ゴリアテ 05
『Pro.オトイ、今日はお早いですね』
『ブロンソンくん、早いんじゃなくて、遅いんだよ』
『え、じゃあ昨日は帰られなかったんですか?』
『もう少しで、パルスのブレードが完成するからね』
『そうでしたか』
ヨーロッパでは、かなり名前の知られた工科大学だった。
正信を招聘したのは、その大学でももっとも優秀だった教授で、何年か、出来ればずっと、ロボット工学を自分の研究室で続けて欲しいと、『頭脳集団アトランダムが生んだ天才』音井正信を招いたのだった。
Mr.ブロンソンは、そのロボット工学研究室にいた、かなり優秀な部類に入る、しかし熱心さはピカ一だった学生だった。
コンピュータ・プログラマーとして生計をたててはいたが、プログラミングだけに飽きたらず、義体を持つ、いわゆるロボット製作を最終目的にしていた、熱心さを正信は覚えている。
何時の頃か、教授ではなく、『助教授』である正信を師匠であるかのように慕い始め、正信自身も決して悪い気はしなかったのだが。
だからこそ、ハッキングの技術を少しだけ、教えた。
ゴリアテの出没ポイントを計算していて、気づいたこと。
まるで、自分がしたかのようなピンポイント出没。
ゴリアテに微かに残された発生源。
いずれもMr.ブロンソンがゴリアテの生みの親である証拠を並べていた。
『すごいですね、私もいつかは、こんなロボットを作ってみたい……』
夢見心地の視線で、パルスを見つめていた、青年。
何が、あったのだろうか?
「正信さん、どうかした?」
不意に、正信の思考をみのるの心配そうな声と、こぼれ落ちそうな純黒の眸が眼前に現れた。
「……いえいえ」
「何かあったって、顔してるけど?」
この人には、隠せない。
いつだって、隠し事は通用しないのだ。
改めて思い出してから、正信は深く溜息を吐きだした。
「みのるさん」
「はい」
「……今、みんなが電脳空間に降りてます。半年前から出ているウイルスを退治するためです。先月は《ORACLE》にも現れたそうです……今はオラトリオがゴリアテを生んだ、ハッカーを断定するために動いています」
「……そのハッカーは、正信さんの知っている、人なのね?」
察しのいい、愛妻の言葉。
正信は深く頷く。
「Mr.ブロンソンじゃないかと」
「ブロンソン……」
みのるも記憶の階層を辿って、その名前を見つけだした。
みのるも同じロボット工学研究室にいたから、もちろんのことながら、ブロンソンを知っている。
「そう、あの人が……」
「残念、ですね」
「元気出して。オラトリオも、いつものようには辛辣にしないでしょうよ。正信さんの知っている人だって言ったんでしょう? それくらいは、あの子だって、分別はあるわよ」
自分の手の上に、暖かなみのるの両手が置かれて、正信は胸の奥に、柔らかな灯火が止まったような、なごみを覚えたのだった。
「そうですね」
「ええ、きっとね」
「到着♪」
オラトリオの声通り、3人はオラトリオの傍らに立った。
コードは翼と皓光、エモーションは緑、シグナルはプリズム・パープルの光が螺旋を描きながら、CGを構築していく。
「さっさと倒せ」
冷たい師匠の声にもめげず、オラトリオは自らの武器とも言うべき、杖で示す。
「あれが、正信がいた大学の研究室」
周辺を動く光点。その一つ一つが公共空間を移動する、人間だということは、シグナルも理解できた。
その光点ですら避けて通る、巨大なポリゴン。しかし、なにやら灰色なのは、なぜだろうか?
シグナルの疑問を、エモーションが解決してくれた。
「このあたりの現地時間って、オラトリオさま?」
「そうっすね、朝の8時といったところでしょうか?」
「A-Sは実感ないかもしれませんわね。研究者にとっては、昼も夜も関係ないのです。でも、朝はほとんどの研究者の方は、お休みになってますわね」
「……そういう、ものですか?」
「ええ」
「早くしろ、オラトリオ」
「はいはい」
不機嫌真っ盛りのコードは、消滅させることしか、頭にない。
「まあ、正信ちゃんの言った通りでしたわね。ほら、あそこに」
エモーションの言葉に全員が反応する。
ゴリアテと遭遇したアンダーネットの座標値。研究室の座標値。
かなり近い。
「じゃ、始めますかぁ」
オラトリオがコートの懐に手を入れ、出したものは。
「ええええええ、オラ、オラト……」
「おやぁ。シグナルくんはゴリアテくんが嫌いなのかな?」
忘れもしない、あの形態。
化け物。
オラトリオの手の中には、さっきまでシグナルに迫ろうとしていた、ゴリアテのミニチュアが座っていた。
「やだ、それ、やだ」
言葉が単語とぎれになるシグナルに、オラトリオは嫌な笑いを含んで、ミニチュアを手に迫る。
「なんで、怖いのかなぁ?」
「オラトリオ……」
半べそのシグナル、楽しんでいるオラトリオ。そんな兄弟の『戯れ』を、コードの冷たい声が制した。
「さっさとせんか」
「せっかく、面白いのに……」
オラトリオがぼやきながら、しかし仕事を始める。
動かなかったミニチュアが、動き出す。
「な……」
「まあ、見てなさいって」
小さな小さな巨人は、しばらく廻りをふらふらしていたが、やがて突然目的地を見いだしたかのように動き始める。
「おっとと、ついていかないと見失うねぇ」
口調とは違って、オラトリオは俊敏に動く。
「エモーションさん」
すっかり、解説係になっているエモーションにシグナルが事態の説明を仰いだ。
「あのミニチュアは、おそらく正信ちゃんが持って帰ってきた、ゴリアテのデータをファイルして作ったものでしょうね。多分、私たちには害はないはずですわ」
「そう、なんですか」
「それから、少しプログラムをいじってあるようですね。そう、自分が作られた場所に戻るように」
「え、じゃあ」
「見えた!」
シグナルの声を遮って、オラトリオのはしゃぐ声が聞こえた。
「確かだな」
「どうみても、そうっすね」
「あんなにたくさん残っていますのね……」
眼下に広がる光景。
シグナルには、直視できない。
まさしく、ゴリアテが『うじゃうじゃ』いるのだ。
「シっグナルくん? なんで、見ないのかな?」
「うるさい。見なくても、いっぱいいるのが分かればいいじゃないか」
内心は、さっさと出ていってしまいたい。だが、長兄がいる前で出ていくのは癪に触る。
ジレンマの中で、シグナルは顔を背けていた。
どうやら、本拠地は大学の研究室内の、独立したコンピュータであることが判明した。
ここから見ると、全体が青色に輝いているポリゴンがそれだ。
「……さっさと片づけろ」
「はぁい。ほんじゃ、本拠地がわかったことだし。でもでも、正信からは手加減してって、頼まれているしねぇ。四声くらいかな?」
杖を立てる。
姿勢を正す。
目を、閉じる。
「何をぼんやりしている。あいつの『歌』にまきこまれるぞ」
「あ、うん」
距離を置いて、オラトリオの『歌』を見守ることにした、3人だった。
歌が、光になる。
4色が光となって、螺旋を描いて、オラトリオを取り囲む。
否、取り囲んだのではなく、オラトリオの杖が、光たちを吸収し、力を蓄える。
愚かなる者を倒すために。
Rex noster promptus est
suscipere sanguinem Iinnocentum.
Unde Angeli concinunt et in laudibus sonant、
sed nubes super........
神を讃え、自らの救いを願う歌は、やがてさらなる力を杖に与え、
オラトリオが軽く杖を青のポリゴンを示すと、力は行き場所を変えた。
ポリゴンに向かい、それを包み、覆い隠し。
ガラスが弾けるような音を立てて、ポリゴンが消滅する。
そして。
ポリゴンも、ゴリアテも、全てがなくなった。
「……へっくしょん!」
「わ、ちょっと待て、信彦ぉ!」
胡椒の力を借りて、信彦が盛大にクショミを発する。光に包まれたシグナルが、小さく変形して、ちびになる。
「お久しぶりでございます」
深々と全員に頭を下げて回ったちびを抱え上げてから、信彦は周りを見回して、
「……何で声をかけてくれなかったのさ」
「あくまでも電脳空間でのことだ。信彦が行っても、何ともならん」
コードが軽く桜色の翼を羽ばたかせて、少しは緩和された不機嫌を信彦にまで垣間見せる。
「そりゃそうだけど。何か仲間外れになったみたいで、面白くない!」
オラトリオが、『ゴリアテ』と『ゴリアテ』の母胎となっていたコンピュータ、一切合切を灼き払って。
現実空間に戻ったシグナルは、正信に一部始終を報告していたのだが、それを信彦に聞かれてしまったのだ。ので、信彦のくしゃみと相成った訳で。
「信彦ぉ。大きい君ね、いっぱいがんばったんです」
信彦の腕の中で、頭でっかち、しかし愛嬌たっぷりの表情で、ちびが言う。
「大きい君ね、こわいのがまんして、がんばったんですぅ。だから、いじめないでくださいね?」
ちびの言う、大きい君とは、シグナルのことなのだが。信彦はニッコリと、母親譲りの微笑みを浮かべて、
「大丈夫だよ。ちびやシグナルのことを怒ってるんじゃないんだ。怒ってるのは!」
ビシッと指差す先には、
「……信彦、指差すのは止めて♪」
「親父ぃ、また何か企んだんだろ! 親父も電脳空間に降りてたのに、途中でほったらかして、オラトリオに譲ってさ!」
洞察力の深さは母親、指摘の厳しさは父親譲りか。
その場にいたロボットたちは一様に同じことを、考えていた。
「はは、だってさ。ずぅっと電脳空間にいるのって、結構苦しいんだよ?」
「それは嘘、絶対嘘」
「信彦ぉ」
「信彦さん、そろそろ勘弁してあげたらどうですか? 正信さんも反省してらっしゃるようですし」
明らかに立場が逆転している『親子喧嘩』に、カルマが助け船を押し出した。正信が反応するが、信彦の反応は鈍い。
「でもさ、カルマ。今回は今回はって、見逃してると、今にぜぇんぶ隠し通そうとするんだぜ、親父は。一度はちゃんとお灸をすえてやらなきゃ!」
「……お灸、ですか?」
「そう、お灸」
カルマも巻き込んでの『お説教』になりつつある、音井家の喧騒に、コードは小さく鼻で笑った。
決して嫌味だけではない、微かに安堵も含まれた、笑いだった。
ある月の13日。
ここ数ヶ月、電脳空間を騒がせていたウイルス『ゴリアテ』が突然姿を消した。
同日、ある大学のロボット工学研究室のコンピュータが完全に機能停止。原因は現在も調査中である。
加えて、あまり知られなかったが、地下空間の1区域がまるごと消滅したという、情報も流れた。もっともこちらは1週間で完全に修復された。
巨人ゴリアテは、神に逆らい、人々を苦しめた。
神はこれを倒すために、自らが愛した少年、ダヴィデを遣わした。
ゴリアテは、少年が自らに向かい来るのを嘲笑い、相手にしようとしなかった。
少年の投じた石は巨人の額を割り、巨人は地に打ち倒れた。
『ゴリアテ』も、《ORACLE》/神託に滅ぼされた。
これは必然か、偶然か、それは誰も知り得ない謎である……。
end...