fragment 25





一護は振り返り、辺りを見回す。
尸魂界に来て、見知った顔がいくつもある。
一護と視線が合えば、笑顔で応えてくれる。
「まあ、すぐ帰ってくるんだけどな。帰ってきたら、お勉強続きかよ。ざまあねえな」
「そういうお前も、いまさらお勉強しなくちゃいけねえことが山ほどあるだろうが!」
鉄拳に声もなく沈んだ岩鷲を足蹴にしながら、空鶴が笑った。
「一護、お前には鬼道を一から叩き込むからな。覚えておけよ」
「……なんすか、その上から目線は」
「ありがたく思えよ」
完全に立場が逆転した物言いだけれど、一護は気にせずにっかりと笑った。
「ありがとな、空鶴さん!」
振り返り。
千早と理靜を見つけて、一護は少し照れたように微笑む。
「まあ、二人にはこれからも迷惑かけるから、いまさら言ってもなぁ」
「あら、別に言ってくれても減るものじゃないでしょ」
「……今回は、こちらも君にありがとうと言うべきだからね」
母子で意見が別れたけれど、一護は同じように頭を下げた。
「ありがとな、二人とも。これからもいろいろ迷惑かけると思うけど、よろしく頼みます」
深深と頭を下げられて、母子は顔を見合わせて苦笑する。
「あらあら、困ったわね。そんなに頭を下げられては」
「母上、この際、素直に受けたほうがいい気がします」
「そう? じゃあ、ありがたくいただいておくわ。でもね、一護。これからよ。あなたが大変なのは。きっと、あたしたちでもあなたを支えきれない時が来るかも知れない。あなた一人が決断しなくてはいけない時が必ず来るわ……そんな時が来るのを分かっていて、あたしはすべてをあなたに預けるの……本当にいいの?」
それは最後の問いかけだったのかもしれない。
四面家の、玄鵬宗家当主として、やわらかく聞こえても、それは詰問で。
世界を委ねてよいか、という重い問いに一護は一瞬逡巡したけれど。
答えは明確だった。
「俺は」
「うん」
「……やれることをするだけだ」
「うん」
「護りたいから」
「……わかった」
千早にとってそれだけで、十分だった。
「わかったよ、一護」
千早は一度だけ頷いて。
「あたしは明日行くから。一心兄上に伝えておいて」
「おう」
その時。
理靜が不意に自分の横を見つめた瞬間、白哉とルキアの姿が現れた。
「お! び、吃驚するじゃねえかよ」
相変わらず瞬歩というのは心臓に悪いぞ、と呟く一護に千早はぽんぽんと肩を叩く。
「大丈夫大丈夫、霊査すればすぐ分かることだから。慣れるよ」
「……黒崎一護」
ゆっくりとした、低い声の呼ばわりに顔を上げれば静かな視線を向ける白哉がいて。
「此度のこと、未だ礼を言っていなかったな」
「礼? なんだよ、今度のことって俺、白哉になんかしてやったか? なんもないけど?」
きょとんとした表情で一護が首を傾げると、白哉は静かに頭を下げた。
「感謝する」
「……いやだからなんについてだよ。わかんねえのに勝手に頭を下げるなよ」
少し訝しげな声色に白哉は顔を上げて、一護を、そして傍らに立つルキアを見て、再び一護に視線を向ける。
「その身を挺しても、わが娘を護ろうとしてくれたこと、そしてそれを成し得たことに」
「……………そうか」
「感謝する」
再び深深と頭を下げた横で、ルキアも困惑したように一護を見て、白哉を、そして再び一護を見て頭を下げた。
「一護、ありがとう」
「…おう」
照れたように笑って一護は、
「もういいからさ。顔、上げてくれよ」
「……」
静かに頭を上げた白哉は小さく笑って。
「兄のような男が、霊王になってくれてよかったと今は思う」
「……何が出来るか、わかんねえけどさ」
「いや、兄ならば成し遂げられるだろう。我はその輔弼が出来れば、それでよい。千早どのと同じ思いだ」






「私の罪は、猶予となった。それもそうだが……ここに私は残とうと思う」
告げられた強い言葉に、一護は一瞬戸惑い。
だがすぐに笑った。
「そうか」
「……お前、いや、その陛下は…」
「勘弁してくれよ、その呼び方。お前までかよ」
一護の言葉に、ルキアは一瞬逡巡したけれどすぐに言葉を紡いだ。
「一護は、私を現世に連れ戻すために尸魂界まで来てくれたのに、申し訳ないが」
「勘違いすんなよ。俺はお前を連れ戻すとは思ってたけど、それは現世じゃねえよ。お前が尸魂界にいることを選んだんだったら、それでいいさ。たださ、つかまって自分の意志とは違うところで尸魂界にいるんじゃなかったから、俺はお前を連れ戻すって言ってたんだ。お前がここにいることを選んだんだったら、それでいいさ」
一護の言葉に、ルキアは小さく笑った。
「相変わらずなんと自分勝手な」
「悪いかよ。これが俺だ」
「……そうだな、これが黒崎一護、だ」
一見強引過ぎる、無理強いにも近い強引な思い。
だがそれがルキアを救った原動力ともいえるのだ。
そしてそれが黒崎一護を形作る、一つの要素でもある。
倣岸不遜に顔を上げて、意思を貫きとおすこと。
「いや、それゆえにお前は霊王になったのかもしれないな」
「は?」
思いの強さ。
それが魂の中の霊王の欠片を覚醒させ、霊王としての黄金の霊絡を生み出すのかもしれない。
ルキアはふと思うが。
「とはいえ、すぐに会えるがな」
「あ〜、そうか」
一護は不意に空を見上げた。
見上げた空は、底抜けに青く。
澄み切った、色に爽快感すら感じて。
一護は小さく笑った。
「……俺も、お前に礼に言わなくちゃいけねえ」
「私にか?」
「ああ。お前を守りたい、助けてやりたいって思ったことから、全部が始まったんだしな」
「違うぞ、一護」
ルキアの答えは早かった。
「お前が霊王として目覚めたのは、おそらく私の力を得て死神代行として目覚めた時だ。家族を守りたいと思ったことがすべての嚆矢だ」
何も出来ない自分。
力を与えてくれると言った、ルキア。
迷いもなく、力を得て。
あそこからすべてが始まった。
「……そうか」
「ああ」






守らなくてはいけない、と思っていた。
体を鍛え、心を研ぎ澄まし、未だか弱い妹たちを、父を守ることを忘れずにいようと決めたのは。
叔母が示してくれた、生きる証の一つ。
か弱きものを守る、ということ。
その思いが強くなるにつれて、守れなかった母のことが、いつでも胸の中で血をにじませた。
胸の中で、雨を降らせた。
母が逝った、あの日のように。
だが、今は違う。
ルキアの笑顔が証す。
胸の中の、雨が。
一護は誰にも聞こえないように、小さな声で呟いた。
「ありがとうな。おかげで…」






おかげで、雨が止みそうだ。






「よし、じゃあいってらっしゃい」
千早の声に、全員が頷いた。
「じゃあな、千早姉」
「うん。気をつけて」
ゆっくりと揺らめく色の渦に一護は足を進めた。
一瞬の閃光のあとで、一護の姿は消えた。
そして続いて、石田、織姫、チャドの姿も。
「……よかったのか」
全員の姿が消えた後で、笑顔の千早の隣に立った白哉が静かに声を上げた。
手を振っていた千早は笑顔のまま。
「いいのよ」
「しかし、霊王を尸魂界から離れさせることは…」
「うん。分かってる」
わずかな時間よ。
千早は静かに告げて。自分より幾分長身の白哉を見上げた。
「叔母としての、わがままだけど……許してもらえない?」
「……我も父としてのわがままを通したばかりだ。千早どののそれに、抗議は出来ぬ」
千早は穏やかに笑う白哉に、一瞬瞠目して。
思わず苦笑してしまう。
「なんだか、白哉。丸くなっちゃったみたいね」






緊急の隊首会が召集されたのはその日の深夜だった。






「母上」
呼びかければ、自分よりずっと小さな背中が振り返った。
「あら。起きて大丈夫?」
「……ええ」
一護たちを穿界門で送り出して、理靜は鬼道衆の訓練を兼ねた護廷衆の戦闘訓練に参加した。もともと安静にしておくようにと卯ノ花に釘をさされていたにも関わらずの参加で無理が祟ったのか、一度床につけば、供人が夕餉だと起こしに来ても起きないほどの熟睡ぶりだったと聞いたので、千早は起こさなかったのだ。
だが、事態が事態なので理靜にも状況を知らせて、起きられないようなら緊急隊首会は一人で参加しようと思っていたけれど。
「大丈夫です。万全とはいけませんけど」
優しく微笑む理靜の、袷から覗く包帯を見ながら千早が言う。
「そう。準備は?」
「ええ」
手に持った鸞加を見せられれば、同伴を許さなくてはいけなかった。
千早は溜息を吐きながら、
「もう少し寝ててもいいけどね」
「大丈夫、といったでしょう?」
少し強い口調で言えば、千早は引き下がる。
「……なんでよりにもよって、こんな状態の時に剣八とやりあうのかな」
「僕にとっての、けじめですよ」
平然と応える息子の横顔を見つめて。
千早は小さく溜息を落として呟く。
「……父親と剣を交えるのが、息子としてのけじめ?」
「そうですよ」
理靜も応える。
「僕はそうして生まれてきたのだから」
それは咎める様子でもなく。
千早は再び溜息を落として、
「まあ、そのことはあとで、ね」
「はい」
理靜は羽織の紐を結びながら言う。
「今は、緊急隊首会です」






「藍染の目的らしきものがわかった」
開口一番、山本総隊長は重々しくそう告げた。
緊急隊首会の空気が一瞬にして変わった。
「それゆえの緊急召集となった。事が重大ゆえに鬼道衆、隠密機動、それに四面家にも御出座願った」
その場には通常の隊首会に顔を出す白哉だけでなく、千早と理靜、斯波家からも空鶴と岩鷲が姿を見せていた。
一礼されて、千早は鷹揚に頷いて山本に話を促す。
山本は小さく頷いて、
「浮竹」
「はい」
浮竹は大きく一礼して、辺りを見回して。
「この混乱のさなか、大霊書回廊にて藍染によると思われる書物閲覧の形跡が見られました」
大霊書回廊とは真譲原地区にある、中央霊議廷が保管している尸魂界の中でも最高機密に関わる書物を収めた地区を指す。
だが普段公開されることはない場所であって、自由に閲覧を許されているのはごくわずかな重要人物となる。
「……千早どの」
「ん?」
「混乱の際、大霊書回廊での閲覧は」
「するはずがないでしょう?」
「そうだな……安芸津どのにも同じ質問をして、答えは同じだった」
浮竹の答えに、千早は眉を顰めた。
「つまり、こういうことね。そのものは愁壱斎か、私の認証番号で閲覧している?」
「はい、そうです」
千早は苦い表情を浮かべたが、浮竹に話を進めさせる。
「調べた結果、崩玉や四面家の創生などについての検索だけでなく、王鍵創生についての検索が行われています」
理靜は言葉を失った。
おそらくは、事情を知る者は。
知らぬ者の一人、剣八がのんきそうに声を上げた。
「王鍵創生って、なんだそりゃ?」
「王鍵ってのはね、簡単にいえば、穿界門の鍵だよ」
のんきな剣八に、応えたのは京楽ののんきな声だった。幾分眠そうな剣八がじろりと京楽を横目で睨みつける。
「あ?」
「すべての穿界門を再生、あるいは補修に使うもんだけどね」
「再生に使えるということは、破壊に使える……ということよ」
珍しい千早の低い声に、さすがの剣八も眉を顰めた。
「おい、そりゃ……つまり」
「王鍵を作るつもりなら、千早どの」
「崩玉を一つ手に入れれば、あとは……」
かつて、先代当主である父からその王鍵創生法について聞いたとき、思わず身の毛がよだつ思いをしたのを、千早は忘れない。
状況を飲み込めてはいないけれど、ただ尋常ではない事態が詳らかにされたことを雰囲気で察した理靜が千早を見つめる。
「あとは、現世で王鍵を創生すればいい……数万、数十万の魂魄を利用して、ね」
隊首会の空気を凍てつかせた千早の言葉に、白哉が付け加える。
「崩玉の能力を、重霊地で開放する。さすれば数限りない魂魄と重霊地の蓄えられた霊圧を受けて、王鍵が生まれる……とされている」
本来は、強大すぎる虚外と言われた虚の力を、尸魂界に及ぼさないための処置だったという。
だがそれを使うことを拒否して、初代霊王霊源は起ったと伝わっている。
「………それを使えば、重霊地は如何な次第に」
山本の静かな問いかけに、千早は小さく溜息を吐いて。
「完全消滅、でしょうね……何も残さず、すべてが消える」
誰かが、息をのんだ。唾を嚥下する音が聞こえた。
千早は出来るだけ感情を殺した声で続ける。
「王鍵創生に必要なのは崩玉だけではなく、崩玉が吸収した魂魄。それも整のものよ。因果の鎖の匂いを多く残せば残すほど、崩玉に与える力は大きい」
千早は自分の話に耳を傾ける一同の一部に、安堵の表情が浮かんだのを見逃さない。
「それは現世だけじゃない。穿界門が破壊されるということは、虚界、無界すべての境界線がなくなるということよ。安心するところじゃないわよ」
「しかし」
「重霊地が消滅すれば、どうなるか。穿界門が残っていたとしても、尸魂界と現世との均衡が崩れるのは、流魂街の子供でも知っているわよね」
千早の言葉に、再び一同の上にのしかかる空気は重くなる。
「では、なんとしてでも藍染惣右介の意図をくじかねばならぬと」
「…ええ」
「虚界に、向かわねばならぬか……」
山本の一瞬逡巡した答えに、千早と白哉、空鶴は視線を絡めて。
「……総隊長どの」
「………なにかな」
「それについては、四面家で考えがある」
白哉が告げた言葉に、一同は再び言葉を失うことになった。






『霊王、更臨やて?』
「ん、わてもさっき聞いたわ」
『……いまさら、やな』
携帯から聞こえてくる少女の言葉に、男は小さく笑った。
「なんや、ひよ里サンも霊王に救済されたいって思うてるんかいな?」
『あほか、ハゲ』
短い否定のあと、続いた沈黙。
『……まあ、これでバランスが崩れる、やろな』
「そやな。そうしたら、わてらも出張らんといかんやろな」
くつくつと笑う男に、ひよ里と呼ばれた少女が返す。
『真子』
「なんや」
『……その霊王、力量、あんたが見定めてきぃ』
「は? なんでや」
『お前が一番近くにおるからや、ハゲ』
そして、電話は通信を終える。
男は小さく溜息をついて、携帯を閉じながら呟いた。
「5代霊王陛下、黒崎一護、か……」






時は流れる。
現世にも、尸魂界にも、虚界にも、等しく。
暫しの休息の中にも、蠢動は続き。
覚醒はより促される。






[1st stage] end......






← Back