A hesitation 3
大輔のとんでもない『プロポーズ』の話は、事故の翌日、病院でながれで潜水士として一緒だった山路に聞かされた。
『まじ、っすか?』
『いやあ、ドラマのような告白だったなぁ。ああ、俺には出来そうもないがな』
既にお見合い回数80回目に到達しようという山路には、夢のようなプロポーズだったのだろう。
状況がいまいち飲み込めないけれど、どうやら大輔は状況確認に本部に電話をしてきて、くろーばー号に乗り合わせ避難していた環菜に告白したようだった。
『そう…ですか』
『なんだ、嬉しくないのか』
『いや、嬉しいですよ?』
本当に嬉しい。
けれども大輔の一途さが、少し歯痒かった。
大輔は自分の中で気持ちを醸造してしまうタイプだ。あっけらかんと全てを吐き出してしまう自分とは全く違う人間だ。
お調子者ではあるけれども、決して苦しいことや哀しいことを表に出さない。少なくとも吉岡に向けられることはまずない。
電話をしたのは、おそらく吉岡が閉じこめられ身動きが取れず、要救助者2名を連れて大輔が先に移動した時だろう。
山路は言う。
『あいつな、少し前の救難でずいぶんショックなことがあったんじゃないのか? それを乗り越えられないで苦しんで、環菜を傷つけたって言ってたな。そんな自分でいいのか、環菜を守れるのかって』
くろーばー号にまだ生存者がいて、機動救難士2名が戦っている事実を知らせたくて、山路のかつてのバディ・下川は全保安官に聞こえるように大輔からの電話を無線に流した。だから保安官は全員、環菜への大輔の告白を聞いたのだ。
命を守ることの、大切さ。
その思いで保安官は救助にあたる。
だったら、それが揺らげば?
大輔の告白は、大輔なりの答えを保安官たちに見せたのだ。
生きて、帰る。
全員生きて、帰る。
そして環菜と結婚するんだ。
静かに語る大輔の、その思いがどれほどの保安官に届いただろうか。
吉岡は思わず、満面の笑みを浮かべた。
『なんだよ、それは』
『いやあ、大輔さんって相変わらず熱いな〜と思って』
『…………確かにな』
不意に鳴った内線電話を、吉岡は書類と格闘しながら取った。
「はい、機動救難隊」
『こちら、受付案内です。仙崎さんはいらっしゃいますか?』
「仙崎は…」
ちらりと出勤表を見たけれど、すぐに大輔が福岡の仙崎家に環菜と共に結婚の挨拶に行くと言っていたのを思い出して、
「今日は休みですが?」
『どうしましょう。あの、お客様なんですけど』
吉岡は小首を傾げる。
「客って?」
『…田野倉武志くんと仰るお子様です』
「たのくら」
どこかで聞いた名前だった。
「たのくら…」
復唱してようやく思い至り、吉岡は瞠目する。
田野倉武志。
飛行機墜落事故で最後に救出された少年。
大輔に、父を返せと叫んだ子どもだった。
「すみません、仙崎は休暇で鹿児島を離れているんですよ」
松葉杖を慌ててついて、応接室に飛び込めば女性と見たことのある少年が立ち上がった。
少し驚いたように吉岡を見ていた少年は、吉岡のギブスを見てぽつりと言った。
「怪我…」
「あ、これね。大した怪我じゃないんだけど、先生がこうしておけば早く直るって」
ぷらぷらとギブスをした足を見せて、吉岡は笑顔で二人の前に座った。
「吉岡哲也です。大輔…仙崎さんとはバディ…まあ、コンビと思ってください」
「桐原恵津子です、あの」
少年を紹介しようとすると、少年は小さな声で。
「田野倉武志」
「武志」
咎めるような母の言葉に、少年は俯いた。吉岡はそんな武志を見て、
「あの時………………君が救助された時、僕はヘリの中にいたんだよ」
吉岡の静かな声に、武志が顔を上げた。
「武志くんはとっても疲れていて、覚えてないと思うけど」
少しだけ目が泳いだ。
何かを思い出そうとしているような…。
だが、また下を向いてしまった。
吉岡は出来るだけ笑顔を絶やさないようにしながら、母だと名乗った恵津子に問う。
「今日は仙崎に御用なんですよね?」
「あ、はい。あの…息子が言いたいことがあるのでどうしても連れていってほしいと」
恵津子はちらりと少年を見た。
それは、少し困ったような表情で。
吉岡はそんな親の表情を見たことがあった。
海難事故で救助された子どもが、1ヶ月ほどしてお礼だと父親に連れられて来たことがあった。海岸から沖に流された子どもだった。かすり傷一つなく、早い救助だったのだが、やはり心に傷を負った。
『どう接していいのか、わからないんです…今までのあの子じゃないんですよ』
溜息混じりに語った父親の複雑な表情。
恵津子の表情は、同じだったのだ。
だが、今は母親ではない。
吉岡は心を鬼にして、武志に向き合う。
「武志くん、何を仙崎さんに言いたいの?」
「……………今日はもう来ないの?」
小さな声で問われて、吉岡も少し困ったように笑って。
「ちょうど今日から4日間、休み取ってるんだよ」
今日は福岡の仙崎家で一泊。
福岡を出発して、呉に向かい呉の伊沢家で2泊。
それから帰って来るので、やはりどんなに早くても明明後日だった。
「まあ、どうしましょう。実は私たち明後日には北海道へ」
「え?」
顔を上げれば、先ほどとは表情の違う恵津子が、
「今の夫の転勤で。明後日の飛行機で」
確か田野倉家は宮崎にある。事故の供述調書を自分で書いたから覚えている。
「武志、やっぱりお手紙に」
「直接言う」
小さな声。でも、しっかりと告げられた強い口調。
だからなおさら、吉岡は確信した。
きっと、武志は言う。
大輔を責める言葉を。
「でも、いないなら…この人に言う」
「え?」
「お願い、あの人に言って。助けてくれて、ありがとうって。ひどいこと言って、ごめんなさいって」
意外な、言葉だった。
少年は、まだ責めていると思った。
助けることが出来なかったことを。
目の前で父が海にのまれていくのに、何もできなかったことを。
大輔の思いはともかく、同じ場所で何もできず、ヘリの中で見つめることしか出来なかった吉岡の胸の奥でも、小さなトゲがちくりと痛んだ。
そうだ。
自分も、助けられなかったのだ。
なのに。
少年は、感謝と謝罪を口にするのだ。
吉岡は一瞬黙って、少年を見つめる。
田野倉武志は顔を上げて、まっすぐに吉岡を見つめていた。
「………沖縄でパパに言われた。ありがとうの気持ちを忘れないこと。ごめんなさいの気持ちを忘れないこと。そうすれば…きっとまた会えるからって」
哀しみを堪える少年の言葉に吉岡は小さく頷いた。
「そう」
「仙崎さんって人が助けてくれたことはありがとうって思うし、パパが言った通りだから」
少年の隣で、母親が目頭を押さえる。
「お願いしていい?」
「ああ。ちゃんと伝える」
「うん…」
別れ際に、握手だと吉岡が手を握ると、少年は少しはにかみながら笑って。
「仙崎さんって人の手、すっごく暖かかった」
と言った。
携帯電話の向こうで、大輔が一瞬黙り込むのを吉岡は気配で感じた。
『そうか…』
「はい、伝えましたからね」
『ああ、分かった』
「それから大輔さん」
『ん?』
吉岡は胸を張って、言う。
「俺、まだ続けられそうです」
『あ?』
「保安官、やっててよかったです」
『………………そっか』
「はい」
迷うな。
一瞬の迷いが、要救助者の生死を分ける。
迷うな。
一瞬の選択の揺らぎが、自分の命すら危うくする。
いつか、大輔に言われた言葉だ。
その言葉を口にする度、大輔はまるで噛みしめるように、自分の中に刷り込むように呟く。
そしてその言葉は、吉岡にも受け継がれ、吉岡は潜水の前に心の中で、呪文のように呟く。
迷うな。
迷わない。
もう、迷わない。
end...
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