エア 2
クローン法、というのがある。
つまり、21世紀初めに作られた法律で、動物の細胞を使って、クローン、複製をつくっちゃいけないって、法律。でも、ちょっと曖昧な法律。
細胞を、複製する目的で一定期間、培養するのはダメ。
でも、研究のためなら、許可される。
条件が厳しいけれど、選抜された人の核細胞を使うのは、構わない。
タケナガ教授の核細胞は、選抜試験をパスしたんだ。
「……タケナガ教授に言わせると、最初は純粋に研究に使われていると思っていたそうだ。クローン、あるいは遺伝子操作して受精させるようなことは、クローン法に抵触する恐れがおおありだったからな」
「……ということは」
「ああ。実際は違ってた。タケナガ教授は、真実を知った」
教授の核細胞は、再び起こるかもしれない『大感染』に備えて、遺伝子操作された『人間』を生み出すための、核として使用されていたのだ。
「……artifical immunity regulated project。略して、air。エア・プロジェクト」
「エア?」
聞いたことがある。
『無菌室』の中で、時々先生たちが僕のことを呼んだ。
『エア17』って。
「エア……17」
「ああ。それが、お前の、エア・プロジェクトでの名前さ」
「……エア」
「メグミが、エア18。俺は、エア8だ」
サクライさんが立ち上がり、窓を小さく開けた。少し寒さを肌に与える風が、吹き込んだ。
僕は小さく、身震いをした。
「違法な、研究だったってことだ。エア・プロジェクトは。本来の目的は、『大感染』の時だけじゃなくて、人間の免疫機能はどれほど高められるかってことだったらしい。お前やメグミは、その本流の中でも、優良児だよ。お前の免疫機能は、俺たち普通の人間の、150倍くらいかな」
「……」
サクライさんは苦笑いしながら、
「残念ながら、俺たちはそうはいかなかった。ミカもそうだが、お前たち以外のエア・ベビーは、大した結果が出なかったんだ」
「……エア・ベビー?」
「ああ。俺たちは、タケナガ教授の核を操作された遺伝子を組み込んで、受精させたテスト・ベビー、つまりは母親の子宮から生まれた子供じゃないんだよ。メグミは違う。メグミの時、使われたのは違う人間の核だ」
「……僕は?」
僕の問いかけに、サクライさんは頭を下げた。そして、ゆっくりと顔を上げながら、
「エア7。俺の……双子の兄貴、サクライ・ヒデトシの核だよ」
「……」
免疫機能の、向上。
そうか、僕らは、だから、無菌室で育てられたんだ。
純粋に、純粋に身体の中で、免疫機能を高めるために。
「ノゾム。よく聞くんだ。タケナガ教授を恨むな。あの人は……奥さんを護りたいために、俺たちに核を提供したんだから。それに、ノゾムとメグミ、それだけじゃない、すべてのエア・ベビーに名前を与えたのは、タケナガ教授だ。本来、認められていないエア・ベビーには、戸籍があるはずもないだろう? なのに、教授は俺たちのために、戸籍を用意してくれたんだ」
「……そんなこと!」
「名前がなければ、お前たちはナンバーで呼ばれていた。エア17、エア18って」
「……」
感謝しろ、とは言わない。ただ、許してやれ。
サクライさんの言葉に、僕は頷けなかった。
あんな閉じこめられた世界は、誰によって与えられたのか、毎日毎日考えていた。
恨むって感情すら、知らなかった。
ただ、自分の存在意義はどこにあるんだろう、って思ってた。
そばの部屋に、メグミがいること。
メグミの横にいること。
それが僕の存在意義?
それだけ?
感情が混乱して、どうしようもなかった。
「……それにな、教授は死んだよ」
「え?」
「おれたちに、お前たちのことを知らせたあと、RC社に消された……教授にとっては、それでも本望だろうな。最後のエア17、18、つまりお前たちの居場所をつきとめることだけが、生き甲斐になってたから……結局脅迫されながらも守り続けた奥さんは、去年、亡くなったんだから」
「……もしかして、ぼくらに逃げろと、叫んだのは。それにマサキさんに、僕らのことを教えたのは、サクライさん?」
「ああ。俺は、ヒュノプティスト。つまり、暗示をかけることができる能力者だったんだ。自分たちが逃げ出す時も同じ方法を使った」
「……そっか……」
落ち着いて眠る、メグミを見つめながら、僕は考えこんでいた。
タケナガ教授のこと。
エア・プロジェクトのこと。
そのとき、部屋の外で、微かな声がした。僕は興味をかられて、ドアまでこっそり歩み寄り、耳をすませる。
「声が大きい……ノゾムに聞こえる」
「だって! RC社を告発できる、いい機会よ! ノゾムとメグミという、生き証人だっているんだから!」
「無理だ。二人だけでは」
「充分よ」
「万全な状況だったら、俺だって二人に頭を下げてでも、国際法廷に出て貰う。だが、今の状況で下手をしたら、兄貴の二の舞になるだけだろうが!」
ミカさんと、サクライさんが言い争っている。僕はこっそりドアを微かに開けて、のぞき込んだ。
「ヒデトシのように、消されるって? 大丈夫よ。ディスクロージャーがついている」
「『暴くもの』か……ミカ、この機会だから言っておく。ディスクロージャーのバックは、南悦公社だ。AJCを引きずり下ろすのに、必死なことぐらい」
「それでも!」
「ミカ!」
そのとき、サクライさんと目が合った。
やばい。
思った瞬間、ドアが勢いよく開いて、僕はどうにも気まずい思いをしなくちゃいけなくなった。
「こら、盗み聞きはよくないな」
もっともサクライさんはいつもの苦笑。ミカさんだけが、目をつり上げて、
「聞かれたからには、やっぱり」
「いい加減にしろ」
「メグミの体調不良は、環境が代わったから、それに順応しようと身体が頑張っている証拠なんだよ。だけど、そういうことには、男は強く出来ているからな。お前はなんともない」
「ワクチンを打たれてもそうだったよ」
「……メグミの免疫機能向上率は245倍。お前の上を行く。ノゾムは150倍ってさっき言ったろ」
「……ワクチンが毒になるって、そういうこと」
僕にとっては無意味なワクチンも、もっと免疫機能が高まっているメグミには、毒になるんだ。僕はようやく分かった。僕はおそるおそる、サクライさんに切り出した。
「さっきの……話」
「ああ。ディスクロージャーか。一応、民間組織になってる。AJCの悪事を暴露するための組織さ。兄貴も……ヒデもそこのメンバーだった。で、法廷にエア・プロジェクトを持ち込もうとして、ある夜誰かに殺された。間違いなく……AJCの人間に抹殺されたんだが、証拠がない」
「……」
「ともかく、ディスクロージャーは大きな組織だ。民間だけじゃあそんな組織は運営できない。だから、考えられるのは、バックに企業がついていること。それは、大きなシェアのAJCを引きずり下ろしたい、企業ってことになるな」
「……そっか」
「ノゾム」
サクライさんは、僕の肩をポンと叩いて、
「お前たちは、何もしなくていいんだ。いや、何もさせない。それが、兄貴の遺言でもあるからな」
「え?」
「兄貴が死んだ後、日記を見つけた。自分の核がエア・プロジェクトに極秘裏に使われて、既にエア17として生まれている。自分が父親になったんだって。もし、その子にあえるとしたら、ディスクロージャーのメンバーにはせずに、遠くの島で暮らさせようって。RC社の手の届かないところへ」
「……」
会ったこともない『父親』の言葉に、僕が黙っていると、いきなりサクライさんは僕を抱きしめた。
「サクライ、さん?」
「いいな。メグミが良くなったら、南ユーラシアに向かえ。手配は俺が全部する。心配するな……もう、悲しまなくていいんだからな」
「……サクライさん」
僕は抱きしめられながら、頷いた。
「どこに、行くの?」
「西に向かって、南に行くんだって。青い海と空があるって」
「うん、楽しみだね」
メグミのにこにこした顔の向こうに、雲ばかりの窓がある。
厚くたれ込めた雲の下には、見送ってくれたサクライさんがいるはず。
『俺も、こっちでのカタがついたら、向かう。先にエア・ベビーが何人も暮らして居るんだ。エアの村だ。いいだろう? みんな兄弟なんだから』
『そうなんだ』
『待ってろ。俺も、ミカも行くから』