螺旋調和 1






「…なんだよ、これ」
低い、不機嫌な声にロイ・マスタングは書物から顔を上げた。
声と同じく、不機嫌の極みと書いたような表情で、エドワード・エルリックは『優雅な午後の一時』を過ごしているロイ・マスタングを睨みつけて。
「なんだ、と言われても?」
「なんで准将…じゃなくて少将が、コーヒー飲みながら、アレクの別荘にいるんだよ」
「鋼の。何を怒っているんだ?」
「怒ってない!」



遡ること、3日。
『もう落ち着いたでしょ?』
電話の向こうでにこやかに話すのは、戦友であるアレクサンドライト・ミュラー大佐。
北方攻略戦でエドと共に戦い、2人揃って大佐に昇進した。
ちなみに、国家錬金術師でもあり、異名は『双域』、空気変成と医療錬成の2つの領域を得意とする故の名前なのだが。
「まあ、落ち着いたと言えば落ち着いたけどさ」
小さな溜息を隠さず、エドは受話器を手に、周りを見回した。
『けど?』
「…何年か前まで、こっちに座ることなんてまずなかったからさぁ」
『ああ、そういうことか』
受話器の向こうで苦笑するアレクに、しかしエドはムキになって、
「変な意味じゃないぞ、変な意味じゃ」
声を張り上げる上官を、下士官達はできるだけ見ないようにしながら、だがやはり気になる様子で視界の隅っこでチラリチラリと覗いているのが分かった。
『はいはい。そういえば、昔は少将にマース…ヒューズ大佐がよく電話してたねぇ〜。今はあたしがアレクの電話の相手か』
「…まったく」
苦笑してみせて。
エドは机の隅に並べられた何枚かの写真立てを見つめる。
アルとの写真。
カーティス夫妻との写真。
その中に、ブリックス要塞で撮った写真がある。
穏やかに微笑みながらマスタング准将が腰掛けているすぐ後ろで、同じく穏やかに微笑んでいるアレク。
その横で少しぎこちない微笑みで、エドが立っている。
写真を撮ろうと言い出したのは、アレクだった。
その場にいた准将も引っ張り出して、アメストリス中央新聞の従軍カメラマンに、頼み込んで撮ってもらったのだ。
ブリックスから帰還した時、カメラマンに渡された。
少将も、アレクも同じものをもらっていた。



「時間が変わって、してる人がかわっても、やってることは結局一緒ってことかな?」
アレクも机の隅に並べられた写真立てを見つめながら言う。
エドと同じようにアレクも思い出の写真を持ち込んでいる。だがエドが見ていた写真は写真立ての後ろにあって、アレクが見つめていたのは一番前の写真だった。
幼いアレク。
士官学校の制服を着て晴れやかな表情のロイ・マスタングと、マース・ヒューズに囲まれている今にも泣き出しそうな表情の写真だ。
17歳と18歳で士官学校に入ったロイとマース。
今でも覚えている。
まだ6歳か7歳だった。
『いやあ、ロイとマースと行く〜』
珍しくアレクサンドラが駄々をこねているなと、祖父が苦笑したが、アレクは自分の『兄弟』がいなくなることに耐えられなかったのだ。
『ま、そういうことだな…そっちは、ホークアイ大尉が見張ってるんだろ?』
「少将なら、見張られながら仕事するんだろうけど。あたしは計画的に仕事してますから」
『ほぉ』
下士官の一人、ジャン・ハボックがくわえタバコのまま、呟く声が聞こえる。
「なるほどねぇ…そりゃ少将に伝えておかないと」
アレクはハボックを睨みつけながら、しかしエドに言う。
「落ち着いたら、休みを取ればいいよ。とれる内にとっとかないと、上からぶつぶつぶつぶつ言われるよ」
『まあ、そうだな…ああ、わかった。すぐ行く』
電話の向こうで、誰かの声がして、エドがため息混じりに言った。
エドが言った。
『わりい。これから軍議なんだ』
「ああ、ごめん。いってらっしゃい。そうそう。休みとれるんだったら、ウォルフェンブルグに行くといいよ」
アレクの言葉に、エドはすぐに脳裏に東方の地図を思い描きながら答えた。
『ウォルフェンブルグ? リゼンブールよりイースト・シティ寄りだな。あそこ、なんかあるのか?』
「うん。うちの別荘代わりの城があるけど、昔、あたしの父親が研究に使ってて。すごい数の錬金術の研究書があるから、見てもいいよって」
『ホント?』
今頃受話器の向こうで、目をきらきらさせているだろうエドを思い返して、アレクはほくそ笑んだ。
「うん。いつでもいってらっしゃい」



錬金術ヲタクと、幼なじみに呼ばれるエドがアレクの思惑通り、【すごい数の錬金術の研究書】見たさに何とかもぎ取った1週間の休みを過ごそうと、ミュラー家の別荘に訪れてみれば。
先客がいて。
通された、図書室の蔵書のすごさより、思わずエドが口にしたのは。
「なんだよ。これ」



「なんだよ〜〜、アレク。やるな」
「だって、そうでもしないと」
中央司令部の一角。
アレクサンドライト・ミュラー大佐の執務室として与えられた部屋で、和気藹々とお茶の時間を楽しんでいた一同に、アレクはある意味爆弾を落としてみせて。
昨日からエドが行ってるウォルフェンブルグの別荘ね。先週から、ロイも行ってるんだ。
マース・ヒューズ大佐はケタケタと笑って、ぐっと握りしめた拳をアレクに差し出し、アレクもそれに拳を軽く打ち当ててにっかりと笑う。
半年間もの意識不明を脱出したヒューズ大佐は、最近はリハビリも進み、日常生活に差し支えがないほど回復しているが、それでも軍務は激務なので、週に2度、アレクの元で少しの時間だけ軍務に携わるようになっていた。
最近頻発していたテロ事件も、少しだけ鳴りを顰め。
仕事をきっちりこなすアレクによって、かつて決裁書類のたまり場と陰口をたたかれたマスタング少将の執務室は、ヒューズ大佐が持ち込んだヒューズ夫人特製のアップルパイをいただく時間まで生み出して。
「ここにいたって、ロイが慎重なのが気持ち悪いのよ」
とんでもない爆弾発言に、ハボック中尉とブレダ中尉は口にしていたアップルパイを喉につまらせそうになる。
「確かになぁ。まあ、14歳も年下じゃあなぁ」
「年令のことかな?」
ヒューズの答えにアレクは首を傾げるが、げほげほと涙を流しながら苦しむ2人は完全に無視している。
「違うのか?」
「…あたしの読み違いかな…絶対、絶対! ブリックスで、それもあたしが帰ったあとに何かあったと思うんだけど」
アレクは腕を組んで、わざとらしく悩んでみせる。



少年にしか見えない青年は、迷いながら中央軍司令部の正面入り口に立った。
一つ、深呼吸をして。
歩哨に声をかけた。
「あの…すみません」
「ん?」
歩哨の伍長は、声をかけてきた青年のなりを頭の先からつま先までじっくり見て。
「すまないが、一般の陳情受付はもう終わってしまったんだ。だから明日、朝」
「いえ、違います」
まっすぐに見つめる青年の目に、伍長は眉を顰めて。
「違う? 陳情じゃないのかい?」
「はい。えっと…軍にロイ・マスタング准将っていますよね。あの…お会いしたいんですけど」



アップルパイにはこんなうっすいコーヒーより、フォションのアールグレイよね。
上司の鶴の一声で、ホークアイ大尉とハボック中尉が買出し隊に選ばれた。
「なんか…長閑っすね…」
「そうね。テロが少なくなったこともあるけれど、やはり大佐がちゃきちゃき仕事を進めてくれるのが一番の理由でしょうね」
彼らの本来の上司は、暇さえあれば寝る、逃げる、さぼる。
ホークアイが銃の安全装置をはずせば、それなりに仕事はこなすし、やる気があれば『ちゃきちゃき』するのだけれど。
「いかんせん、本性がぐうたらだからね…」
「うわ、大尉。むちゃくちゃ不敬罪にひっかかりますよ」
同僚の口をふさぐつもりで、ハボックのくわえタバコをとりあげて。
ホークアイはしばらくそれを見つめてから。
「火、点いてないわね」
「そりゃそうっすよ。だって」
女性の前では吸わないって、決めてますから。まして、大尉の前ではね。
にやりと笑う同僚に、苦笑で返して。
「…別に、気にしなくてもいいわよ」
「おや、いいんですかい?」
「…どうせ、ずっと禁煙させるわけにはいけないでしょう? 少しは…私も我慢しないといけないわね」
意味深な会話を交わしながら、二人は正面入り口を通る。
入り口脇の詰め所が賑やかな気がしたが陳情の一般人だろうと、二人は気にも留めず、歩哨が敬礼するのに返す。
だが。
何かがホークアイの足を止めた。
数歩進んで、ホークアイがついてこないことに気づいたハボックが振り返る。
「大尉?」
「…何かしら?」
ホークアイは歩哨に何かを聞いて。あわてた様子で詰め所に駆け寄る。
「大尉?」
お〜い、と長閑に呼びかけながらハボックも早足でそれにつきあった。
決して広いとはいえない詰め所の中では、歩哨が数人。真ん中に置かれたイスに、黒髪が見えた。
「どういうこと?」
「われわれもわからないんです」
歩哨の一人が大尉と話をしている。
ホークアイの顔色が変わっているのを見て、ハボックはようやく何かがあったことに気づいた。
「大尉?」
ホークアイは左手でハボックの問いかけを遮って、
「彼と話せます?」
「はい。どうぞ」
肩の徽章から見るに、ホークアイと話していたのは、歩哨の小隊長だったようで、一声「おい」とかけると、小さな頭を囲んでいた歩哨の輪が崩れた。ホークアイは無言のまま、その輪の中に入っていく。
何かあったのはわかったけれど、何か緊迫した、命に関することではないと、軍人の性かハボックは理解していた。だからこそタバコをくわえて、火をつける。
その場所でも、ホークアイの声は届いていたから。
「こんにちは」
大尉が声をかけると、俯いていた頭が顔をあげた。
黒い髪、浅碧の双眸。
年齢は確かではないが、まだ10代かあるいは20代前半のように見えた。
「…こんにちは」
「リザ・ホークアイ大尉です」
「…ランドルフ・バレンタインです…」
消え入りそうな声。
だがその端々に、面影を見て。ホークアイは確信にいたる。
「マスタング少将は今、中央にはいらっしゃらないの。でも、とても近しい人がいらっしゃるから…その人に会うのはかまわないかしら?」
「はい…」



自分がはき出したタバコの煙がぷかりと浮かぶ様子を見上げていたハボックは、いつの間にかすぐ脇に立つ青年に気づかなかった。
「誰だろ…誰かに似てますよね?」
「うわ! なんだ、アルフォンスか…」
萎縮してしまった心臓を、軽く叩いて刺激を与えながらハボックが言う。
「お前、幽霊のように現れるの、やめろよ?」
「そんなつもりないんですけどね」
もう身についてしまった習慣だった。
巨躯の鎧に魂をつなぎとめられていたせいだろう。
鎧を動かすには、どうしても擦れ合う金属音がする。姉エドワードは何も言わなかったが、それは人によっては不快感を持たせることがある。アルフォンスはそれに気づいてから、できるだけ金属音を立てないように動くようにしていた。もともと、武術のたしなみがあったから、そんなに難しいことではなくて。生身の肉体に戻ってからも、魂にしみこんだ所作はなかなか消すことができないのだ。
「なんかあったんですか?」
「あ? さあ、大尉が見つけたんだけどな…それよりアルフォンス。最近は研究所ばっかりで司令部にはぜんぜん寄り付かないじゃないかよ」
アルフォンスは、姉と似ているのに姉よりも遥かに穏やかな苦笑で、
「研究が忙しくって。でも、アレクには週に1回は顔見せに来いって脅されていたんで、報告書出すついでに来たんですけど」
研究に没頭してしまうと、周囲どころか自分のことにもかまわなくなるのは姉も弟も同じのようで。
さすがは、差配上手と呼ばれるミュラー大佐、というべきか。
「あ! わかった」
アルフォンスがふむふむと納得した表情を浮かべる。
「何がだよ」
「あの人、ほら、大尉が話してる人ですよ。誰かに似てると思ったら、少将に似てますよ。目元とかそっくりじゃないですか」
ハボックは思わず言われるまま、大尉に何かを訴えている青年を見つめた。
確かに。
黒髪は、アメストリスでは珍しい。
同じ黒髪。
涼しげな目元。
「…まさかな」
「まさかですけど…」
ハボックとアルフォンスは顔を見合わせて、小さくつぶやいた。
同じせりふを。
「隠し子、とか…」



くしゅん。
少将は、鼻に手をやる。
仁王立ちで機嫌の悪そうな声をあげていたエドは、不意に我に返った。
「…風邪?」
「いや、風邪じゃないが…」
「おい、少将! あんたは医者か! 今、肺炎なんかおこしたら大変なんだろ」
「そう言われてはいるが」
確か中央の軍病院で、軍医が言っていた。
少将の肺胞細胞は再生されて、まだ普通の環境に順応できているとは言い難いから、免疫力が低い。風邪だからと安心してはいけない、と。
エドは慌てて周りを見回して手近なソファを見つけて少将の手を引いて、引っ張っていく。
「はい、座って。確かさっき連れてきてくれた…」
「ハイマンのことかい?」
ハイマンとはアレクから別荘の管理を任されている執事のハイマン・オークマンのことである。さっき、エドを図書室に案内したのもそうだろう。
「医者呼んでもらわないと!」
あわてて。エドが図書室の入り口に向かって振り返ろうとすると。
しかし、素早く少将の手がエドの右手を掴む。
「鋼の」
「少将、医者を」
「いいんだ。ただの…噂話だろう。アレクあたりじゃないのか?」
「そんなの」
わかんないじゃないかとエドは続けたかったけれど、エドの身体は少将の手によってソファに倒れ込み、その言葉は少将の胸に当たって、こもったせいで誰にも聞こえなかった。
「ちょ、少将」
「大丈夫だよ、誰も来ないから」
少将の静かな声が耳からだけではなく、胸から胸へ伝わって、エドは思わず苦笑する。
「なんで来ないってわかるんだよ」
「それは、誰も来るなって言ってあるから」
「…まったく」



2ヶ月ぶりの、再会だった。
北方侵攻終了後、マスタング准将、エルリック中佐、ミュラー中佐の3名はその功績を称えられ、1階級昇進となった。
昇進に伴って、エドワード・エルリック大佐は、東方司令部に司令官として栄転。
同じくミュラー大佐も中央司令部において、国家錬金術師機関の長となったのだが、マスタング少将にあっては北方戦での負傷甚だしく、まずは治療に専念するように、と軍令において半年間の傷病休暇が認められた。そのため、マスタング少将が受け持っていた仕事の数々は、それでなくても滞り気味だったのだが、これ以上の業務停止は許されないために、少将が軍務復帰までの間、ミュラー大佐が業務代行をしている。
これらの軍令を拝命するために、国家錬金術師機関統括、およびマスタング少将の軍務代行という激務をこなすために、アレクは早く中央に戻らなくてはならず。アレクはさっさと北方司令部を引き揚げたが、少将は2週間ほどあとで付き添いのエドと一緒に中央に引き揚げ、そのまま軍病院に入院となった。
軍病院では3週間ほど入院を余儀なくされ、日常生活自体には差し支えなし、と退院を許可された。
「心配なら連絡してくればいいではないか。アレクに聞いたっていいだろう?」
その直後、エドは東方司令部に旅だったので、少将がどうしているのか、心配ではあったのだが。
「アレクとは電話はするけど、会ってない……だってさ。なんか心配だからって連絡するの、なんかイヤだし」
「そんなものかね?」
少将はエドの細い黄金の髪を触って、手触りを楽しんでいる。
「病人ってさ…なるのもイヤだけど、見るのもイヤなんだよ」
ぷいと背中を向けるその仕草にかわいさを感じて、少将は思わず苦笑する。
「さっきおもいきり、私を病人扱いしなかったかね?」
「それはそれ、これはこれ!」
顔を赤くしてエドが言うが、すぐに心配そうな顔になって、
「でもさぁ、やっぱり医者に診てもらった方がよくないか?」
「む? ああ。大丈夫だ。ここには医師も住んでいて、毎日診察を受けている」
「はい?」
「だから、ここはアレクの別荘だと言っただろう? ここに住んでいる医師がね、ここで開業しているんだよ。だから、毎日診察を受けている。今日ももう診察を受けたあとだ」
「マジかよ…」
ようやく自信満々に医師に診せる必要がない、と言った少将の真意を理解する。
「まったく、それならそうと言えよ」
「いや、君が言わせてくれなかったんだろう? エド」
少将が異名ではなく名前を呼ぶ時は、からかっている時だとここ何ヶ月かの『2人の関係』でエドも理解している。
会話が堂々巡りになってきて、エドは話をそらそうと、少将の手を振り払って立ち上がる。
「しかし、すごい本の数だな〜! さすがアレクのオヤジさんだよ」
「ああ。ミュラー家が豊かだった分、ヴァースタイン氏は機関から受け取っていた研究費をすべて蔵書に回していたようだからな。だが、鋼の。生体錬成と金属構成についての研究書は全くないんだよ」
「え?」
意外な話に、エドは慌てて振り返り、両手を広げてみせる。
「だって、こんなに本があるんだぜ? それもざっと見、研究テーマが何? っていうくらい、バラバラだったんだぜ?」
「そうだね。お陰で私の興味を惹く研究書も山ほどあって、時間つぶしにはなっているけれど」
「…興味がなかったってこと?」
「違うな」
少将は笑顔で言う。
「ここの生体錬成がらみの本は、すべてアレクが東方司令部に持ち込んだからだよ。金属構成についても同じだ。だから…東方司令部には、すごい数の研究書があっただろう?」
確かに。
エドは思い出す。
『賢者の石』を求めて旅立つ直前。
当時大佐だった少将が言った。
『生体錬成に関する研究書を知り合いに頼んで、集めさせた。参考になるかもしれんが…読むかね?』
その半端ない情報量に、国家錬金術師になったばかりのエルリック姉弟はその量と難解な用語に頭を抱えながら読んだものだったが…。とはいえ、おかげで基礎を学べたといってもよいかもしれない。
「あれ…ここの?」
「そうだよ。アレクに頼むと、生体錬成と金属構成が少しでもからんでいる蔵書をすべて東方司令部に送りつけてきてね」
懐かしそうに少将はあたりを見回した。
「それでなくても、ここの資料には何度もお世話になった…イシュヴァールから帰ってからしばらくは、ここから出られなかったな…」
「え?」
自嘲を浮かべながら少将は、ソファに深く座りこみ、中空を見つめる。
「人間を殺してしまうと、償いをしたくなるもののようだね。私は…人体錬成をしようとはしたが、行えなかった。理論が組み立てられなかったんだ。ここでその理論の再検討、再構築を何度となくやったんだよ」
少将の昏い過去を連想して、エドは唇をかみしめる。
だが次にあたりを見回した少将の顔には暗い影は微塵も見えず。
「さて…確か、この辺に…」
3階たての図書室の2階に少将は上がり、数冊の本を抱えて降りてきた。
「鋼のが好きそうな研究書だ。気に入らなければ他のを探せばいい。休暇で来たんだろう?」
「あ、うん」
「何日だね?」
「1週間…でも、最後の日にリゼンブールに行くってウィンリィに電話したから」
少将は笑顔で応えた。
「そうか。じゃあ、一緒にいられるな」



がさごそ。
かつては少将の執務机であり、いや、今でもそうでアレクが借りているだけなのだが、アレクはがさごそと机の抽斗を漁っている。
「…何してるんでしょうか……」
「さあな」
「捜索、でしょうか?」
「ああ、旦那の浮気現場を押さえる奥さん…には見えないか」
我関せずで、コーヒーを飲んでいるヒューズ。
ブレダ、ファルマン、フュリーが顔を寄せ合ってぼそぼそと囁いているのを知ってか知らずか、アレクは抽斗の中から目的のものを見つけ出す。
そして左手にはめてみる。
左手にはめたものが何なのか、一同はすぐに気付いて腰を浮かせる。
「た、た、大佐?」
「あの…まさかと思いますけど、パッチンなんてしない…ですよね」
「緊急時に備えて窓を開けた方がいいかと」
「ん?」
白い手袋。
手の甲には赤い錬成陣が描かれ、その中に焔の象徴であるサラマンダが描かれていることで、焔を起こす錬成陣であり、マスタング少将の発火布であることにその場の誰もが気付いていた。
もちろん、はめているアレクも。
だがアレク以外は知っていた。
かつて金色の髪、金色の瞳を持つ男装の少女が冗談半分で発火布を摩擦して、練兵場を一つ完全破壊したことを。
偶然、近くにいた少将が錬成陣なしで空気中の二酸化炭素濃度を高くしたことで、無人の練兵場が爆発するだけですんだのだが。
「あの、あの、あの〜」
「大佐、その手袋は…」
周りは危険物だと理解しているが、もちろんアレクもその手袋が何であるのか、理解している。けれども本人だけが危険物だと理解していない子どものような扱いに、アレクはむっとする。
「何!」
「いや、だから」
発火しやすい成分は決して簡単な錬成での変成変更できるものではなく、最高の国家錬金術師と呼ばれたエドワード・エルリックですら、失敗したのだ。そのことにアレクとヒューズ以外の全員が恐怖を感じていて。
そろり、そろり。
後ずさる一行を睨みつけて。
だが、次の瞬間。
「大変っす! 大佐」
飛び込んできたハボックに雰囲気が一変する。
「大変なん…ってなんかあったんすか?」
ハボックはくわえタバコのまま、執務室の一画に集まっている3人を不思議そうに見る。
そして次の瞬間、誰もがとめる間もなく、アレクは手袋をはめた左手で指を鳴らした。
パチン。
「あ」
「あ゛             
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