father and child - 剣八と理靜 -





これは、父と子の話。






「理靜です」
声をかければ、障子がとんでもない勢いで開いた。
「あ?」
それも手で開けたのではなく、左足。
「どうした?」
「……少し、お聞きしたいことがありまして」
「なんだ?」
「……とにかく、部屋に入れていただけませんか」
静かな理靜の言葉に、剣八は一度部屋の中を振り返り、応えた。
「散らかってんぞ」
「気にしません」
「なら、入れや」
促されて入った部屋は、酒精が漂っていて。
「あ、理靜だ〜」
にこにこと桃色の髪の少女がブンブン手を振る。
「やちる」
「どうしたの? こんな時間に理靜が剣ちゃんところ来るなんて、珍しいね」
「宴会してたのか……」
「うん!」
「理靜さん」
一角と弓親が居住いを正して頭を下げるのを見て、理靜は返すように頭を下げてから、苦笑する。
「……お二人にはいてもらってもいいかな」
「へ?」
「いや、席を外した方がいいんじゃないですか?」
理靜の言葉を理解できない一角、なんとなく察しがついた弓親が一角を促して立ち上がろうとするが理靜が首を振る。
「すぐに分かることだし」
「………いいんですか?」
弓親の問いは酒盃を持ってきた剣八に向けられたものだった。
「あ? 俺は構わねえよ。何の話か、わかんねえけどよ」
理靜の前に置いた酒盃に、剣八はなみなみと酒を注いだ。
「飲めよ」
「いただきます」
くいと一気に呷り、理靜は空の酒盃を再び置いて、顔を上げて言った。
「お聞きしたいことがあります」
「なんだ」
「僕の父親は、剣八さんですよね」
「誰から聞いた話だ」
「母です」
「………そうかよ。じゃあ、そうだな」
「そうですか」
剣八は自分と理靜の酒盃に酒を注ぎ、理靜は再び空ける。
何気ない日常の会話のように交わされたとんでもない内容に、一角が口に含んでいた酒を吹く。
「あは、ちはや、言ったんだ〜」
「やはりそうでしたか」
前者はやちる、後者は弓親。その言葉の意味を理靜は明確に理解した。
「やちるは知ってたんだ」
「うん。最初からね〜」
えへへと笑うやちるが言う。
「おっきくなった理靜って、昔の剣ちゃんにそっくりなところあるもん」
今度は剣八が酒を吹いた。それは見事に一角にかかり。
「…すまねえ、一角」
「いや、いいんすけど…」
「弓親さんは?」
「僕は知りませんよ。でもなんとなく、理靜さんの雰囲気というか、やっぱり似ているところありますからね」
「……似てるのか」
「……俺は分からねえ」
「じゃあ、結構な人数が知ってたってこと?」
「でもね、ちはやはずっと剣ちゃんがお父さんだって言わなかったし、聞かれても理靜が言うまでだめだよ、って言ったもん」
『我儘ついでにね、気づいた人、私に直接聞きに来た人には口止めしてあるの。理靜が自分から言うまでは言わないでって』
昨夜の母の言葉を思い出して、理靜は溜息を吐く。
「千早さんが隊長の名前を明かしたってことは……どうなるんでしょうね?」
弓親が理靜と剣八を見つめて言う。
「どうなるって?」
「何も変わらねえよ」
「いや、そうじゃなくて」
弓親は少し考えながら、
「噂があったんですよ。玄鵬宗家当主が結婚しないのは、弊害を恐れているからだって。だから、子供を産んでも父親の名を明かさないのも同じ理由なんだろうって」






『理靜、一護が5代霊王として更臨したから、四面家の立場が変化したことは分かるわね』
『母上?』
『まして出自を約束されていた玄鵬の立場もよ……まあ、他人の捉え方の問題なのだけれど』
母は嘆息しながら、言った。
『とはいえ、今まで尸魂界を束ねる立場であった以上、私の結婚は閨閥を作る可能性さえあった』
『はい』
『だから、宗家当主となった頃に私は言ったことがあるの。私の婚姻は、熟慮に熟慮を重ねた上で決するものとする、とね』
その結果として、千早は結婚することなく今まで来た。
『だからこそ、あなたを生んだのは私の我儘と言い切れるのよ』






「母は……自分の我儘だって言ってましたよ」
再び酒盃を空けて、理靜は苦笑する。
「子供が欲しいと思ったこと……剣八さんにそれをねだったこと、父親の名を明かさなかったこと…」
「だな。いきなり夜這いしてきやがって、言いやがったことが子種を寄越せだったからな」
今度は剣八とやちる以外が吹き出した。
「よばいってなに〜?」
「副隊長は知らなくていいんです!」
「え〜?」
「隊長!」
「なんだよ、事実じゃねえかよ」
じろりと睨まれて、一角は言葉につまった。
「……そうかもしれねえですけど」
「お前、千早をどう思ってるか俺には分からねえけど、あいつは色っぽくはねえぞ?」
「隊長、そういう問題じゃなくてですね」
「あ?」
弓親が一角が言いたかった答えを出す。
「一応、息子さんの前でしょ」
「……いや、そう言われても参加しようのない会話ですけどね」
「まあ、そうだな」
「やちる、もう寝る!」
突然のやちるの宣言に弓親がつきあう。
「はいはい、わかりました。一角」
「へ? あ、ああ……」
「じゃあ隊長。明日、ちゃんと起きてくださいね」
「おう」
「理靜さん、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
ゆっくりと閉じられた障子。一角が安堵の溜息をつくと、やちるが笑う。
「つるりん、へんなかお〜」
「うるせえ。あの話の内容でへらへら笑える方がおかしいわ」
「え〜、だって知ってたし」
「副隊長はそうでしょうけど、一角は知らなかったんですからね」
「む〜、あんなに二人仲良しなのに」
聞き捨てならないやちるの言葉にさすがに弓親も言葉を飲む。やちるは足を止めず自分の部屋に向かう。
「仲良し?」
「うん。ちはやも剣ちゃんのことすごく大事にしてるよ? 剣ちゃんもおんなじ」
「…………」
「…………」
「この前なんか、理靜が動けないのを助けたのは剣ちゃんだったでしょ?」
そういえばそうだった。
双極に向かった隊長格で到着がもっとも早かったのは剣八だった。他の隊長格が藍染、市丸、東仙を抑えることを最初に考えたのに剣八だけが理靜の元に向かったのだ。
「剣ちゃんはあたしが敵に攻撃されるとすごく怒るけど、あの時おんなじくらい、藍染たちに怒ってたんだよ」
やちるは振り返り、剣八の部屋の方向をみつめて満面の笑みを浮かべて言った。
「剣ちゃんはそういう人だよ」






「傷はいいのか」
「ええ。なんとか」
「そうかよ」
続かない会話。
合間を埋めるのは、酒だった。
「………母はなぜ、あなたを選んだんですか」
「さあな。聞いたことなんかねえからな。さっき言ったみたいに、突然ここに来て子供を産みたいから、協力してくれって言われたんだよ」
「………母らしいというか」
「……そうだな」
そこに至るまでに、どれほど母は熟慮に熟慮を重ねただろうか。
だが、それを億尾にも出さず、一切報せず、結論だけを先に見せる。
「あいつの、悪い癖だけどな」
「……ええ」
「で、未だになんで俺を選んだのか、聞けずじまいだな」
「え」
理靜が顔を上げれば、剣八が自嘲の笑みを浮かべていて、
「俺なら、後腐れないとでも思ったか」
「……違うと思います。理由は僕も聞かされていませんけど」
「そうか」
時折の訪れ。
世間一般の、恋と呼べるものなのか、愛と呼べるものなのか、それはわからないけれど。
少ないとも知り合いの一人として、望まれるならば与えてやろうと思ったのも事実で。
ぱたりと無くなった宵闇の訪れを、話し相手がいなくなったと思う程度だったけれども、やがて千早が小さな赤子を抱えて訪れた時、正確には赤子の名前を聞いた時に、剣八は察したのだ。
「……千早がお前の名前を教えたときにわかったんだ」
「え?」
「お前が俺の子だって。お前の名前を聞いて、な……」
「僕の名前?」
それは千早にも聞かされていない。理靜が剣八を見つめると、剣八も静かに理靜を見て、
「理靜ってのは、理を靜める者って意味だろな。あいつにしたら、洒落た名前にしやがって……」
「ええ。世の中の理を靜める、すなわち正すのだと聞いてますけど」
「……昔、邑理って男がいてな」
剣八の昔語りを、理靜は初めて聞く。
おとなしく耳を傾ける理靜に視線を定めたまま、剣八は酒盃を空けた。
「現世にいた頃から、どうしようもねえほどの破落戸だったんだけどな。戦うことが何より好きで、どうしようもねえ喧嘩で命を落として、こっち…尸魂界に飛ばされた。北の更木だ」
理靜にもようやく話が見えてきた。
剣八は手酌で酒盃に注ぎ、今度は理靜から酒盃に視線を移した。
「こっちでも強い奴を探して、あるときとんでもねえ霊圧に会って…まあ、想像つくだろが、徹底的に叩きのめされた」
「……はい」
「叩きのめした奴が言う。お前は強い、だから剣八の名を目指せ。尸魂界一の豪の者の名前を」
告げられて胸の中に起きたのは、熾き火が熱く滾るような思い。
一度自分が負けた女に引き上げられるように、邑理は上を目指し、やがて護廷衆隊長の地位を手に入れる。
恐る恐るかけられた隊長羽織。
十一の文字が染め抜かれたそれに目を落とせば、同じ隊長羽織を羽織る老人が声を上げた。
『そなたの名は?』
『俺は』
顔を上げれば、いつか出会った女が同じように隊長羽織に身を包み、穏やかに微笑んでいて。
邑理の口からついた言葉は。
『俺は……剣八だ。更木の剣八だ』
忘れていたわけではない。
死神に、護廷衆に、隊長格になるために死に物狂いになって戦いつづけていた、あの日々。
十一番隊長の地位を手に入れた今、もちろんそれに安穏としがみつくわけにもいかず。
そんな頃、千早が抱えて現れた赤子の名前を聞いて、剣八は目が覚めた思いだった。
『理靜、と名づけたの』
「理てのは、世の中の理だけじゃねえ、邑理のことでもある。静めるには受け入れるって意味もある」
「……邑理を受け入れる……?」
母らしい比喩に、理靜は首をかしげる。
受け入れるとは、どういう意味だろう?
剣八は再び酒盃を呷って肩を竦めた。
「さてな。聞けば、千早の奴、大体合ってるとぬかしやがる。挙句に、このことは理靜が自分で聞くまで黙ってろとさ」
「……さっぱりわかりませんよ」
「だな。俺はそれがわかったから、お前が俺の子だと分かったようなもんだけどな」
剣八は酒盃を床に置いて、理靜を見遣る。
「で、どうするんだ」
「どうするって……何も変わりません」
理靜の言葉に、剣八が小さく笑った。
「何もかよ」
「ええ。ですが、知った以上、剣八……父上の素性を明らかにすることはあるでしょうね」
「は、片羽と貶されれば、かよ」
「……無意味な挑発、しないでください」
それは片親しかいないという、揶揄。
差別的だと非難されても言い返せないほど侮蔑的な言葉だ。
だが、理靜はその寛容さゆえに、面と向かって告げられても言い返すようなことはしてこなかった。
「母も、父上のことを明らかにするのは構わないと言います」
「ほお」
剣八が笑う。
「そうかよ」
「ええ。だけど、父上が僕の父上であることには変わりないし、それを否定するつもりもありませんが…」
「無理するなよ」
意外な言葉に、理靜は瞠目する。
「無理、ですか…」
「おう。お前はたった一人、千早つう母親だけで生きてきたんだからな。今更無理して父親を受け入れなくてもいい。千早もそういわなかったか?」
これは自分の我儘だ。
父親を受け入れるのも、母親を許すのも、お前に委ねると言った母の言葉と微笑み。
理靜は笑って。
「………無理は、しません」
「そうか」
「ただ、少しだけ時間が欲しいだけですよ」
「……そうか。まあ、飲めや」
「はい。いただきます」






たった二人だけの酒宴。
だが酒盃を運ぶ口元は、微笑を浮かべていて。
剣八は小さな声で呟いた。






「悪くねえな、こういうのも」






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