ここにいる理由 02




「さて、『鷹の目』のお嬢さんはどこにいるのかな♪」
街に先行した少佐とヒューズ大尉だったが、思った以上に人影がない。
これはこれで作戦には好都合だ。
できれば被害は最小限に抑えたい。直接の上司であるグラン大佐に聞こえれば何を愚かなと一笑に伏されるような望みを、少佐は持っていた。
街の中は、全て敵である。
分かっているはずだが、だが目の前に銃を構えた子供が飛び出してきたら、きっと自分は躊躇するだろう。
発火布の手袋をしているから、親指と中指をすりあわせるだけで、『敵』を撃退できる。
だけど、きっと自分はたったそれだけのこと、自分の命を守ることにもなるというのに、躊躇するだろう。
『それがお前の甘さで、お前の強さで、お前の優しさだ』
親友はそう言ってくれるが、少佐は苦笑することしか出来ない。
『とにかくな、今は俺を守れよ』
そう言って、ヒューズは戦場にまで少佐につきまとう。
守られてやるから。
尊大な態度に腹は立つけれど、それでも少佐の二律背反の微妙すぎるバランスを、ヒューズ大尉が取っていることに少佐は気づいていた。
「お?」
ヒューズが声を上げ、少佐は思考の海から抜け出した。
「どうした?」
「あの尖塔の上で、何か光って……あ」
ヒューズの指さしたのは、街の中心に立つ尖塔。イシュヴァールの街には必ずある尖塔は、イシュヴァラ神への祈りを求める唄を、聖職者が街に向けて唄う為の場所だった。
その尖塔の最上階に穿たれた窓。そこから銃口が見え、その奥でリザがこちらを見つめていた。
「いい場所、確保したねぇ」
「……行くぞ」
一瞥して、少佐は踵を返す。






安全装置を外した。
深く深呼吸をしてから、もう一度スコープを覗き込む。
辺りを見回しながら進む、少佐と大尉。
二人が進む少し先を見る。
何か、光った気がした。
焦点を合わせる。
いた。
3人の男。
褐色の肌、真紅の双眸。
間違いない、イシュヴァール人だ。
物陰に隠れて、一人の男が残り二人に手を振って指示を与えている。その肩には銃がかけられているのがちらりと見えた。
リザは今度は小さく短めに深呼吸をして、スコープを再び覗き込み、指示を与えている体の男の額に、照準を合わせ。
ゆっくりとトリガーを引いた。
静まりかえった街に、銃声が響き渡った。



「な!」
「静かに」
近くに巨大な崖があるために、銃声は幾度も反射して消えていく。低く構えた二人の耳には、消えていく銃声とは別に、機関銃の音が響いている。
「あらら、お嬢さんがドンパチしてるのかね」
「そのようだな」
続いて明らかに機関銃とは違う2発目の銃声。少し間を明けて、3発目。
そして静かになった。



野営地のすぐ隣には、かつて使われていた井戸があった。
とは言っても、使う者がいなくなっただけで、井戸は十分な水を湛えていた。
マスタング少佐は井戸から汲み上げたバケツいっぱいの水を頭からかぶる。冷え切った水は、少佐の停止しそうな思考を再び動かす。
軍服の上からかぶってしまったから、下着の中まで冷水が入り込むが、乾燥しきったこの地では1時間もすれば乾いてしまうし、乾かなければ自分が焔を錬成して、乾かしてしまえばいい。
軍服を濡らしたことよりも、今は思考を止めないことが少佐にとっては大事だった。



街にいたのは、反乱分子だった。
だが、わずかな数だった。明らかに情報とは違っていた。
そして、決して大人とは言い切れないだろう年頃の子供も交じっていた。
少佐は、迷わなかった。
自分に銃口が向けられたことに気づくと、迷うことなく辺りの空気を錬成し
焔を生み、焼いた。
そこにいた者は、少佐と大尉を残して、息絶えた。
肉の焼ける匂い。
拡散した脂肪が、空気を重くする。
そこにあった者の、姿もなく。
こんなことを何度、繰り返してきただろう。
殺すこと。それは、自分の命を守ること。
だが、命を守るために命を奪うという論理が成り立ってはいけないのだ。
少佐は、水滴が落ちる前髪を乱暴にかきあげる。
きっと答えは出ない。
自分が軍人でいる限り、いや、生きている限り、答えは出ないだろう。



砂を踏む音に、少佐は振り返った。
無表情な狙撃手の姿に、少佐は無表情のまま、言った。
「今日は、ご苦労」
「……任務ですから」
リザは手にしていたタオルを差し出す。
「どうぞ」
昨日、少佐から命を受けて少しだけ街に近づいた時、井戸を見つけた。
まだ使える井戸のようだったから、顔でも洗おうかと近づいてみると、上官がバケツを頭上からかぶっている。
思わずタオルを差し出した。
乾燥しきったこの地では、少し置けば全てが乾くことを分かっていたのだが。
「ありがとう」
少佐は素直に受け取り、顔を拭く。そしてぽつりと言った。
「准尉」
「はい」
「准尉は、入隊してどのくらいになる?」
「……半年ほどです」
「新兵でここに送られたのか?」
リザが頷くのを見て、少佐はため息をつく。
「実戦第一と言うことか」
「もう、慣れました」
リザは入隊時の体力検査で、狙撃手向きと認められて以来、ずっと狙撃手を続けてきた。
「銃は……いいです。剣やナイフと違って、人が死にゆく感触が手に残りませんから」
「そうか……」
イシュヴァールの乾ききった風の中、リザの世界はスコープの中だけだった。
スコープの中が全てであり、戦場だった。
だからこそ、黙々と任務を遂行し、自分が引いた引き金が、どんな結末を引き起こすのか見届けたとしても、何の感情も湧かなかった。
「……入隊前に、元軍人の母に言われました。何のために引き金を引くのか、考えろ。考えることを止めてまで引き金を引くのなら、それは人間ではない。機械だと」
濡れてしまった手袋を、幾分面倒くさそうに外しながら、少佐はしかしリザから視線を外さない。
「で?」
「え?」
「准尉は、何のために引き金をひくんだ?」
「……考えてはいますが、答えは見えません」
「そうか」
「少佐は……何のために、戦うんですか?」
肌にはりつく、脂肪とタンパク質の匂い。
身体を洗っても、染みこんでしまったように離れない、人を『燃やした』あとの匂い。
それが、自分が人を殺めた証であり、罪の形。
「なんのため……か。分からないな、私にも答えは見えないな。だが……」
少佐は言葉を飲み込んだ。
どれほどの、人を殺めただろう?
褐色の肌、真紅の双眸を持つだけで、自分が命の糸を断ち切った者たち。
多くを、殺した。
「准尉、確かに君はいい選択をしたのかもしれないな」
「?」
「錬金術は、人を殺める感触が残るんだよ、心の奥底までね。そして忘れさせてくれない」
「……少佐」
少佐は自嘲するように微笑んで。
「だから、いつも考えることが出来る。なぜ自分は軍人で、人を殺めるのか……とね。だが、それでいいのだよ」
少佐は微笑みのまま、澄み切った青空を見上げる。
「私は多くを殺した。これからも軍人である限り、多くを殺すことになるだろうよ。だがその事実を肯定も否定もしない。いずれ、報いを受ける時が来るかもしれないが、出来るだけ多くを、殺さずに救うことを考えたいのだ……ま、理想だがね」
「机上の空論、という諺をご存じですか?」
准尉の言葉に、少佐はにっかりと笑って見せて。
「ああ、知ってるさ。だけど、思考を止めないために、そういう理想だって必要じゃないか?」



不意に。
リザは、母の問いに答えを見いだした気がした。
野営地に帰って行く少佐の背中を見ながら、リザは呟く。
「そう……護りたい者を護るために、引き金を引く。それでだけでいいじゃない……」



茫々たる砂の海を、風が渡る。
少佐はさっきまでいた街を見下ろしながら、呟いた。
「机上の、空論か……」
「あぁ、なんか言ったか?」
親友が割れたメガネの補修をしながら振り返る。
「なんでもない」
「そっか? なんかさ……楽しそうだぞ?」
なんかあったか?
すり寄って来るヒューズ大尉をよけて、少佐は渡る風を感じながら、微笑んだ。
「ああ、いい話が出来た」
「お?」
「いつか、お前にも教えてやる」
「彼女でも出来たか? そうか、おくてのお前にしてはよくやったな」
「……やっぱり一回燃やしてやる」



内戦終結を大総統が宣言して、2年半。
東方司令部に、リザの姿があった。
司令官室で辞令を受け取ると、すぐに部屋に通された。
決して広いとは言えない部屋の最奥、陽光を背に立つ者の姿を見て、リザは表情を崩さないまま、その男の前まで行き、最敬礼する。
「リザ・ホークアイ少尉であります。本日付で赴任いたします」
「ああ。聞いている」
マスタング少佐は鷹揚に頷いて、
「元気そうで何よりだ」
「少佐こそ、お元気そうです」
イシュヴァールの乾いた風の中で、理想を語っていた男の目は、しかし決して変わった様子も見せず、だがリザは続いた言葉に呆気にとられた。
「少尉。私は出世する。だからついてこい、いいな」
「……出世ですか」
「ああ。出世すれば敵が増える。私はねらわれるやもしれぬ。そのときは、頼むぞ?」
揶揄するような少佐の言葉に、リザはしかしすぐに立ち直る。
穏やかに微笑んで、答えた。
「何をいまさら。護りますよ。それが私がここにいる理由ですから」



護りたいものを、護る。
そのために、他者の命を奪うことが許されることはないけれど。
だけど、私は引き金を引く。
自分の意思で、護りたいものを、護る。
そう、決めたから。



end


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