがつくられます。
ミナス・アノルとミナス・イシルの中間点である場所に、アンドゥイン大河をまたぐ形でオスギリアスも同時期につくられました。
第2紀3441年までは
ミナス・イシル→イシルドゥアの宮殿
ミナス・アノル→アナリオンの宮殿
でしたが、上級王エレンディルの死亡でイシルドゥアは北方王国アルノールに移り、ゴンドールの王位はアナリオンの子孫が受け継ぐことになり、王都はオスギリアスとなりました。
しかしオスギリアスはサウロンとの戦い、1437年の内戦、1636年の疫病流行などで衰退し、1640年王都はミナス・アノルに遷されることになります。
2002年、ミナス・イシルはサウロン軍によって奪われ、名前もミナス・モルグルと改名されました。
これをうけてミナス・アノルもミナス・ティリス『守護の塔』と改名しました。
また2475年にはオスギリアスもウルク=ハイの攻撃を受け、廃墟と化します。
指輪戦争時、ゴンドールの支配下にあったのはミナス・ティリスで、オスギリアスはモルドールとの防衛の砦としてのみ使用されました。
第4紀になると、ミナス・モルグル(ミナス・イシル)は完全に放棄されました。
これはオスギリアスも同様で、廃墟のまま、放棄されます。
一方ミナス・ティリス(ミナス・アノル)はドゥネダイン再統一王国の王都として栄える事となります。


D緑森
アンドゥイン大河の谷間に広がる大森林地帯の北東部に、森のエルフと呼ばれるシルヴァン・エルフの王国があり、第3紀にはスランドゥイルが国王として君臨していました。
1050年ごろ、緑森の南端にサウロンとナズグルによってドル・グルドゥアがつくられ、これによって緑森には闇の力が及ぶようになり、緑森は闇の森と呼ばれるようになります。
ドル・グルドゥアにはナズグルが支配者として君臨していましたが、サウロンも度々訪れていました。
2063年と2850年、ドル・グルドゥアにガンダルフが訪れ、ドル・グルドゥアの支配者がサウロンとナズグルであることを知り白の会議に報告しますが、既にサウロンの影響下にあったサルマンによって揉み消されてしまいます。
2941年にビルボとドワーフ一行が闇森を通過し、はなれ山に向かった時は、サウロンがドル・グルドゥアからモルドールに移った年でもあり、2951年にはナズグル3人による支配が始まりました。
指輪戦争の際にドル・グルドゥアは闇森エルフの王国とロスロリアンを攻撃しますが、ことごとく失敗し、サウロン滅亡後はこれらのエルフに攻撃を受けて滅亡します。
このことで闇の力が駆逐され、闇森は再び改名、「緑葉の森」を意味するエリン・ラスガレンと呼ばれるようになり、スランドゥイルの王国とロスロリアンから移ってきたガラズリムの王国が出来ました。
ちなみにレゴラスはスランドゥイル王の息子であり、第4紀にはシルヴァン・エルフを伴い、ミナス・ティリスを度々訪れていたようです。


Eアルノール王国
第2紀3320年、ヌメノールの滅亡から逃れたエレンディルによってエリアドールに北方王国アルノールが建設されました。
アルノールはドゥネダイン最初の王国でエレンディルは息子であるイシルドゥアとアナリオンを南に送り、南方王国ゴンドールを築かせます。
アルノールの都はイヴンディム湖のにあるアンヌミナスに置かれますが、エレンディルとイシルドゥアの続く死亡のため、イシルドゥアの血統がアルノール王位を受け継いでいきます。
861年には王都がフォルノストに遷され、同じ年に第10代エアレンドゥア王の3人の息子により、アルノールは分割され、アルセダイン、カルドラン、ルダウアの三つの王国となりました。
1300年には霧ふり山脈北部に、サウロンの支配するアングマールが築かれ、続く1636年の疫病流行などで、1409年までにカルドラン、ルダウアの両王国は滅亡。
1974年には最後に残ったアルセダイン王国も滅亡します。
しかし王の血統は野伏とよばれるドゥネダインの長に引き継がれました。
2050年にはゴンドール王の血統も絶えたために、イシルドゥア(エレンディル)の血統はドゥネダインの長にのみ残ることとなりました。
このためにアラゴルンはドゥネダインの長であり、アルセダインの王家の血統であるより、イシルドゥアの世継ぎであるとされます。


F白の塔
オスギリアスからミナス・アノルに王都が遷され、モルドールの脅威が増す中、ミナス・アノルの防衛強化が図られ、1900年ゴンドール王カリメフタールによって、白の塔が造られました。
ミナス・アノルは30mの城壁を7層造り、その上に白の塔が築かれました。
2698年には執政エクセリオン1世によって再建されました。
このことによってミナス・ティリスは「白の塔」と呼ばれるようになり、白の塔=ゴンドール(あるいはミナス・ティリス)を指す言葉ともなりました。
白の塔自体は映画でボロミアがアラゴルンに言ったように「エクセリオンの塔」とよばれていたようです。


Gモリア
霧ふり山脈の東側のアザヌルビザールにあった洞窟をドワーフが掘り進み作り上げたのが、カザド=ドゥム、「ドワーフの館」です。
星々の時代から太陽第3紀の間、栄えました。
第1紀の終わりには滅亡したノグロド、ベレゴスト両王国から多くのドワーフが移住したことで人数を増やし、ここでしか産出されない金属、ミスリルの発見で一層栄えることになります。
しかし、第2紀に起こったエルフとサウロンの戦いの際には、不干渉を貫くため門を閉ざし、外界との接触を断ちました。
このことからカザド=ドゥムはモリア「黒い坑」の別称を与えられました。
第3紀1980年、カザド=ドゥムのドワーフたちは地下深くを掘り進むうち、上古の昔に封印されていたバルログを掘り出してしまいます。
翌年にはバルログによって王が殺され、カザド=ドゥムは放棄されてしまいました。
放棄の間にカザド=ドゥムはオークやトロルなどのすみかとなります。
2989年、ギムリのいとこにあたるバーリンが率いるドワーフたちがカザド=ドゥム再建を目指してモリアに入りましたが、失敗に終わり、2994年のバーリンの死とともに再び放棄され、第4紀においても放棄されたままとなりました。


Hゴンドール執政家
ゴンドール王は執政を置く習慣がありましたが、必ずヌメノール人であったフューリンの子孫から選び、執政職はやがて世襲制となったために、執政家をフューリン家とも呼びます。
2050年、ゴンドール王エアルヌアばミナス・モルグルで消息を絶ったことで、王位は空位となり、執政がゴンドールにおける最高位となりました。
最後のデネソール2世まで24人の執政がその権威をあらわす白い杖を持つこととなります。
いくつかの名前が出てきますが、ケレブランドの戦いでローハン(青年王エオル)に救われたキリオン、モルドールに備えて白の塔を再建したエクセリオン2世などが、優れた執政としてあげられています。
そのエクセリオン2世の長子として2930年、デネソールは誕生します。
父エクセリオン2世はその出自に関わらず、有能な人材を登用しました。
中でもローハンから来たと言われたソロンギルを登用したことで、ゴンドールはハラドに奪われていた主要な港であるペラルギアを取り戻すことが出来ました。
しかし、ソロンギルは姿を消し、2984年、デネソール2世が執政となった時には、立ち会いませんでした。
デネソール執権就任に遡ること6年(2978年)、デネソールとドル・アムロス大公の娘との間に、長子としてボロミアが生まれ、2983年には次子ファラミアが誕生します。
指輪戦争時(3019年)、デネソール2世の死により、ファラミアが執政を受け継ぎますが(長子ボロミアは3019年死亡)ゴンドール、アルノールの再統一王国の国王としてアラゴルン2世が帰還したため、ファラミアは執政職を返上、アラゴルンにイシリエンを与えられ、この地でローハンのエオメル王の妹エオウィンを妻として、暮らすことになります。




end...





Top