追憶






アルウェン、貴女の涙は真珠のように美しく、そしてロスロリエンの玻璃光よりも輝いている……。




ああ、幾星霜、彼方に聞いた言葉でも、覚えているわ。
あなたの、声。
あなたの、言葉。
あなたとの、限られた時間を。




「アルウェン」
静かな、低い声。アルウェンは不意に夢から呼び戻された。ゆっくりと目を開く。
そこにいたのは、ケレボルン。
かつてはロリエン王であったが、今は裂け谷にいるはずの、かつてアルウェンを養った、見事な銀髪のエルフ。その養い親であり祖父が心配そうに自分をのぞき込んでいるのに気づいて、チェストから身体を起こしながら、アルウェンは微かに笑みながら、
「大丈夫です、ケレボルン」
「そうか……」
ホッとした表情を見せながら、ケレボルンは身体を起こしたアルウェンの隣に座る。そして、アルウェンの頬に恐る恐る、そっと触れる。
「……年古った……とは、哀しきことか」
「いいえ、ケレボルン」




それは、違う。
私は、アラルソンの息子、アラゴルンに会えてよかった。
ともに歩くことを、望まれてよかった。
……二人の子を、育むことができてよかった。
そして、何より言祝ぎたい。
死で終わる生を迎えることが出来たことを。




父・エルロンドと別れるのは、とても哀しかった。
でも、アラゴルンを愛する喜びが、全てに優った。
だから、父の旅立ちを、数々のエルフの旅立ちを、微笑みながら見送った。




かつて、私は夕星のアルウェンと呼ばれた。
ゴンドール王妃となったのちは、夕星王妃と呼ばれた。
暗闇とともに落ち行く世界の中で、最後に輝く夕闇の中の星。
終焉へと向かうエルフの最後にあって、間際をたよとう小さき星。ゆえに、父エルロンドはロスロリエンで、私を養った。エルフとして生きていくことを、学ばせるために。




ティネヴィエル。
初めて会った時、あなたはそう私を呼んだわ。かつての美姫の名を。かつてたった一人、人間との恋を選び、永遠の生命を捨てた、もっとも美しいエルフ。
私を美姫に喩えて呼ぶ者は数あれど、アラゴルン、あなたほど精悍で、美しい方はなかった。
エルロンドも、あなたの母君ギラルエンも私たちのことを、賛成はしなかった。
人間と、エルフの違いは、乗り越えられないと。
あの大戦のあと。
指輪所有者である小さい人・フロドが、偉大なる所業を為した時、父は私に問うた。
『モルドールは潰えた。ここに第3紀は終焉を迎えた。
エルフの時は、第3紀で終わる。我らは海を越えていく。
アルウェン、我らがエルフの夕星。我が娘、汝はいかにするか?』
『……私は、エルフの石と呼ばれる、最後のヌメノール人の王たる、最も高きデュネダインであるアラゴルン・エレサールとともに、死で終わる生を全うします』
『……エルフに与えられた永遠の営みを、デュネダインとともに?』
『はい』




昼と夜が等しい日。
私はアラゴルンと婚姻の誓いを立てた。
周りにはアラゴルンが友と頼る者がいた。
フロド・バギンス。
サムワイズ・ギャムジー。
メリアドク・ブランディーバック。
ペレグリン・トゥック。
緑葉の森のレゴラス。
ドワーフのギムリ。
白の乗り手・ガンダルフ。
そして、亡きボロミアの弟、ゴンドール執政のファラミア。
私にとっても、アラゴルンにとっても、最良の時だった。
ゴンドールの王が住まうミナス・ティリスの輝きは一層増し、中庭に植えられた白き木は美しく花をつけ。




やがてエルロンドと、ガラドリエル、そしてフロドたちは、船にのり海に向かった。
旅立ちの時が来たのだと。
哀しかったけど、私は受け入れた。
それが、エルフの運命だから。
それが、指輪によって不本意に寿命を延ばされた、指輪所有者たちの、最後の定めならば。
私は息子を、そして娘を得た。
王妃としての、エレサール王を支えるのは、時として苦しく、だが時には楽しい時もあった。
ホビットのメリーとピピンが余生を過ごすために、ミナス・ティリスを訪れ、宮殿はにわかに賑やかになった。
……それも、一時。
長命であるホビットもやがて永久の眠りにつき。
やがて、アラゴルンの永久の眠りも近づいた。




「……アルウェン。眠りの時が、来たようだな」
「……アラゴルン」
王は微笑んで、震える手でアルウェンの頬に触れる。アルウェンは哀しみを含んだ視線をエレサール王に注ぎながら、手を両手でしっかりと包み込んだ。
「王妃よ。あとのことは頼む。だが、我らには良い息子を得た。エルダリオンは、よき王としてミナス・ティリスを、ゴンドールを治めることができる……娘たちも、よき夫に恵まれた。これ以上、望むことなどない。私たちはすばらしい時間を過ごしたのだから」
「……そうですね」
「だが、ただ一つの心残りは、アルウェン。あなたのことだ」
それから、王は同じく枕元にあった『仲間』を呼んだ。
「……レゴラス……ギムリ」
「ここにいます」
「何か?」
エルフのすらりとした長身と、ドワーフの短躯を見て王は微笑み、
「……もし望むなら、王妃を海の彼方に連れて行ってはくれぬか。彼方に父エルロンドも……フロドもいる」
「王!」
「……王が望むなら」




私は、望まなかった。
ミナス・ティリスにとどまることをこそ望み、レゴラスとギムリを海の彼方に送り出した。
かなり前にシャイアにいたマスタ・サムワイズと呼ばれたホビットが海に漕ぎ出したことを知った。
息子エルダリオンも、その子も、その子も、没した。
それでも時間はゆったりと流れている。
私は、ミナス・ティリスを去った。
アラゴルンと私の子孫たちの栄枯盛衰を、この目で、この耳で感じながら。




だが、海の彼方に去らず、この中つ国に残ったエルフの私は、死で終わる生を生きた。
まもなく、永遠の眠りが来る。
分かる。
だから……ケレボルンが来たのだ。
「アルウェンは、幸せか?」
祖父の思いもしなかった問いかけに、私はすぐに微笑み返した。
「ええ、とても。エルフの石に出会えたことは、幸福の泉を見つけたも同じ事」
「……そうか」
眠りが訪れる。座ることすらままならぬ。
ケレボルンに支えられながら、チェストに身体を横たえながら、私は囁いた。
「……ケレボルン」
「なにかな?」
「私を、ケルン・アムルスの丘に。小さな碧の塚をこしらえてください。銘は必要ありません。ただアルウェンと。アラゴルンの妻と、記してくだされば結構です……」
「分かった」




暖かな光が、包む。
すっくと立ち上がる私は、もっとも輝き、夕星王妃と呼ばれていた姿。
すぐ横に立つのは、最も愛しき者。『エルフの石』『望み』、様々な名を与えられた、中つ国の傑者。
微笑みながら、私に手を差し伸べる。
『いざ、参ろうか。我が王妃、黄昏の輝きたるウンドミエル』
『ええ……参りましょう。あなたの元へ。あなたのミナス・ティリスへ』
見えるは、白く輝く、ゴンドールの都。
私は……王とともに行く。
死者として。




第3紀3019年3月25日、冥王サウロンの滅亡。
5月1日、アラゴルン・エレサール王の戴冠。
同年夏至の日、アラゴルン、アルウェンと結婚。
3021年9月29日、エルフたちとフロド、ビルボ、海を渡る。
ここに、第3紀終焉。
第4紀60年、サムワイズ、最後の指輪所有者として海を渡る。
62年、メリーとピピン、シャイアを離れ、ゴンドールに赴き、余生を過ごす。
120年3月1日、アラゴルン・エレサール王の崩御。




中つ国に残りし、『指輪の旅』を知るは、アルウェン王妃が最後にして、この崩御により、『指輪の旅』は言葉の中に受け継がれるのみとなる。
歴史は、伝説になり、
伝説は、神話となる。





まるで言葉遊びのような、『Lord of the Rings』(原作)が好きです。
映画になる前から、アラゴルン命のkurochiroですが、映画で一番萌えたのはアルウェンが父エルロンドに望まれて、港に行く途中で、アラゴルンと自分とアラゴルンの息子が仲良くしている様子を幻視するシーン。
普通はそんなシーンに萌えないとは思いますが…
息子エルダリオンを見たかったなぁ…





end...





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