帰る場所。08




乾ききった空気。
どこに行っても砂の匂いだけはしみついて離れない。
エレノアは、イシュヴァールの記憶を砂の匂いとともに覚えている。
のちにイシュヴァール殲滅戦と呼称される少し前、実験的に医療スタッフとして国家錬金術師が投入された。そのなかに、『至純の錬金術師』エレノア・ランスドル中佐もいた。
ある日。
多くの傷病兵を連れて、既に制圧されたイシュヴァールの街に入り、無人の比較的綺麗な廃屋を選んで、夜を迎えた。
前線本部と連絡を取り、自分たちがそこで一晩を過ごし、朝になったら来るはずの輸送班と遭遇する予定を決めていた。
なのに、夜中に廃屋に現れたのは先発隊だった数名の国家錬金術師であり、その砲火で多くの、否、エレノアを除くすべての傷病兵が殺された。
同胞殺し。
それも、国家錬金術師にはエレノアが知る顔もあり、喩え何があっても殲滅して来いと命じられているのだと、泣きながら息も絶え絶えのエレノアを物陰に押し込み、殺戮に参加していった。
望まぬ、戦い。
仲間が、仲間を、殺す。
誰も助けられない。
その絶望にうちひしがれたエレノアは、重い心の扉を閉じてしまったのだ。
冷静に考えられる今となっては、なぜ『同胞殺し』を行ってでも任務を遂行しなければならなかったのか、分かる。
おそらくは、国家錬金術師がイシュヴァール殲滅戦に不可欠であることをデータで示したかったのだろう。そのために、喩え間違いだったとしても、エレノアたちは滅せられなければならなかった。唯一生き残ったエレノアは、しかしその事実を話せる状態にはなく、それ故に見逃されたのだろう。
だが、口にすることができ、考えることができる今となっては、エレノア、そしてエルンストに危害が加えられないとは言い難い。
だからマスタング大佐に、無理をおして事実を伝えた。
大佐は、言った。
『わかりました。ですが、こちらから動きを起こせば、ランスドル……さんが正気に戻ったことを知らせるようなものです。こちらでも調査しておきます、すぐに動けるように』
だがそのことをエルンストに教えるつもりはなかった。
そして、教えるわけにもいかなかった。
そうして、時間は過ぎた。




「姉さんは、お前たちに助けられたんだよ。方法は……まあ、ただしいとは言えないけれど」
「なんかいろんな人に話聞いてたら、兄さん、随分乱暴なやり方してたみたいで……すみません」
ぺこりと頭を下げられて、エルンストはくわえタバコのまま、微笑む。
「相変わらずだな。あのときは大きな鎧だったけど、おんなじように、エドワードがやらかしたらちっちゃくなって謝ってたよ」
「みんなに言われます」
にっかりと笑ってみせて。
アルフォンスはエルンストの横に座り、空を見上げた。
「昨日も見たんですけど、綺麗な星空ですね」
「最近は珍しいんだよ。この前大雨が降ったから、空の汚れが洗い流されたのかな」
「へえ」
「すまないな」
エルンストは、空を見上げたまま、呟くように言う。
「エドワードを捜しに来たんだろ? ここには、前に来たあと、一度も姿を見てない。姉さんも同じだ」
「そうですか。でも、まだたくさん探すところはありますから。兄さんと一緒に行った場所を回ってみようと思ってます」
「そうか……」
夜空にたゆたうタバコの煙を見つめて、エルンストは呟いた。
「見つかると、いいな」
「はい」
「相変わらず身長を低いのを気にしてるかな?」
アルフォンスは苦笑する。アルフォンスの記憶の中でも、兄はいつも背が低いことを気にして、『ちび』と聞こえれば烈火のごとく暴れていた。
「多分」
「じゃあ、伝言だ。人間は25歳くらいまで成長するから、諦めるなって」
「はい」




「元気でね。エドワードを見つけたら、私たちにも教えて頂戴」
笑顔で頷いて、アルフォンスは背を向けた。
小さくなっていく赤いコートの背中を見つめて、エレノアは呟いた。
「必ず出会えるから。この世の全ては等価交換では説明できないの。だから……きっと信じて。信じることが、あなたを強くするから」
ゲルハルトがエレノアの肩を抱き寄せる。
それを見て、エルンストも一人微笑んだ。
そうだ、信じることが、人を強くする。
俺も信じよう。
姉さんを。
ゲルハルトを。
そして、自分自身を。




「ホントにウィンリィはすごいね」
機械鎧の手入れを怠らない兄の様子を見ながら、アルフォンスは手入れする兄よりも、機械鎧をつくったウェンリィに感心する。
「何年もあってないのに、兄さんにぴったりの機械鎧を創ってるなんて」
「……ホントにな」
磨きながら、エドワードは機械鎧から目を離さない。
「これでも成長してるからな……それも計算してたなんて」
「あ」
アルフォンスは不意に思い出した。
エドワードの身長について語っていた人がいた。
そうだ。
「あのさ、兄さん」
「ん?」
「エルンスト・ランスドルって人、覚えてる?」
エドワードは初めて手を止める。
「エルンスト・ランスドル? 誰だ?」
「ほら、エランダムに行った時。『至純の錬金術師』の話を、大佐に聞いて」
ようやく思い出せた様子で、エドワードの目が輝いた。
「ああ、弟の方だ」
「そうそう」
だが、そこでなぜその名前が出たのか理解できず、エドワードは首をかしげる。
「医者だった奴だろ? あいつがどうかしたのか?」
「僕、先生の所で修行したあと、兄さんと行った場所を回ったって言ったでしょ?」
その話は聞いている。エドワードは頷く。
「聞いたな」
「そのとき、エランダムにも言ったんだ。そうしたら、エルンストさんが、兄さんに会えた時に伝言だって」
「伝言」
「うん。人間は25歳くらいまで成長するから、諦めるなって」
「……なんだって?」
表情が変わってきたのをアルフォンスは見逃さなかったけれど、兄のご要望にお応えして、もう一度言う。
「人間は25歳くらいまで成長するから、諦めるなって」
「だぁれぇが……」
「兄さん、抗議しても聞こえないって」
アルフォンスのやんわりとした訂正も意味を成さず。
エドワードの雄叫びが、響き渡る。
「豆粒ミクロミジンコサイズのどちびかぁ!!!!!」




くしゅん。
エルンストは鼻をすする。
エスコートされていたエレノアが心配そうに聞く。
「風邪?」
「いや。誰かが噂してるんだろ」
「そうかもね」
穏やかな微笑みだが、2人の会話は小さな声で交わされる。
ゆっくりと歩を進める。
足下には赤い絨毯。
目の前には、やはり満面の笑みで、タキシードを着込んだゲルハルトが立っていて。
決して豪華とは言えないまでも、ウェディングドレスに身を包み、エルンストにエスコートされてエレノアは輝いて見えた。
「エルンスト、ありがとう」
彼女の後悔の証だった、銀色に輝く髪は、しかし今日ばかりは艶やかに美しく結い上げられ、花の飾りがエレノアがゆったりと頭を下げるとふんわりと動く。その横でゲルハルトも、頭を下げた。
「僕からも礼を言わせてもらうよ」
「なんだよ、そんなことしなくても」
「だって、君がいてくれなかったから、僕らは出会わなかったんだから」
「ああ、そうだな……」
「だから、いてもいいんだよ?」
ゲルハルトは穏やかに止めようとした。
エルンストがセントラルに移ると言ったのは、少し前のこと。
もう一度医師として勉強し直したい。
それが本心なのか、あるいはエレノアとゲルハルトの新しい家庭に遠慮してなのかは、エレノアですら分からず。だから、ゲルハルトは止めたのだが、エルンストも笑顔で答えた。
「そうじゃない。俺は、できることをしようと思う。ちゃんと医者の勉強をし直したいんだ。そして、またエランダムに帰って来るよ」
その強い言葉に、ゲルハルトは偽りがないことを感じて。
心から笑んで見せて、
「そうか。では、いっておいで。僕たちはここで待っている」






その道は、一瞬だけ交わり、そして解け、二度と出会うことはなかったけれど。
世界を違えても、生きていく。
そして、忘れない。
かの者を。



end


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