北方攻略戦 1






悲壮感漂う、見送りが繰り広げられていた。
一般車両と明らかに違う塗装が施された、アレクが乗り込んでいる列車を囲むように、青い軍服と、それを見送る人々の表情を見て、アレクはため息をつく。
今生の別れの如く、互いに泣き崩れている恋人らしき二人。
何もわからぬ子供の笑顔に、癒されているような表情を浮かべているまだ若い二人。
何を大げさな、とはアレクは思えなかった。
アレクと、見送られる軍人たちが乗り込むのは軍用列車であり、
これから激戦が予想される北方、ブリックス山脈の麓に向かわなくてはいけないのだから。
この中で、いったいどれほどの人間の命が奪われ、
どれほどの家族の涙が流されるんだろう……。
かつての、母のような存在がまた生み出されるんだろうか?



「双域の」
個室のガラス越しに、さまざまな別れを見つめていたアレクは、誰に呼びかけられたか一瞬分からず。
あわてて立ち上がり、敬礼して言った。
「准将」
「西方司令部から直接来たそうだな。家族は間に合ったのか?」
「いえ。年の離れた伯父一家では、間に合わないだろうと思って、見送りはしないでほしいと」
「……そうか」
ロイ・マスタング准将はアレクの正面に座り、アレクがしていたようにガラスごしの別れを見つめていた。
「しかし、いいのか?」
「ええ。特に必要なものもないので」
『必要なもの』とは何なのか准将は気になったが、あえて言葉を返さない。代わりにシートに座ったアレクが言った。
「ずいぶんな、選抜メンバーですね」
「……見たか」
「確かに、『傷の男』事件で先の戦いに参加した国家錬金術師が何人も失われているのは分かりますけど……このメンバーを取りまとめるのは大変ですよ」
軍令によって、通常勤務時は西方司令部にいるアレクだが、今回は出兵命令を受けた西方在住の国家錬金術師を伴って中央入りした。
かつてイシュヴァール殲滅戦に参加したという予備役の国家錬金術師まで駆り出され、正直寄せ集めのイメージしか受けなかった。
「西方司令部から一緒に来た『築塁の錬金術師』なんて、列車の中で武勇伝を延々と語り続けてましたよ。逆にああいう手合いも問題大有りですけどね」
「西方からつれてきたのは、双域がまとめてくれなければ困るぞ」
准将は胸を張って、
「私の担当ではない」
「なに馬鹿なこと言ってんですか。国家錬金術師の編成部隊の最高責任者は、間違いなくロイ・マスタング准将。あなたなんだから」
「最高責任者に、瑣末なことに目を向けさせないのが、中隊長の双域の仕事だろうが」
ああいえば、こういう。
アレクは何とか言い返そうとしたが口八丁な准将に何を言っても、決して口達者とは言えない自分が勝てるはずがないことにすぐに気づいて、
「善処します」
「ああ、よろしく頼む」
ふんぞり返っていた准将が、続いたアレクの言葉に目を細める。
「エドは、まだなんですか?」
「……弟が見送りに来ている」
「アルくんが?」
挨拶にと、腰を浮かせたアレクの腕を准将がつかむ。
「准将?」
「せめて出発まで姉弟にしてやってくれないか?」
「……いいですけど……相変わらず、エルリック姉弟には弱いですね」
アレクの苦笑も、准将は甘んじて受けた。



「半年に一度は、休暇で帰って来れるだよね? 姉さん」
「ああ、そう聞いてる」
「……じゃあ、僕は中央にいるから。帰って来るときは、必ず連絡してね」
「分かった」
穏やかな表情で弟の心配を受け流すエドを、アルは数瞬見つめて、
「姉さん?」
「ん?」
「僕、待ってるからね。帰ってきてね」
アルの言葉に、やっぱり穏やかな微笑みのまま、エドは答える。
「当たり前だろ。お前以外のところに帰ることないじゃんか」
「うん……」



「お、アレク」
3ヶ月ぶりに会った【同僚】に、エドは穏やかに微笑んで。
書類に目を通しているアレクの隣に座る。
「元気…じゃなきゃ、出征しないか」
「何寝惚けたこと言ってんのよ」
「そりゃそうだ」
噛み合わない会話に、准将は参加せず腕を組んで眠っているようだ。
その様子になんだか安心して、エドはアレクをからかう。
「何の書類だよ?」
「ん? ああ、あとでエドも見ておいてよ。国家錬金術師の出征者リスト。得意分野で隊を振り分けないといけないから、面倒な作業になりそうなのよ」
「なんだか、アレクがまじめに仕事してるとこなんて初めて見るなぁ」
「失礼な! 少なくともいつもサボってばっかりで、大尉に『仕事してください』って年中ターゲットマーク代わりにされてる、どこかの無能さんに比べたら仕事してるよ」
「…うわ、具体的な名指しだな」
二人はそろって、寝ている様子の直属の上司を見遣った。



『双域の錬金術師』アレクサンドライト・ミュラーとエドが知り合ったのは、エドが国家錬金術師資格を取ってすぐだった。
自由行動は許す。ただ、賢者の石探索の途中経過を頻繁に報告書にして、東方司令部まで届けるように。
それがマスタング大佐の命令だった。
最初に訪れた街。
そこには賢者の石を生成したことがあるという噂の凄腕の錬金術師がいるはずだったが。
結局、大した能力も持たない錬金術師が取った保身のための虚言と分かって。
引き上げてきたエルリック『兄弟』だったが。
報告書を提出するために訪れた執務室に、いたのは大佐と、銀色の髪を腰まで伸ばし、強い意志が見え隠れする濃紺の双眸の少女。
『アレクサンドライト・ミュラーだ。異名は…双域だな』
医療系生体練成と、空気中の元素変成を得意としている故の『双域』という厳つい異名を、特に誇る様子も、恥じる様子もなく、少女は自己紹介として組み入れて。
『君が去年、最年少記録を更新するまで、あたしの記録が一番だったのよ〜。それまでは16歳で、たった1歳縮めただけで、快挙だって言われたのに。たった1年で塗り替えられるなんて』
しくしくと泣いてみせるが、いかにも嘘っぽく。
『そりゃ、わるうござんしたね。どうせ俺みたいなガキで』
苦笑交じりに言うエドに、驚いたように目を見張ってみせて。
『ありゃ、冗談なのに。最年少記録なんて持ってたって。1センズだって給料上がらないのに』
『な』
『鋼の。君の負けだ。双域もからかうな。たった4歳しか違わないだけだろう』
銀色のつややかな髪を、アレクは鬱陶しげに背中にまとめ流して。
『そうだね、4年も経てば鋼も絶世の美女? ああ、それは無理かな。せめて絶世の美少女になってるかな』
ホークアイ中尉は瞬きを繰り返し。
ハボック少尉はタバコを取り落とし。
ブレダ少尉は口にしていたコーヒーを噴出し。
ファルマン准尉は書類をばらまき。
フュリー曹長のメガネがずれ。
そして、大爆笑が湧き上がった。
ハボックが取り落としたタバコを拾いながら、キョトンとしているアレクの肩をたたく。
『おい、双域のお姫様。冗談が過ぎるっすよ。鋼の大将は…』
と、立ち尽くすエドの頭の先からつま先まで見下ろして。
『どう見ても、男っすよ』
『…何それ』
立ち尽くす巨躯の鎧、先ほど紹介されたから彼がアルフォンス・エルリックだとアレクにも分かるけれど。
アルだけが立ち尽くすエドと、囲まれているアレクを何度も何度も、往復して見つめている。
だが心の動揺を隠すように、何も言わない。
キョトンとしていたアレクが、あまりにも笑い続ける周囲に、次第に表情を厳しくし。
特に笑っていなかったホークアイ中尉の右手を取った。
『ミュラー少佐?』
『冗談じゃないから。確認すればいい』
引きずるように、エドの前まで中尉を連れてきて。
アレクは呆然としている様子のエドに、一言言う。
『先謝る。ごめん!』
呆然としている兄の代わりに、弟が何かを言おうとしたが。
アレクがホークアイ中尉の右手を、エドの胸に押し当てた。そして、上下左右に中尉の手を動かしてみる。
呆気にとられていた中尉だったが。
触れた瞬間、表情が変わった。
アレクは既に手を離し。
呆然と立ち尽くすエドの胸倉を、中尉が恐る恐る触るという、まず見られない光景に、しかし他の一同はどう反応していいか分からず。
やがて、中尉が冷静さを装いながら、
『胸が、あるわね…Bカップかな…』
と呟いたことで、その場は静まりかえり。



肩を震わすエドワード・エルリックと。
混乱するアルフォンス・エルリックと。
書類にサインをする姿勢のまま、固まってしまった大佐と。
自分の右手に残る胸の感触を、指を動かすことで確認する中尉と。
絶句している一同と。
そして、
『だから〜、言ったじゃない。エドワードは、いずれ絶世の美少女くらいにはなるんじゃないの?』
誇らしげに告げる、双域の錬金術師アレクサンドライト・ミュラーであった。



『で?』
特に勝ち誇る様子もなく、アレクはおとなしくソファに座り、アルと和やかに世間話などしているが、強制的に立ちなおさせられた大佐と、エドが机越しに見えない火花を散らしていた。
『で? って何が?』
『説明してくれないか、鋼。なぜ、君が男装しているのか。書類には、男性と書いてあったぞ』
エドは鼻で笑ってみせて、かつてのミスを上げる。
『最初の書類は11歳が31歳になってたくらい、不備があったんだろ? 第一、そこまでは俺は知らない……多分、名前で判断したんだろ?』
話したくない様子で、エドは顔を背けている。だが大佐は続ける。
『エドワード、というのは本名かね?』
『ったりまえだ!……母さんがつけてくれた名前だ』
『鋼の』
しんみりとした雰囲気のすぐ隣で、アレクがアルの鎧を軽く叩きながら、『君は女の子じゃないみたいね』『あ、僕は正真正銘の男です』『あら、二人そろって男装の美少女ってやつをやったら、少しは国家錬金術師のイメージよくなるのに』『……そういう問題ですか?』
なんだか和みながらの会話が耳に飛び込んできて、
『アル、うるさい!』
『あ、姉さんごめん……』
『アル!』
『あ……』
怒りの矛先が自分に向いたのに気づいて、アルは思わず俯いた。だが、すぐに救いの手が差し伸べられた。
『ちょっと。せっかくの美人が眉つりあげて、それもたった一人の弟に八つ当たりしないの』
誰が元凶だ。
怒りをこめて見つめても、アレクは一切堪えた様子もなく。
『確かにね。エドワードって名前から連想されるのはどう考えても、男の子だもんね……お母さんは『名前がえ』か、『名前移し』のつもりでつけたんだとは思うけど』
名前の由来を簡単に言い当てられて、エドも驚きを隠せない。だがその向こうで大佐が悲しげな表情を浮かべていることに気づいたのはアレクだけだった。
『! 知ってるのか?』
『あたしの出身、東部だけどね。体が弱い子供や、兄弟をなくした子供を、不幸から守るために、特に女の子に男の子の名前をつけるって』
穏やかに微笑みながら、差し出されたコーヒーを一口飲んで。
『それに、自由行動で賢者の石を探してるって聞いたから。それだと、男の子で通した方が何かと楽だよね』
全部が全部、アレクの言ったとおりで。
『…なんで気づいた?』
『?』
エドの感情を押し殺した質問に、アレクは銀の髪を揺らして、微笑んで言った。
『なんとなく♪』


結局、『鋼の錬金術師の性別』はそのままにされ。
自由気ままに旅を続けるエルリック兄弟と、西方勤務のアレクでは接点がないに等しかったのだが、なぜかよく会った。
そのほとんどは偶然で。
たとえば、中央に出張していたアレクと旅から帰ってきた兄弟が中央駅で、とか。
西方司令部に、兄弟がふらりと現れたり。
エドからしてみれば、年が近い国家錬金術師はアレクしかおらず。
何かと頼りにしていたのだが。
宿願成って、数週間。
めまぐるしい環境の変化に、『姉弟』は精神的な疲労も相まって、中央司令部のマスタング准将の執務室でぐったりしていた。
『姉さん…』
『なんだよ…』
『なんでこんなに忙しいのかな…』
『そりゃ、俺たちが【英雄】だからだろ』
准将は、毎日続く軍議に出席していて、執務室には二人しかいないはずだった。
なのに。
『疲れてるねぇ〜、せっかくの【英雄】なんでしょ?」
にこやかな声に、思わず下向きだった視線は辺りを見回し、弟が先に発見する。
それはたった一つの入り口の扉だった。
さっきまで閉まっていたはずの扉はいまや開け放たれ、そこに軍服姿の見慣れた少女が立っていた。
肩の徽章は、中佐のもので。
『アレクさん』
『えっと、アルくんね。うん、はじめましてじゃないけど、はじめまして』
『あ、はい』
のんびりとした会話と、交わされる挨拶。だが、姉はソファに寝転がったまま、目を細くして見つめている。それをアレクは見やって、
『エ〜ド〜』
『…なんだよ』
何とか普通に座ったエドの、見慣れない軍服姿を、頭の先から足の先までしげしげと見つめて。
アレクは言った。
『あんまり、似合わないかと思ってけど…似合うね』
『…なんか、褒められた気がしないのは、気のせいか?』
『姉さん…』
軽い戦闘モードに切り替わってしまった姉を宥めるのに、弟は余計な労力を使うことになってしまった。



「う〜ん…」
悩んでいるアレクに、エドが声をかける。
「なんだよ」
「ん? ん〜、人数が足りないんだよ」
「は?」
促されて、エドもアレクが指差す書類の箇所を見る。
「これ。国家錬金術師、総勢56名になっているのに、全部で55名しかいないのよ」
「…誰か来てないやつがいるってこと?」
「違うのよね…さっき点呼とったけど、確かに55名なのよ。あとでもらった書類は確かに56名なのに…」
アレクが、最初に准将に渡された書類と、中央駅を出発するときに司令部の人事部に渡された書類を見比べる。エドも同じように眉を顰めて見つめていたが、アレクが答えを見つける。
「ん?」
「どうした?」
「ここ」
全員の名前の左端には、通し番号が振られている。【ランドルフ・エディヌス】には【5】。
「でもね、ここは」
続く【ガブリエル・ヴァン・ダーフォン】には【7】。
「ほら、ここで6がないからおかしくなるんだよ」
「あ〜…」
そのとき。
エドが、奇妙な表情をしたのをアレクは見逃さない。
「なに?」
「え?」
「…なんか、あるのね?」
「……何もないよ」
一瞬の間が、『何かある』ことを示していた。だが、アレクは問い詰めずに、もう一度書類を見つめる。
EDINNUS。
DERFONE。
間にもし入るとするならば。
「エルリック…」
ぽつりと呟いたアレクの言葉に、エドは顔を背けた。
それを見て、アレクは確信したのだ。
二人の名前にあるもの。
『賢者の石の生成者』であるエドワード・エルリック。
准将という高位であるはずのロイ・マスタングの出兵。
一つにつながった気がして、アレクは顔を上げた。
「…ま、混乱してるから司令部も間違えるでしょ」
「…ああ。そうかもしれないな」
エドの微笑みは、決して晴れた微笑ではなかった。



あれは、確かアルが中央第1研究所に出勤し始めて、2週間ほどしてだった。
軍人としてのエドの初仕事は…直属の上司であるマスタング准将と一緒に出勤し、書類にサインをし、帰宅してすぐに、高官たちのパーティーに准将と出席して、引きつった笑顔の訓練をするくらいで。
とはいえ、准将が通常勤務以外にも国家錬金術師の総括的役割を果たすことになっていたので、さまざまな国家錬金術師から出される研究成果を読むのは、ウィンリィいわく【錬金術ヲタク】のエドにとっては時間を忘れられる楽しい【お仕事】で。
あの日も、エドは資料庫に堆く積まれていた研究結果報告書の整理と称して、国立図書館第3分館から届けさせた古い資料を、准将の執務室に急遽設けられた自分の机に積み上げて、読みふけっていたときで。
『まったく、鋼の。君は国家錬金術師であると同時に、軍人だぞ。研究もいいが、少しは私のように仕事しろ』
准将がサインを書き入れながら、読みふけっているエドを見やるが、エドはまったく聞いていない。
『まったく…』
『准将』
姿勢も正しく、次の書類を持って待ち構えている優秀な部下であるホークアイ大尉が言う。
『できればこの書類の山を今日中に片付けていただけると、准将の言葉にも真実味があふれてくると思いますが』
『……全部かね』
呆気にとられる准将の前には、吹けば飛ぶ、などとは決して言えないほどの重量感を持った書類の山が鎮座している。
『はい、全部です。もとはといえば、准将がすぐに目を通していただいていれば、これほどの量にはなりませんでしたけど』
『…善処しよう』
『緊急に! お願いします』
にっこりと微笑むけれど。
それが氷の微笑であることには変わりなく。
だが、少しだけ二人の空気を和ませたのは。
『あ。アレクの研究報告書、発見。え〜と…空気元素変成における熱量の移動と、練成物質間における気化熱の相互間移動を促す構築式について…って、なんてテーマだよ』
『ああ、それはだな』
説明に席を立とうとした准将を、しかし大尉が視線でとどめ。
結局准将は、サインを書きながら説明する。
『要するに、火種なしに空気を燃やす方法はないだろうかという研究だったな。双域が、国家錬金術師になってすぐの研究だな』
『へえ。じゃあ、できたら准将、あんたの得意技、とられてしまうじゃない?』
エドがにやりと笑う。
准将も視線をエドと合わせて。
『大丈夫だ。結論から言うと、練成する空気の範囲が広ければ広いほど熱量の調整があまりにも微妙すぎて、双域は結局途中でやめた』
『なるほどね…』
結果報告書に描かれた構築式は、しかし未完成のもので。
エドはそれを見つめて、思い至る。
どういう、ことだろう。
准将は、アレクのことについて詳しい。
エドは思わずいやみのように言った。
『さすがだね、准将。アレクも昔から知ってるんだろ?』
『当たり前だ。双域は私の…』
ドンドン。
まるで突き破るような勢いで執務室のドアが叩かれ。
エドに言いかけた言葉は、准将に飲み込まれ。
飛び込んできたハボック中尉が叫んだ。
『大変っス!』
『なんだ、そうぞうし…』
トレードマークのくわえタバコもしていない中尉は続けて叫ぶ。
『大総統が、大総統が失踪したんですよ!!』



大総統失踪の一報は、アメストリス中を駆け抜け。
国軍は混乱を極めた。
西方司令部も決して例外ではなく。
20代にして西方の国家錬金術師総括を一任された一方で、自身の研究も西方研究所で続けていたアレクの耳にも当然届き。
アレクの部下であるミンツ少尉が、怒号の飛び交う軍議から脱出したアレクにおどおどと声をかけたものだった。
『大丈夫でしょうか…この国は』
『さあ、どうかしらね。わからないわよ』



アメストリスは、大総統によって軍国主義国家に移行していたといっても過言ではない。
キング・ブラッドレイ。
40代半ばの若さで、国軍最高位である大総統に就任し、当時国境を脅かしていたいくつかの隣国との紛争を、あっという間に治め。
その功績を称えられ、じわりじわりと国家の中での軍部の力を強化し。
国民が気づいた時には、軍によって守られ、軍によって生活が保障された国家になっていた。
政府をはじめとした国家機関はすべて軍によって運営され、議会でも国民が選んだ首相よりも、首相が組閣した政府よりも大総統が大きな発言権と行使権力を持っていた。
その権力の中枢ともいえる大総統が姿を消したのだ。
すべての国家機関が混迷を窮める。
南方で姿を消した大総統とその妻子の捜索が続けられる中、中央司令部で中将と大将の中から5名が選ばれ、副総統の任につき、大総統帰還までの急場凌ぎとしたが…。
その混乱を、近隣諸国が見逃すはずもなく。
雪解けなったブリックス山脈を警護している山岳警備兵が異変に気づき、北方司令部に打電した。
『ブリックス山脈を越える軍隊発見。ドラクマからの侵入兵と思われる』
そして、戦闘の火蓋は切って落とされた。



ごそごそと動き出した准将を横目で捕らえて、アレクは広げた地図から目を離さない。
「准将」
「今どの辺だ」
「あと6時間もすればノース・シティに着きますよ」
げんなりした表情を浮かべて、准将はため息をつく。個室の中を見回して、
「鋼がいないな」
「席外してます……うちの部隊員に班分けの説明に」
言いながらアレクは手書きの紙を差し出した。
「はい。一応実働部隊を3つ。それから医療班を一つ。医療系、思った以上に少ないので独立させるの、苦労しました」
ざっと見やって、准将はうなずく。
「いいだろう。第1中隊が私だな」
アレクはうなずいて、
「第2が私、第3がエドです。医療班は個々に応じて、になりますね」
「さすがアレクだな」
久しぶりに名前を呼ばれて、アレクは苦笑する。
「どういたしまして。どっかの兄さんが寝てばかりだから、がんばって振り分けました」
「…悪かったな」
「はいはい。どうせ中央を空けるのに、いろいろと裏工作が必要で、何日か寝てないんでしょ」
「…よくわかってるな」
「何年、つきあってると思ってんだか」
穏やかに微笑むあう二人だったが、第3の声に准将はあわてて、アレクはおっとりとこたえた。
「すいませんけど、邪魔していいか?」
「鋼の!」
「どうぞ。邪魔じゃあないけどね」
ぶすりとした表情で、エドはシートに深く座り。
「参った! 文句ばっかり言ってるのが何人かいる…キレちまった」
「あらら」
「鋼の…小隊を率いる自覚があるのか?」



国家錬金術師専用列車には、かすかなどよめきが浮かんでいるのが列車の外からでも分かった。
ため息交じりのエド、さっさと掌握したい准将を宥めて、アレクが列車に向かった。
准将は東方司令部時代に、国家錬金術師の管理職にあったことがあるけれど、エドは最近中央司令部で管理職になったばかりで、実質国家錬金術師に接したことがほとんどない。
『う〜ん…そうだな、そんなに知らないなぁ』
エドが思い返す様子を見やって、アレクは苦笑する。
『ま、仕方ないね。やっぱり現役の私が行くべきじゃないかな』
そうして、現役国家錬金術師管理職の自分が出てきたものの。
この専用車にいるのは、その半分がアレクが西方司令部から連れてきた国家錬金術師。
残りが中央から乗り込んだ、寄せ集めの国家錬金術師。
「…さて、どんなツワモノがいるかな〜♪」
気合を入れて、というより楽しそうにアレクは専用列車に乗り込んだ。
「…で?」
「われわれは我々で、部隊を編成するのが一番であると結論に達した。よって要求する!」
アレクはおとなしく書面を読み上げる【戦刀の錬金術師】と名乗る男の口上を聞いていた。
【戦刀の錬金術師】いわく。
提示された部隊編成は、個々の国家錬金術師の特長を生かすことのできない編成となっており、再度の検討を促したいが、それよりも自らの得意分野をよく知る本人が自らが希望する部隊に編入するという形を取ったほうがよい。
アレクは怒りを通り越し、あきれ返って周囲を見回す。
自分たちで結論を出せたと信じている人間はアレクの視線を受けても、決してひるんだ様子を見せず。
だが、その数は決して全員の総意ではないことを示していた。
アレクとともに西方司令部を出た国家錬金術師は参加していないようだ。
一番文句が多いのではと思っていた【築塁の錬金術師】は、どうやら最初から参加するつもりもないようで。
イシュヴァール戦に参加した古参の錬金術師で集まり、勇ましく過去の軍功を披露しあっている。
あそこは、今は問題じゃない。
アレクの視線を受けて視線をそらす若い錬金術師たちは、決して賛成でもなければ反対でもない。
「…前置きが長かったので、結論から言います。却下します」
アレクの静かな口調に、数名の【同志】がいきり立つ。
「なぜだ!」
「我々は…」
「あなたたちは、国家錬金術師です。そしてここにいる全員が軍属であり、このたびの北方攻略戦に第一次国家錬金術師編成部隊として投入されます。官位は少佐。間違いないですね」
静かなアレクの口調に、しかしいきり立つものたちは言葉の真意を読み解けない。
「そうだ!」
「では」
アレクは背筋を伸ばし、立ち上がっている数人の、しかし威勢のいい男たちをにらみつける。
「私はアレクサンドライト・ミュラー。中佐の官位を受け、国家錬金術師編成部隊第2中隊の中隊長を務める者。あなたたちにとっては直属の上司です。先ほどあなたたちに資料を渡したのは、第3中隊中隊長のエドワード・エルリック中佐」
「そのぐらいはわかっている!」
「おい、若いの。いい加減にせんか」
ようやく。
【イシュヴァール組】が顔を向ける。
中の一人が、ゆらりと立ち上がり言った。
「若いの。中佐が何が言いたいのか、まだわからんのか。お前たちに選択権なんてないんだよ。思い上がるな。俺たちは一介の国家錬金術師で、ただの軍人だ」
「何を言う!」
「…まだ、わかっちゃいないか。お前さん、軍人が上官に逆らったらどうなるか、分からないのかよ?」
分からないはずがない。
アメストリスは軍国主義国家。
上下関係が鉄の結束で結びついてこその軍なのだ。
「中佐さんよ。さっきの金髪の姉ちゃんと、うちらのトップの准将と中佐さんは、俺たちの資格与奪権持ってるんだろ?」
先ほどとは違う声に、アレクはうなずく。
「軍人である以上、それぞれが国家錬金術師として相応しくないと我々が判断した場合にのみ、行使します」
思わず息を呑んだのはいきり立っていた【同志】たちだった。
「それって…」
「国家錬金術師資格剥奪の可能性、ありってことだ。いやなら、ちっと黙っててくれないか。うるさくて昔話もできやしない」
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