fragment 05





「なあ……」
一護がぶすりとふてくされたまま、
「そのさ、理靜がお前を捕まえに来たんじゃないなら、ルキアの罪も思ったより軽いんじゃないのか?」
「貴様はどこまで楽観主義なのだ! 私の罪は」
ルキアを制することもなく、理靜は穏やかに告げた。
「あまりいい状況ではない、ね」
再びの口喧嘩に突入しそうだった雰囲気は、一気に醒めた。
一護とルキア、コンまでが静かな理靜の言葉に耳を傾ける。
「ルキアちゃんが思うほど、状況は深刻ではないかもしれないけれど。でも、決していい状況ではないね。あの母上がルキアちゃん大丈夫かなぁってぼやいていたから」
「そう、ですか」
へたりこむようにベッドに正座し、しかしルキアは居住いを正して。
「理靜どの」
「ん?」
「出頭、しようかと思います」
「……うん」
「ルキア!」
一護を無視して、ルキアは言う。
「私は罪を犯したことを自覚しております。しかし、記録を見ていただければわかりますが、一護への能力譲渡は私の一存でのこと。罪はひとえに、この私に」
「好い加減にしろよ、ルキア。お前が」
激した一護の言葉を留めたのは、ゆっくりと上げられた理靜の左手だった。
「一護、少しは静まって」
「………理靜、ルキアは親父と妹たちを守るために」
「そうだろうね、きっと」
飄々と、理靜は言う。
「ルキアちゃんが、誰かを守ろうと定めれば、自分の命も投げ出すから……そういうものだからね」
眉根を顰める一護が、思い立ったように問う。
「なあ、ルキアの兄貴がその朽木家の当主なんだろ? だったらさ、理靜が動けないんだったら、その兄貴に連絡取って」
「………誰が?」
「理靜がだよ。千早姉に動くなって釘さされてんだったら、その兄貴に知らせてやればいいんじゃね?」
一護は一瞬にして曇った理靜の表情の変化を読み取れない。
理靜は小さく溜息を吐いて、応えた。
「それはどうかな」






向けられた、怜悧な視線。
ゆっくりと自分の頭を撫でてくれた、男の寂しげな表情と。
峻烈なまでに他者を切り捨てる言葉。
あまりにも矛盾する、その表情と言葉に、幼い理靜は言葉もなかった。
掟が守れぬ者は、死を以って償えばよい。
そう告げたのは、朽木宗家当主。
そう告げられたのは、朽木家宗家に連なる者。
犯した罪は、今回のルキアのものに比べれば、極少なもの。
守られた血統ゆえに、救われると思っていた罪人は泣き叫びながら、償いの場に引き出され。
命を落とした。
幼心に聞いた、断末魔と。
それを赦した当主の言葉を、理靜は忘れていない。
「お先にいただきました……あ、お帰りなさい」
「よう。悪かったな」
急な飲み会だったもんでな。
少し赤ら顔で、ビールのジョッキを見せながら黒崎一心は風呂上りの理靜に座るように促した。
「飲めるんだろ?」
「……たしなむ程度ですよ。まして、ビールなんて滅多に」
「ああ、いいさいいさ。確か冷蔵庫に冷酒が…」
てきぱきと準備をして、いつの間にやら理靜の前には冷酒セットにつまみまで並んでいた。
「ほい、乾杯」
「いただきます…」
杯を呷れば、よく冷えた酒が喉を抜けていく。
風呂上りの火照った身体には心地よかった。
ふうと息を吐く理靜を見て、一心が言う。
「すまねえな、狭い家でさ。風呂も玄鵬よりもはるかに狭いだろうが?」
「……そう、ですね。でも温度が一定に保つことができるのは、玄鵬の風呂では出来ませんから」
さりげないフォローに一心が笑う。
「はは、まったく千早もよくも育て上げたよなぁ、我が子を。俺も息子を育て間違ったか?」
「そうですか? 一護はいい子だと思いますよ。妹たちの面倒をよく見ている」
それに。
確かに自分たちの命を守ってくれたからといって、他者であるルキアの罪について、あれほどの怒りを持つことは滅多にないだろう。
優しいのだ。
優しいからこそ、怒るのだ。
「理靜、風呂出たか〜」
顔を出した一護は一心が帰っていることに気づき、
「なんだよ、バカ親父。帰ってたのかよ」
「おう」
「………理靜から聞いた話だけどさ」
「ん?」
赤ら顔のまま、一心は一護を見つめ、理靜を見つめて。
「…………もしかして、全部話しちゃった?」
「かいつまんで、ですけど」
手酌で冷酒を注ぎ、杯を重ねる理靜を一護が咎める。
「おい、理靜。お前二十歳、越してんのかよ」
「え?」
杯を持ったまま、理靜が小首を傾げる。
「二十歳?」
「おい、バカムスコよ。まったく無知というのは恐いなぁ」
「なんだと」
「こう見えて理靜はお前よりかなり年上、なの」
「は?」
「うん」
杯をゆっくりとテーブルに置いて、理靜は言う。
「僕は現魂界で言うところの、還暦を迎えたんだけどね」
絶句を通り越して、硬直してしまった息子を指先でつついてみて、一心が笑う。
「お〜い、息子や〜」
「あんまり苛めないほうがいいですよ、伯父さま」






「屋形さま」
不意の呼ばわりに、千早は我に返った。
振り返れば、縁側に供人頭の坂城農左が座っていた。
「呼んだ?」
「はい。お客人です。山本様が」
「おや、珍しいわね……重じいなら」
先々代から玄鵬家の供人頭を務める農左は勝手知ったるように応えを返した。
「そうですね、しかし門前で呼ばわりをされては総隊長ほどの御方を無碍には出来ませぬ故に」
「……そう、お通していいわよ」
応えの代わりに総白髪の農左は、しかし身軽く立ち上がり、次の間につながる襖をゆっくりと開き、声を上げる。
「山本様、どうぞ」
失礼すると、声を上げながらのそりと部屋に入ってきた老人に、しかし千早は苦笑する。
「何事? 重じいが門前でわざわざ呼ばわりするなんて」
「いや何、この格好でこちらに入るのは、珍しい故にの。みなに姿を見せたくてのお」
確かに見上げれば珍しい格好だった。
背中に『一』の文字の入った白い陣羽織を羽織り、その下には死神と呼ばれる者ならば誰もが身にまとう墨染めの衣装。
普段、山本が玄鵬家を訪なう時は、死覇装ではなく私服であったから。
ゆるりと流された裾の動きに、千早は小さく笑った。
「何を今更。重じい、あなた、総隊長になって何年?」
「ほ、それを問うか」
促された座敷にどっかりと胡座をかいて、山本は溜息をはいた。
「はてさて……いかがしたものかと、玄鵬どのに判じてもらおうかと思うての」
「なにかしら」
農左が茶菓などを差し出して、静かに襖を閉じた。
静まり返った部屋に、再びのため息に千早は言った。
「仰りたいこと、言ってあげましょうか?」
「はて」
「中央四十六室の、あるいは中央霊議廷」
「……………」
続いた沈黙は、千早の答えに是を示したものだった。
薄く開いた目。
何かを探るようにみつめる、老人のそれを千早は受け流す。
「重じいならご存知のはずでしょ? 中央霊議廷の、最近の傾向。決してよくはない。そう、よくはないけれど」
「けれど?」
「………そうなるように仕向けた者がいるはずなのよ。それを燻り出すまで迂闊に動けない」
「……ほう、そこまで察しておられたか」
差し出された茶椀に手も出さず、再び老人は立ち上がる。
千早は黙ってそれを見ていた。
「したが、もう間に合わぬ」
「え?」
「朽木ルキアに対して、中央四十六室が裁きを下した。懺罪宮への収監をの。先ほど六番隊から捕縛の者が、そう、朽木隊長が、現魂界に渡ったと、報告を受けている」
向けられた背中の、なんと大きいことか。
自分より遥かに年古り、小さくしぼんでいて当然なのに、なんと毅然とした背中か。
そんなことを思いながら、千早は眼を閉じた。
予想された、動きだった。
けれども、その先に起こるであろう未来を思えば、喉の奥が痞えたような感覚を覚えた。
「……そう」
「…………玄鵬は、手を出さぬのか?」
山本の言葉に千早は自嘲するように言った。
「朽木が中央四十六室に委ねたならば……玄鵬とても、手は出せぬ」
「そうか。したが、儂は玄鵬八家として、屋形どのに問うたぞ。それでも、よいと?」
肩越しに振り返れば、ゆるりと座った女主人の、しかし握り締めた拳が白い。
だが紡がれた言葉は。
「未だ、時にあらず」
「……承った」
出て行く老人の足音を聞きながら、千早は襖を開け、廊下から庭に降りた。
広大な敷地に作られた庭は、やはり広大でどこからか鳥の囀りが聞えてくる。
普段ならば、その音色に心が和むのに山本との会話で思い知らされた近い未来の話に、千早は嘆息するしか出来なかった。
思った以上に、物事が上手く運びすぎる。
そしてこちらの手は、僅か。
「屋形さま」
ひそやかにかけられた声に、千早は振り返りもせずに声をあげた。
「農左」
「はい」
告げられた命に、農左は小さく頷いた。






「………あいつ、わかったんかい?」
「完全に理解するのは、まだ先でしょう? 僕や伯父さまがいろいろ言ったとしても、なかなか理解するのは難しい……僕が現魂界をまだ完全に理解できていないのと同じですよ」
理靜の言葉に、一心は鼻で笑う。
「何を仰る、あの千早が丹精こめて育てたお前さんが、とんでもない謙遜な言葉だな」
「……伯父さま」
「あ、その呼び方。昔俺、治せって言ったよな? 呼び捨てでもいいから、そのじじくさい呼び方は辞めろって」
妙に可愛らしくすねられても、理靜は動じない。
「じゃあ、一心伯父上」
「………なんだか受け流された気がするのは、気のせいじゃないね」
「そんなことより」
理靜はちらりと視線を上げた。
「どうされますか?」
「どうって?」
「一護ですよ。あのまま、放置でよろしいんですか?」
硬直がじわりと解けた息子に、一心がまるで揶揄するように真実を告げる。
自分は死神だった。
理由があって、この現魂界に来て、真咲と出会い、一護が生まれ、双子が生まれた。
それまでは、尸魂界にあって護廷衆隊長を務めていたこと。
叔母の千早とは血縁関係は薄いものの、尸魂界の貴族の風習で『知音』の一人として、千早の傍にいたこと。
だから兄妹のように育ったから、一護と理靜の関係は従兄弟と言えるのだと告げる間中、少し気の抜けた表情で一護は返事を返していた。
わかったような、わからなかったような……。
「さてな」
ぐびりとビールを飲み干しながら、一心が言う。
「ああ見えて、あいつは強いからなぁ。自分で乗り越えられるだろ。いつまでも手のかかるガキじゃあないんだ」
お前もそうだろ?
問われて、理靜は苦笑しながら杯を口元に運ぶ。
理靜は理靜の道を行きなさい。
それが正しいと思う、なら。
母の言葉が脳裏に浮かぶ。
「さあ、手のかかる子ども、かもしれませんね」
母がそういわねばならぬほどの何かがあるのだ。
だが、自分にはまだ、それを母の言葉から読み解くことが出来ない。
そういう意味で言うならば、未だ子どもなのかもしれない。
喉を通る冷酒が、奇妙に熱く感じた。






そして妹は、養い親たる兄に会う。






「あに、うえ……」
声にならない、悲鳴のような。
そんな呼ばわりに、白哉は目を細くする。
3ヶ月前、十三番隊隊長である浮竹に告げられた。
ルキアを現魂界に出張させたと。
一時的な任務であることは明らかだった。
現魂界で担当区域を持つことは、その死神は席官、あるいは席官に準ずるほどの力を持っていることが条件だ。
そうでなくては、現れた虚に対処が出来ない。
十三番隊隊士、朽木ルキアは席官に準ずる能力を持ってはいるけれど、『とある所の要請』で浮竹はあえて席官に据えなかった。
『二月ほどの任務になろうかと思う』
『……そう、か』
ただそれだけの応え。
だがどこかに僅かな安堵の雰囲気を読み取って、浮竹は小さく笑った。
この男も、養い子には気をかけているのだと。
だが、浮竹が知らない朽木白哉がそこにいた。
冴え冴えと、硬直して動けないルキアを見つめる。
「………痴れ者が」
その一言に、ルキアの身体がびくりと跳ねた。
「人間ごときに、お前の能力を奪われるとは…」
「兄上……これには理由が」
「その理由、向こうに帰って聞くわ」
装着していたサングラスを外しながら、恋次が言う。
「黙って、帰って来いよ。変な抵抗なんてするだけ無駄だって、お前、分かってるだろう?」
ルキアは一瞬視線を泳がせて、やがて小さく頷いた。
出頭するつもりだった。
理靜は自分が付き添うと言ってくれたけれど、ルキアは理靜の手を借りたくはなかった。
もし何か、あった時。
理靜にまで災いが降りかかるようなことがあってはいけないから。
だから理靜も一護も部屋から出て行った隙に、置手紙をして出てきた。
そして、感じた霊圧に振り返れば、そこには養兄と幼馴染がいたのだ。
「……参ります」






内容と、書かれた文字のギャップに一心は思わず苦笑した。
「なんだこりゃ。あの嬢ちゃん、たぬき見たことあんのかよ」
「……伯父上、問題はそこですか」
理靜が嘆息しながら、集中する。
とはいっても、理靜は霊査が得意とはいえない。
集中しながら探ろうとすれば、一身の声が響いた。
「おっと、こりゃ隊長格だな……ん? 朽木の坊ちゃんか?」
「白哉さんと……これは恋次さん?」
「お、一護の霊圧があがったな。まったく無鉄砲だなぁ……よりによって隊長格と張り合おうってか」
にっかりと笑いながら、一心は一瞬視線をあらぬ方向に泳がせて。
「…まあ、死にはしないだろうな」
理靜は置手紙に視線を走らせた。
可愛い文字に、ルキアはどれほどの思いを込めたのだろう。
一護にも、理靜にも、迷惑はかけられないと。
罪は全て自分が受ける。
強い覚悟で出ていったのだろう。
理靜は小さく呟いた。
「……自己犠牲なんて、ただ犠牲を増やすだけでしかないのに」
「さて」
一心が肩を軽く揉みながら、
「浦原商店、だな」
「……ええ」
ルキアの、白哉の、恋次の霊圧が消えた。
残されたのは消え入りそうな、わずかな霊圧の残滓を見せる、二つの霊圧。
そしてそこに向かう、強い霊圧。
その霊圧が浦原喜助のものであることを、理靜は知っていた。
置手紙をそのままに、理靜は声を上げた。
「コン」
「ん?」
「ここを頼む。伯父上は浦原商店に行く」
「理靜は、どうするんだよ」
理靜は一護の姿のコンを見つめて。
それから天井を見上げて、言った。
「さあ、どう動くかな……」
理靜は理靜の道を行きなさい。
それが正しいと思う、なら。
母の言葉が脳裏を過ぎった。






そこは鎮性園と呼ばれる。
正方形の建物は、それぞれの面にそれぞれ四面家につながる者たちの位牌が飾られている。
この鎮性園が建造されてどれほどになるだろうか。
玄鵬家が占める面にはもう数え切れぬほどの位牌が飾られている。
だが、玄鵬家と向かい合う志波家の位牌は遥かに少なく、世話をするものがいないために、埃をかぶっていた。
他の者よりも遥かに大きい、当主の位牌も同じこと。
千早は志波家の面に飾られた、中でも新しい位牌をそっと撫でた。
志波海燕。
千早より年下の、市井に落とされた志波家の中で一番前向きだった青年。
『俺は四面家で出来ないことをするんだよ。面白くねえ? そういうのって。でっかいことじゃなくても、俺だからできることがあると思うんだよな、千早さん』
『あら、大きく出たわね。志波家の男って、そういうことに興味をもちたがるのよねぇ……あなたのお父さんもそうだったし、おじいさんもそうだったらしいし』
不敵な笑みを浮かべて、若き当主は言った。
『俺は俺にできることがあるんだと思う。だから、それを探すんだよ』
なのに、なぜ。
なぜ、あれほど若さに溢れて、あれほど意欲に溢れていた青年が。
もう、いないのだ。
『千早殿……志波……海燕が』
穏やかな浮竹の言葉が、慟哭に聞えたような気がしたことを千早は忘れていない。
それほど皆に愛されていた、青年だった。
なのに、死神としての矜持で。
彼は死んだ。
朽木ルキアの腕の中で。
穏やかに微笑みながら。
思いを、残していけると告げて、事切れたという。
「志を持つ者ほど、早く生き過ぎるのかしらね…」
千早の嘆息を、受け止めるのは千早に遅れて鎮性園に入ってきた影だった。
千早の問いかけに応えず、ただ黙然と千早が海燕の位牌の埃を払う様子を見つめていた。
「目指すものが大きいほど、高いほど、魂の焔を強く燃やすのだと、父上が言っていたことがある……なら、海燕は燃え尽きてしまったのかしらねぇ」
「……」
「それって、残酷な話よね。そうは思わない? 白哉」
千早の嘆息に、暗い影を落としながら白哉が言う。
「……何を仰りたいのか」
「さあ……ね。ただ、海燕は多くを残してたな、と思ってね」
志波海燕は思いを志として、残していけると笑って去っていった。
残されたのは、ルキア。
黙然と海燕の遺体を志波家に運び、何も語らぬまま姿を消したと、妹の空鶴が半ば呆然としながら呟いた。
浮竹が謝罪と経緯を説明するのを、千早は葬儀の準備を自分が連れてきた供人に整えさせながら聞いていた。
末の弟、岩鷲が零れ落ちそうな涙を必死で堪えながら叫んだことを覚えている。
『死神なんて嫌いだ! 貴族なんて嫌いだ!』






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