螺旋調和 2
一瞬光った、錬成光。
そして、静電気の赤い光の先にあったのは。
「あちゃ!」
ハボックは自分のくわえていたタバコが燃えだしたのに気付き、タバコを慌てて放り出す。
「ハボック中尉〜、少なくとも少将が帰って来るまでは喫煙は廊下でしなさいって言ったわよ?」
「あ」
「まったく、それが言いたくてロイの発火布を出したのか?」
「ん? そうだよ」
ようやく、全員が思い出した。
かつて、双域の錬金術師と焔の錬金術師が交わした会話を。
『昔、空気変成のコツを教えたのは、あたしだったよね?』
『ああ、酸素濃度のコントロールの錬成式のヒントをくれたのは、確かに双域だったな』
ただそれを理解させるために、少将の発火布まで引っ張り出したのか。
一同は呆気に取られるが、廊下におかれた灰皿にハボックが慌てて火の点いたタバコを持って行く様子を見遣りながら入ってきたアルフォンスをアレクは笑顔で迎える。
「アルくん」
「今の、なんですか?」
「ん? 少数派への謂われある迫害」
「よ、アル」
今や完全に自宅状態で寛いでしまったヒューズがヒラヒラと手を振る。
「ヒューズ大佐。お体はどうですか?」
「ああ、おかげさまでな」
「グレイシアさんとエリシアちゃんは?」
「おぉ、元気だぞ〜エリシアちゃんは今日」
「ごめんなさい、大佐。その前に」
ヒューズの『娘自慢』を直前に封殺できるのは、世の中広しといえどもアルフォンス・エルリックだけなのは、誰もが知っていて。写真を出そうと懐に手を入れたまま固まってしまったヒューズをそのままに、アルフォンスは少将の手袋を外して、抽斗にしまっているアレクに呼びかける。
「アレク」
「ん?」
「多分、大尉が連れてくると思うんだけど。さっき正面入り口で男の子がいてね」
「男の子?」
ようやく顔を上げたアレクに、アルフォンスは続ける。
「その子、すっごく…少将に似てたんだ」
「少将?」
「マスタング少将に。その…女性の話が多かったから…少尉は隠し子じゃないかって」
「か」
「隠し子!」
ヒューズに続いて一同も思わず固まってしまう。その中でアレクだけが冷静に、
「なんでそう思ったのかしら?」
「えっと、黒い髪だったからかな…」
ようやく帰ってきたハボックも言う。
「何より、目! 目がそっくりなんですよ」
アルフォンスとハボックが身振り手振りで説明するが、要領を得ない。アレクが首を傾げていると、ホークアイが入ってきた。
アレクは溜息混じりに、
「大尉が少将の隠し子を連れて来るって話になってるけど?」
「やっぱり中尉が報告に来ましたか…でも100%嘘の話ではありませんね」
険しい表情のホークアイが言う。
「マスタング少将に、エレノア・ハーミッシュの遺品を届けたい、とのことです」
アレクは眉を顰め、ほかの人間とは違う理由で固まっていたヒューズが慌てて立ち上がる。
「なんだって!」
「…みんな、残念ながらその子は、隠し子じゃないみたい。あとでちゃんと教えてあげるから、席を外してくれる? 大尉、その子を連れて来て」
「いいんですか?」
「よくはないけど、会わないわけにはいかない…でしょ?」
アレクの言葉のとおりで。
ヒューズ以外誰もいなくなって、アレクは深い溜息をつく。ヒューズは重厚なつくりの机に腰を下ろし、
「まさか、今頃になってその名前を聞くとはな」
「…ロイがいなかったのは良かったのか、悪かったのか…よくわかんないなぁ」
「だけどな、アレク。行方が分かったのはいいことじゃないか。あいつが上を目指すなら…『エレノア・ハーミッシュ』はおそらく避けて通れない」
ヒューズの言葉に、アレクは頷く。
アレクも、ヒューズも『エレノア・ハーミッシュ』に会ったことはない。話だけだ。だが、話によると頗る美人であったという。多くの男が思わず、振り返ってしまうほどの。
「ねえ、マース」
「おぉ?」
「その『エレノア・ハーミッシュ』さんが今頃なんのご用かな?」
「そういや、そうだな。ま、分かるだろ。金…だったら、俺が工面してやるよ」
「よろしくね」
そのとき。
ノックと同時に、扉が開いた。
青年と呼ぶには幾分童顔な男性はあたりを見回し、所在なさげにそわそわとしている。
その様子は、アルの言ったようになんだか不穏というより、懐かしさすら感じさせて。
「ま、座れや」
「あ、すみません」
ヒューズ大佐に促されて、青年は席に着いた。
「お名前は?」
「あ、ランドルフ・バレンタインと言います…あの」
落ち着かない少年の瞳を見つめてアレクが言う。
「お母様が、エレノア・ハーミッシュ?」
「そう、です」
アレクは小さく溜息をついて、
「私はアレクサンドライト・ミュラー大佐。こちらが」
「マース・ヒューズ大佐だ。よろしくな」
「よろしくお願いします…」
戸惑っている。
だが、確かにアルフォンスが言うように、顔の端々に『ロイ・マスタング』の面影が見える。
いや、正確には『エレノア・ハーミッシュ』の面影なのだが。
アレクは穏やかに言った。
「あなた…本当にお母様にそっくりね。ロイより似ているかも」
同意を求められたヒューズも小さく頷いて、
「そうだな。ロイよりも、ずっ〜と美人だな」
緊張していたのだろう。少年はうつむいていたが、その言葉に顔を上げた。
「母を…ご存じですか?」
「いいえ」
「俺たちはロイに写真を見せられたことがあるんだよ。これが自分の母親だって。そのときの写真に、お前さん、よく似てるんだよ」
それは、ロイと両親が写っている最後の写真だった。
3歳のロイを抱き上げている、母のエレノア。
その背後に立っている、父のロナルド。
何のことはない、ただの家族写真なのだが、ロイはそれを処分したがっていた。
たった一枚残った、過去じゃないかい。いつかお前さんが見せたいと思う人が現れるまで、大事にとっておきなさい。
アレクの祖父に諫められて、渋々保存していた。
ロイ・マスタングは、ロナルド・マスタングとエレノア・ハーミッシュの間に生まれた。
3歳になったロイを母エレノアは置き去りにして、失踪したのだ。
エレノアの美しさと奔放さに起因しているのだろう、噂は流れた。
男と駆け落ちした、と吹聴する者もいた。
だが父は黙して語らず、ロイが12歳の時、馬車にひかれて死んだ。
そして、引き取りをいやがる親戚をたらい回しにされた後。
他人と同義なほど縁遠いレオナイト・ミュラーが、ロイを引き取ったのだ。
差し出された小さな箱に収められたものを覗き込んでいたアレクは、同じく覗いていたヒューズを促して、箱を閉じた。
そして言う。
「時間は、ありませんか?」
「え? はい、ありますけど…」
「チケットはこちらで手配します。マスタング少将に直接届けてやってください。そして…話をしてやってもらえませんか」
「え?」
「おい、アレク」
アレクは穏やかに微笑んで、
「大丈夫。今はね。だって、エドがロイの横にいる」
「だが…」
渋るヒューズを、アレクは説得する。
「いつかは乗り越えなくてはいけないんでしょ? 早いほうがいい、ましてエドが側にいてくれるんだったら」
「…そうだな」
アレクはランドルフに言う。
「今日はホテルを手配します。明日の朝、向かってください。場所は、東部のウォルフェンブルグです」
「わかりました。行きます」
短く強く応えた口調とその強い意志を秘めた双眸は。
確かに、あの焔の少将と同じだった。
アレクは小さく頷いて。
「よろしくお願いしますね」
つぶやくように、言った。
手配は俺に任せろ。
ヒューズが張り切って執務室を出て行って。
アレクは一人きりの執務室で深いため息をつく。
わかっていた、はずだった。
母。
それはロイの、マスタング少将の母親の話で、アレクの母親の話ではない。
だが一度、連想してしまうと、それだけでだめだった。
身体の悲鳴が、聞こえる。
組んでいた手指が、小刻みに震え始めるのがわかった。
幼いころ、マースとロイが教えてくれたように深呼吸を繰り返す。
「大丈夫、大丈夫…」
呪文のように唱えてみる。
背中を冷や汗が伝うのがわかる。
耳鳴りが、する。
聞こえる。
いるはずのない、既に亡い母の声、が。
『お前のせいよ!』
そのとき。
扉をノックする音に、アレクは必死の思いで声を整えて返事する。
「どうぞ」
「失礼します」
入ってきたのは、アルフォンスだった。いつものような穏やかな表情が、アレクを見て少しだけ曇る。
「大佐?」
「ん、大丈夫。何か、あった?」
「あ、これ報告書です。期限は明日でしたけど、早くできたので」
「…ありがと」
差し出された書類を受け取ることはできたけれど、だが手に力が入らない。受け取ったはずの書類はアレクの前ではらはらと舞い落ちた。
「大佐!」
「ああ、ごめん。あとで拾うから」
鍵をかけておけばよかった。
誰にも、入るなとマースに頼んでおけばよかった。
でも、聡いマースならそれだけで『発作』だと気づいてしまう。
マースだけには、『発作』を知られたくなかった。
新しい『家族』を持ったマースには、もう迷いなく、新しい家族に愛情を注いでほしかったから。
なのに。
身体は、言うことを聞かない。
『発作』の時、わずかな人間以外触られたくないのに。
幼いころは、『発作』を起こすたびに抱きしめたり、背中を撫でたりされると、それだけで『発作』の症状が重くなった。
そんな時に症状を緩和させることができたのは、祖父と、ロイとマース、そして数人だった。
「大丈夫だから…誰も呼ばないで…精神的なもので体のどこかが、悪いわけじゃないの……」
それから、
ワタシニサワラナイデ。
そう言おうとした瞬間だった。
アレクの身体がふわりと浮いた。
そしてソファに運ばれる。
ようやく、アレクは自分がアルフォンスによって運ばれていることに気づいた。アレクは慌てて、
「ちょっ、アルくん」
だがアルの答えは予想とは違っていた。
「あ、鍵しておきます」
執務室の鍵をかけて。
アルフォンスはソファに座らせたアレクの前にひざまづく。
「どうです?」
深呼吸を続けながら、アレクはゆっくりという。
「もう…ちょっとかな」
「わかりました」
アルフォンスはうつむき加減のアレクの前に身体を割り込ませ、アレクの背中に手を回して、つぶやくように言った。
「すみません。これがいいと思うから」
「アルくん…」
「深呼吸、続けてください。でももう少し、ゆっくり。過呼吸気味ですから。体勢辛かったら言ってください」
抵抗する気力もないので、アレクは深呼吸を続ける。そのリズムに合わせて、アルフォンスはアレクの背中を軽く宥めるように、ポンポンとたたく。
「大丈夫ですから…」
「おい、聞いてるのか?」
『ああ、聞こえている…』
低い声が、少将の動揺を示しているようで、ヒューズは仕方ないと感じながら、深くため息をつく。
「とにかく明日の朝にはこっちを出るから、夜には着くと思うけど。追い返すようなことをするなよ」
『しない。だが…違う理由で来るんだったら、話は別だが』
「違う理由?」
『金銭的問題だ』
ヒューズはもう一度ため息をついて。
「アレクは、そういう人間じゃないって言ってたぞ。まあ、端々でお前に似てるから余計、そう思えたかもしれんが」
『そうか。じゃあ、アレクの目を信用しよう。それはそうと、アレクは大丈夫なのか?』
少将の言葉の意味を理解しかねて、ヒューズは首をかしげる。
「んあ? 大丈夫って?」
『…おい、マース。あいつも同席して話を聞いていたんだろう? 母親の話、だろうが』
怒りを含んだ口調に、マースはしかしその事実と、そのことに思い至らなかった自分に衝撃を受ける。
「参ったな…」
『アレクのことだ。どうせお前に心配かけたくなくて、何も言わなかったんじゃないのか?』
「あ゛あ゛〜、ロイ、お前はもういいな?」
受話器越しに親友であり、兄弟である、男は苦笑を返して、
『ああ。大丈夫だ』
「お前さんにはエドがついてるから、絶対大丈夫ってアレクが言ってたけど、そうみたいだな。じゃ、俺はアレクを確認してくる」
答えを聞かずに受話器を置いて。
走り出そうと足を出したが、やはりいまだ回復していないのだろう、身体が言うことを利かない。
「まったく…」
自分の身体に悪態をついて。
ヒューズはゆっくりとアレクの執務室に向かった。
ちょうど執務室の扉をゆっくりと閉めている、アルを見つけた。
アルもすぐに、ヒューズに気づいて。
「アレクなら、眠ってます」
その言葉は、おそらくは何か異変があったことを示していて。
ヒューズは慌てて、しかしゆっくりと執務室の扉を開けた。こっそり覗き込むと、ソファで自分のコートを羽織って眠っている様子のアレクが見えた。ヒューズは開けたときよりもゆっくりと扉を閉めて。
「…大丈夫…じゃなかったか」
「大丈夫でしたよ。少し痙攣してたので、背中をポンポンって」
手がジェスチャーするがその動きにヒューズはひっかかりを感じ、細い目を一層細めて、
「おい、それって…」
アルフォンスは首をかしげる。
「なんですか?」
「おい、アル。おまえ、うちのアレクをハグハグしたなぁ」
「はぐはぐ?」
「抱っこしただろ!」
びしっと指差されて、アルフォンスは考える。
最初、椅子からソファまで移動するのにお姫様だっこ。
次、落ち着くまで抱きしめて背中を叩いていた。
どっちが『はぐはぐ』なのだろう?
「その間はなんだよ、思い当たる節があるってことじゃねえかよ」
涙目になりながら、ヒューズはアルフォンスの胸倉をつかむ。
「うちの、うちのアレクを傷物にしやがって」
「ちょ、ヒューズ大佐! 傷物って、あれくらいで」
「いいや、これは責任問題だ。第一、あれくらいとは何だ、あれくらいって」
「って、そういう問題なんですか〜」
「そういう問題にする!」
「大佐〜」
そのとき。
がちゃりと執務室の扉が開き、見たことのないような表情でアレクが顔を出し、低い声で言った。
「うるさい」
「あ、ごめんなさい」
だが、ヒューズは止まらない。アルフォンスの胸倉をつかんだまま、
「おい、アレク。兄ちゃんがお前を傷物にした、こいつを処分してやるからな。それで勘弁してくれや」
「ちょっと、大佐!」
「いいや、アレクの名誉のために、ここで死んでくれ」
「…死ぬのはマースだよ」
聞いたことのないほどの低い声でアレクはつぶやき、腰のホルスターに手を伸ばし、手馴れた様子で安全装置を外す。
「マース」
さすがに安全装置を外され、銃口を向けられてはマースももちろんアルフォンスも両手を挙げる。
「はい…」
「うるさいって言ったろ」
「はい、聞きました…」
「静かに、してください」
にこおりと、ドスの利いた微笑みを残して執務室の扉は閉じる。
二人は心底の安堵のため息をついて。
廊下に座り込んだ。
そして、マースがひそひそと話し出す。
「久しぶりに見たぞ、あいつの寝ぼけ…やっぱり、怖えよ」
「え、あれ、寝ぼけなんですか?」
「…本人は覚えてないんだよ。それに…発作のあとに出やすい」
ヒューズの真剣な顔に、アルフォンスも真顔になる。
「ここでは話も出来ないから…ちょっとつきあえ」
「はい」
予想以上の、広さだった。
「ひゃ〜〜〜〜」
「鋼の。奇妙な声は止めたまえ。グスタフが驚いているではないか」
エドの奇声に目を丸くしていたのは、エドと同じ馬に乗っているグスタフ・オークマン。今年10歳になったばかりではあるが、初心者のエドよりも遙かに馬の扱いには慣れているので、後ろにエドを乗せて、もう一頭に少将が乗り、散歩を兼ねた『別荘散策』と成っていた。
「でも、ロイおじさん。普通の人の反応だと思うよ、お姉ちゃんの反応って」
「そうかい?」
「うん。僕たちはここに住んでるから、実感ないんだけどね」
2頭の馬と、3人がいるのは、ウォルフェンブルグ全域を見渡せる小高い丘の上。幼いグスタフが、
『ほら、線路が見えるでしょ? それよりこっち側から、あの山の手前までがアレク様の土地なんだって』
あっさりと告げられたそれは、恐らくはリゼンブールの村一つは軽く収まるほどの広さで。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
呆気に取られている背後の女性を、グスタフは心配そうに顔だけで振り返る。エドはぼんやり応えた。
「大丈夫じゃない…」
「ここの地名、ウォルフェンブルグは元々あの別荘の名前だったそうだ。とはいっても50年前にレオ爺が買うまでは荒れ放題の幽霊が出るって噂のところだったらしい」
ミュラー家の別荘は、どうやら曰く付きのようで。何より誰もが別荘と呼ぶけれど、その外観といい、規模といい、そこは間違いなく城の様相で眼下に鎮座しているのだ。
「ま、レオ爺が直すまではウォルフェンブルグ自体、村として存続できないほどの少数しか住んでいなかったと聞いているから、ミュラー家が入ってきて、村はありがたいんだろうな」
ぽくぽく。
ゆったりと歩を進めながら、馬たちはのんびりと丘を下り始めた。
丘へ登る途中、村人に何度か行き会った。村人は最初にグスタフに気付き、すぐに少将に気付いて、
『アレク様の兄上様じゃろ? すっかり大きくなられたのぉ』
兄ではないのだが、村の誰もがアレクの兄だと思いこんでいることに、エドは思い出し、苦笑する。それを少将は見逃さない。
「なんだね、鋼の」
「いや? アレクの兄上様って」
それを聞いて、少将も苦笑する。
「仕方ないだろう。私が14歳の時、レオ爺に引き取られた。そのときアレクは5歳…だったかな? 兄妹にしか見えないだろう?」
「さっきから気になってるんだけど、レオ爺って?」
少将は、分かり切ったことを聞く、と嫌みな表情を浮かべて、
「レオナイト・ミュラー。アレクの祖父だ。普通、話の続きで分かるものではないか? 鋼の、想像力を働かせたまえ」
「あ〜、失礼しましたね」
べっと舌を出して反抗するエドの前で、グスタフが声をあげる。
「あ、父さんだ」
指差す方向を見れば。
疾駆してくる馬の姿があり、それを駆るのは先日エドを出迎え、図書室に導いたハイマン・オークマンだった。
3人の前で馬の手綱を引き、馬を急停止させて少将に言う。
「村の者に丘に登っていったと聞いたので」
「ハイマン、何かあったのか?」
予想がつかない事態が起こった時の、一瞬にして切り替わる少将の、鋭い視線にハイマンは一瞬だけたじろいだが、
「中央からお電話が。マース様からです」
「マースから?」
首を傾げる少将は、振り返りグスタフに言う。
「グスタフ、鋼のを頼めるかね?」
「うん。大丈夫」
「待てよ、少将。俺も」
「いや、先に電話だ。だから、慌てなくてもいい。慌ててもできることはないから」
言外に足手まといだと告げられた気がして、エドは少しだけ表情を変える。少将はそれに気付いたが、あえて追求せずに、
「グスタフ。そのあたりを回ってこいって言っても、後ろのご婦人は文句を言うだろうから。安全にゆっくり帰ってきてくれるか?」
「はい」
グスタフ少年が力強く頷くのを見て、少将はハイマンに言う。
「城に戻る。伝言はなかったのだな?」
「私用回線で、とのことでした」
「分かった」
2人の駆る馬はあっという間に、姿を小さくして。
エドは小さく溜息をつくが、グスタフ少年は聞き逃さなかった。
そして、
「ねえ、エドワードさん…」
「ん? エド、でいいよ?」
「じゃあ、エド。あのさ、エドはロイおじさんの恋人?」
「え?」
グスタフは首だけ振り返り、エドの黄金の瞳を覗き込み、
「あのさ。マースおじさんは、特別な人しかここに連れてこないんだって言って、グレイシアさんを連れてきたんだって。じゃあ、ロイおじさんも、特別な人で、エドを連れてきたの?」
「えっと…」
エドワードは応えに窮する。
ロイがエドを連れてきたのではなく、アレクが招き、ロイとは偶然に会ったのだと言いたいのだがそれをどう表現すればいいのか、分からない。
悩む内にグスタフは言う。
「それにさ。あんなに優しい顔してる、ロイおじさんって見たことないよ?」
「は?」
言われた言葉の意味を理解しかねて、エドワードは思わず聞き返した。
「グスタフ?」
「カリンが、僕の妹が生まれたすぐくらいの時に、ロイおじさんがカリンをだっこしたんだよ。父さんが、大人はみんな子どもを抱いたら優しい優しい顔をするって言ったけど、ロイおじさんはそうじゃなかったよ?」
「…それは小さな赤ん坊を抱くのが怖かっただけじゃないの?」
「そうかな…」
「うん。少将でも、子どもは可愛いって思うよ?」
「うん…」
名前と暗号コードを告げると、中央司令部はすぐに応えた。
『おうよ』
電話に出たのが、ヒューズだとすぐに理解する。
「マースか。何があった」
『おや。エドと逢い引き中なのを邪魔して悪いね』
ヒューズのにやにやしている様子が想像ついて、少将は眉を顰めながら、
「アレクの奴、わかっていたなら知らせてくれればよいものを…」
『おぉ、怖い怖い』
おどけてみせるが、用件を言わないヒューズに少将が先にしびれを切らした。
「なんだ、何かあったのか?」
『あったといえばあった…なかった…とは言えないか』
「なんだ、はっきり言え」
『ロイ』
低い声で告げて。
ヒューズは静かに、そして真剣に言う。
『ランドルフ・バレンタインという名前に、心当たりは?』
ランドルフ・バレンタイン?
口の中だけで数度呟いて、ロイは応えた。
「いや、ない。私的な怨恨ならともかく」
『はは! まあ、それはおいといてだ。ランドルフ・バレンタインが今日、お前を訪ねてやってきた。母の遺品を持ってな』
「母?」
『ああ。母親の名前はエレノア・ハーミッシュだそうだ』
眩暈が、した。
そして、腹の底から何か、どす黒い熱の塊のようなものがわき上がるのを感じた。