001:古色
こ‐しょく【古色】
古めかしい色合い。古びた趣。
その場所は、少しばかり薄暗かった。
薄暗く、しかし柔らかな陽光が格子越しに差し込んでくる。
玄鵬千早は格子にもたりかかり、ぼんやりと外の世界を見つめていた。
カタリ。
僅かな音を立てて、扉が開いた。
ゆっくりと静かに。
千早はゆっくりと視線を扉に移し、入って来る人物を見つめていた。
俯きながら入ってきた朽木白哉は顔を上げて、そこに見慣れた顔があったことに一瞬息を呑む。
「……千早どの」
「何しに来た……は、あまりにも無粋な言い方だよねぇ」
のんびりとした言葉に、白哉は答えず、懐に手を入れて、歩を進めながら取り出したそれを覆う布を取り外す。
掌に収まるような小さなそれ。
漆黒の漆塗りの上に、細く名前がかかれている。
朽木緋真、と。
ここは、鎮性園。
四面家、あるいはそれに連なる者たちの墓標を残す場。
四面家いずれも順位をつけることを厭うために、鎮性園は正方に作られ、朽木家に限らず四方ともにぎっしりと墓標が掲げられていた。
白哉は数瞬その墓標たちを見つめたのちに、自分の妻のそれを、正面から見えない小さな隙間に置いた。
最後にいとおしむようにその名前に触れて。
「………千早どの」
「ん?」
「感謝を」
「何を」
千早は鼻で笑って。
「白哉。君は素直すぎるんだよ。素直で、まっすぐすぎる。緋真ちゃんと……その他のことは、めぐり合わせが悪かっただけ。君の所為じゃあない」
「……否」
「そうやって、自分の所為にすれば楽だけどね」
千早は僅かに褪せた弁柄色の格子に触れて。
「まだ、やらないといけないことが残ってるんでしょ」
わずかに聞こえた鈴音。
身を翻した千早は、白哉に背を向けたまま、独り言のように言う。
「すべては、これからだよ」
「……そうか」
「そう、これからなの」
自分は押し通せなかった。
四面家は、それぞれ絶大な権力を持つ。
それは四面家の数限りない分家が、尸魂界において貴族として権力を手にしたことから始まる。その上に立つ四面家は必然的に筆頭貴族となりえた。
それゆえに、求められる品格と、品格を保つための不要な掟。
白哉はこれまで諾々と掟に従ってきた。
ただ一度、掟に背いた。
流魂街の者を娶らぬ、掟を。
愛した女が、流魂街出身者だっただけなのに。
だから、押し通した。
だから、今度は押し通せなかった。
妻が死に、その名を墓標に刻み、鎮性園に置きたいと願っても、多くの分家が白哉を非難した。
だから、名を記した墓標だけを懐にしまいこんで。
諦めようと思った時に、救いの手は伸びた。
『緋真ちゃんの名前って、残らないのかなぁ』
たった一言。
四面家の中でも、次の霊王の出自を約束された玄鵬家は別格扱いで、霊王が不在の現在では霊王代行に近い権力を持っている。その玄鵬家の当主、千早が公的な場所でぽつりと呟いた一言で、状況は変わった。
こうして、懐の中で暖めつづけていた緋真の墓標は、鎮性園に葬ることが出来た。
白哉はふと振りかえる。
朽木家の正面が玄鵬家の面だ。
陽光もほとんど入らず、格子越しの明かりがほとんど色をなさない古色に彩られた墓標の数々を示して。
その中で、一つの墓標の前に淡い黄色の花が一輪供えられているのを見つけて、白哉は目を細めた。
玄鵬千早がこの場に来た理由。
玄鵬家先代当主にして、千早の父、凛堂の墓標に供えられた淡い黄色の月見草。
それが何を意味するかは、白哉も知らない。