100 いつかは





控えめなノックの音に、返事をしたのはひかりだった。
「はい?」
「あ、進次です……構いませんか?」
声も控えめで、ひかりは小さく微笑んで応えの代わりに、ドアを開けた。
急に開いたドアに驚いた様子の嶋本はすぐにひかりを認めて頭を下げて。
動きが止まった。
ひかりの向こうにある、純白の姿。
いつも見慣れた笑顔なのに、今日は違う笑顔に見える。
そしていつもと同じ微笑で、極上の喜びを嶋本の胸に落とした。
「進次。やっぱり、1種の制服似合うね」
「さとり…か」
「うん。ほかにいないでしょ?」
さとりは満面の笑みを浮かべて。
でも一瞬にして表情を変えた。
「あ〜、やっぱりやりすぎ?」
「さとりさん。そんなことはないとさっきひかりさんが言ったでしょう?」
「でも、おばあさま」
「花嫁はにっこりと笑って、座っていなさい」
嶋本よりも小さな理子が軽く背中を押せば、さとりは大人しく丸椅子にこしかけて。
理子はしゃっきりと背筋を伸ばしたまま、動けない嶋本をきりりと睨んだ。
「進次さん」
「あ、はい」
「あなたもそんなところに突っ立ってないで、さとりに何か声をかけておあげなさい。黙ったままではわかりません。はっきりおっしゃい」
「あ…」
少しだけ言葉を捜して、嶋本の視線が泳いだけれど。
すぐに、言葉は紡がれた。



「さとり、きれいやで」
「……ホントに?」
「ああ。こんなきれいな嫁さんもらえる自分で、ホンマよかったわ」



「なんや、そりゃ。さとりちゃんへの誉め言葉やないやないか。どっちか言うたら、自分への誉め言葉やな」
後ろにいた古藤が密やかな声で抗議するけれど。
嶋本の笑顔がすべてを物語っていて。
さとりは少しはにかみながら笑って。
「ありがと」
「ん? いや、ホントに綺麗やな」
さとりに近づいてみたり、遠のいてみたりしてさとりのウェディングドレスを堪能している嶋本の後姿を見ながら、真田が言う。
「古藤隊長」
「あ?」
「前から思っていたんですが」
「なんだ?」
「嶋本は、本当に氷野さんが好きなんですね」
突然の『真田っぷり』に古藤は思わず絶句する。
幸せ全開な氷野家ご一行さまと嶋本。
それを見つめる真田。
少し前まで、特救隊にいるまでは真田の『風が吹けば桶屋が儲かる』的な話法を読み解くのもそれほど苦痛ではなかったけれど。
ここまでかっとばしてたか。
思わず心の中で独白して。
古藤は小さく溜息をついて、真田の言葉をそのまま受け入れた。
「……好きじゃなかったら結婚なんてせんのじゃないか?」
「そうですね」
「おい、真田。お前、昔より言葉縮めすぎじゃないのか。ひどくなってるぞ」
「そうですか? 言わなくても、嶋本と高嶺がよく理解してくれるから」
「お前も少し言葉を増やすことを努力しろ。でないと、嶋と高嶺がいなくなったとき、たちまち困るだろうが」
「………それはそうですね」
「特救隊にいられるうちはいいがな。お前もいずれは特救隊を出るんだ。それは人間である以上仕方が無いことだ……一生神兵ではいられないんだから」
あたりまえのこと。
分かっていたこと。
だが、ここでは。
今、この場所では。
「……聞きたくなかったですよ」
「俺も言いたくなかったよ。だけどな、真田」
いつかは、終わるんだ。



パイプオルガンの音色に促されて、さとりとエスコートの古藤がゆっくりと真紅の絨毯の上を歩く。
新幹線が遅れて、嶋本の母がなんとか準備を整えたと同時に式は始まった。
「ごめんな、進次」
「仕方ないやろ。こればっかりはどうしようもない」
どたばたになってしまったことをこっそりと謝る母を、最前列に誘いながら嶋本はバージンロードを進むさとりを見つめる。
薄いヴェールの下にさとりの穏やかな微笑が見える。
姉のひかりがデザインし、自ら縫い上げたさとりのウェディングドレスは、バージンロードに足を乗せたときに、参列者から感嘆の賛美を受けた。
長身で少し細身なさとりにはマーメイドラインの裳裾が動きに合わせてゆらゆらと動く様子がよく似合っていて。
背丈ほどのヴェールも、左肩から腰までのブーケ・コサージュも、ひかりが数年前からさとりのウェディングドレスのイメージだと考えつづけていただけあって見事にさとりに似合っている。
ゆっくりと歩いてくるさとりの様子に見惚れていた嶋本は古藤が言った一言に最初反応できなかった。
「え?」
「あほ、手を出せ」
「あ、はい」
さとりのエスコートを受け取りながら、古藤が耳元で囁くのを聞いた。
「さとりちゃんを、頼む」
「はい」
交わされた男の約束を、さとりは穏やかに聞いていた。




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