fragment 02





「珍しいな、お前がこっちで、こんな宴会やってるなんざ」
心底驚いたような口調の割に、その表情に諷する様子を見て、千早は憮然とした表情を浮かべながら、杯を傾ける。
「何、あたしがここで酒宴を張ってちゃ悪い?」
「いや。もっと供人引き連れて、優雅に音曲なんかやりながら…と想像してただけさ」
どかりと千早の前に座りながら、更木剣八は浮竹十四郎が差し出した杯を受けた。
「男の酌か」
杯を渡し次いでに、徳利を差し出した浮竹はねめるような更木の視線に一瞬鼻白んで。
「……そういうことにこだわりがあるとはね」
「ふん」
浮竹が差し出した徳利を引っ手繰るように受け取って、更木は手酌で杯を一杯呷って。
「……美味いな」
「そりゃそうでしょ。せっかくの花見酒だもの」
飄々と言い返す千早を見やって、更木は手の中の杯を見やって。
そして笑った。
「そうだな、そりゃそうだ」
笑う更木の、まとめた髪先の小さな鈴が、小さな音を立てた。






梅の頃に、花見を。
そう言い出したのは、京楽春水だった。
それも、定例の隊首会の議題として。
これとない日常の中。
急を要するような案件もなく。
日々是平穏の中で、にまりと笑いながら京楽が言った。
『まあ、任意だけどねぇ。千早さんも顔を出すって言ってるし』






「まったく」
「あらあ、隊長。また怒ってるんですか? ちゃんと、あたし、仕事しましたよね?」
豊満すぎる胸の所為で微妙な角度に落ちてしまった死覇装の袷を直しながら、松本乱菊が問えば上官はいつものように眉根を顰めながら。
「お前に言ってるわけじゃない」
「へ? じゃあ……」
あたりを見回すけれど、日番谷冬獅郎が怒っている原因などわからない。
「隊長ぉ、誰に怒ってるんですか?」
広げられた、臙脂の毛氈に座るそれぞれには、酒に膳が配られて、見渡せど問題行動を起こしている者もなく。
「別に」
「ああ〜、そういう言い方、すっごく嫌われるの、知ってますかぁ?」
「…………」
『いつのまにか、冬獅郎も大人になっちゃったのかしらね……いろんな意味で』
あまりに含みを持たせた言い様に、冬獅郎は眉根に力を込める。
妙な噂を、聞いた。
玄鵬宗家当主玄鵬千早に、何ぞ思惑あり、と。
冬獅郎は、その噂を告げた時の千早の言葉を思い出す。
『あら、冬獅郎。そんなこと聞いてどうするの?』
にこやかに微笑んで、宴会に必要な荷物を運んでいる供人たちをちらりと見やって、千早は言った。
『でも、だめだよ』
『………どういう意味だ』
『冬獅郎には、まだ教えられないのよ』
続いた言葉。
思い出せば、冬獅郎は行き場のない怒りを覚えて、再び眉根に力をこめる。






だけど、どれが真実か、なんて……本人以外にはわからないのだけれどね…。






「……まったく、千早さんになにか言われたんだろうけど…」
一人表情を険しくする上司を見やりながら、乱菊はこっそりと呟いた。
「ほんと、素直だよねぇ」
「ん? 誰が、だい?」
振り返れば、穏やかな表情の浮竹を見つけて、乱菊は慌てて背筋を伸ばした。
「う、浮竹隊長!」
「さあ、君も飲める口なんだろう? 春水がいつも君との『対決』を教えてくれるからね」
穏やかに告げられて、乱菊は膝をそろえて正座した。
「……いただきます」
「うん」






「宴、酣……か」
朽木白哉が静かに告げると、足元に転がる徳利を、一緒についてきた阿散井恋次が片付ける。
「隊長」
「……ここはいい。お前はあちらへ」
視線だけで促されて、恋次はそれを見つけてギョッとする。
「な、なにやってんすか! 松本さん」
「あ、恋次ぃ。よく来たねぇ」
にへらと笑う乱菊が抱きついているのは、心底困った様子の浮竹だった。
「や、やあ……阿散井くん」
駆けてゆく副隊長とは向かう場所を異にして、白哉はちらりと視線を泳がせた。
「やあ、朽木隊長」
「ほう、四面家が二人もそろうなんざ、珍しいな」
「………先に始めている」
小さく声を上げた冬獅郎の横に、白哉は身軽く座り。寛いでいる千早を見やった。
そして低い声で告げる。
「ずいぶんと、和んでいるな…」
「そう、かしら?」
「少なくとも此方にはそう見えるが」
「うん、じゃあそうかもね」
白哉の座った前に、供人が饗応の準備を整える。
「やれやれ、参った参った。松本くんはなかなかだねぇ」
供人の初酌で一献開けた白哉がちらりと浮竹を見やって。
「ずいぶんと人当たりがよい……相変わらずだな、浮竹」
「ああ、これが僕の取柄だからね」
笑う浮竹に、しかし乱菊の直接の上司たる冬獅郎は黙然と乱菊の無礼を詫びるように頭を下げた。
一瞬の沈黙を破ったのは。
「千早、ちはや〜、ねえこれも食べていいの?」
千早の膳に並べられた数々の食事を指差すのを、一応制するのは直属の上司である剣八だった。
「おい、やちる。あんまり意汚くすんじゃねえよ」
「いいわ」
千早はやんわりと微笑んで。
指をくわえている十一番隊副隊長に、自分の膳ごと差し出した。
「いいわよ、好きにして。私はもういいから」
「ほんと!」
「ええ」
きらきらと目を輝かせるやちるの様子を、他の隊長たちも微笑ましく見つめていた。
すごい勢いで膳を片付けていた草鹿やちるが満足そうに笑って、
「ごちそうさま」
「いいえ」
「ねえねえ、お菓子はないの?」
そうねと応えて、千早は傍にいた供人を見つめれば、小さな器に綺麗に盛られた菓子がやちるの前に並べられた。
「うわ、美味しそう〜。理靜の持ってた朝倉屋の酒粕饅頭より」
告げられた名前に、千早が苦笑する。
「あら、やちる。理靜に会ったの?」
「うん。穿界門で。お土産だから、あげないって断られたの」
「そう」
穏やかに笑う千早に、白哉が杯を傾けながら聞いた。
「千早どの」
「うん」
「理靜を、一人で現世へ?」
静かな問いに千早は肩を竦めた。
「あの子も、もう私の手から離れていい頃だからね。そろそろ、世間ってものを見るのも」
「……世間、ね」
冬獅郎の密やかな抗議も、千早の微笑みに撥ね返される。
悠然と座る千早の、緩やかに結い上げられた髪に梅の花びらがひらりと落ちるのを見ながら、剣八は呟いた。
「手を離す、か……」






「屋形さま」
「うん」
「我らは引き上げまする」
「うん。今日はお疲れ様。あとの差配はいつものとおり、農左にね」
「はい」
宴の荷物をまとめた供人たちが、千早に深々と一礼して去っていく。
千早はただ一人、瀞霊廷のはずれ、梅苑に立つ。
宴も終わり、酒精を漂わせながら、あるいは来た時と変わらぬまま、招かれ人たちは姿を消した。
ひらりと花弁が舞い落ちる、その先についと手をのばし、一片だけ受け止めて千早はそれを黙然と見つめている。
見知った霊圧が近づいてくるのも、気にとめず千早は掌中の花弁を見つめている。
否、千早の視線は花弁の遥か彼方を見つめていた。
「……何を考えておられる」
密やかな呼びかけにも、最初は応えず。
呼びかけた白哉が再び問いかけようとした時、千早はゆっくりと口を開いた。
「白哉」
「……何か」
「ねえ、無理なお願いしていいかしら」
奇妙な問いかけだった。
『無理』と冠しているということは、白哉が断るだろうという前提のもとで、しかしあえて千早は願うのだという。
「……伺おう」
「朽木ルキア」
ただそれだけ告げられて、白哉の表情が僅かに動いた。
千早は掌中の梅花を見つめたまま、まるで独白のように呟く。
「ルキアちゃん、欲しいの」
「………なるほど、無理な願いだ。だが、我が妹、どのような見識で」
白哉は眉を顰めながら言った。
「理靜に、娶わせるおつもりか」
「まさか」
なよやかに花弁を在中するその指は、しかし力強く握りこまれ。
千早は妖艶に笑んだ。
「理靜の妻は、理靜が選ぶもの。私が選ぶものじゃあないでしょ……そんなこと、白哉が問うなんてね」
白哉は黙する。
かつて、最上の貴族の一人でありながら、朽木白哉が妻にと望んだのは流魂街出身の女性だった。
父も、母も反対したけれど、それを乗り越えて白哉は緋真を妻に迎えたのだ。
「……では」
「ねえ、ルキアちゃん。建前上は現魂界で任務ってことになってるの、知ってる?」
千早が握り締めた拳を、ようやくゆっくりと開き、砕いてしまった花弁の欠片を手を振って掌中から片付ける。
白哉は黙ったまま、頷いた。
「じゃあ」
千早は初めて白哉を見つめて言った。
「中央四十六室が、重過違反者候補にしていることは?」
尸魂界を貴族と流魂街代表で合議統治する組織として、中央霊議廷が存在する。尸魂界の本来の統治者は、霊王なのだが第四代霊王が長逝して以降、未だ第五代霊王誕生の兆しは見えない。ゆえに中央霊議廷が主たる統治を、霊王の代行者と認められた四面家から『委任』されて行っているのだ。
尸魂界すべての警護、現魂界での魂の管理や虚対策は、武力集団である護廷衆が行い、護廷衆に所属する者を死神、と呼ぶ。
中央霊議廷の一廓に、護廷衆における違反者を審査する司法機関が存在する。
それが中央四十六室だ。
養妹・ルキアは護廷衆第十三番隊に所属しており、数ヶ月前から現魂界で任務に就いていることは、第十三番隊隊長浮竹十四郎から聞いていた。
だが。
「………それは初耳だ」
「うん。極秘事項だからね。近いうちに……護廷衆に確保命令、出ると思うよ」
渋面の白哉を見つめて、千早は笑った。
「あなたの好きにしていいからね」
「好きに、とは」
「言葉のとおりよ。好きにしていいわ。白哉が望むなら無罪放免だってできるでしょう?」
できるだろう。
朽木家ならば。
だが……。
渋面から無表情に陥った白哉を見つめて、千早は溜息をついた。
「何のための、権勢か……ってうちの父がよく言っていたけれどね」
四面家。
尸魂界にあって、最上の貴族である玄鵬、四楓院、朽木、今は没落した志波。
名誉も。
権力も。
与えられているのに、なのに自分たちはなんと雁字搦めだろう。
愛しい者を妻に迎える。
慈しんだ者を助ける。
そのひとつひとつに、『名前』がついて回る。
「千早どの」
「ん?」
「…ルキアの罪は、重罪なのだな」
「…四十六室の判断によると、ね」
死神の能力を、独断で一般人に貸与したこと。
任務はこなしているものの、それは貸与した一般人の手を借りていること。
なにより、尸魂界で支給された偽骸を放棄、新たな偽骸で予定日数を越えていること。
いずれを鑑みても、重罪ではある。
「そうか」
「……だけど、あたしはルキアちゃんが欲しいのよ。是非ともね」
「ならば」
白哉は踵を返した。
梅苑を強い風が駆け抜ける。
千早のゆるく結い上げた髪が、風にあおられて解けた。
耳横につけられた小さな牽星箝がこすれあって金属音を立てる。
「我は知らぬ……朽木ルキアなど、知らぬ」
「そう」
そのまま立ち去った白哉の、白い背中を千早はまっすぐに見つめて。
乱れた髪をかきあげて、牽星箝を軽くつかんだ。
「重い、わね。やっぱり」
牽星箝は最上の貴族の徴。
だけど、千早にとっては錘でしかなかった。






どん。
空気を揺らす音に、理靜はちらりと顔を上げたけれど。
大して気にとめず、再び歩き始めた。
同じような音が聞えたけれども、今度はまったく反応もせず。
ただ、その口の端が綻んで。
「……ちゃんと、死神代行、してるんだ」
その言葉は独白で、誰の耳にも届かない。






ざあぁ。
巨大な虚の姿が、砂のように、形を無くして消えていく。
安堵の溜息を吐き出すルキアの隣で、巨大な斬魄刀を自分の背中に投げ上げるように鞘にしまって、一護は左拳を力いっぱい握って、
「よっし、今日も快調!」
「な〜にが、快調か!」
ルキアが大声で反論する。
「貴様の目には、あれが見えんのか? あ? この道路は誰が直すのだ? この呆然としている人間たちの正気を誰が直すのだ!」
ルキアの全身全霊の非難を聞きながら一護はぽりぽりと頭をかいて。
「あ〜、あのさ、ルキア」
「なんだ!」
「あれ」
一護の指差す先を見れば。
「なんだよ、これ」
アスファルトの道路に空いた巨大な穴を覗き込む人々。
「早く、記憶置換、したほうがよくねえか?」
「それを早く言わんか!」
慌てふためき記憶置換を行って、ようやく心底安堵したルキアの感覚の隅に、何かが触れた。
何か。
いや、誰かの霊圧だ。
昔から知っている霊圧…。
ルキアは思わず辺りを見回した。
遠い。
それも霊圧の高いものが現魂界に来る時に施される限定霊印の所為だろうか、非常に微弱な霊圧。
「おい、ルキア」
ようやく身体に戻った一護が、険しい表情のルキアに声をかける。
身体を奪われたコンもぶつくさ文句言いながら、だがルキアの異変に気づいた。
「姉さん?」
「あ、いや。なんでもない」
愛想笑いをしてみたけれど、ルキアの心の中では、察知した霊圧が誰のものか、ようやく思い至った。
そうか、理靜どのだ。
「理靜どのが、なぜ…」
小さな呟きは、前を歩きながら言い争いを繰り返す、一護とコンには聞えなかった。




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