An oath of eternity 1
大輔は、悩んでいた。
腕組みをして、目の前に並べられたものを、困惑の表情で見つめていた。
困っていた。
だが、誰かに救いを求めるわけにもいかず。
ふう。
小さく溜息を吐いて、顔を上げた。
「お決まりになりましたか?」
にっこりと笑顔で女性店員に問われて、大輔は首を横に振って。
「また来てもいいですか?」
「ええ、何度でも。大切なものですから、時間をかけて決められる方もいらっしゃいますから」
「……すみません」
しょんぼりと肩を落として自動ドアの向こうに姿を消した大輔に、店員は優雅な仕草で頭を下げて。
ガラスケースの上に並べた品物を、丁寧に片づけ始めた。
「結局決められなかったの? いるのよねぇ、彼女に内緒で用意しようと頑張ってみるけど、結局決められずに彼女連れてくるの。あのお客さんもそうじゃないの?」
同僚がこっそりとはなしかけてきた。女性店員も他の客の目を気にしながら、
「そうかもしれないわね。でもね…」
『人生最大の、贈り物かもしれないんですよね?』
爽やかに告げたあの青年が、自分が並べたそれらを2時間も考え込むほど、相手のことを大事に思っている。
真剣に悩む背中に、女性店員は微笑ましささえ感じていたのだ。
「あたしたちからしたら、ちっぽけなものだけど。やっぱり夢、っていうか愛情の形なんだろうね。結婚指輪って」
証明に白銀色に輝く、プラチナの二つの指輪。
朱のビロードの専用ケースに収められて、自分の手の中にあるもの。
それが、人生最大の贈り物だと言い切れるその、潔さ。
「彼女、連れてくると思う?」
同僚の言葉に、女性店員は最後のケースをガラスケースに片づけながら、
「さあね。分からないな…連れて来ない気もするよ」
「ええ、決められなかったんですか!」
吉岡の声に、大輔も小さく溜息を吐いた。
「今日こそは決めるつもりだったんだけどさ…見てるうちに、こっちがいいかも、あっちかもって…」
「大輔さんって、変なところで優柔不断ですねぇ」
呆れかえったように吉岡が言うのを、大輔はふて腐れて、
「うるせ!」
大輔の回し蹴りを横腹に受けて、吉岡が悶絶する。
「大輔さん、ひどい…」
「お前が余計なことを言うからだ」
「だって、俺が一緒に下見に付き合ってなかったら今頃…」
わざとらしくシクシク泣かれて、大輔の心が少しだけ痛んだ。
環菜との結婚式を、呉で行うことを決めたのが2ヶ月前。
式まで2週間。
電話の向こうで、環菜が結婚式までの準備のことをあれやこれやと並べている。
あれもしなきゃいけない、これも…あの準備も、この準備も…。
大輔が思わず言った一言でケンカになった。
『適当にしておけよ』
『あのね、大輔くん。結婚式って一大イベントなんだよ、一生で一回しかないかも知れない、最大の晴れ舞台なんだよ! あたしが、どんな思いで寝る間も削って、ウェディングドレス作ったと思ってるのよ』
鹿児島沖で沈んだフェリー・くろーばー号に、環菜も乗っていた。
大輔が一歩を踏み出せずにいた『結婚』に、環菜は自分のウェディングドレスを製作するということで、大輔よりも早く進み始めていて。
だが、そのウェディングドレスは沈没で一度海に沈み。
海岸に打ち上げられて、環菜の手に戻った。
何とかクリーニングで潮の香りは取れそうだという。
環菜は嬉しそうに、そのドレスで式に出ると言っていた。
だが環菜の言う『準備』は明らかに環菜一人では辛そうだったし、自分で手伝えることがあるのなら手伝うつもりを伝えたかった大輔は、しかし言い方を間違えた。
そして帰って来た答えも大輔の気持ちとは全く違った答えだった。
『………じゃあ、頑張れよ』
『何よ、その言い方』
『なんだよ、俺に出来ることがあるって?』
『ないわよ!』
いつもの、他愛もないケンカだった。
だが、大輔は少し反省したのだ。
だから、吉岡に相談した。
自分に出来る『準備』はないのか。
『………そうですねぇ…じゃあ、結婚指輪とかどうですか?』
それから1週間。
吉岡と書店で、女性たちに白い視線を浴びせられながら、結婚指輪の本を立ち読みし、鹿児島市内で何軒か宝石店を下見して、今日、買うと決めて訪れた宝石店の、女性店員のあまりにも流ちょうな説明に圧倒されて、悩みすぎ…。
「そんなに上手だったんですか? その店員さん」
「こっちのリングは、大きさはそれほどでもないけど、フォルムのデザインが若い方に人気、こっちのリングは少し大きめのようですが、文字に意味があります…」
大輔の口から普段聞かないような流ちょうな説明が流れ出し、吉岡は呆気にとられて大輔を見つめた。
「ほあ〜…それほど言われたら、俺だってダメかも」
「やられた…迷ったんだ、それで」
大輔が事務机に倒れ込む。
「迷ったって…30分?」
「いや、2時間」
吉岡は思わず言葉に詰まる。
筋肉むきむきのこの青年が、2時間ガラスケースを睨み付けながら突っ立っていたのだ。きっと店にしてみたらとんでもない迷惑だろう…。
だが吉岡はそれをあえて口にはせずに、
「次は俺、一緒に行きましょうか?」
「いや、いい」
さきほどまでの弱った口調は、消えた。
顔は見えないけれど、大輔は強い口調で言う。
「ここから先は、俺が決めなきゃいけないんだ」
「………………大輔さん」
『そう』
あっさりとした環菜の応えに、吉岡は拍子抜けした。
「え、なんスかそれって。なんか、冷めてるって感じするんスけど」
『………冷めてないし、怒ってもないけどね。大輔くんがあたしの為に何かをしてくれるってことは、嬉しいよ。だから…待ってる』
大輔は環菜に連絡しないまま、結婚指輪を選び始めたが、さすがに吉岡は心配になって環菜に連絡したのだ。
結婚式で結婚指輪が2ペアもあったら、びっくりな話だ。
だが、知らされた環菜は至極冷静に、分かった胸を吉岡に伝え、最初の電話はそこで終わった。
次の電話で、吉岡は大輔が指輪選びで悩んでいることを告げた応えが、さっきの言葉だった。
「待ってる?」
『そう、待ってるの。大輔くんが何か言い出すのを…何かしてくるのを』
だってそうでしょ? あたしは、大輔くんが何をしているのか知らないことになっているんだから。
静かに告げられては、吉岡も返す言葉がない。
「…………そんなもんスか?」
『そんなもの、だよ。吉岡くんも、彼女出来れば分かるよ』
「…………はあ」
不通話音を聞きながら、環菜は携帯のボタンを押した。
携帯ストラップの長いチェーンが微かにこすれあう音を立てる。
もともと、大輔が結婚式の準備を環菜にばかりさせていることを、悪く思っていることは気づいていた。
気づいていたけれど。
かなり大変な思いをしながら、準備をしているのも事実だけれども。
それでも、環菜はやりたかった。
大変だけれども、『伊沢環菜』が、『仙崎環菜』になる、儀式のような気がしていたから。
「あれ? 電話中じゃなかったの?」
ひょいと顔を出した母の歌子に、環菜は苦笑しながら。
「吉岡くん。大輔くんの様子を教えてくれたの」
「あんたたち」
歌子はみるみる表情を曇らせて、
「式まで1週間なのに、ケンカしてるわけ?」
「あ〜…」
確かにケンカはした。
けれども、次の日には大輔から電話がかかってきて。
『ごめん、俺が悪かった。適当なんて、今まで準備してきた環菜に悪いよな』
大輔のいいところは、自分の非をすぐに認められるところだ。
環菜は苦笑して、応えた。
『そうね。いいよ。もう、気にしてないから』
その数時間後に、吉岡から『結婚指輪画策中』の電話が入ったのだ。
「大丈夫だって」
「環菜、あたしはいやだからね。教会で、ウェディングドレス一人っての」
「なによ、縁起でもないこといわないで!」
「お、仙崎。明日から休みだろ?」
重富の言葉に、大輔は笑顔で頷いた。
「すいません、みなさんにご迷惑かけます」
「何言ってんだ。めでたいことなんだから、誰も文句言わんさ」
制服を脱ぎながら、重富が本丸をみやると無口な本丸が珍しく口を開いた。
「仙崎」
「はい?」
「………………おめでとう」
鹿児島航空基地機動救難隊6名の中で、結婚しているのは隊長の北尾だけ。それも子どもの学校のために、単身赴任している。
新しい、家庭を作る者がいる。
それが本当に隊にとっても、それぞれの隊員たちにとっても喜びだった。
「ありがとうございます」
「仙崎が明日、呉に発つのか?」
「俺も前の日に行きますから」
吉岡がにんまりと笑いながら、ピースサインを出す。重富がちらりと見て、
「仙崎のためなら休み返上でもいいけどなぁ、吉岡のためはなぁ…」
「ひど、それ重富さん、ひどいっすよ」
ささやかな結婚式にする予定だった。
だから、参列者も少ない。
仙崎家と伊沢家の親族も、親ぐらいだ。環菜の友人も数名。大輔も『平成16年度前期組』の中から5管と6管に所属している数人が駆けつけてくれるほどだ。その中で環菜は吉岡ともう一組にこだわった。
『無理なの? 機動救難隊から2人も休ませちゃ?』
『…………無理かも知れない』
たった6人しかない、機動救難隊なのだ。
だがどうしても出席したかった吉岡が、北尾隊長に直訴した。瀬戸口と本丸が休暇の交代を申し出てくれて、吉岡は2週間連続勤務を条件に出席を認められたのだ。もっとも、式の前日に呉に入り、翌朝には鹿児島に帰らなければならない強行軍だが。
「しかし、奥さんも思いきったな。仕事続けながら、鹿児島で生活するんだって?」
「はい。在宅勤務が出来ることになったんですけど…しばらくは別居婚なんですよ」
あははと軽く笑う大輔の背中を、本丸が見つめて小さな声で言った。
「気の毒、だな」
「ん?」
「…別居婚、か……………」
「おい、本丸。考え込むなよ」