New Life






「あれ、本間さん?」
呼ばれて振り返れば、吉岡が立っていた。満面の笑みでこちらに近づいてくる。
「もう起きてもいいんですか?」
「うん。午前中は安静にしてなきゃいけなかったけど、今は大丈夫。吉岡くん、ありがとうね」
「いいえ。この度はおめでとうございます」
渡された花束を恵は笑顔で受け取って。吉岡の向こうにいる二人を見た。
「本間さん、おめでとうございます」
「ありがとう、仙崎さん」
小さく頭を下げて。恵は顔をあげて、大輔の隣にいる環菜を見た。
「奥さんもわざわざ…ごめんなさいね」
「あ、いえ。気になさらないでください」
にっこりと微笑んで環菜は恵からガラスの向こうに視線を移した。
「可愛い…お子さんは?」
「あの奥の、水色の産着を着ているでしょ? 足をばたばたさせてる子」
生まれた時の赤みは幾分引いて、数台並べられたベビーベッドの中で、一番大きく見える赤子がばたばたと足を動かしているのが見えた。
「先生に言われちゃった。近年希に見るほどの、元気で丈夫な赤ちゃんだって」
『ほお、これはなかなか元気じゃの。これほど元気なのは見たことないな』
産科医歴30数年の医師に言われたことを恵は思い出す。
大輔が一歩ガラスに歩み寄り、穏やかに微笑みながら言う。
「…元気、なんですね」
「うん」
「…………よかった」
小さく安堵の溜息を吐いて、大輔はガラスに右手を添えた。恵はそんな大輔の横顔を見つめながら、静かに言った。
「仙崎さん」
「はい」
「あの子も、あなたに助けられたのよ」
「……………そんな」
「フェリーの中で、何度も死にかけたあたしたちを、励まして、助けてくれたのは仙崎さん、吉岡さん」
吉岡に視線を泳がせば、お調子者の若者は満面の笑みで聞いていて。
「あなたたちよ。本当にありがとう」
「やめてくださいよ、本間さん。俺らは助けたくて助けたんだから。ね、大輔さん」
「ああ」
「でもね」
恵は、少し前までの癖で思わず自分の腹部を両手で撫でながら言う。
「あたしは何度も思ったの。ここで死ぬんだ。死んでも仕方ないって。でもその度に二人が助けてくれた。生きることの大切さを教えてくれたんだよ」
顔を上げれば、穏やかな表情の大輔と、目をきらきらさせている吉岡がいて。
恵は言った。
「仙崎さん」
「はい」
「ハシゴ昇ってる時の約束、覚えてる?」
「………はい」
「あの子の名前、大輔にするわ」
「でも…いいんですか?」
大輔の迷う声に、恵はにっこりと微笑んで。
「もちろん! 主人もそうして欲しいって言ったもの」





遙か彼方に見える、空。
そそり立つハシゴを、恵は気力を振り絞って昇っていた。
少しだけ足下を見て、思わず身体が竦んだ。
大輔に見るなと言われた時には、もう身体が動かなくなってしまったあとだった。
一段一段、ハシゴに抱きつくように昇った。
海老原が言った。
一生忘れられない名前になるな。





仙崎大輔、です。





恵は、もしお腹の子が男の子なら、大輔と名付ける。
そのとき、大輔と約束した。
「仙崎さん。私はあの子に、あなたのように優しくて、強くて、決して諦めない子どもになってほしい。だから、大輔とつけたいのよ。ダメ?」
「いえ…」
一瞬視線を泳がせた大輔は、すぐに恵を見つめて。
「本間さんがいいなら、使ってください。俺の名前」
「うん」
吉岡がにっかりと笑って、
「本間大輔くん、よろしくね!」
ガラス窓の向こうでばたばたと足を動かす赤子に手を振った。





玄関を開けると、初冬のひんやりとした空気が二人を包んだ。
環菜は肩を竦めて、家に入る。
「すっごい、大輔くん。ちゃんと片づいて…」
いるじゃないと続けるつもりだったけれど、キッチンの惨状を見て、言葉を飲んだ。
「大輔くん…」
「あ、ごめん。ここのところ、忙しくて…」
あたふたとキッチンに飛び込んでくる大輔の背中は、決して小さくないのに、小さく小さくなってしまって。環菜は思わず苦笑する。
「いいよ。座ってて。コーヒー入れよっか」
「あ、うん」
入籍してから何度も新居になる家族寮には来て、自分の荷物や大輔の荷物を放り込んでは片づけて、放り込んでは片づけて。
だがキッチンの惨状は、どちらかといえば誰かと宴会したあとの片づけがされていないだけのようで。
自分が片づけたままのポットを引っ張り出しながら、リビングの片づけをしている大輔の後ろ姿を見た。
「えっと、新聞新聞…あれ? テレビのリモコン…」
「大輔くんってば、座って」
「あ…」
ぽすんと座った大輔の前に、環菜は手際よく先週横浜で買ったばかりの揃いのマグカップを出す。
「はい。ペアなんてベタかなぁと思ったけど…」
「あ、ありがと…」
特に何も考える様子もなくマグカップを受け取って、大輔は一口飲んで。
「……環菜」
「ん?」
「ごめんな…いろいろあって」
環菜は小さく笑って、大輔の顔を見つめて言った。
「あのね、大輔くん」
「ん?」
「こんなこと、全然大したことじゃないし、それよりよかった。あたしも、大輔くんがあんなに嬉しそうにしてるところに一緒にいられて嬉しかったよ」
「…………そう、かな?」
「うん」





人を助ける。
言葉にすれば、容易いけれど。
大輔の仕事は過酷で、時には残酷で、自然に打ちのめされることもあるけれども。
それでも、大輔は約束してくれた。
必ず、環菜のもとに生きて帰ると。
必ず、全員助けると。





「待つのは…辛いよ。哀しいよ。でもね、大輔くん」
環菜は真っ直ぐに大輔を見つめた。
「大輔くん。哀しいけれど、これがあたしが選んだ道なの。仙崎環菜として、選んだ道なの」
「…環菜」





自分は選んだ。
大輔を信じること。
待っていること。
大輔を支えること。
受け止めること。
もう、迷わない。
離さない。





翌月。
仙崎家に一通のはがきが舞い込んだ。
「あ、本間さんからだ」
送り主を確認してから、裏を見て大輔は固まり。
数回、目をパチクリさせて思わず苦笑した。キッチンから顔を出した環菜が聞く。
「どうしたの?」
「ん………………」





新しい家族が増えました。
大輔、と言います。
どうぞよろしくお願いします。

P.S.
本物の大輔Jrが生まれたら、紹介してね♪
出来ればうちの大輔の同級生に♪





「本物の?」
「………………」
「大輔じゅにあ?」
口に出して、環菜はようやく理解して。
大輔よりも遙かに多く瞬きして、環菜は……。
「いやだ、本間さんってば!」
顔を真っ赤にさせて、キッチンのに逃げ込んだ。
その場には大輔が残され、笑うしかなかった。
そしてはがきを見つめながら、小さく呟く。
「本間さん、同級生は無理かな…」





はがきの中では、家族3人が満面の笑みを浮かべている。
新しく生まれた、命。
大輔は穏やかにそれを見つめて、そして再び呟いた。
「おめでとう、本間さん…」





たった4時間の、邂逅だった。
要救助者の本間恵と、海老原真一。
そして吉岡と、大輔。
浸水と、火災の中を生きるために逃げまどった4時間。
だがあの時繋がった絆は、まだ続いている。
大輔と、吉岡が『信頼』という絆でつながれているように、
大輔と要救助者も、つながっている。
きっと、これからも。
恵と大輔の絆は続いていく。



end...







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