休んでいたコンは、一護の声で目を覚ました。
「おい、いるんだろ」
がらりと開けられた開き戸から射し込んだ灯りに、数度瞬きしてコンは立ち上がる。
「……なんだよ」
「ルキアはどうした。まだかよ」
「途中で別れたんだよ。用事があるってさ」
眉を顰めば、押入れを覗き込む一護の向こうに、見慣れない顔を見つけた。
薄茶の髪、漆黒の双眸。
何より整った容貌に一瞬、そう数回瞬きする間見とれたけれども。
「お、おぉ!?」
自分が見られてはいけない存在であることを急に思い出した。
慌てて押し入れの中に飛び込もうとして、がっしりと耳をつかまれた。
「待てって」
「お、おい一護! やばいだろやばいだろやっぱりおれは」
「ばれてるから」
低い声に、じたばた動いていたコンの動きが止まる。
「………え?」
「お前も、俺も、ルキアも全部ばれてる」
小さく溜息を吐いて一護が言った言葉に、コンは数回瞬きして、一護の顔と見慣れない顔を何度も見つめた。
「まじで?」
「おう」
「なんだよ……それならこんなじたばたしなくていいのにさ」
ふんぞりかえって座ったぬいぐるみを理靜は穏やかに微笑みながら見つめる。
「一護、彼が改造魂魄?」
「おう」
「ぬいぐるみに入ってるのか……話には聞いてたけど、改造魂魄には初めて会うなぁ。僕は玄鵬理靜。君は?」
ふんぞりかえったまま、コンが言う。
「おう、俺はコンさま………は?」
「ん?」
「どうした、コン?」
黄色いぬいぐるみが、あっという間に青ざめて。
小さく戦慄く指先で理靜を指差す。
「え、えっと……お名前は玄鵬理靜、さま?」
「あ、うん。そうだよ。最後のさま、は余計だけどね」
にこにこと笑いながら、覗き込む理靜が硬直しているコンの様子を観察する。
「下半身強化型って、喜助さんは言ってたけどこのままじゃあ、わからないね」
「おい、コン。何固まってんだよ」
一護が不機嫌そうに眉根を顰めているのを見て、コンは全力で抗議する。
「おま、きいてねえのかしらねえのかこのひとがどういうひとなのか!!!!」
「知らねえ」
低く短く返事をして、一護はベッドに座り込む。
「突然、お前とルキアのことを知ってるとしか教えねえから」
「は?」
「教えないんじゃないよ」
理靜は振り返り、ベッド横に置かれた椅子に座った。
「教える手間を省きたかっただけなんだよ。ルキアさんが帰ってきたら、話もあったし……でも帰ってくる気配、ないから」
「ルキアのこと、どのくらい知ってんだよ」
理靜は穏やかに、笑って。
「そうだね、生まれた時から、かな」
「僕の名前は、玄鵬理靜。玄鵬千早の総領息子、ていえば尸魂界では誰もが知ってる……有名人だね」
穏やかに、しかしその口調には複雑な何かが流れているようで一護は眉を顰める。
「名前はさっきも聞いた。だけど、コンがこんだけ震え上がるような名前かよ」
「お前、先週ここでルキア姉さんが尸魂界の仕組みやらなんやら説明してくれただろうが! 聞いてなかったのかよ」
「……あ?」
そうコンに促されれば、ルキアが判読不明な直筆の絵で、何かを説明してくれたことは覚えている。
「そういや、尸魂界の説明してたなぁ…」
成り立ちや現在の組織構成。
一護はそれを思い出しながら言ってみる。
「えっと、尸魂界は魂魄が住む流魂街と、死神たちの住む瀞霊廷があって」
「うん」
「瀞霊廷には貴族が住んでいる」
「まあ、正解かな」
「貴族にはランクがあって、一番上が四大貴族と呼ばれてて……しのて?」
「四つの面の家と書いて、しのてけ」
「ああ、それだ。それが一番トップで、瀞霊廷を支配してる」
「………うん」
「尸魂界の中枢として存在しているのが…中央霊議廷。流魂街と貴族の代表が議員になって、合議制でいろいろ決めてる……その霊議廷に所属しているのが護廷衆で、ルキアは護廷衆に所属しているって言ってたな」
思い出しながら語る一護の隣で、コンが肯定するように頷いている。
「そうだ」
「最後は少し違うね。護廷衆は中央霊議廷直轄の組織じゃない。中央霊議廷の中にある司法組織である中央四十六室の嘱託組織だよ。瀞霊廷の警備、現魂界における警備なんかが主な任務だね。本来は玄鵬家が創設したんだ……虚との戦いのために、ね」
理靜の応えに、一護は低い声で問う。
「だから、お前は」
「四面家って言うのは、尸魂界開闢の時、初代霊王の従者の子孫なんだ。貴族のトップに立つ。玄鵬、四楓院、朽木、志波の四家だよ」
「は?」
「一護、君の叔母さん、つまり僕の母親、玄鵬千早は四面家の一つ玄鵬家の当主、なんだよ」
コンが一言付け加えた。
「ようするに、尸魂界で一番偉い人、ってことだな」
細い、指。
白く、傷一つ無い。
幼い頃の自分の指は、こうではなかった。
尸魂界の気候はそれほど人に厳しいものではない。
現魂界に比べて温暖で過ごし易い。それは現魂界よりも霊子の濃度が違う故だと、統学院時代に習った。
だが、それはルキアが生き残るのに、最低限必要だった。
幼子が外に放置されても、凍死することはない。
しかし、霊力を持つ者は、魂の安定のために身体に霊子を吸収しなければならない。
つまり食べなければならない。
擦り傷だらけの小さな指は、必死になってもがいていた。
幼いあの頃。
共にあがいた、紅い髪の少年のことをルキアは不意に思い出し、空を見上げた。
『俺たちは進むしかねえんだよ、あいつらの分も。立ち止まればそこで終いだ』
緩やかに吹く風が、少年の燃えるような色の髪を揺らめかせた。
決意に満ちた横顔は、見たことのないもので。
『ルキア、俺たちは生きるんだ。進むしかねえんだよ。だから……』
『ああ、死神になろう。それが進む先だ』
そうして望んで、死神になった。
死神になって、何かを守れればいいと、漠然と思っていた。
霊法違反と承知していても、まだ手があるのなら、オレンジの髪の少年を、その家族を守りたかった。
それ故に、罪を犯した。
悔いは、ない。
ルキアは、少しだけ唇を噛み締めて、それから小さな声で言う。
「悔いは、ない」
「…………ちょっと待て。イマイチ話がわかんねえ」
オレンジ色の髪をがじがしと乱してから、一護が片手を上げる。理靜は頷いた。
「うん。何がわからない?」
「まず、千早姉が……その、尸魂界のトップ?」
「まあ、要約するとそういうことになるね」
「それは間違いないのか」
「息子の僕が言うことが信じられない?」
「あ〜……そういうことじゃなくてさ」
一護は深く溜息を吐いて、
「それならさぁ………その、うちのダメ親父も玄鵬の……?」
控えめな疑問符に理靜は思わず笑ってしまって。
「な、なんだよ! 気になるっつうか! 千早姉がその玄鵬の偉い人なら、その兄貴の」
「ああ、そういうこと」
理靜は自分の気持ちを整えるようにコホンと咳をしてみせて。
「伯父さまと母上は、血統で言えば遠い親戚で、兄妹の血縁関係ではないよ。母上が、そうだね……幼馴染だから、兄上と呼んでいるだけで」
「…………は?」
「確か……母上の母上の、3代前だから曾祖母か…姉妹の子孫だからね」
「はい?」
「黒崎家は玄鵬八家の一つ、綱崎家の分家にあたるはずだからね」
「そうか、綱崎につながる者か。ならば、玄鵬直系に近いわけだ。お主のその力、ようやく得心がいったわ」
聞きなれた声に振り返れば、窓から入ろうとするルキアがいて。
「今帰った」
「おう……って窓から入る奴に普通に挨拶しちまうのが……」
「うるさい」
ルキアはベッドの上にちょこんと正座して、深々と頭を下げた。
「理靜どのには、無沙汰をしております」
「ルキアちゃん、久しぶり」
「千早さまもお変わりありませんか?」
「うん……今度のこと、ちょっと残念がってたよ。最初に自分に相談して欲しかったって。まあ、無理な話だし、ルキアちゃんの性格からいえばしないだろうけどって笑ってた」
「そうですか」
ルキアは自嘲するように笑う。
朽木家に入って、まっすぐに自分を見つめてくれなかった『兄』よりも、家は違うが千早の方がよっぽど自分との接点が多かった。護廷衆に入っても、浮竹に用事だと言いながらルキアの顔をまっすぐに覗き込む、あの穏やかな表情をルキアは忘れない。
そうだ、私はあの方にも生かされていたな。
ルキアはふと思い至って、声を上げた。
「理靜どの」
「うん」
「千早さまに伝えていただけませんか。ルキアは千早さまに出会えて嬉しかったと」
理靜がその整った眉根に深い谷を作る。
反応が遅れたものの、一護が言う。
「おい、ルキア。それじゃあ」
「黙れ、一護。理靜どのは私を連れ戻しにいらしたのだ」
ルキアの言葉に、一瞬部屋の空気が凍った。
一護は理靜を睨みつけ、理靜はルキアの横顔を見つめる。
「……本気で、思ってるわけ?」
「違うのですか?」
ルキアはまっすぐに理靜を見つめて、
「私は罪を犯した。赦されざる罪です。だが、朽木家の養女である以上、待遇を考えて、玄鵬宗家の次期総領である理靜どのが、自首を促すという名目で私を迎えに来た……」
一護が身体を乗り出すのを気配で感じながら、ルキアは続ける。
「四面家の一つ、朽木の者を四面家の総帥たる玄鵬家が縛するのは至極当然のことでしょう?」
ルキアは静かに、そして穏やかに小さく項垂れて。
「………覚悟は、出来ています」
「ルキア」
「うるさい。これは私の問題だ、お前の……一護とは何のかかわりの無いことだ」
「かかわりがない? バカか、お前は。お前の能力を俺が奪っちまったから、お前は帰れなかっただろうが。帰る時期が伸び伸びになったのも、俺がお前に死神の能力をどうやって返せばいいか、わかんなかったからだし!」
一護は立ち上がり、項垂れたままのルキアの項に吼えるように言う。
「かかわりがない? あるじゃねえかよ! 俺は、俺が、原因だから!」
「私もわからぬのだ! 分からぬ故に、お前の強さに甘えすぎた! だから、それは私の」
キッと一護を睨みあげて語気も粗く言葉を返すルキアだったけれど、理靜が小さく溜息を吐いて。
「あ〜、あのね。お二人さん?」
「理靜どのは」
「理靜は黙っててくれ!」
にらみ合いに突入した二人を見やりながら、理靜は立ち尽くすぬいぐるみに問う。
「えっと、コンくん?」
「へ?」
「この二人って、いつもこんな感じ?」
「えっと………まあ」
「まあ、ケンカするほど仲がいいとも言うけどね」
「それは違う気がするけど」
命令は下った。
書面に目を通している白哉に、執務室の外から着任してまだ2ヶ月しか経っていない、声が響いた。
「朽木隊長、阿散井、参りました」
「入れ」
音もなく静かに開いた扉。
同じように音もなく閉めて、護廷衆六番隊副隊長阿散井恋次は一礼して、顔をあげた。
「現世に、隊長と二人でなんて、初めての任務っすね。そんな面倒な虚なんすか?」
「虚ではない」
一枚の書類を手にしたまま、朽木白哉は立ち上がり、恋次にその書類を差し出した。
「逃亡者の、確保だ」
「え?」
短い文言が、あまりにも端的に表していた。
護廷衆十三番隊隊士 朽木ルキア、重過罪者として懺罪宮に収監を命じる。
収監場所、現魂界、最重要重霊地;空座町。
「隊長!」
「…………行くぞ、恋次」
執務室の扉は僅かに音を立てた。
まるで白哉の、内心に押し固めたはずの動揺を示すかのように。
「ルキア……」
下された命を噛み砕くように、もう一度書類に目を通して、恋次は呟く。
「……なんなんだよ、これは………」
「千早どの!」
足音も荒く、玄鵬邸に駆け込んできた浮竹は、肩で息をしながら勝手しったる千早の私室に上がりこむ。
「千早どの!」
「はいはい、何度も叫ばなくてもちゃんと聞こえてますよ」
ゆったりと着こなされた浴衣に、薄い紗の羽織。
千早はいつもはまとめ、結い上げている髪をそのままに、床机に片膝を委ねて団扇を片手に、上目遣いに上がりこんできた浮竹を見上げた。
「どうかした?」
「これは、これはどういうことだ!」
千早の前の畳に、浮竹は激しい勢いで一枚の書類を叩きつけた。
千早はちらりとそれを見やって、
「ああ、ルキアちゃんの」
「知っていたのか!」
「うん。中央四十六室が何かたくらんでいるのは知っていたからね」
「では!」
悲壮な表情を浮かべていた浮竹が喜色満面に変わる。
「では、理靜が現世に行ったことは」
「あ、それはね」
「僕は何も聞いていないよ。ルキアちゃんが少しだけ、面倒ごとに巻き込まれてるってだけ」
理靜の言葉に、ルキアが僅かに眉を顰める。
「何も?」
「母上からは散々聞かされているのは、いっつも可愛がってるのにルキアちゃんは自分を頼ってくれないってだけ。今回も同じような愚痴を穿界門の手前まで愚痴られたから」
「………どういうことですか。千早さまなら」
「そう、だね。知ってると思うよ。でもそれを言わなかったことに、何か意味があるんじゃないかな」
静かに告げられて、ルキアは俯く。
困惑した沈黙が部屋の全員にのしかかった。
『ルキアちゃんね、ちょっと面倒ごとに巻き込まれてるのよ』
穿界門まで見送ると言い出した母の言葉を、理靜は思い出す。
理靜がどういうことか聞き返すと、少しだけ困ったような表情を浮かべて、
『まだ言えない。でもね、理靜。お前が何かしてあげたいなら、あたしは止めない。でも』
見送ると言ったのに、踵を返した母の背中を軽く睨めば、母は振り返らずに言った。
『あたしを頼っても、無意味よ』
『……母上はルキアちゃんを我が子のように思っていると仰られたのに』
その舌の根も乾かぬうちに、何を言うのか。
問い質す理靜に振り返らぬまま、千早は言った。
『あたしはあたしの道を行く………だけど理靜、お前がその道におもねる必要はないのよ』
理靜は理靜の道を行きなさい。
それが正しいと思う、なら。
理靜は母にしては珍しい言葉を思い出す。