family 01





ゆっくりと足を下ろした。
振り返れば、浦原が微笑する。
「じゃあ、一護さん」
「おう」
「明日、また来ます」
笑う浦原の左頬が少し腫れているのは、さっき自分が思い切り殴りつけたからで。
だがそれを促したのは浦原だった。
数日前、先んじて尸魂界から帰ってきた夜一にすべてを聞いたという浦原は一瞬言いよどんで、深深と頭を下げた。
『霊王陛下に御かれては、我意を伝えずに送り出したことをお詫び申し上げねばと…』
『がいって、なんだよ』
『……要するに、なぁんも話さずに送ったことを謝ってんすよ?』
あっさりと敬語を投げ捨てた浦原に生温い視線を送ってから、一護は憮然とした表情で、
『……俺はいいんだよ』
『……いいんですか』
『ああ。だけど、ルキアには謝ってやれよ』
さりげなく告げられた名前に、浦原は一瞬視線を泳がせて。
『あ〜……そうですよねぇ、やっぱり』
『あたりまえじゃねえか。本人の知らない間に、魂魄の中に…あんなもん入れるなんて、どうかしてる』
にへらと笑って、浦原は言う。
『いや、だから一番の隠し場所だと思ったんですけどねぇ』
一瞬にして鋭さを増した一護の表情に追い討ちをかけるように、浦原は言う。
『敵を騙すにはまず味方から。これ、基本っす』
『てめえ』
幼い頃から知っている、この男。
ただの駄菓子の店主にしては身軽く、頭も切れる物言いをするとは思っていたけれど。
『……なんで何にも言わなかったのかだけ、聞いとく』
『そりゃあ、一護さん』
しれっと告げられた言葉に、一護は遠慮なく浦原の左頬を打った。
『俺が逃げるって!』
『……つ〜、一護さん、全力っすか』






昼寝をしていたコンを叩き起こして、体を取り戻す。
一息つく間もなく、自分の部屋に近づく気配を察して一護は眉を顰め、あくびを飲み込みながら部屋のドアを開けた。
「……何してんだよ、クソオヤジ」
「いや、何って……帰ってきたかなぁって思ったからな」
ハハと笑う父親に、一護は白い視線を送る。
「まったく。どうなってんだか。この俺が、向こうで霊王って言われたんだぞ」
「……ああ、その話」
ぽんと両手を合わせて、一心は得心したように。
「すごい話になってるらしいな。夜一と喜助が教えてくれた」
「……夜一さんとも知り合いかよ」
「そりゃあな。俺が向こうで隊長してた時に、あの人は隠密機動総司令官だったんだからなぁ…まあ、面識ぐらいはあるさな」
一心はぽりぽりと頭を掻いてから、小さく溜息をついて。
「まさかなぁ……お前が霊王になるとはなぁ……黒崎の人間にしては、魂魄の色が違うとは千早に聞かされてはいたけどなぁ」
「なんだよ、やっぱりそういう話はしてたんじゃねえかよ」
ふんと鼻息を吐いて、一護はベッドの上で胡座をかいて、言った。
「さあ、説明しろや」
ふんぞりかえった息子の姿に、黒崎一心はおよよと泣いて、手にしていた妻の遺影に泣きついた。
「真咲ぃ〜、うちの息子はなんて」
「うるせえ」
語る前に一刀両断されて、再びしくしくすすり泣いたけれど、一心は顔を上げた。
見下ろす息子の顔は少し前とは、明らかに変わっていた。
何か、といわれれば答えは出ないけれど。
だが、明らかに違うことはわかる。
「………向こうで、何かあったか」
「山ほどありすぎて、どっから説明すりゃあいんだよ」
「……そうかよ。千早はいつこっちに来るって」
「明日」
「ふん」
一心はいつもとは明らかに違う、むしろ不遜に見える表情で言い放った。
「よし、じゃあ細かい話は明日聞く。お前の分かる範囲で語りやがれ、霊王陛下」
「…うわあ、相変わらずクソ親父じゃねえかよ」
「あたりまえだろが、お前が霊王になっても、俺は俺で、お前はどこまで行っても俺と真咲の息子だ」






語られた数日の出来事。
それは一護にとってははじめての出来事でも、一心にとっては既知の出来事で。
千早が語った『藍染の乱』のくだりにはさすがに眉を顰めて聞いていた。
「……ということだけど」
「………まあ、千早にしては結構喋ったな」
「そうなのか?」
「ああ。あいつは昔から全部自分で抱え込む奴だったからな。がきんちょの時も、一人で悲しくなったら、そうだなぁ、押し入れみたいなところで一人閉じこもって、声を殺して泣いてたわ……でもって、理由を一切言わねえんだ」
悲しかったら言えばいい。
泣きたくなったら言えばいい。
辛くなったら呼べばいい。
そう言い聞かせても、千早の押し黙る『癖』はしばらく直らなかった。
そんなことを不意に思い出して、一心は思い出し笑いをする。
「………なんだよ」
「いや、昔のことだ………あ。そういや、お前に言っておかなきゃならねえことがある」
不意に真剣な表情になった父親に不審な視線を送る一護だったが、幾分言いよどんだその言葉に眉を顰める。
「その、だ。向こうに行ったお前が、霊王のお前が、『黒崎一心の息子』だって分かれば、もしかしたら、お前の叔父さんです〜、とか叔母です〜とか言ってくる奴がいるかもしれねえから、それ、言っとくわ」
「……………なんだよ、そりゃ」
「あ〜……もうお前もわかんねえ年齢じゃねえだろから、言っちまうけどな」
そして告げられた言葉に、一護は目を丸くする。
「…………は?」






「宗家!」
問われた呼びかけに、千早はゆっくりと振り返る。
「…なに?」
「は、我は」
「……自己紹介が必要? あなたは綱崎の御当主で、後ろの方は黒崎の御当主。他の方は存じ上げないけれども」
すらすらと身元を明かされて、呼び止めた一団は一瞬萎縮したけれど、黒崎家の当主のまだ後ろに控えていた老年の女性が意を決したように声を上げた。
「黒崎から嵯香ノ枝に嫁いだ者にござりまする。宗家にお伺いをお許しください」
「はい、何か」
返された答えが、普段の千早のそれよりも幾分低いことに気づくことが出来たのは千早の前を進んでいて、同じように足を止めた安芸津愁壱斎ぐらいだろう。
予想された先の言葉を制するように動こうとした愁壱斎をとめたのは様子を見守っていた、遵凍だった。
「遵凍どの」
「いい。問いも明らかなら、答えも明らかなんだから。困るのは綱崎だ」
だがちらりと見れば、嵯香ノ枝家に嫁いだという女性をとどめることも出来ずに顔色をうかがうのみの綱崎家当主に遵凍は苦笑する。
「さて、千早がどうするか、だな」
「5代霊王陛下は、畏れ多くも黒崎一心が一子と伺いました」
「ええ。霊王陛下の出自は確かに、私の知音であった黒崎一心の長子ですよ」
何を今更と口調に示しているのに、老女は我が意を得たりといわんばかりに鷹揚に頷いて、
「なれば、私は霊王陛下の叔母ということになります」
「そうですか」
「え……」
「血縁上で言うならば、そうでしょうね。私が知る限りでそういう方は数十人、いらっしゃると思いますが。それが?」
「…宗家よりも、私の方が霊王に近しいのですよ」
胸を張る老女。
静かに見守る千早。
間に立つ者はおろおろと戸惑いながら二人を見つめている。
「何を仰りたいのですか?」
「お分かりになりませんか」
「ええ、まったく」
「宗家は長年の安寧の上に、自らの役目をお忘れになられたようですね。簡単なことではありませんか。霊王陛下に四面家は膝を折った」
ここまで言えば、誰もが老女の意図を理解する。
彼女の中で、霊王の叔母たる自分は、霊王の従者たる四面家よりも上なのだ。
そしてそれを信じて疑わない。
「阿呆にも、限度があるわ」
遵凍の言葉がその場の雰囲気を示している。
愁壱斎は幾分厳しい視線を遵凍に向ける。
「よいのか」
「いいんじゃないかな。機先を制するには」
「嵯香ノ枝どの、でしたか」
「何か」
宗家当主に対する尊大な態度を、千早はあえて無視して、続ける。
「確かに我ら玄鵬一統、打ち揃って霊王陛下に膝を折り、永遠の忠節をお誓いしましたよ」
「ならば」
「ですが、その父母祖父母、あるいは弟妹にも忠節をお誓いした記憶はありませんよ」
「…………え?」
「霊王陛下は霊王陛下。黒崎一護にして、黒崎一護にあらず。綱崎御当主、黒崎御当主。この意、おわかりですね」
視線を送れば、綱崎の当主がゆっくりと頷いて。
「失礼な物言いを、お許しください」
「いいえ、間違いはあるものですからね」
「……諭右心どの、下がろう。我らは御前を汚した」
「……はい。姉上、もういいでしょう」
「何を言う、諭右心! 我らは栄えある霊王の出自になったのじゃ! 何ゆえ、このような仕打ちを受けねばならん!」
形相の変わった老女は弟である黒崎当主に食ってかかる。
「我らは敬われて当然であろう! 玄鵬宗家でも叶わなんだ、霊王出自になったのじゃぞ!」
千早は冷たい視線を老女に向けて、小さく溜息を落として背中を向けた。
その背中に老女は叫ぶ。
「四面家は何のためにあった! 霊王のためであろうに! 権力を手放すことが出来ぬか! それゆえに玄鵬宗家は霊王に見放されたのだ!」
「姉上!」
「嵯香ノ枝どの!」
「…………ばあさん、いいかげんにしとけよ」
低い声に、老女はしかし倣岸不遜に振り返り、驚愕のまま表情が固まった。
喉元につきつけられたのは、黒光りする刀身。
声のような、風のような音をあげて老女が動けなくなったのを首だけ振り返って見つけて、千早は静かに言った。
「遵兄。やりすぎ」
「うるせえ。千早のためじゃねえよ。これは一心のためだ」
抜き放った時と同じように、静かに斬魄刀を鞘にしまいながら、遵凍が言う。
「このばあさん、忘れもしねえ。もともと一心のことが気に入らなかったんだろ? だから何かにつけていびってやがった……極めつけが、『あの時』の仕打ち」
瀕死の一心の耳元に囁くのを、遵凍は聞いていた。
ほくそえみながら、異母姉は告げていた。
一心の母が死んだこと。
黒崎の墓になど、入れてやらぬと。
そんな女の息子なぞ、早く死んだ方が黒崎のためだと。
「どの口が、一心の姉だって言いやがるんだろうなぁ?」
遵凍に覗き込まれて、老女はヒッと声をあげて。
ばったりと倒れこんだ。
黒崎の当主が非礼を詫びて、意識のない老女を抱えて部屋を出て行くのを黙って見ていた千早が遵凍に問う。
「遵兄」
「あ?」
「さっきの話、本当?」
「ああ」
「……一兄、大分いじめられてたんだねぇ」
「あのガタイに見えず、な」






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