fragment2 - 03





「双子は?」
「出かけてる。友達に、家族旅行に行って来るって言うってさ」
「そう…」
理靜がソファに座るのを、一護は視線で追う。
そして再び問う。
「理靜」
「ん?」
「さっき言ったこと。なんだよ、チャドにも謝らなくちゃいけないって」
「分からない?」
「………わかんねえ」
「そう。じゃあ、教えない」
あっさりとした否定に、一護は眉を顰めた。
「なんだと」
「ちょっと待って。理靜、どういうこと? 私にもわかるように説明してくれないかな」
母の言葉に、理靜は小さく頷いて。
「虚との戦いの最中、一護はチャドくんを帰したんですよ。一人でも大丈夫だと」
「まあ……」
「そいつは」
一心と千早が言葉を飲み込めば、一護は少しむきになって反論する。
「チャドの手を借りるまでもなかったから、そう言ったんだ」
「で、その結果、混乱している間に虚に襲われて、織姫ちゃんが庇ってくれた」
「……そう、だけど」
そこに至って一護は織姫の怪我を思い出す。
「そうだ、井上の怪我は!」
「遅いよ、一護。喜助さんが治療してくれた。とはいえ、盾舜六花のような完全な治癒は無理だし、織姫ちゃんに聞けば自分に向けた治癒はできないそうだから。傷は残らないけれど、少し時間がかかるかな。まあ、尸魂界で治療すれば別だろうって、喜助さんが」
「そう。じゃあ、私たちが帰るとき、織姫ちゃんも連れて帰りましょう。早い方がいいでしょ。花太郎くんなら、三日もかければ十分だと思うし」
千早が言えば、理靜も頷いた。
一護は小さく息を吐いて、立ち上がる。
「一護?」
「浦原さんとこだな? チャドもそこにいるのか」
理靜が頷けば、一護が立ち上がる。
「すまねえけど、ちょっと行ってきていいか?」
応えたのは一心。
「好きにして来い」
千早も無言で頷いた。






「……若いというべきか」
「子供というべきか、って言いたいの? 理靜」
母に問われて、理靜は肩を竦めた。
「さあ、どうでしょうね。僕も子どもだから」
「おお?」
一心がわざとらしく、言う。
「いやあ、そういうことを認められるようになったか、理靜も」
「一兄」
「わかってますよ。僕は伯父上や、母上には一生かかっても追いつけないんだから」
あっさりとしたいいように一心が眉を顰める。
そういう表情は息子とそっくりだ。
「なんだ、ひっかかるな。その言い方は」
「違いますよ。僕が今の母上の年齢になっても、母上はその先に進んでるんですから」
「そりゃそうね。私が死なない限り、理靜は私の年齢には追いつけないもの。でも、理靜が言いたいのはそういうことじゃないでしょ」
ちゃんと言いたいことは飲み込まないで言いなさい。
母に促されて、理靜は渋々言う。
「……なんていうか、負い目みたいなものがあったんです。負い目と意地というか」
「なんだそりゃ?」
「…………僕の勝手な思い込みですよ。母上が…その」
「大丈夫よ、理靜。一兄は剣八のこと、知ってるから」
さらりと告げられて、知っていたはずの一心が目を見開いた。
「おい、千早」
「あら、教えたでしょ」
「だけどな。それと理靜が自分が子どもだってことを認めたこととどう関係するんだよ」
「私が剣八との間に理靜を生んだのは、それはそれなりに理由があることよ」
千早の穏やかな笑みを、今度は呆気に取られて一心が見つめる。
「……千早」
「だけどそれは、理靜自身には何の関係もないこと。だから、理靜は一言私に問えばよかったの。私はそれを待っていたのよ」
「……そりゃあな、お前はずっと言ってきたよな。理靜が聞くまで黙ってろって。俺は……何度も言ったろうが。それでいいのかって」
「よくはないわよ。だって、父親に剣八を選んだのは私の我儘。ただ子どもが欲しいなら、遵兄でも、一兄でもよかったんだから」
自分を放り出して、兄妹の会話が紛糾し始めたのを理靜は黙って見つめていた。
そして何より、自分が生まれることになった経緯を、千早が語るような、そんな予感があったからだ。
「玄鵬宗家の、まして宗家当主の息子として生まれた以上、理靜の一生に『父親』は必ず付きまとうことになる。嫌でもね。でも、それでも私は子どもが欲しかった」
「……お前の分身としての?」
「違うわよ。私は私。理靜は理靜」
千早は黙って聞いている理靜に穏やかな視線を送り、
「分かっている。いいえ、分かっていたこと。子どもを産むと決めたときから、その子に悲しい選択を迫ることになるってことは。子どもにとって親は選べない。だから……」
「いるかいないか、を選択させたってことか」
「そう」
「……それって」
「だから私の我儘よ。なんと言い繕っても、無理。批難も、拒絶も受け入れるわよ……ねえ、理靜」
「そうですね。この前の夜、そう言いましたね」






最初に感じたのは、怒りではなく安堵だった。
父が、いる。
生きている。
そして、自分が知る人物であること。
次に感じたのは、疑問と後悔。
淡々と事実のみを理靜に突きつけ、千早は黙り込んだ。
受け入れる。
それが理靜を、子どもを為し、生むと決めたときから千早の胸の深奥に潜みつづけた決意だったのだ。
理靜はそれを見せ付けられる。
そして後悔するのだ。
『………はは、うえ』
『ん?』
『僕は……おろかです』
『……どうして?』
母だけに育てられ、物心ついたときから片羽だと揶揄されて。
だが、母から父の話を聞かされたことが一度もないという事実は、理靜の中で父のことを聞いてはならないという現実にすりかわっていて。
誰も、聞いてはいけないとは言ったこともないのに。
強くならなくてはと、思っていた。
強くなることが、揶揄されても、玄鵬家の中で母の地位を支えることになるのだと、信じていた。
父を知らないということが、理靜にとっての負い目であり、意地だったのだ。
だが、父を知らせないという選択が、千早にとってどれほどの思いを秘めたものか、見せ付けられた。
言葉が出ない。
目の奥に熱さを感じた。
涙が、零れそうになる。
『いいのよ、それでも。理靜にとってみれば、思いもしなかったこと、だからね』
乳飲み子の頃、寝つきが悪い理靜を母は寝付くまで抱っこして、髪を梳いてくれた。
同じようにゆっくりと髪を梳いて、千早は微笑む。
『いいのよ。これまでのことは。ゆっくり考えなさい。お前が剣八を、私を受け入れるかどうか』






「母上」
「ん?」
「僕は子どもですから、母上の気持ちとか、父上のこととかはよくわからないです」
はっきりと断言するその姿に、一心が苦笑する。
そのいいように、思いつめた様子は見えなくて。
「うん」
「だから、これから考えます。時間かかると思いますけど……待っててください」
「うん。いいよ」
時間は、きっとあるから。
千早の言葉に、理靜も頷いた。






「あらあ? 黒崎さん?」
「おう……あのさ」
「ああ、これ。持ってってくださいな」
喜助がジン太の持っていた盆をそのまま取り上げて、何か言おうとする一護の胸に押し付けた。
「はいな、はいな」
「って、どこにだよ」
「2階ですよ。こっちが井上さんのお薬、こっちがチャドくんのお茶ですからね」
「……ああ」
理靜がどこまで話しているのだろうか、それが気になってちらりと振り返れば、部屋の中でも帽子をかぶったままの喜助がにんまりと笑って、
「下のことはお気になさらず〜」
「………」
扇子で促された階段を上がれば、そこは勝手知ったる場所だった。
少し前、自分も担ぎ込まれたところで、いくつかの部屋をつなぐ廊下に置かれた椅子に、腕組みをして少しうな垂れたチャドが座っていた。
「チャド」
「……む」
「大丈夫か」
「問題、ない」
静かな答えに、一護は頷いて。
「井上は?」
「今は眠っている。何かあったら呼ぶように言ってある」
さすがに同じ部屋に、というのは困ったのだろう。そこまで言ってチャドの視線が泳いだ。
一護が小さく頷いて、チャドの横に座り、盆を傍らに置いた。
「茶」
「む」
差し出された湯飲みを受け取り、チャドが静かに言った。
「一護」
「あ?」
「椅子に座れ」
「あ〜、このままでいい」
「そうか」
「おう」
しばらくの間、チャドの茶をすする音が静かな廊下に響いたけれど、一護のひそやかな声が流れ始めた。
「なあ、チャド。俺って、最近変か?」
「……昨日帰ってきた時はそうでもなかった。だが、夕べと今日は変だ」
「………そうか」
「……俺には分からないが」
チャドがぽつりと言う。
「霊王になる、ということが関係しているのか」
「……わからねえ」
「夕べも感じた。今日もだ」
「…………」
「お前の中に、力があふれている」
チャドの言葉は一護の予想を越えていて、一護は思わずチャドの顔を見上げた。
「チャド?」
「何かの衝動に突き動かされるような、そんな霊圧の揺れ方だった」
「…」
「アブウェロが言った。衝動は殺すな、衝動を受け入れてもいいけれど、流されるな」
アブウェロとは、チャドを育てたメキシコ人の祖父だ。幼く荒れた孫息子を老人は可愛がり、大切に育てた。
今でもチャドは老人が語った言葉を思い出すたび、譲られた小さな十字架を握り締める。
愛してくれた祖父に、言葉を残してくれたことに感謝しながら。
今も胸元に手を当てるチャドを見上げながら、一護が言う。
「衝動を殺すな、流されるな……か」
「ああ」
「チャド」
「む」
「俺はお前に謝らないといけない」
「……なんだ」
「俺は、俺一人戦ってるつもりになってた」
「…………」
「だけどそうじゃねえ。俺だけじゃねえ、チャドも、井上も戦ってる。俺一人でなんとかなるなんて、傲慢だよな」
「……いや」
「きっと、そうだ。だけど……」
一護が言葉を詰まらせた。
想像したくない、未来に気づいてしまったから。
もし。
内なるものに促されるままに、剣を振るっていたら。
どうなっているのか。
血に染まった織姫の姿。
それは自分がしたことではないけれど、もしかしたらしていたかもしれない。
一護は眉を顰め、拳を握り締めた。
「一護?」
「………いや」
なんでもない、と言いながら一護はうな垂れた。
「霊王って、なんだろな……俺ってそんなことも考えずに、なっちまったのかな……」
「………」
一護を励まそうにも、チャドにはよい言葉が思い浮かばなかった。






「………忙しい、やっちゃなぁ」
ぼそりと呟いて、真子はさっき買ったミネラルウォーターを口に運んだ。
「苦、まず…」
蓋をして、ペットボトルを置いたのは。
「外れ、やったな」
空の上。
そして、真子は下から見上げれば上下逆さで。
苦い表情のまま、真子は視線を動かした。
「どこへ行くんかなぁ、レイオウヘイカは」
真子の目には、一箇所で佇む一護の霊圧が人の姿となって見えていた。
確かに近くには強大な霊圧がある。
そうでなくても、一瞬にして変化する霊圧もいくつか。
だが、すぐ近くにいるのは小さな、普通人と同じほどの小さなもの。
「まあ、今がグッドタイミング、言うんかいな」
「違うわね、この場合」
さらりと告げられた答え。
だが、真子は答えが返ってくるなど、思いもしなかったように俊敏に振り返り、低い体勢で静かに言った。
「なんや、珍しい人に会うたもんやな」
「本当にね……百年ぶり、かしら」
千早は穏やかに告げて。
「平子、隊長……元隊長、だったわね」
「おいおい、四面家のトップがこんなとこ、それもわいみたいなのの前に顔出してええんかい」
「ん? 駄目なの?」
危機感ゼロの答えに、真子の方ががっくりと肩を落とす。
「お〜い……千早はんは相変わらずやな」
「うん。そうみたいね。元気そう、だけど。他のみんなも元気、なのかな」
「………まあな」
「そう、ならいいわ」
でも、と千早は言葉を続けた。
「霊王陛下に何か、するつもり?」
「あ? さすが玄鵬宗家当主やな。早速レイオウヘイカのお守り、しとるんか?」
かつて良く知った者だった。
その姿を見るのは100年ぶり。
だが穏やかに見えるけれど、真子の霊圧は千早の身体にのしかかろうとするような重さをかもし出していた。
「四面家の役目よ、それがね」
「なんや、四面家のおてつきかい、レイオウヘイカは」
「ん? 一護? お手つきって言うか…身内だから」
まるで井戸端会議のように、あっさりと告げれば、真子は低い姿勢のままで言った。
「わいのこと、どうするつもりや?」
「どうもしないわ。真子くんが何もしなければ、ね。それに私、霊印打ってあるから抑えてあるわよ、霊圧はね」
と見せる千早の左手の甲には確かに玄鵬家紋がある。
しかし真子は眉を顰めて、
「………何重の霊印や」
「教えない」
早い答えだった。
千早は軽やかに言う。
「だって何割減の霊印だなんて今教えたら、こっちの手の内、曝すのと一緒でしょ。仮面を得た人たちにそれを言うのは、ね」
真子が無言のまま、腰に佩いた斬魄刀に手をかける。
「だからね、今は刀を交えるようなことはしたくないのよ。一護を、5代霊王の出来具合を確かめたいんだろうけどまだ駄目。悪いけどしばらく待ってもらうわ」
「………いつまでや」
「早ければ、冬」
「…………それでこっちが収まるとでも?」
「収まらなければ、収めてもらうだけよ」
千早が笑う。
満面の笑みで。
だが、突然に千早の周りを包むのは空気が揺らぐほどの霊圧。
霊査に優れた者ほど、その濃縮された霊圧の圧倒的な強さに言葉を失う。
少なくとも、真子はそうだった。






喜助が思わず綻んだ口元を扇子で隠す。
チャドが顔を上げ、一護が空を見上げた。
理靜が慌てて振り返り、一心が笑う。
「うわ、相変わらずえげつない霊圧の使い方だな〜」
帰路につく双子は違和感を覚えて、夕焼けの空を見上げたけれど。
「………夏梨ちゃん」
「うん、これって大丈夫な気がする。多分、千早おばちゃんだ」
「うん……」






「ごめんね、こんなことしたくなかったんだけど」
本当に申し訳なさそうに自分を覗き込む女性に、真子は悪態をつく。千早の霊圧にあてられて、身動きが難しい。額に汗が浮く。
「なんや、言うてることと、やってること、ちゃうやんけ……」
「ごめんね〜」
ころころと笑う女性が、自分を動けなくさせるほどの霊圧を放っていたことなど、今となっては証拠もない。
「みんなに伝えてくれる? あなたたちが望むのは、何なのか。それをよく考えてって」
そう言って千早は姿を消した。
真子はしばらくしてから深い溜息を吐いてから、立ち上がる。
「……まあ、ひよ里に吼えられても、こればっかりはしゃあないなぁ」
近くに置いたはずのペットボトルはいつのまにか、姿を消していた。






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