凍れる雪の狭間で 01






「ようこそ、いらっしゃい」
20歳とは思えない、穏やかな表情でルクレースイは輝を出迎えた。輝が宮廷式の敬礼をしようとすると、ルクレースイは静かに咎めた。
「私はもう、公女ではないわよ」
「……失礼しました」
「いいえ」
年齢は輝と大して変わらないというのに、この落ち着きはどうだろう? だが、そんなルクレースイの落ち着きぶりは、なんとなく見覚えがあった。
なぜだろう?
「招待状は、届いた?」
「ええ」
「奥さんにも出したんだけど……?」
少しくだけた口調になったのは、一応客人を迎えるために何人かの老人がいたが、彼らが姿を消したからだろうか。
「無理ですね。妊娠6ヶ月ですから」
「またか?」
いかにも口やかましい老人達が姿を消したと言わんばかりに、のびのびと椅子に腰掛けて背伸びなどをしていたマリオールが声を上げる。
「間が空かないな。奥さんの負担を考えたら、もうちょっと期間を空けた方がいいんじゃないか?」
「まあ、そうなんですけど。出来たもんは出来たもんですから」
「……ま、余所の家のことだし」
「マリオールは、自分の子供のことを考えてね。名前も早く決めないと」
「まだ6ヶ月も先だろう?」
思いもしない2人の会話に、輝は思わず瞬きをする。マリオールが苦笑しながら、
「招待状を送ったあとに分かったんだけどな」
「何ヶ月ですか?」
「4ヶ月よ。それもね、病院に行く前、私も気づく前にマリオールが『あいつら』に聞いたんだけどって言い出したのよ」
「……生の神ナフィニアが、珍しく話しかけて来たからだ。びっくりしたのは、こっちの方だ」
すっかり新婚の会話である。輝は内心で苦笑しつつ聞き流して、ふと思い当たった。
そうや、さっきの公女さんは、なんとなく麦子に似とったんや。
もう一つの命を宿す、母の顔。
たおやかで、だが芯の通った、表情。
「……たんだが」
マリオールの言葉が自分に向けられたことを、輝はマリオールにまじまじと見つめられて、不意に我に返った。
「え? なんですか?」
「おいおい、ルクルを見て、日本の奥さんでも思いだしたのか?」
「はあ、まあ……」
「結婚式にお前さんと奥さんに立会人を頼もうと思っていたんだが……仕方ないな、オレの方の立会人だけ頼む。ルクルの方は……」
「マリエラに頼んでみるわ」
「そうだな」
「じゃあ、私はちょっとマリエラの所へ行って来るから」
ゆっくりしてね。部屋は用意させるから。ルクレースイは言い残して、姿を消した。マリオールは深い溜息をついて、近くにあった椅子を二脚引き寄せ、もう一つ溜息混じりに椅子に座る。
「まったく! ルクルの妊娠が分かってから、気が気じゃない。転びやしないか、重いものでも持ち上げてやしないか……今だから分かるな。お前さんが危険きわまりないカリュナーズ薬を飲んででも、とっとと片づけて、日本に帰りたがった理由が」
「……そうですか」
椅子を促されて、輝は腰掛ける。
「さてと。招待状でも書いてけど、持って来てくれたか?」
その言葉の意図を完全に理解して、輝は深く頷いた。そして、手にしていたバッグの中から、小さな箱を取り出し、マリオールに渡した。
「確認してください」
「ああ」
箱を開けて、のぞき込んだマリオールが軽く微笑んだ。
「確かに。これがなくても、オレの力自体は変わらないんだがな」
「コペンハーゲンの病院で言われましたよ。奇跡的な恢復だって」
「そうか……マトルスは炎の神だ。炎は破壊を意味するが、まだ二つ意味を持つ。分かるか?」
「いえ」
「浄化と、再生だ」
と言いながら、マリオールは箱の中、ダイヤモンドのネックレスを出し、自分の首にした。
「うん、しっくりするな。2年、つけてなくても」
「長々とお借りしました」
「いや。いいと言っただろうが? いいんだ、気にするな……ああ、忘れるところだった」
久しぶりの守り石の感触に、少し慣れようとしていたマリオールは、急に何かを思いだしたようにジャケットの懐に手を入れ、小さな箱を取り出した。そして、輝に投げて寄越す。輝は突然の出来事に、その小箱を取り落としそうにお手玉してしまうが、なんとかこらえて手の中に収めた。
「……なんですか?」
「ん? 手紙に渡したいプレゼントがあるって、ルクルが書いてただろ? ああ、2年前の報酬だと思っていい。ハルディナントから何ももらえなかっただろう? わざわざアルディシンくんだりまで来て」
「そんな」
「要らないのか? 中身見て、要らないなら返せ」
小さな小さな箱は、簡単に開いた。
小箱の中に収められていた、輝くものを見て、輝は言葉を失う。
紅と蒼の、輝き。その二つは渦巻くようにお互いの輝きをとけ込ませ、主張しあい、小さな貴石の中で、奇跡を生み出す。
その名は、トル・ビフィリア。
もう、産地アルディシンでも産出されないだろう、市場に出回らないだろうと、言われてもう何年も経つ。
「……こ、れ」
「国が変わるには、何かと物入りだ。なのに、アルディシンには先立つもんがない。で、リフォーとエフォーの双子に相談したら、特別にトル・ビフィリアを作ってくれた……もう何年も市場に出回ってなかったから、とんでもない値段がついたらしいぞ。おかげで国家予算の助けにはなったらしい。ルクルの話だけどな……なあ、要らないなら返せ」
「いります!」
輝が叫ぶように言って、手を伸ばしたマリオールから逃れるように、慌てて小箱の蓋を閉じるのを見て、マリオールがにやりと笑った。
「そうか。ま、大事にしろ」
「……はい」
「奥さんとペアの指輪でもするつもりだったのか?」
「まあ、そんなところです」
そんな他愛もない会話を楽しんでいる時、輝は不意に思い出した。
「マリオールさん、その、あのあとハンナは姿を見せてませんよね」
「ああ、まったくな。アルディシンを覆う黒い影も姿を消した……が、なんかあるのか?」
「あれから日本に帰ってすぐに聞いた話です……確かかどうかはわかりませんが。ハンナは、どうやら魔界で八つ裂きにされたようです」
「八つ裂き?」
汚らわしい言葉に、マリオールが眉をひそめる。
「どういうことだ?」
「あの時、私が言った通りです。お聞きになっていたように、魔界では権力交代があり……少し私が関わっていました」
「ああ、ハンナがそんなことを言っていたな」
「新たに支配者に加わった者を、少し知っていますが……秩序を重んじる、というよりかは、逆らう者を作らぬ、そんな者のような気がしました……話によると、その者がハンナは八つ裂きにすることを決めたと」
「ずいぶんな処置だな」
「ハンナは見せしめに使われたんですよ」
「見せしめ?」





『そうよ、見せしめ。ベリアルのおじさまはそういう悪魔なの。ある程度の功績があるものでも、自分に有益でない者、自分が害を受けると思える者は、あの手この手で排除する……それがベリアルのおじさまのやりかた』
かつて夢魔の少女から聞いたセリフを、輝は繰り返す。
「なるほどな」
「ええ」
「その話は、ここだけで収めておこう。ルクルには内緒だ、いいな」
「分かっています」
「……そうか、じゃあアルディシンにはこれからも平安これ続くなりか……」
マリオールの、残念がるような口調に輝は苦笑する。
「じゃあ、平安じゃないほうがいいんですか?」
「さあな。冒険はしたいさ、自分の力を試してみたいと思う。だがな、それで誰かの命が危険に晒されることはイヤだな。それに……」
マリオールは静かに椅子から立ち上がり、午後の木洩れ日を映し出す窓の側までゆっくりと歩いて、その窓に触れ、静かに言った。
「親になるんだったら、オレの命はオレだけのものじゃない」
「……人の命は、いつだってその人だけのものじゃないですよ……人はつながりの中で生きているのだから、そんな人たち、すべての命です」





2人の結婚式は、ワイリエの屋敷の中庭に会場を設けた簡素なものだった。それはルクレースイが望んだもので、真意は片親がいないマリオールに遠慮したのであろうと、涙にくれる老オートラルは繰り返し呟いていた。
ゆっくりと。
ワイリエ・マリエラに左手を預け、ルクレースイが満面の笑みを浮かべたまま、紅い毛氈の上を歩く。
純白の民族衣装。
それは、花嫁だけが着る色だ。
そして、待ち受けるのは輝とマリオール。
ワイリエからルクレースイを受け取るのは、輝の役目。そして、急ごしらえの祭壇の前に既に立っているマリオールの隣に、ルクレースイを導く。
厳めしい正装に身を包んだ司教が2人の意思を確認し、マリオールとルクレースイの婚姻成立を宣言した時。
マリオールが慌てたように、上空を見上げた。
つられて、全員が空を見上げる。
そして、空に見た、思いがけないものに驚く。
老オートラルの声が響き渡る。
「なんと、なんと! これは如何なものか! 祝福か! はたまた……」
「父さん、それ以上は」
今や首相となった息子が年古りた父を咎めた。
それは、花びら。
空から舞い降りたのは、薄紅の花弁。
輝は、ひらひらと舞い降りてくる花弁を一つ取った。微かに桃色霞み、掌に乗せるとやがて姿を消す。
「まったく……あいつら」
マリオールが苦笑している。





凍れる雪の狭間で、青年が遭逢せしは神々の愛し子。
焔は二人を引き寄せ、二人は暗き影をアルディシンから放逐せしむ。
蒼穹から舞うは、薄紅の花弁。
薄紅色に霞みし花弁は、神々の祝福。
神々が愛し子を祝福した、証の花弁。





翌年、アルディシン共和国が、国連加盟を認められたことを、輝はニュースで知った。





「テルちゃん、また外国語のお手紙来たよ」
妻がヒラヒラと封筒を振っている。
「ミスターあんどミセスって書いてあったから開いたけど……」
「おお、読んでやる」
輝は封筒から便箋を引っ張り出して、ざっと黙読する。麦子はずっしりと重さを感じる双子を、ベビーベッドに寝かせた。
「……アルディシンからやな。ああ、マリオールんとこに、双子が生まれたみたいやな……名前は、リュナールとナティールだと」
「うちと同じ? 双子なの?」
「そうやな」
「……そっか……アルディシンっていいところだった?」
麦子の問いかけに、輝は苦笑しながら応えた。
「ま、あんまり好い思い出ないけどな……今度、行くか? アルディシン」
「え?」
「一郎も、双子も連れて」
「うん!」
麦子は満面の笑顔で応えた。輝も穏やかな微笑みで、頷く。
アルディシンに行けば、きっと喜んで迎えてくれるだろう。
ジェナイソン一家と、豊かな自然と、神々と。





もうアルディシンを覆う、暗い影はないのだから。






end...





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