fragment 06





「ねえ、白哉」
「………」
千早は振り返り、まっすぐに白哉を見つめる。
耳元の小さな牽星箝が触れ合って音を立てた。
「この前の話。忘れてないわよね?」
「…………」
「ルキアちゃん。呉れない?」
「…………戯れを」
「だって、白哉は」
中央四十六室の裁定、覆すつもりないでしょう?
告げられて白哉は鎮性園の格子窓の向こうを見つめる。
「我は」
「掟を、守るのよね」
先回りされた答えに、白哉は抗議するような視線をちらりと千早に送るが、千早は一向に気にする様子もなく。
「四面家が作った中央霊議廷よ。中央霊議廷の直轄組織たる四十六室が下した判断に従うのが、本当ならば尸魂界の総意とするべきなんでしょうね。でも、それが本当に正しい総意、なのかしら。私は疑念があるの」
「……疑念?」
「ええ」
千早は懐から紙包みを取り出し、ゆっくりとそれを開きながら続ける。
「意図的な総意ならば、中央霊議廷を作った四面家の者として、私は中央霊議廷を一新しなくてはならない……それも一理でしょう?」
「……それとルキアの件とは」
「関係ない、となぜ言い切れるの?」
紙包みから出てきたのは、小さな月見草の花、一輪。
千早はそれをそっと玄鵬家の面、一番手前の一番大きな位牌の前に供えた。
「朽木ルキアを手に入れるために、誰かが動いて総意を動かした……のなら、私は動かなくてはいけない」
「それは推測なのか? あるいは証拠があると?」
素早い問いに、千早は苦笑する。
「証拠は、今のところない。というか、あるけれど、ないのと同じこと」
「……不可解な」
「うん」
千早はあくまでも自分と視線を合わせようとしない白哉をちらりと見やって。
小さく苦笑しながら言った。
「ルキアちゃんのこと、始まりかもしれないわよ。尸魂界の……何かが変わり始めている気がする。それか」
残された言葉に、白哉は視線を泳がせた。
彼女の残した言葉の、意味が理解できない。
ただ、千早は何か思いがあって、今度の養妹のことに接しているのだとは分かった。






最後の、詰めなのかもしれないわね。






「あなたは、誰ですか」
意識を取り戻した少年が真っ先に言ったセリフに、理靜は思わず苦笑した。
「……起きるなり、それですか」
「……すみません」
布団から起き上がろうとして、石田雨竜は眉を顰めた。理靜が言う。
「かなりの重症だったんですから、少し横になってた方がいいですよ」
「…………」
起き上がるのを諦めて、脱力する少年を見やって理靜が笑う。
「隊長と副隊長に一人で向かっていくなんて、無謀というか、無鉄砲というか……」
「ムチャだったのは、自覚してますよ」
不貞腐れたような言葉を吐いて、雨竜は瞠目する。
「朽木さんは!」
「尸魂界に帰りましたよ。自分の……意思で」
身体を起こすのを手伝おうとすると、自分で起きると拒否された。
痛みにこらえながら差し出された手にコップを手渡すと、喉が渇いていたようで一気に飲み干して、問われた。
「……尸魂界ということは、あなたも死神ですか?」
「いいえ」
理解の早さに驚きながら、理靜は言った。
「死神はいわば職業です。なら、僕は死神ではないでしょうね」
「………そう、ですか」
僅かな安堵の溜息を、理靜は見逃さない。
一護とともに倒れていていたこの少年が、千早の話に聞いたことがある『滅却師』だとは、すぐに分かった。
手首に巻かれた滅却師十字のブレスレットが、小さな音を立てた。
「迎えが必要なら、電話しますよ? ご自宅がいいですか、病院ですか?」
「え」
慌てて顔を上げる雨竜に、理靜はゆっくりと告げた。
「お父上には、お会いしたことがあります」
「……あいつに、ですか」
「ええ」
俺は滅却師にはならないよ。
鼻で笑い飛ばしながら告げる息子の言葉を、老年の男は苦笑しながら聞いていた。
千早は静かに頷いて、それは誰かが決めることではない、竜弦が決めればいいと言えば、雨竜よりもまだ切れ長の目に、若き竜弦、雨竜の父は複雑な何かをしのばせながら呟くように言った。
ならない方がいいことだってあるって、ことだな。
理靜は、別れ際に老年の男が穏やかに微笑みながら自分に一礼していったことを強く覚えている。
「石田、宗弦さんでしたね」
独り言のような理靜の言葉に、雨竜は目を細める。
「師の、名前を」
「ええ。穏やかな方でしたね」
「……」
握りこまれた拳。
虚との戦いの中で、石田宗弦は命を落とした。
救援の護廷衆は間に合わず、その魂魄を連れ帰ることすら出来なかったという。
事実上、石田宗弦が最後の滅却師だったはずだった。
まさか、その孫が祖父に師事し、滅却師となっていたことを理靜が知ったのは現魂界で従弟である一護が『死神代行』を始めたことを聞いたときだった。
「……少し、お休みなさい。それから僕がお送りしましょう」
ぽんと掛け布団を叩き、理靜は部屋を出た。
音を立てないように襖を閉めて、数歩進んで理靜は振り返る。
廊下の端に、ひっそりと座る少女の気配を感じたからだった。
「雨、どうかした?」
雨竜に聞えないようなひそやかな呼びかけに、雨も静かに滑るように廊下を歩き、
「あの、これ……」
手渡されたものを、理靜は小さく笑いながら受け取った。
「喜助さんから?」
「はい、渡してきなさいって……」
「うん、ありがとう」
ずしりと手の中に重さを感じながら、理靜は受け取ったものを見つめる。
そんな理靜を見つめて、雨はポツリと言った。
「………なんで?」
「ん?」
「なんで、預けたの?」
それ、と指差されたのは先ほどまで雨が抱え、今は理靜の手の中のもの。
黒い鞘。
柄巻は銀。
柄頭につけられた飾り房は淡銀。
鍔は黒と銀の装飾が見えた。
それは、理靜の斬魄刀。
名を、鸞加。
「これを持って黒崎家に行くわけにはいかないだろう?」
「………うん」
「喩え大事な、斬魄刀でもね」
「……うん」
左手で力強く鸞加の鞘を握れば、理靜しか分からぬほどの僅かな震えを鸞加は理靜に返す。
おかえり。
そんな囁きを聞いた気がして、理靜は雨にも聞えぬほどの小さな声で応えた。
「ただいま」






居間に向かえば、深い溜息を吐きながら一心が座り込むところだった。
広くはない、居間。
一心の隣には、見たことのない少女と長身の少年が座っていた。
「ささ、どうぞ」
粗茶ですが、とテッサイが差し出すのを受け取りながら二人は襖を開けて入ってきた理靜を見上げた。
「理靜どのも」
「ああ、いただきます」
ちょうど一心と向かい合うように座れば、二人の視線が痛かった。
まして少女は臆することなく、まっすぐに理靜をみつめている。
鸞加を左脇に置いて、理靜は湯飲みをテッサイから受け取りながら言う。
「伯父上」
「ん?」
「一護の様子は?」
「まあ、命に別状はないって奴だな。そっちは?」
「ええ。さきほど目を覚ましたので、大丈夫でしょう」
「そうか。さすが滅却師というべきか、竜弦の息子というべきか……」
ずずっと音を立てて茶をすすり、一心は遅れて居間に入ってきた喜助に問うた。
「どうだよ」
「ええ。今のところ、これといった動きは見当たりませんねぇ」
「……そうか」
「竜弦さんには、さっき連絡しておきましたぁ。迎えが必要なら、本人が電話してこいって」
「つれないな」
「だけど、竜弦さんらしい」
一心と理靜が含み笑いをしていると、少女が声を上げた。
「あ、あの!」
「ん?」
「………井上」
「だって聞かないとわかんないから」
「………そうだが」
長身の、少しばかり浅黒い肌はこの現魂界でいう日本人ではないような雰囲気を醸し出す長身の青年は窮屈そうに身体を折り曲げて、溜息をついてから口を閉じた。理靜はちらりと一心を見やれば、とても興味深そうな視線を二人に送っているのが分かった。
「あの、教えてください! 何がどうなって、それから」
少女はまっすぐに理靜を見つめて言った。
「あなたは、誰ですか」






千早はゆっくりと、その庫扉を開いた。
手入れの行き届いた扉は軽やかに開き、千早を中へ誘う。
気づけば傍らに青年が立っていた。
千早より理靜よりも長身。
幾分細い顔に、少し吊り目の双眸は蒼く、床につきそうな髪はなお一層深い蒼だった。
「千早」
呼びかける声は、低い。
千早は気配を察していたので、驚くことなく振り返る。
「どうしたの、聳弧(しょうこ)」
「………ここに来る時は、具象化したほうがいい」
短い言葉に、千早はくすりと笑った。
聳弧。
それが千早の斬魄刀の名前だ。
鞘、柄巻、飾房、そして刀身までが蒼く輝く故もあって、名づけられたのは蒼い麒麟を表す『聳弧』。
だが名づけたのは、千早ではないのだ。






「僕の名前は理靜。玄鵬理靜。尸魂界の人間だけど、君の言う死神じゃないよ」
「だって、あなたは」
井上織姫と名乗った少女は理靜の斬魄刀を指差して言う。
「刀を持っているじゃないですか。刀は死神の証拠でしょう?」
「厳密に言うなら、違うよ」
理靜は静かに答えた。
「斬魄刀というのは、2種類あるんだよ」
「2種類?」
「斬魄刀というのは本来、死神になった時に与えられる武器なんだ」
それは浅打とも呼ばれる、死神の大多数が持っている斬魄刀。
多くの死神が斬魄刀をただの武器として用いるだけで、それ以上の変化はない。
だがごく少数、席官クラス以上になるとその霊圧に触発されて、斬魄刀が変化を始める。
使用する死神に応じて能力を身に付けるのだ。
その能力を引き出せるのは基本的には使用者の死神以外にはなく、死神が鍛錬を重ねることでその斬魄刀の能力を自らの意思で引き出すことができるようになれば、その時初めて、斬魄刀は浅打ではなく、個別の銘が与えられる。
「あたしの斬魄刀がそれですよぉ」
喜助が説明を代わった。
「杖に仕込んでますけどね。名を紅姫って言います。防御に特化した斬魄刀ですよ」
「…………一護の斬魄刀は」
「あれはちょっと特殊な斬魄刀ですからねぇ。普通は浅打から始まって名前を与えて、自分で斬魄刀の能力を引き出してやる、『始解』までです。その先の『卍解』にまで至れるのは、ごくごく少数ですよ。卍解まで出来たら、それは尸魂界の歴史に名前を残すことができるでしょうねぇ」
つまりはそれほどの能力を秘めることができる武器だということだ。
織姫は小さく溜息を吐いて。
「説明はわかりましたけど……2種類っていうのは、浅打と名前を持った斬魄刀の2種類なんですか?」
「……そうだね、どう説明したらいいかな」
「あたしが説明しますよ。織姫さん」
喜助がにこやかに話し始めた。
「いいっすか? さっき言った斬魄刀、つまり『卍解』まで至った斬魄刀はもう単なる刀じゃないんですよ。ちゃんと意思を持ってるんです、あたしの紅姫だってそうですよ」
「………はい」
「主の霊圧を受けて、斬魄刀によってはどんどん強くなる性質があるんです。で、通常だと死神が死ねば同じくただの浅打に落ちてしまうはずの斬魄刀が高い能力を維持することがあるんですよ。そういう斬魄刀を遺魄刀と呼ぶんですよ。これがなかなかの難物でしてねぇ。最初っから意思を持ってるから、勝手に主を選ぶ。場合によっては選ばない。わがままなのもいますよねぇ」
同意を求められて、理靜は苦笑する。
そういえば、母千早の斬魄刀、その名は聳弧も遺魄刀だった。具象化した聳弧は千早が何より大事で、幼い理靜を完全無視で放り出してでも、千早を守ることが全てだった。
もっとも、あとで千早に随分と怒られていたけれど。
「理靜さんの玄鵬家はそういう遺魄刀を集めて、保存しているんです。昔からそういう役目を果たしてきた所為か、玄鵬家の人間は遺魄刀に選ばれる確率が高いんですかね」
「さあ、高いかどうかはわからないけれど。これは遺魄刀で名を鸞加、というんだ。さっきの話で分かったと思うけど、死神以外で斬魄刀を持つことはできるんだよ。僕は死神ではないから」
「……そうなんですか」
少し納得したような織姫から視線を移して、理靜が言った。
「喜助さん」
「はい?」
「僕は一度、尸魂界に帰ります」
「そうですか」
「ええ。ルキアちゃんのことが気になります」
その名前に織姫と、茶渡泰虎と名乗った青年が顔を上げた。
「朽木さん」
「……朽木は、どうなるんだ」
「今は護廷衆の衆牢かな。近いうちに懺罪宮に移送されて……処刑されかねない」
がたりと音を立てたのは、卓袱台。
チャドが慌てて立ち上がりかけて、卓袱台に膝が当たったのだ。
喜助は鷹揚にそれを見つめて、鸞加を手に立ち上がった理靜を見上げる。
「そこまで朽木が放置しますかね」
「……収監に実の兄君が来たというのなら、そういう意思表示だと思う……あの人は、そういう人だ」
冷徹に。
峻烈に、正しきものの為に、身内すら切り捨てる。
深遠な色を湛える双眸を、理靜は一瞬だけ思い出して。
「……とにかく、一護の様子をみます」






一護の意識はまだ戻っていなかった。
額に浮く汗。
苦悶の表情を浮かべる従弟の脇に、理靜は小さく溜息を吐きながら座った。
鎖結と魄睡を破壊されているからなぁ…。
一心の言葉どおり、今の一護にはなんの霊圧も感じなかった。
先日、現魂界に降りてきたときに感じた、眩しいまでの力強い霊圧はどこにも感じられない。
『まあ、あいつのことだ。回復するとは思うけどなぁ』
普通の死神ならば、魂魄と肉体を繋ぐ13の連点のうち、2点、特に霊力をつかさどる鎖結と魄睡を破壊されれば、死神としての能力は全く失われてしまう。
だが、そのことを理靜は特に心配していなかった。
寧ろ、この逆境が一護にとって大きく成長する一因になるだろうと、思っていた。
だから喜助に言ったのだ。
『この際、喜助さん。鍛えてみては?』
『はい? 黒崎さんをですか?』
『ええ』
むむと考えこむ喜助を煽るように理靜は続けた。
『鎖結と魄睡は一度虚化を経験すれば復活するんですよね? 確か、喜助さんが僕に教えてくれたんだ』
『そうですけどねぇ……黒崎さんがそれに耐えられるか……』
ちらりと視線を送られた一心は両肩を竦めて。
『さあな。朽木のお嬢さんから強奪した力の使い方が身体に染み込んじまってるからな。それを剥がすのはなかなか難しいとは思うけど』
『死んでしまえば、楽、なんですけどねぇ』
喜助の視線が、幾分冴え冴えと輝いた。
一心が人の息子を殺すなよと、小さく突っ込むけれど。
『いいですよ。もし何かあって、黒崎さんを鍛えないといけない時は、他の誰でもない、あたしがやってくれって、千早さんから言付かってますから』
鸞加を握る手が、一瞬動く。
『母上、が?』
「はぁ…」
深い思考の海に陥っていた理靜は、一護の溜息で我に返る。
慌てて顔を見れば、ゆっくりと目が開くところだった。
「……気が付いた?」
「………理靜、か」
「ムチャをするね、君も。よりによって白哉さんに飛び込むなんて」
「……あいつ、知ってるのか」
ちらりと送られた視線の鋭さに、理靜は動じることなく頷いた。



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