「え?」
「まだ、全員救出していないの?」
「……エレノア、さん?」
まるで存在しないかのように座り込み、話しかけても幼児のように切り返す。
事故の知らせを聞くまで、呟くような小さな声しか聞いたことのなかった、エレノア・ランスドルの凛とした声に、エドワードは思わず問い質す。
「ホントに、エレノアさん?」
「そうよ」
錬金術師一同も、エレノアの状態に一瞬呆気に取られていたが、すぐに眉を顰めて、
「また何をしでかすつもりだ。エレノア」
「薬を持ってきたの。多分、足りないんじゃないかって。久しぶりに錬金術使ったから、つくるのに時間がかかっちゃったけど」
「なんで来た!」
「おとなしく、家で耄けていればいいのに! それがお前が軍の狗になった報いだろう」
「そうね」
エレノアは背中に背負っていたカゴを下ろして、錬金術師たちに向かい合う。
「軍の狗になった報いは、まだまだ続くだろうけど。でも、助けを求めている人々を助けないのは、いくら軍の狗でも気が引けるのよ」
さらりと返されて、錬金術師たちは言葉を探すが、やがて一人2人と救出に姿を消した。
「エレノアさん……」
「エドワードくん、だったよね。ごめん、悪いけどカゴを持ってくれるかな? しばらく身体を動かしてなかったからここまで来るのに疲れてしまったの」
めまぐるしく治療を続けながら、エルンストは考えていた。
けが人が思った以上に多い。
さっき、診療所とヒュンラー薬局に使いを走らせたが、薬が底をつきかけていた。
このままだと、苦しむけが人に鎮痛剤を与えることも控えなければならなくなる。エルンストは深い溜息をつく。
そのとき。
「エルンストさん!」
聞こえてきたのは、アルフォンス・エルリックの声で。
顔を上げると、巨躯の鎧が何やらカゴを掲げている。
「薬、届きましたよ」
「ああ」
だが。
エルンストは首をかしげる。
使いを走らせてから、まだ少ししか経っていない。明らかに早すぎた。
並べられた診療台代わりのベッドでアルフォンスが道を避けた。
そして、見えた。
アルフォンスの向こうから、エドワードともう一人が歩いてくるのが。
エルンストは、思わず手にしていた聴診器を取り落とす。
「ねえ、さん?」
「お手数、おかけしました!」
「あ、いや。俺たちだけじゃなくて、あの人たちにもなんかお礼してやってよ」
憔悴しきったエドワードが、敬礼する軍人たちに同じように憔悴しきっている錬金術師たちを指差す。軍人達は敬礼してから、錬金術師たちの方に走っていった。
北方司令部から緊急列車が着いたのは、2日後だった。
医療スタッフと、無事だった乗客の搬送列車をひきつれて現れた大尉は、何より真っ先にエドワードを捜し当て、敬礼したのだ。とはいえ、ほとんど不眠不休で救出活動を続けてきたエドワードにしてみれば、とにかく眠りたかった。それは次に挨拶された錬金術師たちも同じようで、大尉達に寝る場所と飯だけ寄こせ! と叫んでいる様子に、アルフォンスが苦笑する。
「軍の人と衝突するかもしれないなぁって思ってたのに」
「ま、こんだけ疲れてたらとりあえず寝たいな、俺も」
「うん」
頷いてみたけれど、魂だけが定着されているアルフォンスには、肉体の疲れがない。だから、作業効率が落ちている錬金術師やエドワードに変わって黙々とまだ終わっていない救出活動を一手に引き受けていた。
「アル、お前も休め。軍が来たから任せればいいさ」
「そうしよっかな。でもとりあえず、これをエレノアさんに届けてくるよ」
エルンストは並べられた診療台代わりのベッドの一つに腰掛ける。
軍の緊急列車が着いて、わらわらと現れた医療スタッフに後は委ねて、エルンストはぼんやりといまだに説明を続けているエレノアを遠くから眺めていた。
エレノアはやはり、かつて軍では有名人だったらしい。
医療スタッフの中で、すぐに『至純の錬金術師』を見いだした者がいて、エレノアは最初こそ戸惑いを見せたが、望まれるままに説明を続けている。
「まさかここで至純の錬金術師に会うなんてなぁ」
「助かったよ。さすが、イシュヴァールで医療系錬金術師をまとめてただけはあるよな」
エルンストの前をとおりながら、スタッフたちが微笑みあう。その安堵した様子に、エルンストは軍内部での姉の存在が大きかったことを知り、複雑な思いを抱く。
「よ」
「エレノアさんはまだやってるんですか?」
荷物を抱えたアルフォンスとエドワードがやってくる。エルンストは溜息混じりに答えた。
「ああ。至純の錬金術師は、頼りになるんだと」
「でも、あんなに疲れていたのに……」
もう何年もまともに身体を動かしていないエレノアにとって、不眠不休の医療行為は辛いはずだ。途中、深い溜息をつきながら診療台に座り込む姿をエルンストも何度も見た。
そのたびに少し休めと声をかけるけれど、ある意味悲痛に見える微笑みで、
『大丈夫、もう少し頑張れるから』
ほとんど休みも取らずに、駆け回っていたのだ。
「よし、ちょっと待ってろ」
とことことエドワードがエレノアを囲む輪の中に滑り込み。
小さな非難の声と、怒鳴るエドワードの声に、アルフォンスは頭を抱えていたけれど。
エドワードに引っ張られるように、エレノアがやってきて。
「座って。少し休まなくちゃ」
とアルフォンスが手渡したのは、エランダムで待機していたフォードン医師がこの2日、何度となく往復した使いに渡した軽い食事だった。
「食事も取らずに頑張ったら、倒れてしまいますよ」
「そうね……」
エレノアは苦笑して、サンドウィッチを口に運んだ。
その日のうちに、エラミナ駅の喧噪は、跡形もなく消え去った。
エラミナ駅は構造上、列車事故のおそれがあると指摘されてきたので、今後駅の存続事態が検討されるでしょう。軍人の一人が、去り際に教えてくれた。
最後の列車の最後尾が見えなくなるまで駅で見送って。
エドワードが思い当たったように声をあげた。
「しまった」
「どうしたの、兄さん?」
「さっきの列車でノース・シティまで出れば、乗り継いでいけたな……この様子じゃ、ここから列車が出るなんていつのことになるかわかんないぞ」
「あ」
揃って失敗した〜と叫ぶ、エルリック兄弟の様子を見て、エルンストが言う。
「お前ら、姉さんのことはいいのかよ」
「え?」
「あ、そういえば!」
わざとなのか、そうでないのか。
ボケっぷりに半ば感心しながら、エルンストは見えなくなった列車の方向を見つめている姉に声をかけた。
「姉さん、エランダムに帰ろう」
「そうね」
穏やかに微笑む姉の姿は。
確かに、エランダムを出て行った時と同じ微笑みで。
エルンストは、ようやく確信できたのだ。
姉が、帰ってきた、と。
「軍のある研究所で、『赤い石』と呼ばれる術法増幅器が開発されているという話は聞いたことがあるわ。確か……実戦に投入されたはずよ。私たちのような後方支援ではなく、最前線の……グラン大佐の部隊で……確か、マスタング少佐もグラン大佐の部隊にいたはずだから、知ってるんじゃないかしら?」
「やっぱり大佐とエレノアさんは知り合いだったんですね」
「あの無能大佐!」
エドワードが毒づくのを聞いて、エレノアは苦笑する。
「そう、大佐になったの……。でも、その赤い石が賢者の石かどうかは分からないわよ」
「そうだよ、兄さん」
「だけど、確率は高いんじゃないか?」
「ええ。でも、もしそうなら、なぜ医療系錬金術師だった私まで支給されなかったのかしら? もし支給していれば、治療を早く進めて、兵士を失わずにすんだかもしれないでしょ?」
見たこともない姉の表情と、聞いたこともないほど低い姉の声に、エルンストは眉を顰める。エレノアはそんな弟の様子に気付き、苦笑しながら答えた。
「たとえば、の話ね」
「確かにな……」
「兄さん」
「一度、無能大佐をぶっ飛ばしておきたかったから、イースト・シティに行くか」
「マスタング……大佐に会うの?」
エレノアの言葉に、エドワードが頷く。
「ああ!」
「じゃあ、伝えて。話したいことがあるけど、一般電話で電話してって」
意外な内容に、兄弟が首をかしげる。
「?」
「エレノアさん?」
「伝えてくれれば分かるわ」
礼を言って、エルリック兄弟は旅だった。
ランスドル姉弟は、変化を生み出した2人を感謝を込めて送り出した。だが、エレノアは列車事故での無理がたたり、決して丈夫とはいえない身体で日々を過ごしてきた。
数ヶ月後、『ロイ・マスタング』と名乗る男性からかかってきた電話に、エレノアは長々と話し込み、結局また寝込んでしまって、エルンストは呆れかえって言った。
「姉さん、いい加減自分の身体がどうなっているかぐらい、医者なんだから理解してよ」
「ええ、そうね」