ここにいる理由 01




丸く囲まれた世界。
それが、彼女にとっての戦場だった。
スコープの中には、赤茶けた大地と渡る風で巻き起こる土煙しか見えない。
リザはずっとトリガーにかけたままの指を外した。
ずっとそのままでいたために、指が硬くなっていた。
狙撃手にとって、指の強ばりはもっとも大敵だ。必要なタイミングでトリガーを引けないのは、戦友の死、あるいは自分の死を招く。
リザはため息混じりに、指のマッサージを始めた。
「准尉、休憩に行って来い」
直接の上司にあたる少尉の言葉に、リザは頷いて、持ち場を同僚に受け渡す。
そんな中で、どこかで銃声が響いた。
続いて、爆発音も。
スコープを覗いていた同僚が、小さく呟いた。
「……やっぱり見るもんじゃねえよ」






国家錬金術師が東方内戦に駆り出されると噂が流れてすぐに、東方司令部所属第16小隊、通称スナイパー部隊にも招集がかかった。
スナイパー部隊所属のリザ・ホークアイ准尉にも当然招集がかかったわけで。
東方内戦と呼ばれてはいるけれども、それは本当に一部分だけの内乱であって、蜂起しているのは血気盛んなイシュヴァール人……とはいえ、彼らもアメストリスの国民ではある。
休憩所とされている一角で、リザは決してうまいとは言えない食事と、生ぬるいコーヒーを口に運ぶ。少し離れた場所で呆然と座っている同僚は、視線もうつろに、銃の分解と組み立てを何かぶつぶつと呟きながら延々と続けていた。
リザはそれを見つめて、思わずため息をつく。
戦争神経症。
目の前で繰り広げられる生死の繰り返しに、やがて精神的な瑕疵を生み、人はそれを克服できない……。同僚はおそらく戦争神経症と診断されて、すぐに後方に回されるか、軍の精神病院行きになるだろう。
リザは呟きながら何度目かの銃分解にとりかかった同僚の背中を見つめながら、思った。
人ならば、仕方ない。
特にスナイパーはより身近に、イシュヴァール人の死を見せられる。
スナイパー部隊の出動は、国家錬金術師の後方的護衛が軍令だった。
覗き込むスコープの中で、国家錬金術師はいとも容易く錬金術で多くのイシュヴァール人を殺している。
効果的に。
能率的に。
そこに、感情はあるのだろうかと思うほどの、正確さでイシュヴァール人を『殲滅』していくのを見せられる。
心が弱いものならば、精神的負担を強いられることは間違いない。
そして、戦争神経症と呼ばれる精神疾患で、前線から姿を消すことになるのだ。
既にリザの部隊だけで、6人もの『脱落者』が生まれていた。





「……ここ、空いているか?」
声をかけられて、リザは顔を上げる。
そこに立っていたのは、見知った顔だった。リザの前の席に座りたいのだと、理解して頷きながら言った。
「どうぞ……少佐どの」
少佐と呼ばれた青年は驚いたように顔を上げ、無理に微笑んだ。
「どうして、私が少佐だと?」
「……私はスナイパー部隊です」
国家錬金術師。
少なくとも今現在、イシュヴァールとの戦いで重要な地位を占める国家錬金術師は、わずかしかおらず、それゆえもあって、国家錬金術師には少佐相当の地位が与えられる。
それでなくても、国家錬金術師の後方的護衛を任されているスナイパー部隊は、スコープの中に毎日護るべき対象を覗き込んでいるから、国家錬金術師が誰なのか、よく分かっている。
「失礼する」
少佐が座る間、リザはさりげなく辺りを見回す。休憩所は幾つかのテーブルを置いてあるが、いずれも満杯で確かにリザの回りしか席は余っている様子がなかった。
特に会話もなく。
黙々と食べていた二人に、突然声がかかった。
「何だよ、マスタング少佐。黙々と食べてるだけじゃ、面白くないだろ? せっかくの美人と一緒のお食事なんだから、もっと笑顔で」
「にゃにほしゅる、はにゃしぇ」
思わず飛び出た意味不明の言葉に、リザは顔を上げる。
そこにいたのは。
自分の前に座っている少佐と、その少佐の後ろに入り込んだ、メガネの男。
メガネの男に両ほほを引っ張られて、男は言葉を正確に発することが出来ないのだ。
「ほひ、たひひ。ひましゃらにゃにほ」
「せっかくのお嬢様を、飽きさせる方が礼儀に反するだろう?」
少佐は乱暴にメガネ男の手をふりほどいて、
「何をする! ヒューズ大尉」
「だから、笑顔でって言ってるじゃん?」
「……よけいなお世話だ」
憮然とした表情で振り返った少佐は、しかしリザがまっすぐ見つめているのに気づいて、
「あ〜、失礼」
「いえ」
表情も変えず、リザは食事に戻った。その様子にホッとしたのか少佐も食事に戻ろうとするが、横に空いた椅子にヒューズ大尉が座りこみ、ニヤニヤとマスタング少佐の顔を覗き込む。
「久しぶりの女性との食事だなぁ、邪魔しちゃ悪いかな?」
「……ヒューズ」
「ん?」
「たった一人だけでも燃やすって、簡単だからな」
切れ長の目には、静かな怒りが揺らめいていて。
「はいはい。せっかく情報持ってきたのに」
「なんだ」
「今週いっぱいはここね。来週から国家錬金術師はそれぞれ担当の地域を決められるらしい。来週から独り立ちってこと?」
「……そうか、分散させるか」






ヒューズ大尉はしばらく雑談をして、そのたびマスタング少佐に『燃やすぞ』と脅されていたが、やがて姿を消した。
休憩時間も終わりに近づいたので、食器の片づけをしようとリザが立ち上がると、
「君」
マスタング少佐に、声をかけられた。
「はい」
「どこかで……会ったことはないか?」
ほんの一瞬。
リザはマスタング少佐の顔を凝視したが。
「わかりません。スナイパーですから、いつも少佐の姿を確認しているので、私どもの方は少佐を存じていますが」
「……そうか」
「少佐」
「ん?」
思い出そうとしていたのか、中空を漂っていたマスタング少佐の視線がリザに戻る。
「我々スナイパーは、国家錬金術師の支援を任務としています。僭越ながら、我々の目が少佐をお守りします」
決然とした言葉に、マスタング少佐は苦笑して。
「ああ、頼む……ええっと」
「ホークアイ、リザ・ホークアイ准尉であります」
「ホークアイ准尉、よろしく頼む」
「はい」
リザは最敬礼で答え、その場を去った。






1週間後。
ある街の外れ。
野営する軍の1個小隊の中に、リザの姿があった。
朝、少尉から命を受けた。
通称マスタング小隊に配属。リザはその名前と、先日休憩所で会った少佐の姿を思い浮かべながら命を聞く。
『あのな、准尉』
言い出しにくそうに少尉は言う。
『この任務、断ってもいいぞ』
『少尉どの?』
『国家錬金術師直属って形になるから、今まで以上に生々しいもん、見せられる可能性が高いから……』
今更、何を。
リザは表情には出さず、直接の上司を毒づいた。
『構いません。拝命、承ります』
集合場所の野営地で、リザは指定されたテントの前で声を上げた。
「リザ・ホークアイ准尉です」
「入れ」
リザがテントの中に入るとテントの中ではテーブルの上に地図が広げられ、二人の男が覗き込んでいた。
「お? どっかで見たことある顔だねぇ」
一人がリザを見て、声を上げる。
リザの方も見覚えがあった。先週、休憩所でであった『ヒューズ大尉』だった。
「マース・ヒューズ大尉だ」
「ホークアイ准尉であります」
「少佐どの、転任者だぞ。ご挨拶しといたほうがよくないかい?」
「うむ」
明らかに上官を敬語を使わずに話しかける大尉の様子に、リザは目を細める。それに気づいたのか、大尉はにっかりと笑ってみせて、
「士官学校からのつきあいでねぇ。国家錬金術師にならなきゃ、俺の方が出世してるのにさ」
「……」
少佐が訴えれば軍法会議ものですよ。
目で訴えた言葉は、大尉に通じたらしい。
「うるさい。悔しかったら、国家錬金術師になってみろ」
地図に視線を向けたまま、少佐が言う。ヒューズ大尉は肩を竦めてみせて、
「はいはい、少佐どのの仰るとおりですよ」
「准尉、こちらへ」
促されてリザは地図の前に立つ。少佐はリザの顔も見ず、地図を指さした。
「ここに反乱分子の大規模なアジトがある。私と数名が先行するが、准尉には常に私の場所を把握してもらいたい」
「はい」
「以上だ」
明確な少佐の命令に、リザは敬礼して答え、テントを出て行こうとする。
「准尉」
不意に呼びかけられて、リザは振り返る。
相変わらず視線は地図に向けたまま、少佐は呟く様に言った。
「よろしく、頼む」
「以前にも申し上げました。少佐は我々が護ります」
無表情のまま告げるリザ。
無表情のまま聞く少佐。
やがてリザはテントから出て行き。
「な〜んかさ、ロイ」
士官学校以来の親友がファースト・ネームで自分を呼ぶ時は、必ず嫌みを言う時で。
「心強いバックアップなんだか、愛の告白なんだか」
「……グレイシアに、彼氏を燃やしてしまってすまないと先に手紙を書くべきかな」
「……こんないたいけな軍人を、いたぶるなんて国家錬金術師ってのはひどいねぇ」
軍人の表現に、『いたいけな』は間違っているし、何より自分より背が高いヒューズが弱いなんてこと、一度会ったことのあるヒューズの彼女が信じるはずがないことを少佐は思い当たり、一言呟いた。
「やっぱり、一度燃やしてやる」



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