piece of memory 01
9月半ばの池袋は、少しだけ落ち着きを見せている。
あたしはこの季節のフクロが一番、好き。
7月8月は、羽目を外すっていうか、背伸びをしたいコドモが狂ったようにフクロを占領してる。こうなったら、あたしのようなオトシヨリは、一歩退いてコドモたちを見守るしか出来ないよね。
9月に入ると、狂ったコドモたちは姿を消して、少しだけ池袋はフクロらしくなる。
だから、好きなんだ。
それからもう一つ。
池袋に来るようになって、もう何年かたったけど、毎年この頃になるとあたしは思い出す。
あたしもそうだった。
7月8月、少しだけ大人になりたくて、背伸びをした季節。
9月になると、ようやく正気に返った。
たった3ヶ月。
なのに、夏前の自分と違う自分を発見して、びっくりしたんだ。
コドモにとって、夏休みは大人になるための、通過点なのかもしれない。
あたしの名前は、高沼瑞穂。
フリーのカメラマンで、一応『ヒトヅマ』です。
9月半ばの平日。
あたしは真夜中の池袋西口公園にいた。
平日だから数は少ないけど、ギターを弾くやつもいれば、MBXをやるやつもいれば、最近はインラインスケートも増えてきた。
あたしは、ボンバーヘッド兄ちゃんの銅像の下で、ぼんやりとそれを見つめていた。
いつもの光景。
ぼんやりと座っていると、くわえタバコの長身の男が、冷え冷えの缶コーヒーを放って寄越した。これもいつものこと。
「人妻。こんなところで夜遊び?」
「うるさい。晰仁は出張でUKなの」
「UK? なにそれ?」
「The United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland。略してUK」
マコトはぼんやりと、あたしの顔を見て、
「……なに?」
「こら、ルポライター。イギリスの正式名称ぐらい知ってろ」
「……あ、イギリスか。イギリス、そんな名前か……つうか、イギリスって言やあいいじゃん」
「そりゃ失礼しましたね」
去年の冬、あたしは高沼晰仁と結婚した。
もともとは二番目の兄、雅紹のSPだった男。
ある時……ていうか、おかしくなった母さんから、あたしを守ってくれた、男。
あたしの父親、山内政臣は、YMGCグループっていう警備関係の会社グループを経営してる。
一番上の兄、尚彬はYMGCグループの専務。後をつぐお勉強中ってところ。
二番目の雅にいは、会社に一切関係ない文化人類学の研究者。
で、末っ子のあたしと結婚した晰仁は、尚にいの補佐役として期待されてるらしく、あたしをほったらかして、尚にいと一緒に世界中を飛び回ってる。
というわけで、結婚10ヶ月にして旦那はイギリスに短期出張、女房はウエストゲートパークの銅像の下で、男友達とぼんやり座っているということになっちゃってる……仕方ないかな……。
その時。
あたしの携帯が賑やかに『can you celebrate?』を奏で始めた。あたしは慌てて携帯に出る。
「はい?」
『瑞穂? 日本は夜中か?』
「うん。えっと、エジンバラは……お茶の時間?」
『そう。トレード・ミッションもストップだな。悠長な国だよ、ホントに』
「お茶してんの?」
『それがな』
紅茶じゃなくて、スタバのコーヒーだよ。
晰仁の言葉に、あたしは思わず大爆笑する。
「何それー、紅茶じゃないの?」
『俺もびっくりだったよ。尚彬さんもそうとう笑ってたけどな』
「だよね」
今日一日のお互いの報告をして、あたしが携帯を切ると、マコトが2本目のタバコに火をつけて、
「なんだかんだ言って、いちゃついてんじゃん」
「なに?」
「いいえ……ひとりごとです……」
いつものような、夜だった。
西口公園でマコトとダベって、マコトが帰ったあとは1人でフラフラとフクロを彷徨って、カメラを向けている。
1人でふらふらしてると、酔っぱらいとか、絡みたいおにいさんが声をかけてくるけど、大体近くにいる人間がアドヴァイスするんだ。
『この人は、キングの知り合いだよ』
それだけで絡んだヤツは退散する。
……ていうか、それ以外の声がかかることもなくなって、近頃寂しくなったような……。
あたしは、いつものようにフラフラとアングルを探して彷徨ってた。
そして、いつもの道、いつもの時間。
あたしは、見つけてしまった。
それが、過去の欠片と知らずに……。
聞き慣れた、音だった。
小さな路地の奥、行き止まりになったその場所は、近所の飲食店がゴミを不法投棄? する場所で、いろんなものが捨ててある。けど、生ゴミはそこには捨てないんだ。臭いが出ると、自分たちが困るからね。
カウンターチェアがいくつかあるけど、どれもスプリングがはみだして、使い物にはならないものばかり。普段は野良猫のたまり場で、あたしは時々猫たちを撮りに来る。今日もそのつもりだった。
聞こえていたのは、リンチの音。
人間の身体が殴られる、鈍い音。堪えきれない悲鳴。それからドスの利いた声。
「分かってるんだろうな、払えなかったらお前さんの身体で払ってもらうからな!」
音と、その言葉であたしは理解した。
このフクロではよくあること。
ボッタクリとかで金を払えなくなったサラリーマンが、それでも高すぎるって言い張ると、その筋のオニイサンが姿を見せて、脅しにかかる。こうなったら、素人ではどう考えても太刀打ちできない。
可哀想に。
けど、あたしは手を出すつもりはなかったんだ。
その時まで。
声が、聞こえるまで。
「けど、こんな……金額……全額は……」
「無理やな。いくら荒稼ぎしてる歴木吉行さんでもなぁ」
その名前を聞くまで、あたしは立ち去ろうとしていた脚が動かなくなった。
歴木吉行。
そんな名前、滅多にないから。
なによりさっきの声は、聞き覚えのある声だった。
「ま、とりあえずこれだけもらっとく。その先はちゃんと回収させてもらうからな。逃げようとするだけ無駄だからな……ああ、オンナは探しても見つからんだろうな。探すだけ無駄やろうな」
「……」
「ま、しっかり商売することやな」
その言葉の直後、あたしの目の前に男が姿を見せた。
黒っぽいスーツ、ガタイのいい身体。いかにもその筋のオニイサンだった。
「何か用ですか?」
言葉遣いは穏やかだけど、言い返す余地なんて見せない、強引な言い方。
あたしは同じように穏やかに応えた。
「いいえ」
気付くと、男の背後には数人の、同じようなガタイのオニイサンたちが立ってる。
ヤバイかも知れない。
あたしは不意に思った。
そこらの素人兄ちゃんだったら、7人くらいだったら簡単に片づけられるけど、その筋のオニイサンは場数が違う。
「アニキ」
最初にあたしに声をかけた男に、背後の1人が声をかける。
「このオンナ、見たことがあります。羽沢の知り合いです」
「……ほう、羽沢の……。羽沢とコトを構えるつもりはありませんからねぇ……」
アニキと呼ばれた男は、動かないあたしの横をすり抜けて、路地から姿を消した。続いて他の連中もあたしを睨みながら、姿を消した。
24時間営業なのは、コンビニとか、銀行のATMだけじゃない。
フクロには何カ所か24時間営業の診療所がある。
あたしは、その中の一つ、トマト診療所の待合室にいた。24時間営業でも、夜中の2時を過ぎると、さすがに待合室には誰もいない。
なんで、トマトって名前かって?
ここのオーナーで、医者の叶野先生の好物が、トマトだから。
叶野先生にはよくお世話になってる。
診察室って書かれたドアを開けて、叶野先生がタオルを頚にかけながら出てきた.待合室でぼんやり座っていたあたしの横に、「よっこらしょ」
とかけ声と同時に腰掛けた。古ぼけたソファがきしむ。
「そうだなぁ、特に問題はないみたいだぞ。さすがプロだな。体をこわされてはいかんからな」
「そりゃそうでしょ。商売道具なんだから」
あっさり言ってのけたあたしの言葉に、叶野先生はタオルの端で顔を拭きながら、苦笑する。
「商売道具か……そうだな、ま、絞れば絞るほど、取れるからなぁ。ど、お前さん、あいつの知り合いじゃないんか? ずいぶん冷たい言い方だな」
「知り合いって言っても、古い知り合いでもう何年も会ってなかったんだから……さすがに、ボコにされてるのをほったらかしにはできない、そのくらいの関係よ」
「そうかい。今は鎮痛剤が効いて寝てるよ。ま、今日は一晩泊まってもらった方がいいんだがなぁ……俺は往診があるから。面倒見てやれよ」
要するに、診療所の留守番をしてくれってこと。
あたしが快くではないけど、留守番を引き受けると、叶野先生はでっかい往診カバンを抱えて出ていった。30分で帰るからと言って。
小さな小さな診療所だけど、一応入院用ベッドが二つある。
けど、片っ方は叶野先生が自分の仮眠用に使ってるから、きれいじゃない。だから、1人が一晩寝るくらいしか、ここにはない。
あたしはたった一つのベッドで眠っている男の顔をのぞき込んだ。
クスリが効いてるのか、静かな寝息が聞こえてる。
プロは顔を殴ったりはしない。
殴るのは肝臓の上とか。いわゆるボディブローってやつ。
その方が痛い上に、証拠が残りにくいから。
このオニイサンはボディブローを何発も食らってたみたい。それだけで、その筋のオニイサンたちが姿を消した時、気を失ってた。
あたしは、すぐ近くにトマト診療所があったから、叶野先生に電話をして、運んでもらって、診察してもらったんだ。
そのことにも、気付いてないみたいな、ヤスラカナ寝顔に、無性に腹が立った。
その筋のオニイサンみたく、一発ボディブローをくらわしてやりたくなった。
昔のことを、思い出して。
このオニイサンの名前は、歴木吉行。
くぬぎ、よしゆきって読む。
昔の、あたしのオトコ。