比翼連理 12
こんなに、怒っている母親を見るのは、初めてだ。
全身から、怒りのオーラがあふれているように見える。
『パパはね、怒らせたら怖い人が2人いるんだ。イズミ先生と、ママだよ』
テオとレオは小さな身体を一層小さくさせて、小さな小さな消え入りそうな声で、同時に呟いた。
「ごめんなさい……」
「ん?」
振り返った母の顔は、明らかに怒っていて、双子はすくみ上がってまるでオウムのように繰り返す。
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい…」
「お前たちはなんか悪いことしたの?」
「え?」
「ママが怒ってるのは、パパになの」
「ひどいな、こんなけが人に対して。まして、ほとんどはアレクの所為だからね」
病床の父はわざとらしく席をしてみせる。アレクはちらりとアルをにらみつけて。
「信じられない、この場に及んでまだ言う?」
「理論上は完成してたし、一番負担がかかるのは真ん中、今回は僕だったんだから」
「アル……」
アレクは頭を抱える。
救出されたアルに医療錬成を施しながら、アレクはその傷の酷さにアルが何をしたのか、問いただした。
アルの答えは、
錬成者間の錬成エネルギー移動に伴う、錬成方法。
『は?』
『だから…エネルギーを循環させることで錬成するんだったら、違う人間を介入させた状態でも錬成できるってことでしょ』
そっぽを向きながらの夫の説明に、アレクはすぐにその内容を理解して、低い声で問いただす。
『で、拘束されていたから双子を使った……と』
「確かに、双子は不完全ではあるけれど、錬成できるだけの技倆は持っていると思うわよ? だけど、エネルギーの逆流や、リバウンドが起きる可能性は考えなかったの?」
「……考えたけど」
「だから、理論上は完成していても、実験していなかったんでしょ。信じられない、そんな不完全な理論に、よりにもよって息子たちを巻き込むなんて!」
医療錬成を行っている最中に聞かされた話に、アレクは激怒し、錬成を途中で切り上げて双子を連れて、そのまま去ろうとしたのだ。慌てたアルは追いかけようとして…階段を踏み外し、
「自分に非があるって思ったから、あたしを追っかけようとしたんでしょ?」
「はい」
さすがに、アルは項垂れる。
正直、出来るかどうかは分からなかった。
ただ両手には、同じ程度の理解力と技倆であるはずの双子がおり、その錬金方法は自分の息子である以上、酷似するのは間違いなかった。だから、アルはかけてみることにしたのだ。メイとフェルを脱出させるだけの威力は生み出せると信じて。
「……ごめんなさい」
その一言を、聞きたかっただけだ。
アレクは深く息を吐いて、双子を手招きする。
「おいで」
先ほどまでの怒りのオーラは、いつの間にか消えていつもの飄々とした母の姿になっているのを、双子は思わず確認してから、広げられた両手に飛び込んだ。
「まったく、パパはひどいよね」
「……まだ言いますか」
「ね、謝ってもらいなさい」
「いいよ」
「そうはいかないの」
アルは手を伸ばし、自分譲りの淡い黄金の髪を撫でて、穏やかに言った。
「ごめんな」
数週間の入院を要するアルフォンスを軍病院に残して、アレクは双子とともに迎えの車に乗った。
ここ数日の疲れで、身体が重かった。
車窓を見つめていると、遠慮気味にレオが声をかける。
「ママ」
「ん?」
「あのね、あのね……」
重い身体に鞭打って顔を上げると、濃紺の双眸がまっすぐに自分を見つめている。
「どうした?」
「……パパも、ママもすごかったよ」
「え?」
「錬金術、すごかったよ」
そうか。
ようやく思い至った。
別にわざとではない。
でも、これほど大がかりな錬金術を子どもたちの前で見せる機会など、今までなかったから。
アレクはにっかりと微笑んで、レオの頭をくしゃくしゃにする。
「うん、ありがとね」
「僕もパパやママみたいなれんきんじゅつしになりたい」
「僕も」
双子が顔を輝かせるのを見て、アレクは微笑んだ。
そして応える。
「もう少し大きくなって、それでも錬金術が勉強したかったら、パパとママで教えてあげるよ」
「うん!」
マッキンリー大総統がサインした書類を補佐官がゴオ枢弼に渡せば、枢弼が促す場所に皇太子は見慣れる文房具でさらさらと書き綴って。
カメラのフラッシュの中、アメストリスとシンの不可侵条約が締結、調印された。
着心地よりも、その豪華さを全面に出した正装の皇太子は、しかし優雅に大総統に一礼しながら、告げる。
「この度は、大変な迷惑をかけてしましタ」
「いやいや、何かありましたかな? 自分は報告を受けていませんが」
嘯く老人の笑い声を聞きながら、しかしリンは冷静に、
「つきましテハ、アメストリスに贈り物を」
合図に促されて、ゴオ枢弼を筆頭に様々な品物が運び込まれた。ご満悦な大総統を前に、皇太子は再び告げる。
「マタ、個人的にも贈り物をしたいのデスガ…お許しいただけますカ?」
「もちろん、お好きなように」
ヒューズの運転する軍用車から降りてきたメイを見て、少将とエド、そしてアレクは息をのんだ。
「すごいな…」
少将が思わずもらした言葉すら、メイの恰好を表すことはできない。
「これが第一級正装なんデス」
苦笑するメイは、手を添えてくれる侍女に促されて、国家錬金術師機関へ入った。
ホテルでのパーティーでの正装は第2級正装だったとあとで聞かされるのだが、今日の恰好は先日の正装よりも豪奢で、その上身動き出来なさそうなほど、重たい様子だった。だからだろう、メイは用意された部屋で深々と侍女に助けられながら頭を下げる。
「メイ・チャン第三品内親王、リン・ヤオ第二品親王殿下の使いとして参じましタ」
そこまでは三人も聞かされていた。
メイが皇太子の使いとして、国家錬金術師機関に行くから集まるようにと連絡してくれたのはメイの護衛を担当しているヒューズだった。
顔を上げれば、頭上に挿された銀の簪がしゃらしゃらと涼やかな音を立てる。気付けば、その10本の指には見事なまでの透かし彫りの爪入がはめられていた。アレクはそのことに唯一気付いて、表情には出さないけれど、複雑な気分になる。
メイはそうとも知らず、言った。
「皇太子殿下におかれてハ、ロイ・マスタング少将、エドワード・エルリック・マスタング大佐、アレクサンドライト・ミュラー・エルリック大佐に贈り物を御用意されましタ。よろしければお受け取りくだサイ」
侍女が差し出した目録を、少将が受け取る。受け取ったのを見遣って、メイはにっこりと微笑んで言った。
「もう一言、伝言ヲ」
メイは少将とエドをみつめて、
「爪入は持ち帰るのデ、安心して欲しイ、とのことデス」
「あったりまえだ!!」
ちなみに、届けられた【贈り物】を見て、真っ先に価値に気付いたのはアレクだった。
「ちょっと、なによこれ!」
絶叫する手に握られていたのは、最上級の絹。価値が分からないエドにアレクは説明する。
「皇族しか使えない紋章入りの、最高級品じゃない! こんなの…アメストリスで買うとしたらこのぐらいするのよ!?」
アレクから告げられた金額は場合によっては何年か遊んで暮らせる金額で。
エドは一瞬息がつまって。
次の瞬間、沸騰する。
「あいつ、嫌がらせかぁ!」
「それは違うと思うけどね…」
アレクのつっこみは、エドには届かない。
一月も経たぬ間に、中央駅のクセルクセス鉄道専用プラットフォームに、シン国皇都アンティンに向かう列車の中に、特別仕様車があった。
アメストリスのあちこちを視察して回った、シン国皇太子一行の帰国のために、マッキンリー大総統が急遽用意させたものだった。
出迎えの時と同じく、大総統は姿を見せず。
それどころか、迎えの時と違い将軍たちは姿を一切見せず、唯一いたのはマスタング少将くらいだった。
あとは本当に一握りの軍人と、残る者。
「お元気で」
敬礼で別れの挨拶をすると、既に車中の人になったリンは開け放たれた窓際でニヤリと笑った。
「次は、アンティンで会うことになるカナ」
「……ああ、そうですね」
それは次の機会には皇帝と大総統として会うことになる、という言下を、言った方も言われた方も理解していて。
少将はリンの後ろに静かに座っているミーファを見た。
皇太子の視察旅行に、メイはすぐに錬金術学校に通い始めたために随行しなかったが、ミーファ皇女も随行せずにホテルにこもりきりで、調印式のすぐあとに、体調不良を理由に留学をあきらめて帰国させるという通達が皇太子から出されたのだ。だから、いつかホテルで抱きつかれ、涙目で訴えられて以降、数週間ぶりに会う、皇女だった。
少将の視線を気付いて、リンがミーファを呼ぶ。
ミーファは促されるまま少将の前に来て、穏やかに微笑んで一礼する。
「お騒がせしましタ。帰りまス」
その以前とはあまりにも違う様子に、少将は小首をかしげながら、しかしそれを表に出すことなく、そつなく挨拶を交わす。メイが近寄ってきたことに気付いてその場を離れた。
「ミーファ……」
心配そうなメイの声に、ミーファは苦笑しながらシン語で言う。
「大丈夫よ。私にいまさら何かする人間なんていないから。表向き、兄上が処断されただけだから、私が連座で何かを背負うことはないの」
メイは明るく振る舞うミーファの、だがその心中を察して、目が潤む。
「ミーファ」
「あたしの代わりにあなたが泣くのは、おかしな話ね…メイ。だけど、私はまだ泣けないのよ」
傲然と顔を上げる様子は、以前のように誇り高い皇女の横顔が残っていて。
「母を守らなくてはいけないの。そのために、カン族をかき回すことになったとしてもね」
二日の入院で帰ってきたメイに、リンはすべての真実を述べた。
メイはジエンの枢弼師就任を喜び、カン家の没落を泣いた。
それがメイの優しさだったが、ミーファは決してメイの思いに流されなかった。
仕方ない、と選択肢を自分で狭めていたのかもしれない。
だけど、これからは守られる側ではない。
守らなくてはならないのだ。
祖国からもたらされた危急の報は、少女を強くしたのだ。
「メイ」
リンが言う。
「ジエンが枢弼師になった以上…おそらく、お前にも文が来るだろうが、帰国しても構わないのだが」
「いいえ」
メイはきっぱりと告げる。
「私はこの国で、錬金術を学ぶ。もし、シンの民にとって錬金術が必要なものならば、錬金術を持ち帰って人の役に立てたいの」
「そうか…」
メイも、変わった。
アンティンを出発する列車の中から、兄を慕って手を必死に伸ばしていた少女は、この遠国で自分が為すべきことを見つけたのだ。
リンは苦笑する。
変わっていないのは、自分だけかもしれない…。
「リン?」
「いや。ジエンに伝言があれば、聞くが」
「そうね…」
しばらく考えて、メイは応えた。
「里帰りくらいは、許してちょうだいって」
「わかった」
「では、さらばダ」
リンの言葉に、エドは応える。
「もう騒ぎを持ち込むないでくださいよ」
「……どちらが問題児なんだろうナ」
アレクは苦笑しながら聞いている。
少将は少し離れた場所で、聞かぬふりをしている。
リンは穏やかに笑って言う。
だが、その言葉を響き渡った汽笛が覆い隠す。
エドが眉を顰めて聞き返した。
「なに?」
「イヤ、いいのダ」
黄金の鳳凰、見てみたかった。
だが、その言葉を誰も聞き取ることは出来なかった。
列車はゆっくりと走り始めた。
車窓にうつるのは、どこまでも砂漠だった。
落ち葉色の世界を見ていたランファンは、突然リンに声をかけられて慌てる。
「リン様」
「ここ、いいか」
応える前に、リンはランファンの前に座る。
「お前に言っておきたいことがある」
「え?」
「ありがとう、そして……すまない」
深々と頭を下げられて、ランファンは一層慌てた。
「リン様、止めてください!」
足下に座り込んで、無理矢理顔を起こさせようとするが、リンの身体は動かず。
そのまま俯いたまま、言う。
「今までの分と、これからの分だ」
「え……」
意味が分からず座ったまま呆然とするランファンを、次の瞬間、暖かさが包む。
気付けば、ランファンはリンに抱きしめられていて。
ランファンはもうパニックだった。
「リン、さま……人が」
「ここは個室だ」
「でも、あの……」
「お前の気持ちは、知っている」
静かな声に、ランファンは腕から逃れようと暴れていたけれど、ぴたりと動きを止めた。
「………」
「俺を、慕ってくれているのを知っている……ずっと昔から、知っていた」
「………」
ランファンはそれに応える言葉を持っていなかった。
リンは言う。
「だが、俺はお前を利用する」
「………」
「きっと、お前をたくさん傷つける。それでも…俺の側にいるか?」
ランファンは気付いた。
告げるリンの身体が微かに、本当に微かに震えているのを。
ようやく、心の底が落ち着きを取り戻す。
リンの問いかけに、ランファンはようやく答えを探し当てた。
そしてそれを口にする。
「もちろんです」
「……そうか」
「来るな、と言われても」
「……では、なおのこと、お前に感謝と謝罪を」
皇帝を目指せば、自分だけではない、きっとランファンまで傷つけてしまう。
だが、ランファンがリンにとって貴重な手札であり、
失いたくない、かけがえのない存在だった。
だからこそ、まだ言える機会があるうちに。
愛しき者へ、一生分の感謝と謝罪を。
受け入れられなくてもいい。
ただ、告げたかった。
「もったいない、お言葉です…」
自分の背中にそっと回された手が、是を示していた。
6年後の、アメストリス暦1930年。
シン国皇都アンティンで、第13代皇帝徂落。
よって皇太子リン・ヤオ、第14代皇帝として即位。
シン国は最発展の時期、【麟在の治】を迎えることとなる。
end....