喪われた玉響 1






着慣れない礼服の、襟の硬さが気になって。
エドは首を軽く動かす。
「おい、ちっとおとなしくしてろよ」
「だってさ、大佐」
「おい」
ひそひそと、ヒューズ大佐とエルリック大佐は囁く。
「あのな、お前も大佐。俺も大佐」
「あ、そっか。えっと〜、ヒューズ大佐」
「はいはい、エルリック大佐。何か?」
ひそひそと交わされる会話は、しかし静まりかえった練兵場には、やはり全くそぐわず。周囲の冷たい視線を浴びてしまう。
ずらりと居並ぶ、佐官たち。
蒼の軍服の中で、粛々と儀式は進む。
そんな中で、エドとヒューズはちらりちらりと周囲を観察し、かなり前方の列に立つ、見慣れた顔を見つける。
「おっと、アレク発見」
「どこどこ? あれ、あんな前にいるよ? 俺たちも同じ大佐なのになんで?」
「しかたないだろ? アレクは国家錬金術師機関のトップなんだからな…て少し気分でも悪いのか?」
そういうところは、さすが目聡い。長年アレクの【兄】をしてきたためだろうか。
「そうか?」
「ああ。でもちょっと顔色悪いな…」
異例ともいうべき出世を続けるアレクサンドライト・ミュラー大佐は、大佐の階級では初めて、国家錬金術師機関長になった。国家錬金術師機関長は代々准将以上の階級がなるものではあったが、先の北方攻略戦での功績が認められての抜擢だった。とはいえ、同じく大佐に昇級したエドワード・エルリック大佐にも、実は国家錬金術師機関長に、という話もあったのだが、如何せん、それまでの経歴が異例中の異例だったために、まだミュラー大佐の方が【普通】であったことから選ばれなかったことを、本人、エドワード・エルリックは知らない。
少し青ざめた顔色で、しかしアレクは立っている。
それがアメストリス国軍大佐としての、国家錬金術師機関長としての努めであり、人によっては喜び、と表現される名誉という名の義務だから。



2年前。
稀代の大総統と呼ばれるキング・ブラッドレイが南方視察中に、妻子とともに失踪。
ブラッドレイ大総統によって、強大な力を得た国軍、そしてアメストリスは混迷を極める。
【北の巨熊】ドラクマに侵攻を許すほどの混乱を。
5名の副総統による合議制は、やはり統一性を欠き。
軍部は、副総統の一人、ジェームズ・マッキンリー中将を次代の大総統とすることを決した。
とはいえ。
ジェームズ・マッキンリー中将、御歳62歳。
老翁の域に達したマッキンリー将軍は、多くの賛同者を得て大総統となったが、その賛同には共通した企みがあった。
特に功労があったわけでも、才覚溢れる軍人でもなく、マッキンリー将軍は後方支援を専門としてきた。そんな老齢の将軍は、次代の大総統を定めるまでのいわば【つなぎ】であり、本人も了承していると聞く。
だが、大総統の礼服でゆったりと進む姿は、矍鑠としており、衰えを感じさせなかった。



アメストリス暦1921年、3月。
マッキンリー大総統、就任。
そのニュースは大陸を駆けめぐり、アメストリスの新聞各紙を騒がせることとなる。
そして、アメストリスの南の果てで数日経った日刊紙を前に呟く男。
「だい、そう…とう…お、とう…さま?」
「…ぶらっど、れい…セリム・ブラッドレイ…」



医師の言葉が、耳の中で終わりのない反響となって続いていた。
アレクは深い溜息で、それを打ち消し、落ちつこうとするけれど、上手くいかない。
震える手でなんとか家の鍵を取り出し、玄関を開けようとして何度も失敗する。
鍵穴に鍵が当たって、カタカタと音を立てるのを無理して、鍵を開けた。
佐官用の広い官舎は、晩冬の寒さを一層骨身にしみさせる。まして、独り身のアレクにはただ無意味に広いだけの部屋は、幼い頃の母の記憶と相まって、いい思いを抱かせない。
普段ならばアルが待っていて、アルが用意した暖かい食事と、暖炉には赤々と薪が燃えている。だがマッキンリー大総統の就任式でイースト・シティから姉のエドが帰ってきている。
『ごめんね、アレク』
『ん? 仕方ないよ。折角帰ってきてるんだから』
『けど…顔色良くないけど、大丈夫?』
心配する年下の恋人の言葉を振り切って就任式に出席したものの。
いつもの微熱だと、思っていた。
幼い頃の【火傷】のせいで、アレクは自分の体温が時々上手く調整できない時がある。身体が疲れている時などに起こりやすいが、式典中ずっと感じていた微熱と倦怠感に、なんとなくいつもの体調の悪化とは違うものを感じて軍病院に行ったのだが。
最初、医師の宣告で感じたのは喜びだった。
だけれども、すぐに自分に対する疑問がわき上がる。
母に愛された【記憶】がないのに。
…母になれるだろうか?



「え?」
「は? お前、知らないのか? アル」
「いや、知ってるけど…今日が就任式だってことは」
姉の意図が見えず、アルフォンスは首を傾げる。
「そうじゃなくってさ。アレク、ちょっと体調悪そうだったからさ。ヒューズ大佐がそう言ってたから間違いと思うぞ?」
就任式のあとに開かれたパーティーで、声をかけるつもりだった。
だがそこにいたのは、マスタング少将だけで。
相好を崩して、エドを迎え入れて。
『アレクなら、就任式のあと帰ったよ。具合が悪そうだから、私が帰らせた』
そう言っていたから、きっと弟も知っていると思っていたのに。
「電話とか」
してみたらどうだ、と続けようとする姉の前で、弟は手早く身支度を調えて。
「アル?」
「なんかあったんだよ。何もないなら、逆に連絡してくるはずだから」
「とりあえず電話してみろよ」
姉の薦めに、弟は首を横に振って、
「昨日から顔色悪かったんだ。心配だから行って来る。ごめん、姉さん」
弟の謝罪に、エドは苦笑する。
「仕方ないさ。俺、先に寝てるから心配しなくていい。なんかあったら電話してこい…アレクによろしくな?」
「うん」
慌てて立ち去る弟を見送って、エドは深く溜息をつく。
弟とアレクがつきあっているのを知ったのは、東方にいた時だった。
アルから電話で告げられて、思わず受話器を握りしめて叫んだことを覚えている。
あの時、アルフォンスは20歳。アルクは25歳だった。
『なんでアルなんだよ〜、5歳も年下だろ?』
『歳? それを言うなら22歳のエドと、36歳のロイはどうなるわけ?』
返されて言葉につまったことも覚えている。
エドに対しても、もちろんアルに対してもアレクは年上風を吹かせることなんて一度もなく。とはいえ、エドはアレクのことを『お姉さんだなぁ〜』と思っていたこともあったので、アルの『アレクとつきあう宣言』は違う意味でもショックだった。
『…2人が結婚したら、アレクが義理の妹?』
『それでなくても、ロイと結婚したらそうなるんじゃない?』
くすり。
エドは苦笑する。
アレクが自分の【妹】になるかもしれない、という事実よりも。
自分が弟に告げられなかった、事実を思い出して。
「ささっと言っちゃわないといけないんだけどね…」
違う理由で、アレクが【妹】になることが既に決まっている、という事実を、結局エドはアルに伝えられなかった。



鍵穴に鍵を差し込むと、意外なことに玄関は鍵がかけられていなかった。
アルは首を傾げる。
自分が出かけた時は確か鍵はかけた。
きっちりした性格に見られるアレクだが、意外にずぼらなところもある。とはいえ軍人である以上、危機管理能力は高い。防犯には注意しているから、こんな戸締まりはアレクらしくなかった。
ゆっくりと玄関を開け、アルは鍵をかける。
静まりかえった官舎。
応接間の暖炉だろうか、薪の爆ぜる音が微かに聞こえる。
ゆっくりと。
アルは、何か悪い予感を感じながら応接間に入る。
灯りも点いていない応接間には、音で予想したとおり暖炉に薪がくべられ、その紅い明かりに照らされて、暖炉の前に座っているアレクの姿が見えた。
焔を見つめながら、ぼんやりとしている様子だが、アルが予想していた【最悪の状況】、つまり発作ではないことにアルは深い溜息をついて、手近にあった応接間の灯りのスイッチを押した。
「アレク。灯りぐらい、つけ」
そしてアレクの顔を見て。
考えあぐねているような。
会ってはいけない、相手を見てしまったような。
そんな表情を見つけてしまって。
思わず駆け寄る。
「アレク?」
「…アル…」
助けを求めるように、アレクは呟く。
「どうしよう、アル…」
「どうかしたの? なにか、あった? 姉さんが、就任式の時アレクが具合が悪そうだって、少将もパーティーから先に帰したって」
だがいろいろと聞きたいアルの言葉は、飲み込まれる。
アレクの両頬を、大粒の涙が伝い始めて。
アレクは震える声をなんとか整えようとしながら、
だめだよ、出来ないよ…アル、あたしはやっぱり無理だよ…」
「アレク?」
「きっと、きっと、悲しませてしまうよ…幸せにしてあげられないよ…」
ポロポロと透明の滴が落ちるがままに、アレクはその美しい銀色の髪を振り乱しながら、アルに抱きついた。
「アレク…何があったの?」
「だって、あたしはきっと、いいお母さんになれないから」
この子を、きっと不幸にするよ。
アレクの言葉が。
アルには理解出来なくて。
「…アレ、ク?」
「ごめん、ね……」



それは、まだ見ぬ子どもに対してだったのか。
アルに対してだったのか。
それはアレクにも分からず。
ただ帰ってから、今まで謝り続けてきた。
『妊娠2ヶ月ですね。安定期に入るまでは注意が必要ですが…大佐はご結婚されていませんでしたよね? どうされますか?』
顔見知りの軍医の言葉。
ただ、妊娠2ヶ月の台詞だけが、脳裏を巡り。
アルに、謝罪を告げた時。
背中に、イヤな感覚を感じた。
もう何ヶ月も感じていなかった、感覚。



『お前の中の、悪いものを追い出さないと』
オイダサナイト、タイセツナヒトガイナクナルヨ。
アルフォンスモ、オマエノナカノタイセツナイノチモ。
オマエガ、フコウニスル。
オマエノナカノ、ワルイモノガ。
オイダサナイト。



アレクの変化に、気付かないアルではない。
自分に抱きついていたアレクの身体が、不意に重くなる。
耳元での呼吸が荒くなる。
さっきは理解できなかったけれど、今は理解できる。
アレクは、妊娠している。
アルの子どもを。
そして、戦いている。
愛された記憶がないから、愛することができるかどうか。
そして…その不安が、【発作】を呼び込もうとしている。
「アレク!」
アルは必死に、アレクを抱きしめて耳元に囁いた。
「良いお母さんにならなくて、いいんだよ。子どもが、きっとアレクと僕を育ててくれる。お母さんとお父さんに。だから」
だから、生んで欲しい。
一緒に育てよう。
きっと、新しい家庭を築けるから。
怖がらないで。
僕は、アレクの側にいるから。



「…ホントにいいの?」
「何をいまさら」
アルはアレクを抱きしめたまま、苦笑する。
「そんなことより、ヒューズ大佐と少将が大変だな〜」
冗談交じりに苦笑してみせるアルに、ようやく調子が戻ったアレクが茶化す。
「うちの【お兄ちゃんたち】は過保護だからね〜」
「…これは、僕の仕事だからね。アレクは、見守ってください」
「ロイが、サラマンダの錬成陣を持ち出しても?」
それは少将が『焔の少将』になって、アルを燃やすという意味で。
数瞬考えて、アルは答える。
「その時は、助けてください」
「はいはい」
ようやくアレクに笑顔が戻った。



「………」
「は?」
「なんだって          !」
就任式の、次の日。
中央軍司令部のどこにいても聞こえたという、とんでもない大絶叫は、マスタング少将の執務室から聞こえてきて。



あのね。
あたしと、アル。
結婚するの。
え?
だって、子ども、出来ちゃったから。



あっさりと告げられた、とんでもない事実にその反応は様々で。
「…………」
硬直してしまっているのは、この執務室の主でもあるロイ・マスタング少将。
「え、っと…アルが…アレクが」
応接セットに座って穏やかにお茶なぞすすっているアレクと、その後ろに立っているアルを交互に指差し、何かを言いたげだが、口がぱくぱくと動くだけで声にならないのが、アルフォンス・エルリックの姉、エドワード・エルリック大佐。
「よくも、よくも、うちの大事な、大事なアレクに、アレクに     
アルに掴みかかり、胸ぐらを前後に激しく揺さぶっているのが、マース・ヒューズ大佐。アルは思わず声をあげるが、まるで人形のように首がかくかく動く。
「すっみ、まっせ、ん    
「やっぱり、マースが最初だったか…これはグレイシアに報告しないといけないね、エリシアの参考になるものね」
「アレク     
だが、アルフォンスは前後に揺さぶられ、言葉も出せない。
お茶をすすりながら、アレクが言った。
「マース。あんまりアルを虐めないで」
「アレク〜〜〜」
ようやく手を離して、へたり込んでいるアルを放りだしヒューズが言う。
「まだ、早い!」
「そう? 子どももいるのに?」
「う……そうだ、ほらアルフォンスだってまだ子ども」
「…マース。アルは21歳だよ」
何とか最後の抵抗を試みる、37歳のオヤジである。
「アレ、ク〜〜〜」
だが、それは愛しき【妹】に一蹴される。
「だめ。決めたの。あたしは、アルと結婚して、この子を生むの。これだけは、何があっても譲れない」
ふう。
小さくため息をついたのは硬直して事態の推移を見守っていた、少将だった。
「マース。譲られても、困るだろうが」
「おい、ロイ。ずいぶん薄情じゃないか。かわいい妹が孕まされたんだぞ」
きわどい会話に、しかし誰もが聞き流す。
「いいじゃないか。同意の上だ。まして二人とも未成年ではない。妊娠が一つの起因になったにすぎない…だろう? アレク」
アレクはちらりと少将を見て。
「そうだけど…この大人な対応は変ね…エド、なんかあったの?」
突然話を振られて、【弟の所業】からようやく立ち直りかけたエドはアレクの呼びかけに、
「ん?」
「エド、ロイと何かあったの?」
「……え?」
その小さな間は、なんだろう。
アレクは自分たちから話題が離れるきっかけをつかんで、思わず微笑む。
「エ〜ド〜」
「な、なに…」
「アレク」
執務机から立ち上がった少将に、アレクは確信を得た笑みをその口元に浮かべて、ビシリと指をさす。
「ロイ!」
「む?」
「今思い出せば、昨日の就任式、その前の日のリハーサルの時から機嫌、すごくいいのよね。エドが東方から帰ってきたからかと思ってたんだけど、それだけじゃあ…ないわね」
エドは明らかにアレクやアルの視線を逃れようとしているし、指差されたままの少将は相好が崩れてきた。
「それは、その、な…」
アレクはターゲットを変えた。
「エド」
「え?」
「指輪、もらった?」
「え? いや、まだだけど…」
アレクの引っ掛けに思わず反応してしまったことに、エドは気づいて目を見開く。
アレクはにやりと笑って。
「エ〜ド〜」
「あの、かくしてたわけじゃないんだけど…えっと、ちゃんと言わなかったのは謝る、ホント! ごめん!」
「エドワード。何を謝る必要がある? 私たちは悪いことしたわけではないだろう?」
にやけたまま、少将が言う。アレク以外はまったく状況が飲み込めず、アルが恐る恐る手を上げる。
「あの〜、アレク。これって何の話?」
「ん? ああ、あのね。エドがロイからプロポーズされてたでしょ。おそらく3日前くらいに、OKしたんじゃない?」
「え?」
「おい、ロイ。ホント…だな、その顔見たら分かるわ」
マースの言葉どおり、少将の顔は少将を崇拝する女性軍人にはちょっと見せられないものになっていた。
そしてアルは気づいてしまった。
夕べ、何度か姉が何かを言おうとしていたことを。
「姉さん、ごめん。夕べ、言おうとしたんだよね…」
アルが少し俯く。アレクがそんなアルの背中を慰めるように触って、
「ごめんね、あたしが呼んだから…エド、ごめん」
「何を謝るんだよ」
穏やかな表情で、エドは続ける。
「アレクの妊娠も、二人の結婚も…それから俺のことも、おめでたいことじゃねえ? もうしんみりするから、ごめんなさいはなしだな」



国家錬金術師でもあるエドは、実はアレクの直属の【部下】でもあり。
年に一度の審査結果を受け取るために、アレクの執務室に向いながら、【幸せな】2人は穏やかに言い合う。
「でも、よかったわね。エド」
「ん? ああ、中央復帰の話か」
「そう。栄転でしょ?」
アレクの妊娠、アルとの結婚。
少将とエドの結婚。
それから、エドの中央への赴任の話。
ここ数日で起こった出来事は、あまりにも目まぐるしく、正直整理するのに時間がかかりそうだった。
エドは苦笑しながら、
「まったく…就任式で一気に動き出したみたいだよな? 俺たちも、この国も」
「大総統が決まったからといって、決定的に何か変わるってことなんて、ホントは何もないはずなんだけど」
アレクもまとめていた長い銀の髪をほどきながら、言う。
「でも、やっぱり形は必要かな…」
「形? なんの?」
「ん? エドとロイはいいよ。結婚式あげられるじゃない。あたしは無理かな、少なくとも安定期入るまでは」
そのことか。
エドは妙に納得して、
「俺たちも婚約したってだけで、まだ結婚するのは先の話だから」
「先って、そんなにロイを待たせる気? まあ、ここまで待ったんだから気長に待ってくれるだろうけど…」
けれど。
これだけは、ちゃんとしておきたいなぁ。
ぽつりと呟くアレクが足を止めて。
「アレク?」
「…リゼンブール、行かないと。お母さんの、お墓参りにね。ちゃんと報告してあげないと。もうすぐ孫が生まれますよって」
「あ」
エドの記憶の中に微笑む、母トリシャ。
もうすぐ、エドはトリシャの年齢に達する。
母が自分を生んだ年齢に。
エドの中では、トリシャの時間は止まってしまっていて。もちろんその容貌も若いときのままだ。
生きていれば……。
「……」
「ん?」
エドは苦笑する。
「変な話だけどさ。親父のこと…思い出しちまった」
「親父、さん? ああ、そういえば。アルはお父さんの話、全然しないから」
「そりゃ無理だ。あいつは…アルが物心つく前に出て行ったからな」
フィリップ・ヴァン・ホーエンハイム。
それが父親の名前であると、アレクがエドから聞いたのは北方戦から帰ったあと。
幼い頃、母とエド、そして乳飲み子だったアルを残して、父は姿を消した。
錬金術に長けていたこと。
唯一残された写真と、エドのわずかな記憶の中でしか父を知らないと、かつてアルは寂しげに笑って、アレクの父の話を聞くのだが、アレクもエドが父親を見送ったのと同じ年頃で、父を亡くしている。それに加えて続いた母の凶行の所為で、その数年の中で記憶が曖昧な時間があるのだ。
実は、意外なところで父の所在を、アルが発見した。
訪れた、北方のある街。
かつてその街は金鉱があり、街の地下には金鉱を捜し求めて縦横無尽に坑道が張り巡らされており、その坑道が崩れたことで大規模な地盤沈下が起きた。
数十年前にも。
そして、地盤沈下で負傷した市民を助けようとして、命を落とした錬金術師。
墓標に刻まれた、『Fillipe van HAUENHAIM』の名前。
『アレク…父さんは逃げたんじゃ、なかったよ…』
微かに震えるアルの、電話の声をアレクは忘れていない。
「ねえ、エド。お父さんのお墓、リゼンブールに…お母さんの隣に移してあげたほうがよくないかな?」
考え込んでしまったエドの背中を、軽く叩いて。アレクはできるだけ明るく聞こえるように声を張り上げる。
「その方がお母さんも喜ぶよ」
「そうだよなぁ…あんなバカ親父でも、母さんにしてみればいいやつだったわけだしなぁ…近いうちにアルと行ってきていいか?」
アレクは満面の笑みでこたえた。
「もちろん!」



4月。
アルとアレクはアレクの官舎で、生活を始めていた。
エドは東方司令部から中央司令部に正式に異動が決まり、エドの希望どおり広域司令部に配属が決まった。これには少将がずいぶんとごねたのだが、エドは決して譲らなかった。
『どうして私の言うことを聞かない! 私の下にいれば安全だというのに!』
『あんた、バカか。軍人が安全もないだろが! そんな理由で軍人になるやつなんて、どこにもいないぞ!』
いつものように激しい【夫婦喧嘩】は、アルとアレクの新居で始まって。
『ねえ、なんでうちで痴話げんか始まってるのかな?』
『アレク、やっぱりこの2人追い出していい? 胎教に悪いって』
『ううん、逆。胎教にいい気がする。こんな大声聞くことなんて、めったにないもの。でも…錬金術を持ち出したら危ないねぇ』
そんなのほほんとしたエルリック夫婦の会話は、2人には届かず。
『わかんないのかよ!』
『分からん! 分からんから、言いなさい!』
『ああ、もう〜、面倒くさいったら! それぐらい、旦那だったら分かるだろうが!』
『広域司令部って、動ける範囲が広いんだよね。当たり前だけど。だから、四方司令部よりも少しだけ権限が大きいし。何より…誰もいないものね』
穏やかに言うアレクの言葉に、戦闘態勢だった2人の視線がアレクに集まる。
『アレク?』
『軍法会議所には、マースがいる。錬金術師機関にはあたしと、アル。憲兵司令部はおいといて、あとは…広域司令部だね』
エドが深くため息を吐きながら、
『まったくアレクには隠し事は何一つできないなぁ…』
『マースも気づいてたわよ。だけど、この時期だからずいぶんいろいろ言われると思うけど…大丈夫なの?』
『何とかなる! ていうか…何とかする!』
エドの強い言葉に、ようやく少将も気付いた。
味方は多いほどいいぞ。
かつてそう言ったのは、少将の【兄】のような、男。
彼は、軍法会議所で今五指に入るほどの実力者だ。
そして、【妹】のアレク。
国家錬金術師機関のトップであり、その夫であるアルフォンスは第1研究所所長だ。
マース・ヒューズが予見したように、ロイ・マスタングの勢力は次第に広がりつつあるのだ。そして、【妻】のエドワード。
いまだ【マスタング組】の力が及ばないのは、警察機能を持つ憲兵司令部だが、国家錬金術師であるエドは、その特殊性から憲兵にはなれないことが軍規で定められている。よって、広域司令部こそエドが望んだ配属場所になるのだ。
『エド…』
ようやく理解した少将を、照れくさそうに睨み付けて、
『俺はできることをするから。だから…』
『わかった!』
少将は感涙しながら、エドに抱きついた。
もちろん、エドに殴り倒される結果を招くのだが。




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