「いやあ、朝倉屋の酒粕饅頭ですか、さすが千早さんですねぇ。あたしの好みをよく覚えてらっしゃる」
浦原喜助は満面の笑みで、テッサイが早速茶菓子にと、理靜の手土産を口に運ぶ。
「うんうん、この味です。こちらにも酒粕饅頭はあるんですけど、やっぱり朝倉屋のものが一番美味しいですよ」
「そんなものですか」
「ええ」
饅頭を堪能して、最後に緑茶をすすって、満足したように溜息をついてから喜助はまっすぐに理靜を見た。
「しばらく見ないうちに、すっかり男前になっちゃいましたねぇ、理靜さん」
「そうですか?」
「うん、やっぱり親子って似るんですねぇ。目元なんか、千早さんそっくりですよ」
言われて理靜は自分の目元をそっと撫でた。
母に似ている。
それはよく言われることだ。
だが、誰もが父のことを口にしない。
まるで父など、いないように。
理靜は、自分の父の名すら、知らない。
「理靜さん、なんかありましたか?」
「あ、いや…なんでもない」
小さく笑うその表情に、喜助は少し不安を感じたけれどそれを口にすることはなく。
「今日はどうされますかぁ? 泊まっていかれても、こっちは全然問題ないっすけど」
「…いや、母に言われている場所があるので」
自分に土産と差し出した同じ紙袋をもう一つ抱えて、理靜が立ち上がるのを見て喜助は眼を細めた。
「黒崎さん…ところですか」
「ああ。数日そこでお世話になれ、と」
「…いいですけど、事情、分かって」
ますかと、続けようとした喜助は理靜の顔を見て、言葉を飲み込んだ。
鷹揚な微笑み方は、やはり母親譲りだ。何もかもを、清も濁も承知の上で千早は応と笑う。彼女の総領息子は、まったく同じ笑みを喜助に返したのだ。
「大丈夫、のようですねぇ」
喜助はぱらりと扇子を広げて。
「黒崎さんところの一護くん。なかなか面白い子、ですねぇ」
理靜は奇妙な表情で喜助を見た。
眼深くかぶった帽子ゆえに、喜助の表情は見えない。上がった口の端が、喜助の表情を示していた。
「………どういう意味ですか?」
「会ってみれば、分かると思いますけどね」
分かる、と言われれば、理靜はそうか、と応えるしかなかった。
『従弟』になる黒崎一護とは、直接出合ったことがない。ただ母の話と、『伯父』の話でその人となりを知るのみだ。
そのことを告げると、扇子で口元を隠しながら喜助は言う。
「そう、ですか。じゃあ、余計なことを言わないでおきましょうか」
「……なんだか」
「はい?」
「母といい、喜助さんといい、そういう意地の悪いところ、止めたほうがいいですよ」
「いえいえ」
切り返した喜助の続く言葉に、理靜は絶句する。
「大丈夫ですよ、理靜さんもしっかり受け継いでますからね」
「えっと〜、あとは豆腐と牛乳だな」
手の中のメモを覗きこみながら、一護は声をあげた。
「おい、ルキア」
「あ、ああ。なんだ」
「豆腐、木綿だからな。2丁、取ってきてくれ。俺は牛乳のとこにいるからな」
促されて、ルキアは素直に豆製品売り場に走る。
ルキアの後姿を見やって、一護は小さく笑った。
本当に、何も現世のことを知らない『死神』だった。
最初の内、スポーツジュースを渡してもペットボトルの蓋が開けられず、ペットボトルの底にどこから持ってきたのか、コンパスの芯で穴を開けて中身を吸い出そうと悪戦苦闘してみたり。
テレビと対話してみたり。
思い出すだけでもおかしいが、とはいえいずれも現世を知らなければ仕方ない。ルキアの話では尸魂界の生活は現世の生活より『時代劇の生活』が近いらしいので、100年以上昔にはペットボトルもテレビもないことを思えばいいのだ。
一護がルキアに死神の力を与えられて、2ヶ月。
ようやく、現世の生活に馴染めたようだと一護は思った。
「で? 散々俺を待たせたあげく、なんでお前は右手に豆腐、左手に白玉粉を握り締めるのか、俺に教えてくれるか?」
一護にしては至極冷静に抑えたらしい声色に、ルキアのディバッグの中にいるコンは思わず身を竦めた。
こんな時の一護は、爆発寸前なのだと、決して長い付き合いではないコンでも分かる。
だが、コンより僅かにばかり長いつきあいのルキアは胸を張って応える。
「だめか」
「……だから、理由を説明しろと」
「いやな、豆腐を持ってこちらに向かう途中に、ご夫人に声をかけられてな」
意気揚揚と説明をするルキア。
ルキアの説明を要約するとこうだ。
道すがら、女性に声をかけられた。
小さな器を渡されて食べてみると白玉だった。
これが上手かった。
絶賛すると、いくつか食べさせてくれた挙句に、これで簡単に作れると袋を渡されたという。
「……それがその白玉粉だったと」
「ああ」
「……あのなぁ、ルキア。それはここの商品だから、お前の戦利品じゃなくて、買うんだよ」
「なに」
ようやく状況が飲み込み始めたルキアが青ざめる。
「買わなくていけないのか」
「そうだよ。お前が食わせて貰ったのは試供品、て言って。こんだけ上手いもんができるから、これを買ってくださいっていう……そう、宣伝だ」
「宣伝……私はひっかかったのか」
脱力するルキアを、しかし少しばかり気の毒に思えた一護がルキアの手から豆腐と白玉粉を取り上げる。
「まあ、自分で作れよ」
「…え、いいのか?」
「仕方ないだろ」
にかりと笑って、一護が豆腐と白玉粉を買い物カゴに放り込んだ。
一瞬ほっとしたルキアだったが、買い物カゴを覗き込み、思わず声を上げた。
「一護」
「ん? まだ喰いたいものがあんのか?」
「ではなくて、この量は……多くはないか?」
今日は父の一心は、夕飯時にはいないという会話を先ほど買い物の前に聞いていた。
だとしたら、表向きは双子の妹たちと一護だけのはずなのに、その量はいつもより明らかに多い食材の量だった。
「今日の晩飯と、明日の朝の分だな。今日が4人とお前だろ。明日は5人でお前だ」
「……客でも来るのか」
「ああ」
ちらりと見やって、一護は手近のポッキーをカゴに放り込んで言った。
「俺の従兄だ。多分、親父のところで寝るから心配すんな……とはいってもなぁ、俺、会ったことはないんだよなぁ。その母親には時々…ガキの頃、世話になったんだけどさ」
「ほう」
「童顔で、まさか子どもがいるなんて、先週まで知らなくてさ。先週、親父に言われて初めて知ったんだよなぁ」
「ず、ずいぶんとあっさりだな」
レジを済ませて、ずっしりと重い買い物袋を抱えて。
しかし、一護は笑った。
「だけどな、俺んち、親戚いないんだ。お袋は施設出身だったし、親父も妹だけだしな。その叔母さんも、年から年中海外だしなぁ」
「そうか」
「数少ない親戚だからなぁ、まあ今回は千早姉は来ないけど、息子でも俺に年近いって言ってたしな」
「近いのか?」
「ああ。高校卒業したくらいって」
数歩歩いて、一護はすぐ横を歩いていたルキアが足を止めていたことにようやく気づく。
「ん? どうした? わすれもんか?」
「いや……さきほど、一護。なんと言った?」
「どこだよ…高校卒業?」
ルキアは真剣なまなざしで一護を見つめて首を振る。
「違う」
「……息子でも?」
「その前だ」
「千早姉は来ない?」
「……それはどなたの名前だ?」
「ああ、千早姉か。玄鵬千早。それが、叔母さんの名前だ。なんだよ、苗字が違うのは知らねえし、千早姉って呼べって言ったのも本人だからな」
「…………そうか」
静かに返された言葉に、一護は眉を顰めた。
「おい」
「………私は寄るところがある。部屋の窓の鍵を閉めないでくれるか。そうすれば帰れるから」
「おい、ルキア。なんだよ、千早姉の名前がなんかあるのか?」
鋭い問いに、しかしルキアは答えず踵を返した。
「なにも、ない。なにも、だ」
ごく自然に、そう自然に見えるように背を向けて、ルキアは歩き始める。
「ったく。なんだよ、あ」
一護は思い出した。
「あいつ、バッグに白玉粉、放り込んでなかったか……作ってやろうかと思ったのに、まあいっか」
自然な速さだったルキアのスピードは、やがて変化する。
駆け出して。
ディバッグに入っていたコンが慌てて声を上げた。
「ね、ねえさん!」
「煩い……考え中だ」
「考え中って、さっきの玄鵬千早のこと? 玄鵬家の?」
コンの応えに、ぴたりとルキアの足が止まった。
「コン」
「な、なんだよ」
「玄鵬家を、知っているのか?」
「当たり前だろ。俺だって、技術開発局しか知らねえけど、それでも尸魂界のもんだからな」
改造魂魄であるコンは、尸魂界の生活を知らない。
ただ、『研究物』として瀞霊廷の技術開発局で生を享けた。
逆にいえば、それゆえに魂魄に刻まれた記憶がある。
「要するにさ、霊王、それに準ずる四面家。四面家に連なる貴族、その他モロモロ……絶対に逆らうなよって叩き込まれるんだよな〜、生まれた瞬間からさ」
コンの言葉に、ルキアは小さく溜息をついた。
「そうか」
「まあ、叩き込まれても、それは縛道じゃねえからな」
ディバッグの中のコンがけらけらと笑ってみせて、ルキアに問い掛ける。
「だって考えてみろよ。朽木の姉さんが俺に何言っても、縛することなんてなかっただろ?」
「ああ、そうだな」
今度は大きな溜息をついて、ルキアが言う。
「コン」
「ん?」
「玄鵬千早さまが、叔母だと言ったな。一護は」
「ああ、俺もそう聞いた」
「今日黒崎家に来るのは、千早さまの子どもだという。ならば」
「知ってんのか? 姉さん」
ルキアは硬い声で言う。
「ああ。玄鵬理靜どの……だ」
「………あんたが、理靜?」
それが一護の、第一声だった。
「そうだよ、僕が玄鵬理靜だ」
それが理靜の、第一声だった。
「ごちそうさま、おいしかったよ」
理靜が軽く一礼すると、遊子が目をきらきらさせながら応える。
「いいえ、お粗末さまです〜、こんな、粗品食べていただいて」
「おい、遊子。粗品は食わんと思うぞ?」
一護のツッコミもまったく意に介した様子も無く、遊子は満面の笑みで理靜が運び出した使用済みの食器を奪い取るように受け取り。
「理靜さんは、ゆっくりなさっててくださいね〜」
「遊子ちゃん、僕はお客さんじゃあ」
「いいんですよ〜」
満面の笑みでキッチンに消える遊子の後姿を夏梨は見やって。
小さく溜息を吐いた。
一護が箸を咥えたまま、眉を顰める。
「おい、夏梨。遊子のやつ、なんかおかしいぞ?」
「………そりゃね」
ちらりと見上げた理靜の背丈は、実は兄より少しだけ低いけれど。
すぐに視線に気づき、理靜は座り込む。
「なに?」
まっすぐな、その視線に夏梨は思わず言葉をのんだ。
なんともいえない、気恥ずかしい雰囲気に言葉が出ない。
「お〜い、夏梨までか?」
「うるさい!」
どすんどすんと、わざとらしい足音を立てて、夏梨が部屋を出て行く。
出て行く寸前、夏梨は振り返らず声を上げた。
「風呂、沸かすから。沸いたら入って……ください」
箸が一護の口元からぽろりと転げ落ちた。
「ありがとう、夏梨ちゃん」
応えを返す理靜をちらりと横目で見て、一護は思わず呟いた。
「あのさあ、理靜」
「ん?」
「お前、女ったらしとか言われねえ?」
「は?」
濃茶色の、一護より少し長めの髪をかきあげて、理靜は眉を顰める。
「一護、ずいぶんな誉め言葉だと思うけど」
「いや、むしろ貶してる。遊子ならもかく、あの夏梨に敬語使わせるなんて、やっぱお前、ただもんじゃねえよ。あの千早姉の子どもって言うの、なんとなく納得するわ」
どうぞと遊子が差し出す茶を一口含んでも、理靜の眉根は強く顰められていて。
「ただもんじゃないといわれても、全く嬉しくないけどね」
玄関のチャイムを鳴らすと、顔を出したのはオレンジ色の髪の少年だった。
威勢良く玄関のドアを開けて、数瞬の間、佇む理靜を上から下まで見つめてみて、それから一言『あんたが玄鵬理靜?』と問うから、穏やかに『そうだ』と応えた。
これから夕食の準備だというのにつきあい、双子の遊子や夏梨と語らっていただけだが、それだけで一護は『女ったらし』だという。
脳裏に一人の男の、安っぽい桃色薄様を羽織った後姿が浮かんだけれど、瞬殺して。
理靜の物腰の柔らかさ、話を聞く姿勢、そして何よりまっすぐに自分と視線を合わせて話をしようとする心がけに、遊子夏梨は恥ずかしさとともに、淡い何かを感じてしまったことに、一護も当の理靜も気づいていないが。
しかし。
一護は茶をすする従兄の横顔をちらりと見やる。
理靜の母、千早との付き合いは長い。物心ついた頃にはちょくちょく顔を出していた。
母の『事件』のあと、しばらくは共に生活し、双子の面倒をよく見てくれた。そのあとは、数年に一度の割合でふらりと顔を出す程度だったが、理靜の横顔を見れば、そういえば似ているなと思った。
決して美人ではない、叔母。
少しずつ世間を知るようになって、雑誌やテレビで美人と言われる女性の姿を見る機会が増えれば、寧ろ美人と言われるのは母の真咲だろうと思う。妹の双子は母に似ているのか、将来有望な美人になるだろうと想像できる。
しかし千早は普通の顔立ちだ。
美人でもなく、それ以下でもない。
なのに、そんな叔母の血を受け継ぐ、この男。
「……男前じゃねえかよ」
「ん? 何か言った?」
「………独り言だ」
一護の応えに、理靜は小首を傾げた。
「まあ、独り言をこんな場所で言うのもどうかと思うが」
「うるせえ、ほっとけ」
すげもない応えに、しかし理靜はくじけることなくただ肩を竦めるだけで。
「ところで、お前、どこで寝るんだよ」
「あれ、お兄ちゃん。聞いてないの? お父さんが出かける前に言ってたよ? 理靜さんはお兄ちゃんの部屋って」
瞬く間に洗い物をすませてしまった遊子が、手を拭きながら言う。一護は思わぬことに瞠目する。
「な、なんだよ! そりゃ!」
「ええ〜、いいじゃない。だってお兄ちゃんの部屋、広いし。お父さんの部屋みたいに親父臭くないでしょ?」
さらりと毒のあるセリフを吐く妹。
だが兄は必死になっていてそのことに気づかない。
「いや、だってさ……その、俺だって学校もあるし」
「うん。みんなあるね」
「……勉強もあるし」
「そんな、胸張って今更言わなくても」
遊子が呆れたように言う。
「お兄ちゃん、嫌なの? 理靜さんが部屋に泊まるの」
「あ、いや、その……」
一護にしてみれば、ダメなのだ。
自分の部屋には既に同居人がいる。
それも信じられないことに二人も。
「僕は気にならないけどね」
理靜が苦笑しながら言った。
俺は気にするんだよ。
一護が内心だけで返す。
だがすぐに返ってきた理靜の小さな声に、思わず言葉を喪った。
「まだ死神の力、回復していないんだね。彼女。それから改造魂魄……問題ないね」
がたり。
派手な音を立てて立ち上がった一護を遊子がたしなめる。
「なに、お兄ちゃん」
「……てめえ」
理靜は微笑みのまま、ちらりと一護をみつけて。
続けて言った。
「彼女は帰ってないのかな? ひさしぶりに会いたかったのに」