father and child - 白哉とルキア -





ある夜、父と娘で交わされた言葉。






「……緋真さま、いえ母上は……どういう方でしたか」
問われて、白哉は目を細めた。
ルキアを伴って訪れたのは、四面家につながる者の位牌を祀る場所である、鎮性園。
決して万全ではない白哉だったが、散歩と称してルキアを連れ出した。
黒崎一護が尸魂界に帰ってくるまで、わずかしかない。
それまでに朽木家ではしなくてはならない儀式があった。
ルキアの朽木宗家嗣の姫として、朽木一統に対する引き合わせの儀式だ。
今更異議を唱える者もなく、儀式の準備は順調に進み、明日行われるという日に白哉はルキアを連れ出した。
黙ってついてきたルキアだったが、鎮性園に入るにはさすがに戸惑った。
『……父上』
『構わぬ。来い。そなたに見せておきたいものがある』
ルキアにとっては初めて足を踏み入れる鎮性園だった。
いや、瀞霊廷に住まう貴族であっても、鎮性園に入れる者は少ない。
それほど四面家、宗家に近しい者しか立ち入れない場所だ。
古びた格子扉を迷いなく開けた白哉は視線だけで、ルキアの入園を促した。
だからルキアも仕方なく付き従ったのだ。
入ってすぐに感じたのは、少しばかりの黴臭さ。
そして白哉が備え付けの蝋燭に次々火を点して、初めて園の中を知った。
正方形の建物。
天井に届くほどの階段に、びっしりと置かれた位牌の数々。
大きなもの、小さなもの。 古びたもの、新しいもの。 豪奢なもの、質素なもの。
その多さに思わず口が開きそうになって、ルキアは気づいた。
一つの大きな位牌。
その元に置かれた、黄色い花。
『これ……』
『そこは玄鵬宗家のもので、その位牌は千早どのの父、燐堂どののものだ』
少しだけ萎れた月見草を見て、白哉が溜息を吐いた。
『あの人も、何かあればここを訪れる。あの折り、お前を呉れと言われたのもここだった…』
その話は聞かされた。
それは、ルキアを救うため。
だがそれを明かすことは、ルキアにも、千早が進めていた内偵にも危険が及ぶ。
だから、ルキアを呉れとしか言えなかったのだと。
数日前、千早は理靜と共に現世に向かった。
その前に供えられた、花だろう。
『こちらが朽木のものだ』
白哉に促されて見上げた段にも数限りない位牌が祀られていて、ルキアはその数に圧倒されそうになったが、白哉はいつもと変わらぬ表情のまま、手近の大きな位牌を指差して、
『あれが私の父と、母のもの』
『……はい』
小さく黙礼して、だが白哉はすぐに動き出す。
ルキアは視線だけでそれを追った。
白哉は位牌の段の片隅まで進み、手を差し込んで小さな小さな位牌を持ち出して、一番前の段、だが隅に置いた。
そこに書かれた名前をルキアは思わず声に出して、読む。
『朽木、緋真……』
『そなたの母のものだ』
静かな言葉だった。
『位牌を飾ることすら、朽木一統は異を唱え、私はそれに従った。だが、千早どのが一言添えてくれた……千早どのは、緋真を好いてくれていたから』
自分の言動が及ぶ影響を理解している千早は、ほとんど表立った行動を起こしたことは無い。白哉の母に嫌われた緋真を表立って庇いだてするようなことはしなかったけれど、いつも気にかけていたという。だから、救えなかったせめてもの償いだったのだ。
少しばかり被っていた埃を払い、位牌の名前をゆっくりと撫でる父の指を見つめながら、ルキアが思わず呟いた。
「……緋真さま、いえ母上は……どういう方でしたか」






「あれは、強く。しかし弱かった」
「………よくわかりません」
「そうだな……だが、そうとしか私には表現できぬ」
大丈夫だと、いつも微笑んでいたけれども。
決して自分だけでは昇華しきれぬ寂しさを抱えていたように思う。
『白哉さま。わたくしのことは、お捨て置きください』
痩せ衰えた手を差し伸べて、頬を伝う涙もそのままに告げた緋真。
だが、後悔と共に白哉の胸に押し寄せたのは愛おしさで。
「私が守ってやりたい、私の横で微笑んでくれるだけで良い。そう思っていた……あれもそう望んでいるのだと思っていた」
「……はい」
「だが、それだけではすまなんだ。分かるか、ルキア。私が背負っていたものを、ただ黙然と緋真に渡し、緋真もそれを黙って受け入れた……だが、それだけで受け入れるには朽木宗家という錘は重く、暗いものだった」
「………」
「だから、ルキア」
白哉は位牌を撫でながら、自分を見つめるルキアをまっすぐに見て。
「そなたは私のたった一人の娘だ。それゆえに嗣の姫に、と思う。朽木を嗣いで欲しいと私は望む。だが……そなたが否定するならば、それもよし」
「え?」
「いやだと思えば、いつでも投げ出してよい。私はいつでも引き受ける」
そなたを責めたりはせぬ。
白哉の言葉に、ルキアは瞠目して。
だがそれは一瞬だった。
「………いいえ」
「ルキア、それは罪ではない」
「いいえ!」
強い否定の言葉が鎮性園に響いた。
「父上、私は父上に朽木に引き取られた時から、決して嬉しいことばかりではありませんでした。ですが、朽木ルキアとなってこそ、出来ること、せねばならぬことを学びました。父上にせよ、といわれるまでもなく、嗣の姫となってせねばならぬなら、私はいたします」
朽木一統を導くことが、私の役目と仰るなら。
ルキアの言葉に、白哉は静かに聞き入る。
だが、続いたルキアの言葉に瞠目する。
「私に……逃げ道を与えないでください、父上」
「!」
「私は、朽木ルキアです」
強い意志に彩られた双眸。
まっすぐに自分を見つめるそれは、数十年前に見たものと同じ。
『私に逃げ道を与えるなんて、卑怯ですわ。白哉さま』
緋真が穏やかに笑う。
『白哉さまと共にありたいと、私は願ったのです。そなたのため、などと仰らないでください。私は、緋真は白哉さまと共にあることを願ったのですよ』
追憶の中の双眸と、目の前の双眸が重なった。
白哉は小さく笑って、
「そうか、逃げ道など要らぬか」
「はい。私は私に道があることを教えてくれた一護…霊王陛下のためにも、出来ることをしたいのです」
口元に浮かんだ笑いを隠さず、白哉は言った。
「そうか、私もそう思っている。お前を私に返してくれたのは、黒崎一護だからな」
「はい」
「……帰ろうか。明日は早い」






鎮性園、朽木家の最前段。
先代当主夫妻の横に、小さな位牌が祀られた。
『朽木緋真』と書かれたそれの前には、梅の小さな枝が飾られていた。






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