fragment 10





「まあ、こんな感じですね」
隊首会の様子を京楽から説明を受けていた千早は、小首を傾げながら問い掛けた。
「つまり、旅禍が現れた場所に『偶然』、市丸隊長がいたってこと?」
「それも『凡ミス』で、その旅禍たちを逃がしてしまったとのことらしい…」
冬獅郎が眉を顰めながら言った。
先日、西流魂街に現魂界からの侵入者が現れた。
現魂界からの侵入者のことを、『旅禍』と呼ぶ。
4人の旅禍は流魂街から瀞霊廷に侵入しようとしたが、ちょうどその場に居合わせた護廷衆3番隊隊長、市丸ギンによって阻止され、逃走したという。
今日の隊首会では旅禍を討ち取れなかった市丸を断罪する目的で行われたのだが。
結局、旅禍の目撃情報が急遽飛び込んできたために、隊首会は解散となったのだ。
千早は小首を傾げたまま、今度は冬獅郎に問い掛ける。
「ねえ、冬獅郎」
「なんだ」
「あなた、何かあったんじゃない?」
「? どういうことだ?」
「だって、市丸隊長になんか、偏った見方してるからね」
もともと市丸ギンは、底が見えない、奇妙な雰囲気を醸し出す者として嫌われる節があった。千早もそれほど親しいわけではないが、道で行き会えば世間話くらいは交わす。
だが今の冬獅郎の言い方に何かひっかかるものを感じたのだ。
「………少し前だが」
「うん」
「藍染隊長が市丸隊長に妙なことを言うのを見た」
「妙なこと?」
「ああ」
冬獅郎は溜息を吐きながら言った。
「『私の目は誤魔化されない』だったな……」
「どういう、意味?」
「それはわからない」
京楽が肩を竦めながら、
「随分と意味深な言い様だねぇ」
「………………そうね」
意味深。
それだけだろうか。
かつて、市丸ギンは藍染惣右介の副官を務めていたこともある。千早が十番隊隊長を務めていた頃に、ギンは三番隊隊長に就任した。藍染はギンの隊長就任推薦に真っ先に同意したし、よく二人で行動しているのも見ていただけに千早は奇妙に感じた。
「まあ、とにかく。市丸がなんか企んでいる気は俺もしてる。だから、少し探りを入れてみようと思う……構わないな、千早」
「そう、ね。何かわかったら報告してくれる?」
冬獅郎は小さく頷いて、部屋から出て行った。
千早は冬獅郎の背中に負われた氷輪丸にちらりと視線を送って。
「意味深、ね……」
「とにかく、旅禍だけど。千早さん、どうするつもり?」
「旅禍は問題ないわよ」
千早が静かに語る言葉に、珍しく京楽が瞠目する。
「……え?」
「だから、理靜が行ったわよ。昨日から帰ってないし、旅禍たちが瀞霊廷内に侵入するとしたら、方法は一つしかないことぐらい、理靜も知ってるわよ」
だって、あの子はあたしの息子よ?






くしゅん。
小さくくしゃみをして、理靜は鼻をすすった。
「風邪か……噂か……?」
そして前を見つめる。
広がった草原、その中央に明らかに違和感のある建物が鎮座していた。
逞しい腕のオブジェが二つ。
その間を繋ぐように広げられた横断幕に書かれた文字を見て、理靜は思わず苦笑した。
「………相変わらずだなぁ、空鶴さんも」
『志波空鶴』と書かれた横断幕をくぐれば、見知った霊圧に理靜は目を細めた。
ここに、一護がいる。






「いいのか、春水」
「いいも悪いも、ないんじゃない?」
前者は少し困惑気味に、後者はしれっと言葉を紡ぐ。
前者である浮竹十四郎は瀞霊廷の蒼い空を覆うように広がる建物の渡り廊下を見上げた。
「………そうだな」
「隊長格に、四十六室の裁定をひっくり返すだけの権限はないんだから。でもって、ちょうど旅禍まで来てるし……何とか旅禍を一人でも上手く誘導してやれれば、計画は上手くいく…はずなんだけどな」
「………随分と杜撰だな」
「仕方ないだろ。綿密に計画なんて立てる余裕があるのかい?」
そう言われては、確かに返す言葉もなく、十四郎は小さく溜息を吐いてから。
「朽木も、玄鵬も動かぬなら、致し方なし」
「……ああ」
「尸魂界の一事を、現魂界の者に頼むことがあるとはな」
「何を言ってもさ」
京楽はその口元に笑みを浮かべながら言った。
「何を言ってもさ、言い訳じゃないかい?」
「………そうだな」
京楽の言葉どおりだった。
良く知る霊圧の持ち主が渡り廊下を歩く気配を感じながら、十四郎は眉を顰める。
廊下の先は、懺罪宮。
大罪を犯し、双極の丘で処刑される極囚が処刑までの日々を待つ場所。
訪れたことはないけれど、それぞれの牢獄からは必ず処刑場である双極の丘が見えるのだという。
罪を懺するための、場所なのだ。
「…………罪など、誰が決めるのだ」
「それは決まっている」
京楽の応えは端的だった。
「罪は、人が作るんだから」
「……………そうか」






衆牢から懺罪宮までルキアの移送につきあった恋次は釈然としないまま、懺罪宮を出た。
「………どうなってんだよ」
すべてを達観したようにルキアは黙って頷いて、恋次に同伴した。
もう、双極でその姿を消すことを信じて疑わないように。
だが恋次の思いは違っていた。
兄である朽木白哉が、必ずルキアを助けるのだと、信じていたのに。
『我には妹はおらぬ』
現魂界から帰ってくるときの言葉のままに、白哉は何も行動を起こさず。
時だけは過ぎていく。
朽木ルキアを極囚とするための時、だけは。
「くそ」
白い壁に拳を打ち付けてみても、何も変わらず。
恋次は数回拳を打ち付け、突然腕を取られた。
「!」
「何をしているんだい、阿散井君」
振り返れば、そこにいたのは穏やかな表情の藍染だった。
「壁に八つ当たりしても……何も始まらないよ」
「……そうっすね」
握られた拳が力を失っていくのを手の中で感じて初めて、藍染は手を離した。
手だけでなく、顔までも項垂れてその場を去ろうとする恋次に、藍染は引き止める。
「阿散井くん。少し……聞きたいことがあるんだけどね」
「え?」
「少し、時間をもらえないかい?」






呼ばわれば、厳つい風貌の双子が久しぶりだと言いながら、主の元に通してくれた。
あまりにも寛ぎすぎた、志波家の主の姿に理靜は思わず苦笑する。
「相変わらずですね、空鶴さん」
「なんだ、どっかで見たことある霊圧かと思えば、千早んところの理靜じゃないか」
髪を無造作に結い上げたターバンを直しながら、志波空鶴は身体を起こした。
空鶴の周りにはさまざまな書籍や巻物が広げられている。
空鶴に近づきたくても、それらに邪魔されて理靜はもう一度苦笑した。
「随分と広げましたね」
「仕方ないな。明日の朝には大花火を上げなくちゃいけないからな。確認だよ」
もう調べものは済んだようで、空鶴が手際よく片付けるのを手伝いながら、理靜がぽつりと言った。
「空鶴さん」
「ん、なんだ?」
「僕が来たこと、驚かないんですね」
空鶴はちらりと理靜を見やって、小さく苦笑しながら言った。
「夜一が、遅かれ早かれ、理靜が来るじゃろうとな」
「そうじゃ。お前が来ると思うておったわ」
空鶴の言葉を奪うように告げられた言葉。
振り返れば、そこにはちょこんと黒猫が座っていて。
にゃおんと一声、猫らしい泣いてみせるけれど、すぐに人語を語る。
「久方ぶりじゃな、理靜」
「夜一さんも。お久しぶりです」
礼儀正しく頭を下げてから、理靜は小首を傾げた。
「ところで、夜一さん……?」
「なんじゃ」
「その尻尾、どうしたんですか?」
ぴきり、と音が聞えた気がした。
背後で空鶴が笑いを殺している気配を感じて、理靜は触れてはいけないことだったことをなんとなく気づいた。
「えっと…」
「わしの尻尾がどうかしたか? ん? 少しばかり、歪んでいるのが何か問題か」
低い声は怒りを示していて、理靜はあらぬ方向に視線を泳がせて。
「いや、問題じゃないですけど」
「お主の従弟がやらかしおったわ。霊力を込めるコツを学習するのに、少しばかり時間がかかったかと思えば、わしの尻尾を力いっぱい握り締めて爆睡しおった」
「……ああ、それで」
確かに夜一の尻尾は手指の形に変形していた。
理靜は苦笑しながら、再び頭を下げた。
「すみませんでした」
「お主が謝ることではないわ」
ふんと鼻を鳴らして、黒猫は顔を背ける。
背後でくつくつと笑う気配を感じながら、理靜は小さく溜息を吐いた。
「………どうなるんでしょうか」
「何が、じゃ」
「何かがおかしいのです。瀞霊廷が。母も、です」
「千早はおかしくないと思うぞ」
黒猫はまっすぐに整いすぎた青年の容貌を見つめて言った。
「千早は、おかしいことなどしておらぬではないか」
「…………おかしいと、思います」
理靜の珍しい反論に、夜一と空鶴が視線を交わした。
それに気づかない理靜はぼんやりとどこかを見つめながら、
「罪を犯したとは言いがたいルキアちゃんを、見殺しにする母も、白哉さんも、中央霊議廷も、中央四十六室も、おかしい」
「そうか」
「………で、お主は何をしたのだ」
夜一の言葉に、理靜は瞠目する。
「何を?」
「そうじゃ。何をしたのじゃ。僅かなりとも時はあった。そなたが尸魂界に帰ってから、な」
「…………」
応えはなかった。だが、夜一は続ける。
「よいか、玄鵬の総領息子。お前が瀞霊廷でできることは、わしや空鶴や、一護たちに比べれば遥かに大きかったのではないか? それを為したのか? それ故に、千早を非難するのか」
「非難など……」
「だが、今お主が口にしたのは、間違えようもなく非難じゃ」
「………そうかもしれません」
理靜は息を長く吐き出して、再び夜一を見つめる。
「何もしていないのに、非難だけを口にしているといわれても、仕方ないですね。確かに」
「………」
「ですが、ここでそうですか、反省します、家で大人しくしていますとも言えないんです」
「ほお」
急激に、理靜の双眸に力が宿る。
「僕は僕ができる、と思ったことをする。そう決めたんです」
「……何をする気じゃ」
「空鶴さんに確かめに来たんです。目指す落下地点を」
空鶴は肩を竦めて言った。
「それははっきりとはいえないな。いや、理靜を信じていないということじゃなくてな。正直抜けることにいっぱいいっぱいだろうよ」
「空中で別れることも考慮に入れなくてはなぁ」
無謀といえば無謀よ。
からからと笑う黒猫に、理靜は一瞬呆然として、深い溜息を吐いた。
「なんですか、それ」
「なんじゃ、お主。それを聞いてどうする気じゃ」
問われて、理靜は顔を上げた。
「僕一人が行き来するくらいの殺気壁をこじあけるくらいは容易いので、僕もそうして出てきたんですけど」
「ふむ。お主一人くらいなら、護廷衆も見逃すじゃろうな」
黒猫が頷けば、空鶴が煙草盆を引き寄せながら、
「ああ、そういうことか。中から手引きか」
「できるならと思っていたんですけど……着地点が分からないのなら……」
「わしが飛ぶならともかく、二段詠唱の鬼道だからなぁ……先の口上の方が難しいから、岩鷲には」
そこまで聞いて理靜は空鶴に振り返る。
「霊球に入るのは、岩鷲くんなんですか」
「ああ。花鶴射法だから」
花鶴射法。
志波家の敷地内に立つ巨大な砲身に、霊力で霊球を作り、それを打ち上げるのが『先の口上』。続いて霊球の中から着地点まで誘導するのが『継の口上』。
それを実際見たことはなかったけれど、それでもかなり難しい鬼道だということは聞いていたから理靜は一瞬眉根を顰めたけれど。
「……わかりました」
「ん? どうするのだ? お主までは乗せられんぞ」
「分かってますよ。僕はやっぱり瀞霊廷に戻ります。少なくとも、誰かを助けてあげられるでしょう……闇雲といわれれば仕方ないですけど。その前に」
顔を上げて、理靜は言った。
「その前に、ルキアちゃんに会ってきます。それと、助けになる者を探し出します」
「……あまり時間はないぞ」
「ええ。だけど、時間を逸した分、僕は立ち止まれない」
理靜の言葉に、黒猫は目を細めた。
「そうか」






宵闇の中で、千早は小さく溜息を吐いた。
誰かの思惑が瀞霊廷内で蠢いているのは分かっている。
違和感を肌で感じているのに、それが何から引き起こされたものか、それがわからない。
中央霊議廷、中央四十六室に連絡を取ろうと農左に命じているけれど、決して思わしくない。
『どうやら緊急封鎖に入っているようです』
申し訳なさそうに告げられて、千早は苦笑しながら首を横に振った。
農左が悪いわけではないのだ。
中央霊議廷が意図的に外界、特に護廷衆との連絡を絶っているのは明らかだった。
鬼道衆、隠密機動とは平時どおりに連絡網が機能しているのだから。
千早は仕方なく、隠密機動を動かしている。
隠密機動の長であるのは玄鵬家ではなく、四楓院家だ。
だが四楓院家の当主たる夜一が現魂界に降りる際、後嗣を決めぬまま姿を消したために、四面家の統帥たる千早が隠密機動の統帥代行権を持っている。
『数名の議員と話はできましたが』
それとなく探れと告げていた隠密機動の者は、小首を傾げて千早の問いに答えた。
『安芸津どのの姿が見えないのもおかしなことですが……妙です』
『妙、とは?』
『普段と見かける議員の数が、圧倒的に少ないと感じました』
流魂街の代表者だけで400人。
貴族議員を加えればその総数600人。
だが隠密機動が見たのは、禁踏区域に緊急封鎖されてるなら、犇めき合っているはずの議員たちがゆったりとしている姿だったのだ。
何かが、起こっている。
中央霊議廷だけでなく。
誰かが、起こそうとしている。
それはわかっているのに、その先が見えない苛立ちを抑えるように千早は揺れる灯火を見つめて、再び溜息を吐く。
誰かの意図が、見えるようで見えない。






そして、次の朝。
瀞霊廷に、悲鳴が響いた。
発見されたのは、護廷衆六番隊隊長藍染惣右介の変わり果てた姿だった。



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