比翼連理 11






リンは眼下に広がる、中央の街並みが夕暮れから夕闇に移り変わるのを見つめながら、ランファンの報告を聞いていた。
「…そうか。では、メイは病院だな」
「はい。幸い、肩が外れただけでしたので、病院に行く前に皇女のご要望で自分が処置を行いました」
武術をたしなむ者にすれば、肩が外れることは日常茶飯事。メイは痛みをこらえて叫ぶこともなく、ランファンの処置を受けた。
「少し腫れていましたが、一両日に退院できるでしょう」
「そうか。しかし…」
リンが苦笑を浮かべるのを見て、ランファンは問う。
「何か?」
「いや、ミュラー大佐といったか。考えたものだな、お前を途中で帰すとは。おそらく、戦いになればお前はもっとも有効な戦力であることを、あの大佐は分かっていたのではないか?」
ランファンは頷く。
おそらくそうだろう。
シンの内情に詳しい様子だった銀色の髪の女性は、だがランファンを途中でリンの元に返した。
「内政、干渉…と言いたいのかも知れんな」
「え?」
顔を上げれば、さきほどまで物憂げな表情だったリンは、皇太子の顔に戻っていて。
「もともとアメストリスは軍国主義国家だ。テロが横行していると聞くが…ここ数日、起こった様子はなさそうだな。ということは、カンとテロリストが手を結んでいるならば」
これ以上は内政干渉になる。
だから、ランファンを遠ざけたとリンは言いたいのだ。
だが、本当にそうだろうか?
ありがとう。
あなたがいなかったら、見つけることができなかった。
そう言っていた白銀の髪の女性は穏やかに微笑んでいた。
あれは、母の顔だった。
守るべき者を、守りに行く者の目だった。
ランファンはくいと顔を上げて、リンの顔を見つめて言う。
「それは違うと思います」
「ん?」
「あの、ミュラー大佐は…おそらくはそんな算段で私を帰したのではないと思います」
「……」
漆黒の視線が絡む。
視線を離したのはランファンだった。一礼して、俯いたまま言う。
「差し出た口をお許しください」
「いや…まあ、そういうこともあるかもしれぬな」
母親の、思いか。
知ってはいるが、理解はできない。
かつて、穏やかに微笑みながら母は自分を守って死んでいった。
リンは母の最後の姿を思い出す。
『生きなさい。そして、お前の信じる道を進みなさい』
息絶えた母の身体を抱きしめて、幼いリンは泣いた。
あれから……何年経っただろう。
だが、自分は信じる道を進めているのだろうか。
時折、分からなくなる。
物憂げな表情に戻ってしまったリンの気配を感じて、ランファンは項垂れたまま、指示を待っていた。
しかし、違う気配を感じて顔を上げる。
「どうした?」
「何者かが、参ります」
そのときには、リンの耳にも急な来客を咎める声が聞こえていたが、どうやら来客は咎めも聞かずに押し入ろうとしている様子で、低い声がした。その声でリンは来客が誰か理解する。苦笑しながら、指示を待って顔を上げているランファンに言った。
「マスタング少将だな…通してやれ」
「はい」



「今日は、見ないわね。どこか出かけているの?」
「存じません」
つれない返事だった。それは主君に返す返事ではない。ミーファはそう言おうと思ったけれど、言葉を飲み込んだ。
自分の世界が、すべて覆ったのはアンティンを出発する前日だった。
それまでミーファのわがままを笑って聞いてくれた兄が掌を返したかのように、ミーファの存在そのものを否定した。そして、ミーファに仕える者たちも事態を知って、豹変した。
ミーファは単なる飾りとして、そこにあればいい。
存在は、完全に無視された。
とはいえ、カン族出身の侍従侍女ばかりではないために、徹底した存在否定はカン族出身者だけで行われた。
姿を見ていない侍従は、その存在否定をもっとも率先して行う男だった。
事態が知れるまでは、どちらかといえばミーファに優しく接していたのに。
兄だった男は、ミーファに二つしか選択肢を与えなかった。
何が何でもアンティンに残り、母と共に幽閉されるか。
あるいは、お飾りとしてリンに同行し、リンの暗殺を手助けするか。
ミーファは戦きながら、選んだ。
アメストリスに向かうことは、少しの間でも兄を見ないですむから。それだけの理由だった。
完全に主君であるミーファの存在を無視して、黙々と仕事をする侍女の背中をただ黙然と見つめていたミーファだったが、部屋の外から聞こえた怒声に眉を顰める。
「なあに? 賑やかね」
侍女が部屋の扉を開けて、何事かと覗き込んだ瞬間、飛び込む影2つ。
「何ですか、無礼であろう…皇太子閣下……」
侍女が金切り声を上げかけて、飛び込んできた影の一つが皇太子であることに気付き、慌てて跪く。
しかしミーファは椅子に座ったまま、小首をかしげる。
「リン。どうかしたの?」
「…ミーファ・カン」
聞いたことのないほどの低い声で、リンは告げる。
「皇帝陛下より全権をゆだねられた者として、ミーファ・カン、並びにミーファ・カンに付き従う侍従・侍女のすべてを拘束、アンティンに送還する」
ミーファは動揺する侍女を横目で見ながら、くすりと笑って。
「容疑は?」
「皇太子暗殺計画の立案、ならびに実行。加えて、アメストリスにおける外交越権行為だ」
「…で、その根拠は?」
侍女は平然と受け答えをするミーファの顔色を伺っている。
リンの言っていることは、正しい。
おそらく間違っていない。
だが、ミーファは傲然と顔を上げて、否定できる。
なぜなら、誰もミーファに真実を告げていないから。
自分は知らない。
だから、否定できる。
そんな自信にあふれた態度に、だがリンは怯まなかった。
「ランファン」
呼びかければ、いつも影のように従うリンの侍女が部屋の入り口から顔を出した。
だが一見楚々とした風情の侍女が引きずってきたのは大の大人で。
ミーファの侍女が引きずられてきた男を見て、思わず名前を呼ぶ。ミーファも瞠目する。
それはほんのさっき、ミーファが今日は姿を見ていないと呟いた、侍従だったから。
「さきほど、マスタング少将が連れてきた。他にも4名。マスタング少将の子息、ミュラー大佐の子息と夫君、それからメイ・チャン皇女を誘拐拉致し、ミュラー大佐に私を暗殺するように脅迫した。これが根拠だ」
誇るわけでもなく。
リンは淡々と説明する。
一瞬言葉を失ったミーファだったが、自分は知らないと言おうとした時。
第3の声に、眩暈すら感じた。
「……ミーファ皇女の、指示です」
「!」
声の主は、無様に床に身体を投げ出す、侍従。
まるで縋るようにリンを見つめて、思わず立ち上がったミーファをちらりと見遣って指さす。
「皇女は、アメストリスにある間に皇太子を排除しなくてはならぬと、それがカンの、家族のためだと」
「なん、ですって」
「リーティン皇子も、そのような暴挙に出てはならぬと、アンティン出立前に言い含められておられたのに、私は…アンティンの家族がどうなってもよいのかと、脅されて……」
リンの細い目が一層細くなったのを、ミーファは気付かない。
立ちつくす。
それなのに、足下が崩れていくような感覚を覚えた。
お飾り。
存在の否定。
なのに、こんな時だけ自分の名前が使われる。
その本当の意味を、ミーファはようやく理解した。
俯くミーファを、侍従の言葉が追いつめる。
「リーティン皇子こそ、よい迷惑です。このような不肖な妹姫を持たれて」
「…もうよい」
「しかし、連座で大変な思いをされるのは」
「もうよいというのが、分からぬか!」
空気がビリビリと揺れた。
激しいリンの恫喝に、侍従は黙る。
「決定は代わらぬ。そなたたちは須く送還となる。処断は皇帝陛下にお任せしよう」
全権を委ねられている以上、ここで処断を下すことは決して越権行為ではない。だが、リンはあえてしなかった。
明らかに対立するヤオ家のリンと、カン家のリーティンの争いを、遠く離れたアメストリスで決着をつけるのはもったいない、と感じたのだ。
そう、決着をつけるなら、皇帝の前。
リンが続ける。
「マスタング少将の好意により、お前たちを拘束することはしない。だが、すぐに準備するのだ。クセルクセス鉄道の特急が明日出発する。それに乗って、早急に」
アンティンに帰れと言う前に、リンはどたばたと廊下を走ってくる足音に気付いた。
ランファンが音もなく立ち上がり、部屋のドアを開けて、のぞき込み言った。
「ゴオ枢弼です」
「?」
姿は見えないけれど、声はする。
「こ、皇太子殿下〜」
哀れを誘うその呼び声に、リンは嘆息しながら応えた。
「なんだ」
「ああ、皇女のところにいらっしゃいましたか。クセルクセス鉄道経由でこのようなものが。皇太子殿下宛てです。差し出したのは…」
ゴオが敬礼しながら差し出したのは、見事な黒塗りの文箱。片手で持てるものを、ゴオ枢弼は恭しく両手で捧げ持って、言った。
「ジエン・チャン皇子と聞いております」
リンは文箱を見つめて。
目を見開き、ゴオの手から文箱をひったくるように受け取り、文箱の表をまじまじと見つめて、呟いた。
「龍鳳印…」



龍鳳印。
それは皇帝、皇太子、そして重鎮である枢弼だけが用いることが出来る、位を表す紋章。
上半に天翔る龍、下半に空翔る鳳。女性が使う場合は鳳凰が雌の凰になる。
皇宮にある者ならば、龍鳳印を見ればその者位を知ることが出来ることを知っている。
ジエンからだと言う文箱の龍鳳印は、3本爪の龍、3枚尾羽の鳳。
皇帝は5本爪の龍、5枚尾羽の鳳。
皇太子であるリンは4本爪の龍、4枚尾羽の鳳。
3本爪の龍、3枚尾羽の鳳が意味する位は、重鎮である枢弼の中でもたった3名しかなれない、枢弼師。
リンがアンティンを出る時、枢弼師はいなかった。
だとしたら、この文箱が意味するところは。
しかしリンは今はそれよりも優先されることを思い出し、文箱を開けて書簡を取り出す。
書簡に書かれた文字は、見慣れた異母弟のもので。忙しなく読んで、周囲を見回して言った。
「……リーティン・カン皇子、謀反の意あり。皇帝陛下におかれては、英断によってリーティン皇子に死を賜られた……」
「え?」
その場にいた誰もが、リンの言葉を疑った。
「む、ほん?」
「メイリン・カン貴妃をカン家に戻され、新たな嬪の入宮を許さぬと……」
あまりの話に、誰もが困惑していた。リンは先へ先へと読み進めながら、周囲を見回す。
だが。
たった一人、奇妙な冷静さを保つ者がいた。
立ちつくしていたミーファは深いため息と共に、椅子に座り直した。
「母様……」
「な、なぜ謀反などということに?」
カン家の声を代表したのは、ゴオ枢弼だった。
リンは書簡を一通り目を通して、
「皇帝陛下に対する暗殺計画を企て、実行したとのことだな。どうやら禁宮にリーティン皇子自ら短刀を持ち込んだようだが」
「そんな!」
侍従の一人が声を上げる。
「あの方は、足がお悪い。自らそのようなことをなさるとは……」
「書簡にはそう書いてある。そのまま別室で皇帝の誰何を受けて、罪を認めた後に自刎を許され、毒をあおったと」
「……………………兄様が、自分で毒を飲むはず、ないわね」
静まりかえった部屋に、ミーファの声が響いた。
そのあまりにも冷酷な言葉に、侍従の一人が声を挙げようとしたけれど、ミーファのにらみに沈黙する。
「真実はどうあれ、きっと自刎も出来ずに、武官の誰かに乞うて…違うわね、おそらくは無理矢理毒杯を飲まされたんでしょうね」
「ミーファさま!」
「莫迦な、兄様」
俯く皇女の膝上には、ポタポタと落ちるものがあって。
ミーファは俯いたまま、呟いた。
「莫迦な、兄様。どうせ、リンがアメストリスにいる間になんとかしようとしたんだろうけど…急ぎ過ぎよ」
憎んでも、いいはずなのに。
ミーファを追いつめて、こんな異国まで追いやったのは、兄だ。
存在を否定し、母を脅しに使った。
なのに、死んだと聞かされて思い出されるのは、花冠を作り、自分の頭に乗せてくれる優しく微笑んでいる兄の顔。
「莫迦な…兄様」
だがミーファの回想もそこまでだった。
リンが言う。
「ミーファ・カン皇女。此度のことで、あなたの皇女位は剥奪、女王位とされた。留学の話も消えた。私が帰る時に、一緒に帰ってもらう」
「ええ…そうね、そうだわ。仕方ないわね」
それは皇帝の温情だと分かる。自分の血を引く娘を、無碍には出来ず。
結局皇女位よりも格段劣る、嬪出身者の子どもではなく、皇位継承権も認められていない皇帝の子どもが与えられる位である。だがそれでも謀反を起こした者の妹にしては、恵まれている。
ミーファは素直に頷く。
それを見て、リンが言った。
「お前はいつも…仕方ない、と言うんだな」
言葉の意味をとらえかねて、泣いた所為で腫れぼったい目をミーファはリンに向ける。
「なに?」
「仕方ない、という言葉を軽々しく使うことはどうかと、思うぞ。私たちは、それぞれの部族の将来を背負っている。加えて、希望も。将来と希望を託されている分、俺たちは望む生活を送ることができるのだ」
「……ええ」
「仕方ない、で道を選ぶな。道を選ぶなら、自分の中の責任で選べ…分かるな」
「ええ」
ミーファは穏やかに頷いた。
その頬には、未だ涙が光っていたけれど。



夕暮れは、夜の闇に変わっていた。



『リン。カン家を追い落とす要素は、いくらでもある』
穏やかに、だがその言葉の意味は穏やかならざる話で。
美貌の皇子は、リンの耳元で囁く。
『メイリン・カン貴妃。あれは偽物だ』
リンが瞠目して、ジエンを見つめる。
ジエンは微笑み返して、
『私の調べではリーティンは本物の子だが、ミーファは偽物の子らしい』
『………』
『他にも、ネタはいくつもある。リン、お前が帰るまでにカン家を追い落としておくよ』
そう言って、ジエン・チャンは微笑んだ。
今思えば、ジエンがリンを皇太子に推すと言い出した時、違和感がわいた。
結局は。
「まったく、うまく利用したものだ」
リンは苦笑しながら、目の前の文箱を撫でた。
枢弼師。
それは望んでなれる官職ではない。
龍鳳印が示すように、枢弼師よりも上位にいるのは、皇帝と皇太子のみ。
そして何より、枢弼師は官職である故に、その国費からの給費も莫大なものとなる。
……おそらくは、チャン族ほどの弱小一族を養えるほどに。
だからこそ、ジエンは皇帝ではなく、枢弼師を目指したのだ。
皇帝となっても、制約は多い。皇帝になったならば、出身部族だけを養うわけにはいかない。
シン一国を背負わなくてはならない。
ジエンはシン一国よりも、チャン族に重きを置いた。
そして、リーティンの謀反を利用して、枢弼師になったのだろう。
結局は。
「ああ、そうだ…結局は俺も、利用されたのかもしれんな」
皇太子の独白は、遠く東の果ての故国までは届かない。



「眠ったのかい?」
少将の言葉に、エドは頷く。
「今日はパパでなくてもよかったみたいだな。あっという間に眠った」
「そうか…」
たった一晩。
一晩離れていただけなのに、もちろん我が子が目に見える成長するはずもないのだが、寝顔を見れば少し、成長したように見えるのは、親ばかだろうか? 少将は思わず愛妻に問う。
「どう、思う?」
「う〜ん…ただ、幸せな子だなって思うけどな」
「幸せな子?」
エドは、少しだけフェルの布団を直してやりながら、
「ちゃんと守ってくれる人がいた。アルもそう、メイもそう」
「そう、だな…」
アレクの判断で、誘拐事件はもみ消され、少将は襲撃犯をリンに引き渡した。
リンも了解した、と応えて襲撃犯を受け入れた以降、どうoゆうことになっているのか細い目の皇太子は教えてくれなかった。
まさか、こんな場所でこんな時に、【外交特権】を使われるのは、正直疲れる。
『襲撃犯を引き渡していただキ、感謝スル。だが、これ以上はシン国内の問題ダ…たとえここがアメストリスダトシモ』
こうなることは予想していた。だから、少将は足早にミーファ皇女の部屋に向かったリンを追わず、そのまま司令部に戻った。
少将はフェルを見つめて、その頬を撫でているエドを背後から抱きしめた。
「ちょっと、ロイ」
「フェリックスは眠ってる」「……誰か」
「いたら、焼く」
低い声に、エドは小さく苦笑して。
「誰もいないんだな」
「ああ」
「ロイ」
背中があますところなく、暖かい。
その仄かな暖かさが、少将がそこに存在して、自分を抱きしめてくれるという証拠で。
エドは笑った。
そして、腰に回された少将の手の上に自分の左手を置いて。
右手は相変わらずフェルの頬を撫でて。
エドは囁くように言った。
「お帰り、フェリックス」



抱きしめる少将は、去り際に呼び止めた皇太子の言葉を思い出していた。
異国の皇子は、許して欲しいと謝罪した。
「夫子があってモ、皇后となるものは今までイタ。皇帝と皇后は嬪や妃とは違イ、肉体的関係がなくても成り立つ関係だからナ」
少将の目が細くなるのを、リンは見つめながら言う。
「ダガ、少将夫人はちゃんと断っタ。それに…比翼連理の欠片を欲しても意味がないとミュラー大佐に諭されたからナ」
「ひよく、れんり?」
聞き慣れない言葉に、少将は首をかしげる。
皇太子は苦笑する。
「知らないのも無理はナイ。比翼連理とはシンの諺デ、切り離すことのできない二つのものを表ス」
雌雄それぞれに片翼がある比翼という伝説の鳥。比翼は雌雄そろってこそ、空を翔けることができる。
寄り添うように生まれた2本の樹木が、互いの枝を絡ませるという伝説の樹木、連理。
シンにあっては、【比翼連理】は仲の良い夫婦を意味する。
だがそれだけではない、引き離すことの出来ないふたつの存在を意味することもある。
アレクは両方の意味を知っていて、皇太子を窘めたのだ。
「……比翼、連理」
「残念ながら、黄金の鳳凰は手に入らないようダナ。だったら」
リンが笑顔のまま、ぐぐいと身を乗り出す。少将はその勢いに思わず後ずさる。
「な、なんですか…」
「少将、シンに来ないカネ」
「は?」
ずずん。
さらりに迫る漆黒の双眸に、少将は言葉を探す。
「えっとですね…」
「枢弼の上、枢弼師は頭を下げるのは皇帝と皇太子だけダ。そんな席を、用意してやってもイイ」
「えっと…」
「いまさら、黄金の鳳凰を求めたりはしないカラ」
「皇太子、閣下…」
「家族そろって移住するならバ、ワタシが責任持って受け入れよウ」
「いいえ」
はっきりと。
先ほどまでの困惑した口調は姿を消して、濃紺の眸は強い意志の焔を宿して。
「自分は、アメストリスで上を目指します」
「上?」
「大総統に、なります」
「……………」
その少し長い沈黙が何を意味したのか。
リンは沈黙のあとで、くすりと笑った。
少将は一気に表情を曇らせる。
「なんですか」
「いや、失礼」
微かな笑みは、こらえきれない笑いになって。
リンが笑えば笑うほど、少将の眉間の皺は深くなり。
「なんなんですか!」
「イヤ、おかしいと思ってナ」
目尻に浮かんだ涙を拭いながら、リンは告げた。
「次代の皇帝と、次代の大総統カ………悪くない、組み合わせだな」
「華はないですけどね」
「確かニ」
二人はニヤリと笑って、どちらともなく手を差し出した。
「また、会オウ。マスタング大総統」
「ええ、皇帝陛下」
強く交わされた握手は、物陰にいたランファンだけが静かに見守っていた。



「もう…皇太子が君を連れて行こうとすることは、ないと思うよ」
「あたりまえだ。次、やったら皇太子だろうがなんだろうが、ぶっ飛ばす」
背中から抱きしめている妻が拳を握りしめるのを肩越しに見て、少将は乾いた笑い声を上げる。
エドは実行する。
間違いなく。
たとえ、相手が皇太子であっても遠慮しない…はずだ。
「大丈夫だから」
「……ロイが言うなら、わかったよ」
握りしめられた拳はゆっくりと解かれる。
少将は安堵のため息をついて、ようやく思い至る。
「そういえば、アルフォンスはどうだったんだ? アレクが医療錬成を施したという話は聞いたけれど…悪いのか?」
「いやあ、それが…アレクの奴、なおしたあとにまたアルのこと、吹っ飛ばしてさぁ……」
「む?」
「今回は、アルが悪いと、俺も思うよ」



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