北方攻略戦 4






最初は、単なる言い争いだったのだ。
比較的多い人数で結成された第28師団だったが、既に10人近くの脱落者が生まれたことで、個々の国家錬金術師の負担は大きくなる一方で。
不満は、戦闘【慣れ】しているはずのイシュヴァール組から生まれた。
何よりイシュヴァール組からしてみれば、イシュヴァールとの大きな違いが気に入らなかった。
イシュヴァールでは、殺し、壊し、全てを無に帰せばそれでよかった。
だがブリックスでは、殺さず、破壊せず、ただドラクマ兵士の拘束だけが命令だった。
全てを殲滅してしまうのとは、違う繊細な技術が求められることを、国家錬金術師たちはブリックスに着いてから初めて知らされたのだ。
思うようにならない、錬金術。
だが、ドラクマ軍は容赦なく自分たちを襲う。
不満は、蓄積された。
やがて、第28師団の国家錬金術師には大きく3つのグループが生まれる。
一つは、イシュヴァールを経験し、殲滅には慣れているが、現在の戦闘方法に不満があるものたち。
一つは、大なり小なり戦闘に参加したことがあり、軍人として普段は活躍しているために、准将の戦闘方法に特に不満を感じないものたち。
そして最後のグループは、戦闘に参加したことがなく、錬金術のコントロールに悩むものたち。
ぶつかったのはいわゆるイシュヴァール組と、軍人組だった。
イシュヴァール組は、不満を軍人組をからかうことで解消しようとしたのだ。
軍人組は、誹られることには慣れている。
どんなに貶されようと、軍律を犯すことはしてはならないことを骨の髄までしみこんでいるからだ。
その挑発も、ここ何日も続いていたようだ。
おそらくタゴットはその挑発が既に臨界点に来ていることに気付いて、アレクに知らせてきたのだ。
アレクはルーベンス少佐の話を聞きながら、臍を噛む思いだった。
防げたかもしれない。
ドラクマ中央の情勢を気にかけていたばかりに、自分が見逃した。
だがそれを口にすることはない。
鋼鉄の軍律を、上官である自分が後悔と情で崩すわけにはいかないから。
結局のところ、挑発し続けたイシュヴァール組が先に手を挙げたことはわかった。
怒りに肩を揺らしながら、ルーベンス少佐は言う。
「許されないことだとはわかっております。しかし、我々自身のことを侮辱されるのは構いません、しかし、上官を侮辱されるのは耐えられません!」
「さっきから聞いてれば、自分たちが被害者みたいな言いようだなぁ」
隅に立っていた壮年の男がゆらりと身体を動かす。
「敵にはよわっちぃくせに、味方にはずいぶんと強く出たもんじゃないかよ。お前が一番張り切って俺を殴ってたんだろ? 止めに入った奴を押しのけてさ」
「なんだと!」
「なあ、中佐さんよ」
物憂げに男はアレクを見つめて言う。
「俺たちはここで錬金術の強化合宿するために来てるんじゃねえぞ。戦争に来てるんだろうが。いつまでちんたらちんたら索敵なんてやらされてるんだよ」
「……」
「頼りにならない仲間に、頼りにならない上司。正直、ここは演習場かい? やっぱり、女に囲まれてるだけの上司じゃ、話にならないね」
アレクの目がすっと細くなる。
「……作戦は続行します」
「作戦? 凧あげて、敵が来たら普通の兵士に索敵させるのが作戦かい? みみっちい作戦なんてしてないで、敵の懐飛び込んで、殺しまくってしまえば早く帰れるじゃないかよ」
確か、玄翁の錬金術師という異名の男は、静かなアレクをせせら笑う。
「まったく、これだからガキの考えることはガキだってことじゃねえか」
「貴様!」
「少佐」
静かに。
低く静かに、アレクは玄翁の錬金術師に飛びかかろうとするルーベンス少佐を止める。
「どうせ、准将を私とエルリック中佐で操っているとか、そんな低次元な視線で見ることしか出来ない低能な話でしょう。関わるだけ、少佐位が汚れます」
「…中佐」
さすがにきつい言葉だったようで、玄翁の錬金術師は眉を顰める。
「おい、何様のつもりだ」
「玄翁の錬金術師とか言ったか」
明らかに、今までと明らかに違う口調に、息巻いている玄翁の錬金術師以外はアレクの雰囲気の違いを察して互いの顔を見合わせる。
「なんだ?」
「軍属である以上、軍律に照らし合わせ、これに触れる場合は処罰の対象となる」
ようやく。
ようやく玄翁の錬金術師は、自分が大きな過ちを犯したことに気付き、弁解しようとするが重々しいアレクの声が勝る。
「軍規違反、侮辱罪で中央に強制送還。ここでの言動を判断するに、国家錬金術師資格を持つに相応しくない精神状態にあると判断し、精神鑑定を再び合格できるまでは、国家錬金術師資格を停止、精神鑑定を不合格とされた場合は、国家錬金術師資格剥奪とする」
「な、え、あの…」
狼狽える玄翁の錬金術師の周りだけ、静かだった。アレクが声をあげる。
「憲兵!」
医務所の前にいた憲兵が何事かと飛び込んでくる。アレクが状況を説明すると、憲兵は茫然自失の玄翁の錬金術師を引きずるように連れ去った。
「さて、ルーベンス少佐。あなたも軍律を犯しているのは分かってるね?」
アレクの静かな言葉に、ルーベンス少佐はうなだれる。
「処罰は…受けます」
「しかし、侮辱罪を咎めたことから始まっているようなので、今回は2日の謹慎とする。おとなしくテントにいなさい。ほかの…」
うなだれている8人をアレクは見回して、ようやくゆったりと微笑んで、
「あなたたちも2日の謹慎。軍規違反よ。少し反省なさい」



「やっぱり」
アレクの第一声に、エドが抗議する。
「だってここんとこ、お前しか出てないじゃん。時々は俺も出たいからさ」
「そういう問題じゃなくて」
アレクが溜息をつく。
「だって、こういう時こそ焔と空気変成が一緒になった方がいいでしょ?」
「まあ、そうだけどさ」
アレクの第一声の意味は違う所にあったのだが、エドはあることに気付いた。
「あれ? そういえば、最近俺ばっかりでアレクと准将の組み合わせ、あんまり見ないな」
「それは仕方ないわよ」
アレクはひらひらと左手をふってみせて、
「准将が出てる時、あたしがここで准将代理をしてないと、事務が滞るでしょ?」
「…それは准将がいてもあんま、かわんないけどな」
「ま、確かにそうね。それはおいといても、准将は戦闘格闘が出来るし、それはエドも同じでしょ?」
エドとアルに錬金術を教えた人物は、同時に格闘術も教えた。おかげでエドはそのあたりの【ぼんくら】兵士くらいだったら、簡単に倒せるだろう。だが、アレクには錬金術と、配給されている銃しかない。
「そういう理由かなぁ」
「じゃないかな」
准将の簡易机に山積みされた書類を、一つ一つ分類しながらアレクはエドを見る。
「悩むな、少女。最後の任務だと思うから、しっかりやってきなさい」
「う〜〜ん……」



【目標】は、檻に入った。
准将の言葉を、エドは思い返す。
『鋼の。これは、一か八か賭けだ。上手くいかない可能性だってある。だが…一つ間違えば、ドラクマは侵攻の手をゆるめないだろう』
『……そんな難しいのか』
『ああ。だが、待っていては逆に危険が伴う。そういう…任務だ』
准将が説明したのは、補給部隊が作り始めているだろう、前線基地の破壊任務。
アレクは残るが、それ以外の第28師団のほとんどが出撃する。
そしてそのほとんどが、
『まさか、2個中隊を陽動作戦に使うっていうのか!』
准将の作戦に、エドは真っ向から反対する。
『無茶苦茶だ! もし2個中隊の作戦が成功しなかったら、3個中隊全滅だろう!』
『ああ、そうなるだろうな』
穏やかに応えるが、エドは准将を睨みつける。
『てめえ』
『だがこの作戦が一番有効であることは、よくわかってもらえたと思うが』
エドは反対したものの、結局准将の作戦に乗らざるを得ず。
『やってみるさ!』
怒りを准将ではなく、自分の言葉に埋めて、エドは吐き捨てるように言う。
『甘いと言われても、俺は仲間を見捨てられない。見捨てるくらいなら…死んだ方がいいとか思っちゃう人間だって、准将、知ってるだろう?』
『ああ、知っている。それが…鋼のいいところでもある。だが、自分を犠牲にしようなんて思うな。自分を犠牲にして誰かを護っても、それがその人間の心の傷になることだってあるんだからな』
あまりにも実感のこもった言葉にエドは溜息で応えることしか出来ず。



エドはふと思い出す。
『鋼の。何が起こるかわからないので、かならず銃携帯を忘れないようにな』
さきほど准将に言われたばかりだった。だが、銃の手入れをほとんどしたことのないエドは、自分のテントにしまったままの拳銃を取り出す。ホルダーを腰にまいてみるものの、自分には似合っているとは実感できない。なにより手入れをどうすべきか分からず、アレクのテントに来ていた。
何かに集中しているエドは、周りのことが見えない。
食事も取らず、睡眠も取らず、路を歩く時は見知った街でも迷いこみ、行き先を聞いて回る羽目になる。
しかし分かっていながら、頭の中で作戦のシミュレーションをしていたために、アレクのテントまで入り込み、パーテーションを回り込んで、エドは顔を上げる。
アレクのテントには何度も入ったことがある。
衝立のパーテーションを抜けるとまっすぐ奥に准将の代理に仕事をするための簡易の机と椅子がある。
アレクはその机に向かっていて、エドに背中を向けていた。
しまった。
声もかけずに、テントに入り込んでしまったことにすぐに気付いたエドは声をあげようとする。
すぐに脳裏に、弟の憤慨した声が響いた。
『もう姉さんったら、そんなとこまで男になっちゃいけないんじゃないの』
だが。
アルの声をかき消す光景に、エドは思わず動いた。
「アレク!」



アレクは、先ほど聞かされた准将の作戦に、少しだけいらだっていた。
自分が作戦に参加しないのは分かる。
准将がエドを参加することを選んだことも分かる。
だが、分かっていても、その深奥にあるはずの【理由】と照らしあわせてみれば、納得がいかず。
心の中の苛立ちを抑えることが出来なくて。
たまっている事務仕事を済ませてしまおうと、机に向かっている最中に。
「アレク!」
突然、背後から腕を捕まれた。
一瞬何が起こったのか分からなかったが、すぐにエドのせっぱ詰まった口調と言葉に、何とか理解する。
「おい、怪我してるんだったらちゃんと治療しろよ! そんな無理しなくたって」
背筋にじわりと冷や汗が浮く。
その感覚を、出来るだけ感じないようにアレクはゆっくりと言った。
「エド〜」
「なんだよ!」
「あのね、これは子どもの頃の怪我。さわって?」
エドが驚いたのも無理はない、とアレクは思う。
タンクトップ一枚だったアレクの背中には、昔の傷跡が拡がっている。火傷でもあるので、部分によってはひきつれたり、本来の白い肌ではなく、血管のせいか異様に赤みを帯びた肌が、背中から二の腕にかけて拡がっているのだ。一見したところ、治療されていない火傷のようにも見えるので、初めてみる人間は一様に驚く。それがイヤで、というより他にも理由はあるのだが、アレクは普段は軍服を脱がないのだが偶然脱いでいた最中にエドが入ってきたのだ。
間が悪い、てこういうことだね。
アレクは内心で溜息をつきながら、おそるおそる傷跡に手を触れるエドを見遣る。
微かに傷跡に触れたエドは、すぐに顰めていた眉を朗らかに解く。
「違うんだ」
「これは子どもの頃の怪我だからね。時々季節の変わり目には痛むこともあるけどね」
エドが手を離したのを確認して、アレクは手近にあった軍服を羽織る。
「あんまり見せられるような傷跡じゃないから、普段は軍服で隠してるんだけどね」
「ごめん」
触れてはいけない傷だと、理解したのかエドが項垂れる。アレクはエドの頭を軽く二度ほど叩いて、
「うん、気にしない。言ってなかったあたしにも責任、ありだからね」
そう言いつつも、背中を冷や汗が伝うのを感じる。
足も微かに震えている。
アレクは意識して話題を変えた。
「で? なんか用事だったの?」
「あ、そうだ」
エドはホルダーごとアレクに拳銃を差し出した。
「拳銃なんてほとんど使わないからしまいっぱなしで…でも持ってこいって准将が言うから…手入れしてくれない?」
「エド、銃の手入れなんて、入隊の時散々やったじゃない」
「どうせ…」
エドはぷいとあらぬ方向を見つめて呟いた。
「どうせ、俺は」
「ああ、もういじけないでいいから。やってあげるけど、ちゃんと自分で出来るようになりなさいよ?」
にっかりと笑うエドからアレクは拳銃を受け取り、手早く拳銃を分解し始める。
エドはテントの中からもう一客椅子を探してきて、机越しに座って。
「なあ、アレク」
「ん?」
「どうして、そんな怪我したんだ?」
来た。
アレクは自分の手と口が震えないように、内心で祈りながら口を開いた。
「あんまり覚えてないんだけどね」
「そんな子どもの頃の話?」
「3歳か、4歳だったかな?」
エドはふ〜んと相づちを打って。
「ずいぶんひどくしたんだな。そんなに跡が残るなんて」
「あんまり広いから、昔から半袖で外には出られなかったからね」
「ああ、そういえばアレクの格好って、軍服しかイメージないなぁ」
私服を何度も見ているはずなのだが、エドの記憶には青の軍服を着込む凛としたアレクの姿しか記憶にないようだ。
「エド、この拳銃…しまいっぱなしだったでしょ?」
「え?」
アレクはじっとエドを見つめて。
「こんな癖、普通つかないからね。しまいっぱなしで、手入れしてないと…こうなる」
「…まあ、拳銃なんて使うことないから。武器を錬成した方が早いもん」
「あのねぇ…仮にも配給された拳銃でしょ? どうするのよ、提出させられた時こんなんじゃ、査定にだって響くに決まってるでしょ?」
エドは目を丸くする。
「なんだよ、こんなのも査定の対象?」
アレクは椅子から立ち上がり、何かごそごそしていたが、
「やっぱりあった。これを交換しておけば、今回ぐらいは保つでしょ…はい」
分解する時と同じく、手早く組み上げて。
アレクはエドに拳銃を渡しながら言う。
「だって、軍属の国家錬金術師と違って、軍人の国家錬金術師は研究に時間を割けないでしょ。だから、査定の対象はそういうことも入るのよ」
うんざりとした表情で拳銃を受け取り、腰のホルダーに差し込むとエドは深い溜息をつく。
「軍人になっても、軍属のままでも、査定はついて回るか…」
「とはいっても、戦闘参加中は査定は免除になるから、今回の第28師団に参加している国家錬金術師は今年は間違いなく免除でしょうね」
「マジ?」
「まぢです」
にんまりと笑って、エドはアレクに礼を言い、テントから出て行った。



エドを笑顔で見送って。
アレクは一気に脱力する。
出ないで欲しいと願っていた手の震えは、今頃になってアレクの両手を襲っていて。
背中には冷たい汗が流れていた。
アレクはそのまま、座り込む。
両手に力を入れても、震えは収まらない。
アレクはゆっくりと深呼吸を繰り返す。
かつて、優しい『兄たち』が教えてくれた方法。
『アレク、いいか。ゆっくりと、細く、長く、息を吸うんだ。出来るか?』
『おっしゃ、俺が背中撫でてやるからな。誰も…お前を傷つけたりしないから。安心しろ』
ようやく震えが収まり始めて、アレクは白くなるほど握りしめていた手を解いた。
頬を伝う一筋の涙が、床にこぼれ落ちるのも気にせず、アレクは呟いた。
「マース…ロイ…あたしって、いつになったら母さんから離れられるんだろうね…」
答えは、『兄たち』から与えられるものではなく。
自分の中にあるのだと、アレクは理解している。
だけど、今はここにいない『兄たち』に問いかけてしまう。
『フローライト・ミュラー』の呪縛の檻から、自分がいつか抜け出せるのか。
それが、いつになるのか。
それは答えを知っているはずの、アレクですら分からない。



准将のテントの前で、アレクは身嗜みを整えて、先ほどの『発作』の形跡が残っていないか確認して、声をかける。
「ミュラーです。入ってよろしいでしょうか?」
「入れ」
促されて入ると、准将は銃の手入れに余念がなかった。その様子は、さきほどのアレクよりやはり手際の良いのは、軍隊歴の長いせいだろうか。見つめたまま、黙ってしまったアレクに、准将は振り返り。
「どうかしたか?」
「いえ。書類にサインを。第28師団の、裁量権を私が代理として拝命します」
「ああ、その書類がないと思ったんだ。双域のが持っていたのか」
促され准将が所定の場所にサインをするのを見ながら、アレクが言う。
「准将が銃の手入れをするのを初めて見ました」
「ん? 私はよくしているよ…錬金術が使えない時もあるからな」
「雨の日とか?」
雨の日=無能と呼ばれた記憶が蘇るのか、准将は眉を顰めて、
「爆発物が近くにあるときとかかな」
「そういう時は銃もダメでしょ」
書類をアレクに渡しながら、准将は瞬間恨めしそうな表情を浮かべるが、すぐに
「何かあったのか?」
「え? 何もないですよ?」
こういう所は昔から聡い。
「ないのか?」
「ええ。ないんです」
その奇妙なまでの断言が、触れないで欲しいという、アレクの言外の言葉であることにも、すぐに気付く。
「…ならいい」
弾倉を装填して、准将は腰のホルダーに銃をしまう。
そして立ち上がった准将は首を竦めて、
「これで何かあったら、双域のが後を引き受けてくれるから、安心だな」
冗談交じりの言葉に、しかしアレクは目を細めて。
「…なぜ、エドを選んだの?」
「ん?」
相変わらず穏やかな笑顔のまま、准将はアレクを見つめる。
「なんだって?」
「なぜ、エドを選んだの?」
「なぜ、と言われても」
アレクは書類を握りしめながら言う。
「軍隊格闘が出来る、破壊力の高い錬金術を使える、いろいろ理由をつけてもダメ。この師団に、あなたが参加していること自体がおかしいんだよ、ロイ」
「……」
穏やかな視線を受けたまま、アレクは続ける。
「エドの出征は、アルくんの代わり。
じゃああなたの出征は、エドを護りたいから出征したんじゃないの?」
「……護る、か……あれがそんなタマじゃないってことを、アレクはよくわかっていると思っていたが?」
穏やかに、アレクの名前を呼ぶ。
「答えは簡単、なのよ。でも……あたしは、ロイが分からない。あたしなら…エドとあたしを入れ替える」
エドのことを、愛しているなら。
護りたいなら。
アレクの言葉に、准将は静かに聞き入っていたけれど。
やがてゆっくりと歩を進め。
立ち尽くし、悲しい視線を自分に向けるアレクの前まで来て。
ゆっくりと、アレクの身体を抱き寄せる。
エドほどではなくても、アレクの身体は准将の胸にすっぽりと納まってしまって。
准将の声が、頭上から降ってくる。
「…アレク。マースと、グレイシアと、エリシアを頼む」
「ロイ?」
「私が何かあったら、マースがあのままなら…あの一家には身内がいなくなる…お前だけが、唯一の」
「やめて!」
アレクは准将の腕の中でもがく。
「突然、何を言い出すのよ。そんなことを聞きたいために、話したんじゃない!」
「アレク。ここで私が死ぬことはない」
静かな口調に、アレクはもがくのを忘れた。
「……ロイ」
「約束しただろう? 上に行くまでは、私は、死なないと」
「……ロイ」
ロイは静かに離れ、うつむいているアレクの顔を覗き込む。
「アレク」
「……停戦命令が出たら、すぐに知らせる」
「ああ」



「ホントに、うまく行くんでしょうか?」
2日間の謹慎を申しつけられたものの、師団総出の出兵に引っ張り出されたルーベンス少佐が見たものは、ブリックス山脈の地図を広げ、眉を顰めたまま動かない、アレクの姿だった。
作戦は、同僚に聞いた。
正直、うまく行くとはどうしても思えなかった。
「…准将は、行くと信じている。でも」
でも。
アレクは疑問符をつけざるをえない。
すべては、准将の、エドの手にかかっている。



夜明け前。
前線基地への強襲作戦は、うまくいけば終わっている時間だった。
軽やかな音が一度して、アレクは素早く受話器をあげる。
「はい」
低い返事で、アレクは一度周囲を見回した。
緊張した面持ちでこちらを見つめている中隊の面々。
「……わかりました。准将に伝えます」
受話器を置いた瞬間、アレクは指示を矢継ぎ早に出す。
「准将に連絡、停戦命令発令。敵にも周知するように拡声器を使う」



だが。
その頃。
ブリックス山脈の麓。
黄金の少女は、双黒の男を抱きしめながら、叫んでいた。
男の名前を。
救いとなるであろう、アレクの名前を。
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