「朽木白哉。朽木家28代当主にして、護廷衆六番隊隊長を務める人だよ」
「朽木……四面家の一つ、だったよな」
深く溜息をつきながら、天井を見上げた一護の横顔を見ながら、理靜は従弟の理解力を測りかねていた。そして口にする。
「一護」
「あ?」
「そこまで分かってれば、白哉さんがどれだけ強いのか、わかってて飛び込んだの?」
「……ルキアが兄上なんて言ってる時に気づいた。その兄ちゃんがとてつもなく強い奴だっていうのも、すぐに分かった……まあ、一緒にいた赤髪には少し勝てそうな気がしたか」
嘆息しながら言われた言葉に、理靜は内心だけで苦笑する。
恋次さん。言われてるよ?
遠い世界で、赤い髪の知己がくしゃみをしているかもしれないと思いながら。
「けどさ」
一護は視線だけを理靜に向けて。
「勝ち目がなさそうでも。それでも、飛び込まなくちゃいけない時はあるだろ?」
「……それでも?」
理靜は思わず眉根に力を込める。
「それは、無駄なことだよ。自分だけが傷つく」
「無駄なこと、か…」
再び嘆息して一護は理靜から天井に再び視線を移して。
「そうだよな。無駄な足掻きって言われても仕方ねえんだよな。それはわかってる。だけど、万が一のことだってあるだろうが」
「そんな不確かなこと」
「それでもさ」
一護の独白にも似た言葉に、理靜は瞠目する。
「それでもさ。あいつ、ルキアの奴、尸魂界に帰るって言いながら、泣いてたんだぜ?」
「………」
「帰りたくなかったのか? 帰れば捕まるって分かってるからか? 兄貴が捕まえに来たからか?」
「一護……」
私は尸魂界に帰るのだ。
一護、お前はここにいろ。
私を追うな。
私のことは、忘れるのだ。
強い口調で告げられても。
その両頬を伝う涙を、ルキア自身気づいていたのだろうか。
自らが告げた言葉を、その涙がすべて真逆に変えていることに気づいていただろうか。
少なくとも、告げられた一護はそう理解したのだ。
「だから俺はもう一度、あいつに聞きたい。あいつがどうしたいのか。いや……違うかな」
白玉粉の袋を握って笑う少女は、だが死覇装と呼ばれる装束に姿を変えれば表情を変える。
死覇装の少女と、白玉の美味しさを語る少女は同じはずなのに。
背中を押されて姿を消す寸前、薄れ行く意識の中で一護が見たのは、少女の悲哀の表情。
「なあ、理靜」
「……ん?」
「他人が自分がどうあれば幸せなんだって、決め付けるのって間違ってるよな」
一護の問いに、理靜は数瞬考え込んで。
「そう、かな。すべてがそうだとは言い切れないと思うよ」
「……そうか。うん、じゃあ、俺決めたわ」
あっさりと告げられた言葉に、理靜は小首を傾げて。
続いた言葉に絶句する。
「ルキアの奴、連れ戻す」
「……………」
「うん。それが一番だな。一回連れ戻して、あいつの本音を聞く。尸魂界に帰りたいのか、ここにいるのか」
「……一護?」
「あ〜、そのためには尸魂界にいかなきゃいけないんだよなぁ。どうやったら行けるんだよ、理靜」
「いや、連れ戻すってどうやって?」
一護は半瞬黙りこみ、
「そりゃあ、やっぱり?」
「いや、疑問形にされても」
「だから、ルキア返してくれって言っても返してくれねえだろ?」
あたりまえだ。
ルキアは罪人として捕縛されたのだから。
「だったら?」
だから、ここで疑問形にすることに意味があるのか。
理靜は嘆息して、明確な応えを示した。
「尸魂界に殴りこむ気?」
「あ、それそれ。それが一番近いかな」
ケロリと告げる一護の言葉に理靜はがっくりと肩を落とした。
だが一護は気にする様子もなく、
「だからさ。尸魂界に行くにはどうするんだよ」
「まったく何にも知らないんだな、うちのバカムスコは。尸魂界に行くには必ず穿界門を抜けなきゃいけねえんだよ」
障子を開けながら告げられた言葉に、一護は痛みを堪えながら何とか顔だけを持ち上げて、あからさまに顔をゆがめた。
「うわ、親父」
「うわは余計だ、うわは」
そこに立っていたのは、黒崎一心と浦原喜助だった。
そこは玄鵬家でも、足を踏み入れる者は少ない。
もっとも希少であり、宝と呼ばれる遺魄刀を数多く所蔵している武器庫があるために、極戎庫(きょくじゅうこ)と呼ばれるその武器庫に入れるのは玄鵬家では限られている。もちろん、当主である千早は誰に咎められることもなく極戎庫の最奥まで進むことができる。
千早はざっと辺りを見回して。
「……変化ないわね」
「何を期待して来たのだ」
聳弧に問われて、千早は苦笑する。
「変化があることに、ね」
「なんの変化だ」
聳弧も見回すが、変化に乏しい表情から何かを読み取ることは難しい。
「いつものように」
ついと指差す先には、幾振りかの遺魄刀。
「あれとあれが姦しい」
「まあ、あれたちは、ね」
千早は再び苦笑する。
それらの遺魄刀が聳弧の言うようににぎやかなのはいつものことだ。
それは千早の思う『変化』ではないのだ。
「………千早」
「ん? どうかした?」
「変化、というのは何を意味する」
千早は見事に展示された遺魄刀のそれぞれに軽く手を触れながら、
「世界が動き始めている気がするの」
「……世界」
「そう。その動きにもっとも敏感なのは、あなたたちでしょう?」
聳弧だけでなく、千早の言葉は辺りに展示されている遺魄刀に向けられたものだった。
すぐに辺りに薄い霧のようなものが立ち込め始め、すぐに何かの像を形成する。
それも一つではない。
聳弧がさりげなく、千早の前に立った。
『ちはや』
『千早』
『千早どの』
それぞれに、呼ばわれて千早は鷹揚に頷く。
少し揺らめくけれど、結ばれた像は千差万別。
人もある。
老若男女さまざまに。
動物もあった。
それらはすべて、極戎庫に展示されている遺魄刀の具象化だった。
「何か気づいたことはない?」
『変化は、分からぬ』
『かわったこと?』
『何もないよ』
帰って来た答えは異口同音に何もないことを告げていた。
千早は落胆した様子も見せずに。
「そう、ならいいのよ」
『でもね、千早』
振り返ると声の割に大きな体躯の青年。鍛えぬかれたように筋骨隆々の上半身は裸だが、その背中には見事な銀の鬣が見えた。
千早が見上げると、青年は少し小首を傾げながら、
『少しだけ、感じたことがある』
「感じたこと?」
『必ず、遂げる』
「え?」
『男の声で、そう聞えた。少し前の夜中。何度も何度も、何かに語りかけるみたいに。必ず遂げる、必ず…聞えていた』
青年の言葉に、千早は眉を顰め。
それから、小さく嘆息した。
変化はあった。
だが、その変化が何を意味するものなのか。
まだ、千早にも分からない。
定例の隊首会は、特に問題の事案もなく、早々に終わった。
体調の優れない浮竹が欠席したことを、隊首会が終わったあとでマユリが揶揄する。
「まったく、十三番隊っていうのは隊長があれだし、副隊長は何年もいないし、姦しい三席じゃあ統率力も無きに等しいのかねぇ。だから、脱走者が出てしまうんだよ」
ちらりと送られた視線を、しかし白哉は一瞥もしない。そんな白哉の足を止めさせた者がいた。
「朽木隊長、少しいいかな」
穏やかな微笑みで呼びかけられては、無視するわけにもいかず白哉は静かに言う。
「………なにか」
「差し出がましいとは思うんだけど。君の妹さんのことでなんだよ」
ほとんどが姿を消した隊首会の部屋は、少し寒く。話しかけてくる男の声も、白哉の中でむなしく響いた。
「………我が家には妹はいないが」
峻烈な拒絶に、男はしかし微笑を絶やさないまま、
「うん。君ならそう言うと思った。うちの副隊長が妹さんに差し入れをしたいそうだから。構わないかな」
「………好きにすればいい。だが」
白哉は静かに言った。
「五番隊は手明きのようだな、藍染隊長」
眼鏡の奥、微笑む漆黒の双眸は全く動じる様子もなく。
「妹くんのこと、君がどう思っているかは分からないけど。僕は助命嘆願を出すべきだと思うし、僕はするつもりだよ」
「…………」
峻烈な視線は、拒絶を意味していることを分かっていて、藍染惣右介は続ける。
「君にも考えがあってのことだろうけど。でもね、罪は贖うことができるんじゃないかな」
「贖えない罪もある」
切り捨てる言葉に、藍染は半ば苦笑しながら、
「君は本当に、正しさを求めるんだね」
「兄もそうであろう? 正義を求めるが故に、護廷衆にいるのではないか」
「正義と、温情は相容れないものかな」
「正義は正義であって、規律は守られなくてはならない」
それ以上は語ることを拒んで、白哉は藍染に背を向けた。
「それだけのことだ」
部屋から出て行く『六』の文字が染め抜かれた隊長羽織りを見やって、藍染は苦笑する。
「本当に、彼は……」
「ほんま、いけずやね。規律のためやったら、妹でも斬って捨てるってことやろ? まあ、あれくらい筋が通ってないと、四面家の当主なんてつとまらんのやろか」
揶揄するような言葉に、藍染の笑みが僅かに消える。
ゆっくりと振り返り、言葉の主を睨んだ。
「市丸隊長。朽木隊長は、妹御を斬って捨てるとは」
「言うてへんでも、そない言うたと同じことでっしゃろ? 妹はおらへん、言わはったんやったら、衆牢のお嬢はんは朽木の人間やないって言い切ったと同じことや」
細い銀色の双眸がゆっくりと藍染から視線の隅に立っている小さな姿に目を遣って。
「四面家言うたら、筆頭の玄鵬家も何してるんやろな? 衆牢のお嬢はんは、あんたはんのお師匠はんのお気に入りやったやろ? 日番谷隊長」
壁に背を預けたまま、様子を見ていた冬獅郎は眉根に力を入れたまま、応えた。
「知らん」
「へえ、お師匠も薄情やな。一番弟子になあんにも教えてないやなんて」
揶揄する言葉に、冬獅郎は顔を背けた。
細い双眸が冬獅郎と藍染を繰り返し見やって。
「まあ、貴族は薄情やったってことやな」
ゆったりと翻された白い隊長羽織の裾を複雑な思いで見つめていた冬獅郎は、ふと顔を上げた。
そこにあったのは、藍染が姿を消す『三』の背中を普段の温厚な表情には遠い厳しい表情で見つめる姿だった。
大丈夫だと言い張る雨竜を説得して、なんとか自宅まで送り届けた理靜は、豪邸とも言うべき石田家を出て。深く溜息を吐いて星一つ見えない夜空を見上げた。
何も、見えない。
一つくらい星が出ていてもいいのに、と夜空に内心で呟いて。
理靜は背中にかけた紐を結び解いた。
視線に入った鸞加に対して、雨竜が嫌悪感を消さない視線を向けたこともあって、理靜は雨竜の目から鸞加を意図的に隠したのだ。
現魂界での偽骸は、尸魂界の時のように着物を身に着けているわけではない。いつもであれば腰に佩く鸞加を、ラフなシャツにチノパンという格好である理靜は背中に背負う。とはいえ、左手で持つことが一番自分にとっても、鸞加にとってもしっくりするような、そんな気がしたのだ。
「ほお。斬魄刀を持っているのは初めて見るぞ」
突然に声をかけられても、理靜は驚かなかった。
首だけで振り返り、微笑んだ。
「そうだったかな。ああ、そうかもしれないね。僕は現魂界には鸞加を連れてこないし、何より一人で来ることもなかったし」
「そうだな。あんたが一人でここに来たのは……初めてだな」
少しだけ。
本当に少しだけ、その言葉には感慨が含まれていた。そのことに少し驚きながら、理靜は答えた。
「どうかしたのかい? 随分と感傷的に聞えるのは気のせいかな」
竜弦。
名を呼ばれて、石田竜弦はくわえ煙草のまま、苦笑する。
「気のせいだな。そんなはずがないだろう」
「そう、かな」
「ああ」
煙草を手に取り、竜弦はちらりと見上げた。
息子の部屋の、明かりが消えるのを。
「まさか宗弦さんの跡を、竜弦の息子が継いでいるなんてね。思わなかった」
「継ぐ? 何の話だ。最後の滅却師は死んだ。親父で終わりだ」
竜弦の手から、ふわりと流れる紫煙を見つめながら理靜は静かに告げた。
「竜弦が継がなくても、意思を受け継ぐものがいる。それだけだ。そして滅却師は続いていく」
「…………ずいぶんと勝手な解釈だな」
「世界は、変わろうとしてるのかもしれない」
静かに語る理靜を、竜弦は見つめる。
幼い頃、母だという女性と現れた青年は、10年以上時を経ても変わることのない若々しさを見せている。
自分は大人になり、子までもうけてまもなく不惑を迎えるというのに。
羨ましいとは思わない。尸魂界の時間の流れは現魂界のそれとは違う。
特に霊圧の高い者であればあるほど、身体の時間はゆるゆると流れていくのだという。
「世界だと? それと雨竜がどう関係するのだ?」
「竜弦、滅却師は世界の鍵を握っていること、忘れていないよね」
告げられた言葉。
かつて、亡き父に告げられた言葉と同じ。
よいか、竜弦。
滅却師は虚を滅却するためだけに存在するわけではない。
世界の権衡のために、いるのだ。
だから、見極めなくてはならない。
尸魂界を、そこに住む者を。
霊王と呼ばれる者を。
それが、滅却師の定めだ。
「……知っているのか」
「知っている。世界は現魂界、尸魂界、虚界、無界の均衡で保たれている。そのための鍵のひとつ。それが滅却師だね」
明確な答えに、竜弦は確信する。
玄鵬家の総領息子は、すべてを理解している。
秘されてきたはずの、滅却師の定めを。
「竜弦。今からでも遅くない。滅却師を明らかにしたほうがいい。それが……」
「真っ平だ」
手の煙草を迷うことなく自らの手の中に握りこむ。
白くなるほど握りこまれた掌を、竜弦は自分の胸の前にして、低く言う。
「真っ平だ。俺は滅却師にも、滅却師の定めにも興味はない」
「……竜弦」
ゆっくりと開かれた掌には火傷のあともなく。
竜弦はまっすぐに理靜を見つめて言った。
「滅却師はここに絶えた。継ぐ者は、いないのだ」